夜間外出の前に
夜になるといつも通り子どもたちを寝かしつけ、大人たちはめいめいの自由時間を満喫する。
同性同士でお喋りするなり、食堂でツマミを食べつつ明日の予定を確認するなり、マザーの部屋でお茶の時間を過ごすなり、ゆっくりと湯船に浸かるなり。
そんな中、セリアは女友達三人に見守られつつ外出の仕度をしていた。
「夜に逢瀬なんて……ねぇ?」
「しかも館内じゃなくて、草原でって……ねぇ?」
「帰ってくるのは夜遅くになるかもなんて……ねぇ?」
「……べ、別にいいでしょうっ」
キラキラの目とニヤニヤの口元でセリアをからかってくるのは、フィリパ、エイミー、マージの三人娘。
上着を着たセリアは階段の中程で振り返り、手すりの陰からこちらを見てくる女友達を軽く睨みつける。
「それに、明日は昼間で仕事も入っていないわ。たまには寝坊してもいいってマザーからも――」
「違う、明日の予定を気にしているんじゃないの」
「セリアあんたまさか、未婚の男女が夜中に二人っきりで外出して何も起こらないとでも思っているの?」
「セリアはしっかりしてるようで分かってないからねぇ、襲われたらどうすんのよ」
我慢ならなかったのか、それまでは手すりから顔だけ覗かせていた三人は鬼気迫る顔になって階段を下りてきて、ぎょっとするセリアを包囲した。
「だ、大丈夫よ。デニスも剣を持っていくって言ってたし、最近この辺の治安は――」
「違うっ! そうじゃないのっ!」
「なんてここでそんなボケを発揮するの!?」
「あんたを襲うのは不審者じゃなくて、デニス!」
「えっ……どうしてデニスが私を?」
逃げようにも、フィリパたちは見事な連携プレーでセリアの行く手を遮ってくる。隙間から脱出しようとしたが、エイミーが見事な反復横跳びで阻止してきた。フィリパとマージは手を繋ぎ、セリアの退路を遮る。
最近麓町の若者の間で流行っているというスポーツでは、防御側がこんな動きをしていたはずだ。フィリパたちもそれに参加すればいいのに、とセリアは思った。
「デニスは私のお金を狙ったりはしないわよ?」
「ここまで来ると、どう突っ込めばいいのか分からないわ……」
「いいこと、セリア。あんたも分かっているでしょうが、館の皆はあんたたちの関係をいろいろ想像しているんだからね」
「関係……」
「ただの昔なじみじゃなくって子どもの頃からの許嫁だとか、ままならぬ事情で引き裂かれた恋人だとか」
「『実は兄妹だった』説も傭兵の誰かが言っていたわ」
「……はぁ」
「それはともかくとしてね、セリア。若い男女が夜中に二人きりで出かけるとなると、やっぱり外でいちゃいちゃするのかなぁ、と第三者は予想してしまうのよ」
「いちゃいちゃ……」
マージの言葉に、二年前の記憶が蘇る。
おそらく彼女らが指摘しているのは、かつてセリアがエルヴィスと行っていたことなのだろう。
抱き合って、キスをして、肌に痕を付けられて、優しい未来を語り合って――
『愛しているよ、私のセリア』
そう言って熱の籠もった目でセリアを見つめてきたエルヴィス。
今、マージの言葉によって記憶の中のエルヴィスの顔がデニスにすり替わり――
『愛しているよ、僕のセリア』
ぼん、と音が出そうなほど急激にセリアの頬が真っ赤に染まった。
「ない、ない! それはないわ!」
「それはどうかしらねぇ?」
「セリアの方はそんなつもりはなくても、デニスは分からないわよぉ?」
「彼、人付き合いがいいし物腰も丁寧な好青年って感じだけど、夜になったらケモノに変身するかもしれないわよぉ?」
「というわけで、セリア」
三人の中で一番恋愛経験豊富なマージが腰に手を当てて言う。
「もしもデニスに嫌なことをされそうになったら、嫌だとはっきり言いなさい。そこで引き下がるなら、彼はまだ紳士。引き下がらないなら、殴るなり蹴るなりしてでも逃げ出しなさい」
「デニスを殴るの!?」
「どうしようもなくなったらよ。そういうわけで……無事にいってらっしゃい」
「できたら事後報告よろしくね」
「濃い内容を期待しているから」
口々に言い、三人は道を空けてくれた。
セリアは彼女らに外出の挨拶をした後、廊下を歩きつつふーっと長い長いため息をつく。
(デニスが私を襲うなんて……ないわ、絶対ない)
フィリパたちに諭されたことでようやく、彼女らの言う「襲う」が「金品を奪い取る」の意味でないことを知った。「しっかりしているようで分かっていない」とはまさにこのことなのだろう。
(だって、デニスに限ってそんなことないもの)
彼はいつだって優しい。
たまにどきっとするような台詞を口にすることはあるが、いつだってセリアを気遣い、支えてくれた人なのだ。そんな彼を疑うなんてことはできない。
(それに、今日のお出かけにはれっきとした目的もあるのだし)
セリアは先ほどからずっと胸に抱いていた布包みをぎゅっと抱きしめた。
この布の中には、丈夫な革のケースが入っている。きっとこれを大半の者が見たなら、いつもセリアが食堂で演奏している竪琴だと思うだろう。
だが、これは普通の竪琴ではない。
二年前、デニスがかろうじてすり替えてくれたため焼却処分を免れた、セリアの聖弦である。
デニスの忠告に従ったセリアは、グリンヒルに来てから一度も聖弦を弾いたことはなかった。
腕がなまってしまっては嫌だから、普通の竪琴で曲の練習をしていた。聖奏は、聖弦で演奏しなければ効果を発揮しないので、安心して練習ができる。
聖弦の方もまめに手入れはしていたが、弾いている姿を誰かに見られる恐れがあった。音色はもちろんだが、聖奏師の手によってのみ張られる十八本の弦は、銀の粉をまぶしたかのように輝いているのだ。そんな場面を見れば、セリアが聖奏師であることはすぐにばれてしまう。
そんなセリアに、デニスが提案してくれたのだ。
皆の活動が治まった夜に、人気のない丘で聖弦を弾いてみてはどうか、と。
側にデニスがいてくれるから、誰かが来てもすぐに彼が気づいて注意を促してくれる。
(二年ぶりに、聖弦を弾ける)
そのことでセリアはすっかり興奮してしまい、せっかくフィリパたちがしてくれた忠告も、頭の中から半分以上吹っ飛んでしまったのだった。