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緑の丘の新住人

 翌日から、デニスはグリンヒルの館の一員として生活することになった。


「デニス・カータレット。先日二十歳になった。剣術はもちろん、力仕事でも何でも任せてほしい」


 そう言って傭兵たちの前で自己紹介するデニスを、セリアは影からはらはらしながら見守っていた。


「……端から見ると不審者よ、セリア」

「だ、だって」


 玄関前の掃き掃除を終えたところらしいエイミーに突っ込まれたが、やめるつもりはない。

 セリアは両手のひらをわきわきさせながら、デニスの背中を見守り続ける。


「ほら、デニスはあんなに細いのよ。皆とうまくやっていけるか、心配で……」

「だーいじょうぶよ。男って私たちが思っている以上にしゃんとしているものよ」

「そうなのかしら……」

「そうそう。ほら、手が空いてるなら洗濯物運び手伝って。今日はシーツ取り替えの日なんだから」

「ええ……」


 エイミーに引きずられながら洗濯場へ連行されながらも、セリアはちらちらと背後を窺う。


(本当に大丈夫かしら……)


 そうしていると、傭兵たちと話をしていたデニスがふと振り返った。

 彼はおろおろと視線を彷徨わせるセリアを見ると微笑み、軽く右手を振ってきた。「安心して」といったところだろうか。


(……うん、そうね。きっと大丈夫なのね。頑張って、デニス!)


 心の中だけで声援を送り、セリアは洗濯場へ行くのだった。









「へー、おまえファリントンの騎士様なのか」

「様付けされるようなものではない。ここ二年ほどで地位はがた落ちしているし、そもそも平民だ」

「それでも俺たち流れの傭兵とは格が違うだろ。いいのか、こんなところで働いて」

「細っこいけどこき使うぞ?」

「むしろどんどん使ってくれ」


 そう答えたところで、ちらと背後を窺う。

 本人は隠れているつもりなのかもしれないが、建物の影から半分以上体を覗かせたセリアの姿があった。おおよそ、デニスが傭兵たちと馴染めるか心配で見に来たのだろう。


 仲間が来たらしく、セリアはずるずると引っ張られていく。その時にばっちりと視線がぶつかった。

 彼女を安心させようと小さく手を振ると、セリアは明らかにほっとしたような顔になり、そのままどこかへと連行されていった。


「……そういやぁさ、おまえってセリアちゃんの何なの?」

「何……って?」


 藪から棒に傭兵に問われて振り返ると、デニスとは身長も胸の厚みも格段に違う傭兵たちが陽気に笑いだした。


「何って、そりゃあ見てりゃいろいろ勘ぐりたくもなるだろう!」

「セリアちゃんが、昨日来たばかりのおまえにあんなに構っているんだ。実は恋人だったりするんじゃないのか?」

「恋人――か」


 何気ない一言に、デニスはふっと遠い眼差しになった。

 周りの傭兵たちが、期待するような目で見てきているのを感じる。


「……残念ながら、そういう間柄じゃない。彼女とは顔なじみなだけだ」

「本当かぁ?」

「本当だって。それより、早速仕事を割り振ってくれよ。何だってする」


 この話はここまでだ。

 デニスはそれまで浮かべていた哀愁漂う表情を引っ込め、いつものように明るい笑みで袖をまくるのだった。












 シーツ取り替え作業は、大仕事だ。

 まず、「引っぺがし係」と「洗濯係」の二チームに分かれる。

 最初に「引っぺがし係」が各寝室を回ってシーツを引っぺがし、丸めたものを窓から庭へと放り投げる。庭で待機していた「洗濯係」がシーツを受け止め、洗濯場へ持っていく。

「洗濯係」が全力でシーツを洗っている間に、「引っぺがし係」はベッドに新しいシーツを敷く。住人によってシーツにも妙にこだわりがあるらしく、薄めがいい者やふわふわがいい者、お気に入りの柄があるなどなかなか注文が多いので張り替えるのも一苦労だ。


 本日のセリアは、「洗濯係」だった。

 巨大な桶に水を張り、石けんを溶かして泡立てる。一度ざっと水洗いをしておいたシーツを桶に沈め、手でもみ洗いするなり、洗った足で踏んで洗ったりする。

 ほとんどの女性は素足になることに抵抗がないようだが、十七歳まで王都で暮らしてきたセリアは未だに人前で素足になる勇気が出ない。


 王都では、女性が足首を見せることは「はしたない」と言われていた。基本的にロングスカートで脚を隠し、もし短めのスカートを履くことになってもブーツやタイツで肌の露出を控える。成人女性が足首を見せてもいいのは、夫だけなのである。


「足の方が絶対楽だよ?」


 そう言うエイミーは既に靴を脱ぎ、冷水で足を洗っている。これからあわあわの桶に飛び込むつもりなのだ。

 肘まで服の袖をまくったセリアは苦笑し、首を横に振る。


「それは分かっているけれど……やっぱりまだ抵抗があるの」

「ふーん……まあ、セリアがいいならいいけど」


 エイミーはそれ以上追求せず、「よっしゃー!」と雄叫びを上げながら桶に飛び込んだ。彼女以外の「踏み洗い係」の女性や子どもたちも、元気よく桶に足を踏み入れる。今日はからりと晴れており気温もそこそこ高いので、踏み洗いは体を適度に冷やす効果もあるのだ。


 個人的な事情で素足になれないセリアだが、洗濯場の仕事も結構楽しい。


「あー、こら! あんまり泡を跳ねないの!」


 はしゃいで泡を撒き散らしてしまった子どもたちに、エイミーの叱責の声が飛ぶ。


「後でタイル床の水洗いをするの、大変なんだからね!」

「そう言うエイミー姉ちゃんもびしゃびしゃにしてるー」

「まきちらしてるー」

「わ、私は後で自分で掃除するからいいの!」

「じゃああたしも掃除するから泡飛ばすー!」

「ひっ!?」


 えい、と女の子が手で掬って撒いた石けん水が、標的であるエイミーを大きく外してセリアの顔に掛かった。


「こらーっ! だから言ったでしょー! 大丈夫、セリア!?」

「ふふ、大丈夫よ」


 慌ててエイミーが桶から降りて駆け寄ってきたので、セリアは拳で顔を拭って微笑んだ。


「泥じゃないのだから、きれいなものよ。後で洗えば大丈夫」

「それならいいんだけど――」

「……あ、セリア!」


 背後から声が掛かる。

 よりによってこのタイミングとは、ついていない。


 セリアがおそるおそる振り返ると、角材を小脇に抱えたデニスが庭を横切るところだった。

 彼は額を伝う汗を手の甲で拭い、セリアに微笑みかけてきた。


「洗濯お疲れ。……顔、泡が付いているよ?」

「えっ……やだ、どうしてこんな時に来るのよ……」

「ご、ごめん。姿が見えたから声を掛けたくなって……」


 ごしごしと腕で顔を拭いていたセリアは、顔を上げた。

 角材を抱え直したデニスは照れたように笑い、屋敷に隣接する倉庫の方を手で示した。


「僕はこれから、倉庫の修理に行くんだ。大工仕事をするのも初めてだけど、なんだかわくわくするんだ」

「そ、そうなの。怪我しないように気を付けてね、デニス」

「セリアこそ。……鼻の頭に泡が付いている姿も可愛いよ」 

「……! も、もう、からかわないで!」


 声が裏返ってしまった。

 訳も分からず、顔が熱い。


(何なの、もう!)


 セリアは腹立ち紛れに手元の桶の水を掬って、デニスに向かって思いっきり掛けてやった。だが飛距離がそれほどまででもない上、デニスは身軽にかわしてしまったので彼の服を濡らすには至らない。デニスはからりと笑った後、片手を挙げて倉庫の方へと向かってしまった。


 ――可愛いよ。


「っ……もう、もうっ!」


 セリアは真っ赤になった頬を隠すように俯き、派手な水しぶきを立てながらシーツのもみ洗いを再開させる。


「セリア姉ちゃん、モウモウ言っててウシみたーい」

「ばかっ、そこは『セリア姉ちゃんとデニス兄ちゃんってふうふみたーい!』って言うものなのよ!」


 少年と少女が無邪気に話をしている傍ら、エイミーは泥の付いた足を洗いつつセリアを三白眼で見ていた。


「……分かってないの、本人だけなのねぇ」


 エイミーはそう呟いて苦笑し、それっという気合いの声と共に桶に飛び込むのだった。

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