緑の丘のお似合い夫婦?
「こんちわーっす! 食材届けに来ましたー!」
「いつもありがとうございます」
玄関先で元気いっぱいに挨拶した青年を、セリアは笑顔で出迎えた。
ポーチに立って額の汗を拭う彼の背後には、ずっしりと重そうな木箱がいくつも載った手押し車が停められていた。木箱には、「豚」「牛」「ブロック」などの走り書きがある。
「いつも丘の上まで届けてくださるので、本当に助かります」
「いえいえ、丘の上の館の皆はお得意様っすからね。これくらいお任せください」
そう言って青年は袖をまくり、筋肉で盛り上がった二の腕をぺしぺしと叩いて自慢そうに披露した。
「それより、今日も中まで運べばいいっすか? 日中は傭兵の皆がいないから、大変っすよね」
彼の言うとおり、昼間は大半の傭兵たちが出稼ぎに出ているので、館には男手が少ない。そのため、青年にお願いして貯蔵庫まで食材を持って上がってもらっているのだ。
セリアはいつも、「仕事もあるだろうし、女性陣でも何度か往復すればできるから」と言うのだが、青年は「俺がしたいんっすよ!」と言い張る。だから彼の厚意に甘えていたのだ。
しかしセリアは首を横に振り、青年の脇を通ってポーチに出た。
「今は大丈夫です。……デニス! 肉屋さんが来たから運ぶのを手伝ってちょうだい!」
「もうそんな時間? 了解、すぐ行くよ!」
裏の物置小屋の方に向かってそう呼びかけると、すぐに返事があった。間もなく、シャツの袖とズボンの裾をまくったデニスがやってくる。
肉屋の青年もなかなかの筋肉を持っているが、デニスだって負けていない。他の屈強な傭兵たちに挾まれるから細身に見えるだけで、騎士として鍛える彼の肉体も見事なものなのだ。
デニスは肩から提げたタオルで顔の汗を拭い、ぽかんとして自分を見つめてくる肉屋の青年を見て「やあ」と人なつっこく挨拶した。
「君は確か、麓町の肉屋君だね。ここまで運んでくれてありがとう。助かるよ」
「……。……いや、その、どうも」
先ほどのセリアとほぼ同じ台詞を言ったのに、デニスに対する青年はどこか気まずそうで口数も少ない。
だがそんな反応を気にした様子もなく、デニスは手押し車に載った木箱を見ると、ひょいと持ち上げた。セリアの細腕なら小さめの木箱ひとつがやっとだろうが、デニスは大きめの木箱の上に小さい木箱を載せ、ふんふん鼻歌を歌いながら軽々持って行ってしまった。
(やっぱり男の人なのね。私があれをやったら、明日は動けなくなるわ)
感心しながらデニスの背中を見送っていたセリアに、しばらくの間沈黙していた青年が声を掛ける。
「……あのー、セリアさんとあの人って、どういう関係なんっすか?」
「どういうって……そうですね、昔なじみといったところでしょうか。子どもの頃からの知り合いなのですよ」
「知り合い……家が近所だったとか、そういうのっすか?」
青年は不思議そうに問うてくる。
彼はセリアが公爵令嬢だったことを知らない。彼の頭の中では、「子どもの頃からの知り合い」は「近所の遊び仲間」のようなものなのだろう。
セリアはくすっと笑い、「そんなところです」と答えておいた。
「彼は昔から明るい子でした。彼のおかげで私もだいぶ変わることができたのですよ」
「……そ、そうっすか。なんというか、お互い大切に想い合ってるんだろうなぁ、ってのが見てるだけで伝わってくるんっすよ」
(大切に想い合う……か)
そうしてふっと脳裏を過ぎるのは、かつてセリアを腕に抱いてくれた人。
エルヴィスからは確かに愛されていたと思う。まだ公にできない関係だった上、当時のセリアは筆頭という立場だった。周りが落ち着くまではと、彼とのスキンシップは口づけまでだった。
それでも、執拗なほど唇を吸われ、はだけられた胸元や背中に鬱血した印を残され、「愛している」「私の妃になって」と囁かれることに、セリアは極上の幸福を感じていた。
いつか彼の妃になり、彼に身も心も愛され、彼の子を産むのだと信じていた。
(私は確かに、陛下のことを想っていた。それはきっと、陛下も同じだった)
二年前のセリアの敗北は、エルヴィスだって予想していなかったことだっただろう。彼には突っぱねられてほぼ自然消滅のような形で二人の関係は絶たれてしまったが、約一年間彼がセリアに注いでくれた愛情は本物なのだと信じている。
(でもこの人から見ると、今の私はデニスと想い合っている――みたいなのね)
思案のために数秒間黙り込んだセリアだが、間もなく答えは叩き出せた。
今、セリアがデニスに対して抱いているのは間違いなく「愛情」だ。だがそれはきっと、過去にエルヴィスに対して抱いていたものとは種類が異なる。
おそらく、家族愛。子どもの頃から知り合い、グリンヒルの館で共に生活をする仲間、家族を愛する心と同じ。
幼い頃に両親を喪ったセリアは公爵家の親戚に育てられた。だが両者の間に家族愛が芽生えていたのかと問われると、そうではない。
セリアにとっての家族愛は、グリンヒルに来てようやっと芽生えたのだ。
そう結論づけたセリアは青年に微笑みかけた。
「それはきっと、私がデニスを家族のように思っているからですよ。年齢はデニスの方がひとつ上だけれど……どちらかというと、弟のように思っているのかもしれませんね」
「そ、そうなんすね! それじゃあ俺にもまだチャンスは――」
「セリア、次はどれを運べばいい?」
青年の声に被せるように、廊下の角から顔を覗かせたデニスが問うてきた。あれだけ重量のありそうな箱を持ってきた帰りだというのに、ずいぶん早い。彼は腕力だけでなく脚力もたいしたものなのだろう。
「ありがとう、それじゃあ申し訳ないけれど、重いものから優先的にお願いね」
「分かった。後のものは僕が運んでおくから、セリアは涼しいところで休んでいないよ」
「えっ、私も小さいものくらいは持つわ」
「だめだよ。セリアは女の子なんだから、無理して重い木箱を持って怪我をしたらいけない」
デニスは善意でそのように言っているようだが、その理屈はおかしい、とセリアは眉間に皺を刻んだ。
グリンヒルの館は男女共同生活を行っているが、女だから重いものを持たなくていい、男だから料理をしなくていい、というわけではない。
傭兵たちが肉体労働をしているのは、彼らが望んでいるから。料理当番の大半が女性なのは、元々彼女らに料理の才能があったから。料理番専門の男性だっているし、セリアのように包丁を持てば食材ではなく自分の手を切ってしまうような女もいる。
(私にだってできるわ!)
そういうわけで、セリアは意地を張るかのように手近な木箱を持ち上げた。サイズが小さいので軽いかと思ったら予想以上に重くて腰と腕がビキッと痛んだが、強がるような笑みをデニスに向けた。
「ほら、私だってちゃんと持てるわ! 女だから重労働をしなくていいなんて、この館では通用しないの!」
「うーん……そういうのじゃないんだけどな」
セリアの脇を通って手押し車の木箱をひょいひょいと抱えたデニスは最後に、セリアが無理をして抱えていた木箱も片手で取り上げてしまう。
一気に楽になった両腕をぶらんとさせて立ちつくすセリアを見、デニスは首を傾げて微笑んだ。
「あえて言うなら、セリアに重いものを持たせたくないから、かな?」
「え?」
「女の子は女の子でも、君は特別。……それじゃ、最後に残っている平べったい箱だけ運んでよ。それなら腕を痛めることもないよ」
「……」
特別、とセリアは唇の動きだけで反芻する。
頬が熱い。
胸がどきどきと高鳴っている。
(……これは、何なの?)
これも家族愛の延長なのだろうか。
真っ赤な顔で平べったい箱を持ち上げるセリアを、肉屋の青年は唖然として見つめていた。
やがて手押し車の中は空っぽになり、青年はセリアとデニスに慌ただしく挨拶をして逃げるように丘を下っていく。
「……なんなんだよ、あれ。お似合い夫婦じゃないか。俺の入る隙なんてないじゃないかっ」
手押し車を押しながら、彼はぐすっと鼻をすするのだった。