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緑の丘を下りながら

 デニスがグリンヒルの館で暮らすようになって、半月。


「今日は、僕が荷物持ちをするよ」


 玄関でセリアを待っていたデニスが、そう言った。


「僕は町のことにまだ詳しくないから、案内は頼むね」

「ええ。……確かに、デニスが買い物のために町へ降りるのは初めてかしら?」

「そうだね。土木作業の手伝いとかで行ったことはあるけれど、買い物はこれが初めてだね。……あ、チビたちも来たな」


 デニスの視線の先には、廊下を小走りで駆けてくる子どもたちが。

 子どもたちは大人同伴でないと町に降りてはいけないことになっている。しかも一度の買い出しや散歩で連れ出せる子どもの数は限られているので、皆は大人と一緒に外に出られるのを楽しみにして日々勉強や手伝いをしているのだ。


「あ、今日はセリア姉ちゃんとデニス兄ちゃんだ!」

「デニス兄ちゃん、今日こそおれを肩車してよ!」

「あたしはセリア姉ちゃんとおててつなぐの!」


 口々に言いながらわらわら集まってくる子どもたちを見ていると、自然を口元がほころんでしまう。


「よしよし、分かったからちゃんとお利口についてくるんだぞ」

「いつも言っているけれど、町についてもはしゃぎすぎない。何かあったら、私かデニスに言うこと。いいわね?」


 はーい! と子どもたちは元気よく返事をする。天高く挙げられた彼らの手のひらは、王都で暮らす子どもたちのそれよりも小さくて薄っぺらい。


(この子たちに、もっとたくさん食べさせてあげたい。……演奏しに行く回数を増やすべきかもしれないわね)


 料理などでは全く役に立たないセリアだが、掃除洗濯子守は率先して行う。それだけでなく、時折竪琴を抱えて町に降り、夜の酒場で演奏して金を稼ぐこともあるのだ。


 深夜近くの時間帯の酒場に女一人で行くのは危険だ。そのためセリアの側にはいつも傭兵たちが護衛として付くので、酔っぱらいが近づこうとしたら追い払ってくれるのだ。聖弦ではないので演奏しても精霊の力を呼び起こすことはできないが、それでもセリアの演奏はなかなか好評だった。セリアの名前は知らなくても、「丘の上の館の女性楽師」と言えばほとんどの者は分かるという。


 本日、セリアとデニスの買い出しに同行する子どもたちは五人。八歳と七歳の年長の子が、五歳と四歳の子の手を引く。もう一人の子はまだ一歳を過ぎたばかりなので、デニスが抱っこしていた。


「姉ちゃん、お花がさいてる!」

「そうね。そろそろ暖かい時期になったから、咲くお花の種類も変わってきたわね」

「なあ、デニス兄ちゃん。おれ、兄ちゃんと一緒に風呂入りたい」

「うーん……それは別のお兄さんに頼んでくれないかな」

「ちぇっ……」

「……だめなの?」


 子どもたちに聞こえないよう小声でデニスに問うてみると、彼は苦笑して一歳の女の子を抱え直した。


「それなんだけど……僕、騎士になる前はけっこう大変な生活をしていてね。肌、あまり子どもたちに見せられる状態じゃないんだ」


 それは知らなかった。

 セリアは目を瞬かせ、そのまま視線を下へずらす。


 一般市民が普段着として着用する、シャツとズボン姿のデニス。

 この衣服の下の肌は、それほどまでに傷ついているというのか。


「……そう、だったのね。ごめんなさい、不躾なことを言って」

「気にしないで、セリア。一緒に風呂に入るのは難しくても、頭を洗ってやるとか風呂上がりに体を拭いてやるだけなら大丈夫さ」


 そう言ったデニスは、セリアを元気づけるように微笑んだ。

 子どもたちに見せられないほどの傷を負った戦士とは思えないほど、彼の笑顔はからりとしている。


(……確かに、騎士にしても傭兵にしても、戦場に身を置く人は体に傷痕を残していることが多かったわね)


 ファリントン王国の聖奏師だった頃、騎士団に呼ばれて治療に行っていた。セリアが在籍している間は大きな戦争や事件はなかったが、それでもたまには大怪我を負って運ばれた患者の治療を任せられたことがあった。


 聖奏師団に所属する聖奏師は、十代の女性のみだ。中には学校を卒業したばかりの子もいるので、患者が血みどろだったり身体の欠損が著しかったりすると、役目は筆頭など年長者に託される。セリアが筆頭だったのは一年程度だが、重傷者の手当も何度か担当した。


 聖奏のおかげで自己再生能力が高まり傷は塞がるが、傷痕を残さず完治できるとは限らない。中には大きなみみず腫れを残したり、皮膚の抉れた痕がそのまま残ったりしてしまう。

 デニスの裸身を見たことはないが、きっと彼も同じような状態なのだろう。いくら館の子どもたちが王都の子よりもたくましいとはいえ、あまりにも無惨な傷痕ならば極力見せない方がよいだろう。


 それにしても。


(……今、初めてデニスの過去に触れたかも)


 ちらっと横目でデニスを窺う。

 彼は先ほどから男の子に肩車をせびられているようで、町に着いて一歳の子を下ろしたら、となだめていた。


 彼との出逢いは約十年前。彼は平民で、当時は寄宿学校に通っていた。

 セリアが知っているのは、それ以降のことだけだ。

 かなり昔、「平民の養子に入ったけれど養父母はもう亡くなった」というようなことを聞いた気はするが、寄宿学校に通うようになる前の生活は知らなかった。なんとなく聞いてはいけないことのような気がしたのだ。


 養子に入る前、彼はどんな生活をしていたのか。

 彼はどこで生まれ、どこで育ち、どんな家族がいたのか。

 もしかすると、彼の語っている「体の傷」というのが、十年前以前の彼の生きた軌跡を表しているのかもしれない。


(……いつか、そういうことも話してくれたら嬉しいのに)


 デニスから視線を逸らしたセリアは、皆に気づかれないようため息をついた。


 これまでデニスはセリアを何度も助けてくれた。

 彼がいてくれたから、今セリアはこの緑の丘で充実した日々を送れているのだ。


 今度は、セリアがデニスを助けたい。

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