残酷な歌
吟遊詩人は、若い男性だった。
自己紹介によると、彼はここ数年ほど各国を放浪しており、その中で見聞きしたことを物語風の歌に織り込んでいるのだという。
「皆様お集まりいただき、ありがとうございます」
彼は広場に集まったグリンヒルの町人たちを見回し、服の裾を摘んで小粋にお辞儀をする。そうすることで帽子に付いた大きな羽根飾りも揺れ、一緒にお辞儀しているように見えた。
「本日は、私がとある国で見聞きした内容を元にした歌を披露いたします」
「……おひめさまとか、出てくるかな?」
セリアの隣に座っていた女の子が目を輝かせるので、セリアは微笑んでその子の柔らかい髪を撫でる。
「そうかもしれないわね。さ、お利口に聴きましょう」
「うん!」
元気よく返事をした女の子は、スカートの裾を直してきりっとした表情を吟遊詩人に向ける。この子はお姫様が出てくる絵本が好きで、セリアも彼女のために同じ絵本を何度も読んであげているのだ。
吟遊詩人が竪琴を構える。
セリアはごくっと唾を呑み、彼の手元に意識を集中させた。
職業病なのか、音楽鑑賞する際セリアはとにかく演奏者の手元が気になるのだ。それが吟遊詩人など、セリアと同じ竪琴を得意とする者ならなおさらだ。
歌の内容はともかく、彼の演奏をしっかり観察して自分の演奏に還元できるようにするというのが目的なのである。
吟遊詩人の細くて節くれ立った指先が、旋律を奏でる。同じ竪琴奏者でも弾き方はだいぶ違うものだ。この吟遊詩人の場合、セリアよりも力強く、時々爪の先が弦に触れて掠れた音を立てている。だがどうやらそれも計算のうちのようで、セリアは放浪の男性だからこそ演出できる、力強くやや野性的な音色に意識を集中させていた。
むかしむかし。
とある国に、若くて勇敢な王様がいました。
とても素晴らしい王様なので、国中の娘が王様のお妃様になりたがっていました。
ある貴族のお姫様が、一番の有力候補でした。
お姫様はとても美しい人でした。
美しいけれど意地が悪くて、偉そうで、王様もお城の人も、お姫様のことは好きではありませんでした。
でもお姫様はとても身分の高い貴族なので、王様たちは彼女のことを粗末に扱えなかったのです。
ある日、お城に平民の娘がやってきました。
その娘はお姫様に負けないくらい美しく、それでいて優しくて賢い女性でした。
王様はあっという間に、娘に恋をします。
娘も、王様に恋をしました。
お姫様は、そんな二人のことがおもしろくありません。
自分の方が美しい、自分の方が魅力的だ、自分の方が賢いと信じているお姫様は、娘を嵌めるために計画を練りました。
それは、皆の前でお姫様と娘が勝負をして、勝った方が王様のお妃様になるというものでした。
お城の人たちはお姫様のことが大嫌いだったので、いっそのこと勝負で決めてしまえばいいと同意しました。
王様も、必ず娘が勝つと信じて同意しました。
娘も、意地悪なお姫様の妨害に負けず、一生懸命努力をしました。
そして、勝負の日。
あれほど自信満々だったお姫様は、ダンス、勉強、詩歌、ひとつたりとも娘に勝てませんでした。
それもそうです。
お姫様は自分が勝つと思いこんでいて何一つ努力せず、娘の方は一生懸命勉強をしたのですから。
意地悪で高慢なお姫様は、お城を追い出されました。
そうして、賢くて一生懸命な娘は王様との恋を成就させ、国中の人の祝福を受けて結婚したのです。
追い出されたお姫様は王様とお妃様を恨み、いっそのこと殺してやろうと城に忍び込みました。
でも、お姫様はあっさり返り討ちにあって捕まり、誰の同情も得られないまま檻の中で一生を過ごしました。
こうして、邪魔な者がいなくなった王様とお妃様は皆から愛されて、長く幸せに暮らしましたとさ。
セリアは絶句していた。
(なに、これ……?)
目の前では、見事な竪琴の演奏と詩歌を終えた吟遊詩人が、皆から拍手を受けて照れたように笑っている。
だがセリアは拍手を送る気にもなれないどころか、生気を失った目でぼんやりと彼の姿を見ることしかできなかった。
最初は竪琴の音色に集中していたのに、歌の内容に気づいてからはそれどころではなくなってしまった。
(今の……どういうこと?)
若き王様。
意地悪で高飛車なお姫様。
優しくて賢い平民の娘。
お姫様と平民の娘が勝負をして、お姫様が敗北する。
お姫様は城を追い出され、王様と娘は結婚する。
そして吟遊詩人はこの歌について、彼がとある国で実際に見聞きした内容を元にしていると言っていた。
それは、もしかしなくても――
「――リア!」
がくがく肩を揺すぶられ、セリアはとろんとした目で辺りを見回した。
耳栓でもしているかのように周りの声がぼやけて聞こえ、しかも――
(……あら? 空が見える)
セリアは床に座って、吟遊詩人の方を向いていたはずだ。それなのに、いつの間にか彼女の視界には青空が広がっていた。
そこに金色の光が割り込み、藍色の目がセリアを覗き込んでくる。
「セリア、大丈夫か!?」
「……デニス?」
やっと周りの声がはっきりと聞こえてくる。
人々のざわめく声。
子どもたちの泣き声。
足音。
何かが床に落ちる音。
セリアの背中に腕が回り、強い力で抱き起こされた。
その時になってやっと、セリアは今まで自分が仰向けに横たわっていたことを知る。
「セリア、気がついたか!?」
「デニス……一体、どうしたの?」
自分を支えているのがデニスだと気づき、セリアは舌っ足らずな口調で問う。
あまり頭が回っていないので、今の状況が全く飲み込めない。
「吟遊詩人の演奏を聴いていて、君がいきなり倒れたんだ」
そう言ってデニスは正面からセリアの両肩を支え、両眉を垂らしてセリアの顔を覗き込んできた。
「……何かあったのかい? 僕のところまでは、竪琴の音は聞こえても歌の内容までは分からなかったんだけど」
「……あ」
思い出した。
王様。
お姫様。
平民の娘。
今、吟遊詩人が歌ったのは――
「……そ、その、お連れの方ですか?」
デニスの背後からひょっこりと顔を出したのは、吟遊詩人の青年。
竪琴を抱えた彼は明らかに狼狽しており、おろおろしながらデニスとセリアの顔を交互に見やっている。
「僕の演奏がお気に召さなかったのですね、その、すみません」
「……何の歌を歌ったのですか」
デニスが低い声で問うと、吟遊詩人は困ったように眉根を寄せて答える。
「……ファリントン王国に旅をした際、国民から聞いた内容を元に作詞しました。現在の国王に関することらしくて――」
「っ……! 分かった。エリー、ジョン。町のどこかにグリンヒルの傭兵がいるはずだから、連れてきてくれ。ベン、セーラ。君たちはボニーと一緒にセリアの側にいてあげるんだ。僕はこの人と話がある」
一瞬で表情を変えたデニスは子どもたちに素早く指示を出し、周りでたむろしていた町人たちにも声を掛けた。
「申し訳ありません。セリアの調子がよくないようなので、どこかで休ませてあげてくれませんか」
「……分かった。セリアちゃん、こっちにおいで」
真っ先に進み出たのは、筋骨隆々とした男性だった。
彼は町の大工で、夫婦で工務店を営んでいる。
「うちに戻れば家内がいるから、セリアちゃんの体調はそいつに見させる。……さ、疲れたんだろう。うっちで休もう」
「ありがとうございます。セリアを頼みます」
デニスがてきぱきと動き、町人たちもセリアを抱えたり子どもたちをなだめたりと、動きだす。グリンヒルで暮らす者同士、結束力が高いのだ。
大工に腕を取られたセリアは、はっと息を呑む。
「い、いえ……ご迷惑をお掛けするわけには――」
「迷惑とか思ってねぇから、気にすんな」
大工はそう言ってからりと笑う。セリアは唇を噛み、まだくらくらする頭に手を当てて大工の腕にしがみついたのだった。