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王都の今

 今日から約一月間デニスが館で過ごすということで、彼用の部屋が割り当てられることになった。

 彼の案内役に任命されたセリアは、きれいに掃除された室内を手で示した。


「狭いところだけれど、シーツも部屋もきれいよ」

「そのようだね。とても暮らしやすそうな部屋だ」


 デニスはそう言い、荷物を置いて部屋を見回した。元々平民生まれの彼は部屋の広さには頓着しないようで、さっさとコートを脱いでハンガーに掛け始める。


「もうじき夕食だから、その時に皆に紹介することになるけれど、いいかしら」

「もちろんだよ。短い間といってもこれから世話になるのだからね。自己紹介くらいはしないと」


 そこまで言い、一旦二人の間に沈黙が流れた。

 デニスは窓を開けて換気をした後、セリアを振り返り見た。


「……ベアトリクスさんだっけ。あの方とも話してみて分かったよ。セリアはここで過ごす日々を満喫しているんだね」

「……そう、ね」

「もしかすると、僕が来たことで昔のことを思い出して辛くなったりとかするなら、申し訳なく――」

「そんなことないわ!」


 セリアは急ぎ声を張り上げた。

 目を丸くするデニスに歩み寄り、彼の目を真っ直ぐ見上げる。


「確かに、ここに来たばかりの頃は悩むこともあったわ。館での仕事もうまくいかないし皆に迷惑を掛けてばかり。夜になったら聖奏師だった頃のことを思い出して……やっぱり、辛かった」

「……そうか」

「でも、今この館で私を必要としてくれている人たちがいる。聖奏師じゃなくても、公爵家令嬢でなくても。ただの楽師セリアを必要としてくれているの。だから、大丈夫。それに、デニスと再会できたのは私にとって降って湧いた幸運よ。辛いわけないわ」

「……そう、か。それなら安心したよ」


 デニスはそれまでほんの少し強ばっていた頬を緩め、ぽんぽんとセリアの肩を優しく叩いた。


「君はちゃんと前を向いて、今を楽しんでいるんだね」

「うん。だから……もしよかったら、今王都がどうなっているか教えてくれないかしら」

「えっ」


 セリアの提案に、デニスはあからさまに嫌そうな顔になった。

 彼は基本的に笑顔なので、こんな表情を見せることもあるのかとセリアは新鮮な気持ちでデニスを見上げる。


「王都って……そんなの聞いても楽しくないと思うけれど」

「……今のあなたの反応を見るだけで、内容を聞く前からだいたいのことが予想できてしまったわ」

「あー……うん、多分君が予想しているのとほとんど違わないと思うよ」


 デニスは苦笑し、ベッドに腰を下ろして頭を掻いた。


「本当に聞きたいのかい? これから先もグリンヒルで暮らしていく君には、ほぼ無縁の話だと思うんだけど」

「確かにここはファリントン国外で、あっちの情報もなかなか入ってこないわ。でも、情報が届くのに時間が掛かるだけであって情報網が遮断されているわけじゃない。それに、人づてで届いた情報はどうしても内容に綻びが生じたり尾ひれが付いたりするものよ。そんな嘘か誠か分からない情報を後々に耳にするくらいなら、今あなたの口から正確な現状を聞いておきたいの」


 ヴェステ地方グリンヒルからファリントン王国王都ルシアンナまで、馬を駆って二十日ほど。王都内であれば郵便機関も発達しているが、グリンヒルのような田舎だと手紙を届けるのも一苦労だ。

 そんな田舎町グリンヒルにも、方々ほうぼうから様々な情報が舞い込んでくる。しかし、そういった情報を提供してくるのは書類ではなく人間である。だから全ての情報が届くとも、届いた情報が正確だとも限らないのである。


 後々にそんな噂に踊らされるくらいなら、当事者の口によって語られる内容を先に知っておく方がいい。


 デニスはしばらく迷っていたようだがやがて頷いて、ベッドの隣に座るよう言った。


「……あなたも変わったわね」

「え、何が?」

「昔なら、狭い部屋に女性と二人っきりになった上、ベッドに並んで座るようになんて言わなかったでしょう?」

「し、仕方ないだろう、他に座る場所なさそうだし! あ、僕の隣が嫌なら、僕が床に座るから――」

「ふふ、ごめんなさい、冗談よ」


 セリアが笑ってデニスの隣に腰を下ろすと、彼は後ろ手をついてやれやれとばかりに天井を仰いだ。


「……本当にいい性格になったね、君。まあいいか。それより、一番に何を聞きたい?」

「何と言っても、聖奏師の仲間たちね」


 セリアははっきりと答えた。

 国王であるエルヴィスの噂は、たまに耳にすることがある。だからまずは、城に残してきた元同僚たちが元気にやっているのかを知りたかった。


 デニスは「ああ」と声を上げた。


「君がかつて面倒を見ていた聖奏師たちだね。僕が見る限りは皆元気そうだよ。ただ……ミュリエル・バーンビーのことになるけれど、言ってもいいかい?」


 かなり久しぶりにその名前を聞いた気がする。

 だが、思ったよりも自分が動揺していないことにセリアは気づく。


「ええ、お願い」


 冷静なセリアを見て安堵したのか、デニスは先ほどよりも滑らかに話しだした。


「……君が出て行ってから半年くらい経った頃だったかな。ミュリエル・バーンビーが君の跡を継いで筆頭聖奏師になった。聖奏師内では異議も立てられたらしいけれど、騎士や使用人たちからの人気が絶大だったのが決定打になったかな。今では、聖奏師たちの行動スケジュールは彼女が牛耳っている状態だ」

「……ミュリエルは、二年前から何か変わったの?」


 微かな期待を込めて問うたが、デニスは疲れたように首を横に振った。


「何も。筆頭になってからはそれこそ来る者拒まず状態で、君がよく居残りで仕事をしていたっていう聖奏師の仕事部屋の前は毎日長蛇の列だよ。大怪我ならともかく、ちょっと肩が凝るとか切り傷ができたとか彼女にフられて辛いとか、そんなのがうじゃうじゃ」

「……うわぁ」

「それだけの人数をミュリエルだけで捌くのは不可能だから、当然他の聖奏師たちも訪問者の対応をさせられている。だから最近、城下町への往診がなくなったし定期的に行っていたはずの太后様への訪問もめっきり減ってしまったんだ。……太后様がひっそりと息を引き取られたのは、昨年の冬だったかな」

「そんな! 太后様がお亡くなりに――」

「最後には、陛下もお見舞いに行かれなくなったみたいなんだ。太后様は君のことも信頼していたみたいでね、どうして君を追放したのかと陛下と喧嘩したらしくて、そこからあっという間だったよ」

「……なんてことなの」


 セリアは重苦しい息を吐き出した。

 ある程度覚悟はしていたが、本当に何一つミュリエルは変わっていないようだ。それどころか、公正だったエルヴィスまでミュリエルに同意しているという。


(……まさか、陛下はいなくなった私の代わりにミュリエルを側に置いて――)


 十分に考えられる話だ。

 悶々と悩むセリアの隣で、デニスは話を続ける。


「そういうわけで、今の王城は筆頭聖奏師ミュリエルの天下だ。騎士団もミュリエル信仰集団みたいなのができていてね、僕も勧誘されたんだ」

「しんこ――何それ!?」

「もちろん断ったけどね。そうしたらみるみる間に地位を落とされてしまった。昔は平民出でもそこそこ重宝されていたんだけど、いつの間にか落ちてしまっていたんだ。やっぱり、教団の勧誘を断ったのがまずかったかなぁ」

「そ、そんな……」


 地位が落ちるなんて、とんでもないことだ。しかもその原因が、「ミュリエル信仰集団入団を断ったから」なんてものなら、セリアとしてもいたたまれない気持ちでいっぱいだ。


(やっぱり、二年前の勝負で私が負けたから――)


 だがデニスはセリアの表情の変化に聡く気づいたようで、ふっと顔つきを険しくしてセリアの顔を見つめてくる。


「先に言っておく。こうなったのは、セリアのせいじゃない」

「……でも」

「二年前から言っているだろう? 僕はあの勝負が公正でないと信じている。君に勝たれたら困る――もしくはミュリエルを勝たせたかった者が、不正に手を染めたに違いない。だから、君があの日敗北したのは君にとっては予想だにしなかった『事故』だ」

「事故……」

「平坦な道を歩いていたって、モグラの穴に落ちてしまうことがある。ただ山道を歩いただけなのに、落石事故に遭うことだってある。それと同じで、君は事故に遭っただけ。回避しようがないし、君だって被害者なんだ」

「……そうなのかしら」

「そうだとも。だから僕は地位を落とされようと騎士団で嫌がらせされようと、君のせいだと思ったことは一度もない。君だって辛い思いをしたんだから、君を恨むのはお門違いじゃないか」


 そう言うデニスの眼差しは真っ直ぐで、優しくて。

 セリアの胸に芽吹いていた不安の種を軽々と吹っ飛ばしてくれて。


「こうして長期の休暇申請が通ったのも、僕の地位が低くなったからだろうね。おまえがいなくてもなんとかなる、ってところかな。でも、僕はそれでいいと思っている。僕はミュリエル・バーンビーを一生好きにはなれない。周りに媚びへつらい地位を上げるために信仰集団に入団するくらいなら、お役御免される方がいいさ」


 そう言いきるデニスの顔に、二年前の自分の姿が重なった。

 敗北を喫したセリアに、ミュリエルは「自分の部下になるなら聖奏師として残ってもいい」と言い放った。その時のセリアも、今のデニスと同じように思ったのだ。


 ミュリエルに従うくらいなら、今の自分が誇っているものを捨てる方がましだ、と。


 それくらい、ミュリエルに頭を垂れるのが嫌だった。

 敗者として惨めな姿を見せるのが嫌だとか、勝者であるミュリエルに反抗したいとか、そういうのではない。

 自分とミュリエルは相容れない存在なのだと、はっきり自覚したからなのだ。


(デニス……あなたも、同じ気持ちなのね)


 デニスはしばらく黙っていたが、やがて切り出した。


「……楽しくもない王都の話は一旦ここまでにして、そろそろ君の話を聞いてもいいかな?」

「私の話……?」

「そう。さっき、今の君は楽師扱いされているって言っていたじゃないか。ということは、聖奏はしなくても楽器の演奏をしているんだろう?」

「……! ええ、そうなの! さすがに今は聖弦を出すことはできないから、普通の竪琴になるけれど――あっ、部屋に置いているから、持ってきてもいい?」

「もちろん。できたら一曲聞かせてほしいな」

「ええ! ちょっと待っていてね!」


 先ほどまでの雰囲気から一転、セリアは興奮で頬を上気させてデニスの部屋を飛び出していった。


 デニスはそんなセリアの背中を笑顔で見送った後、ふと真面目な顔で自分の隣を見下ろす。

 つい先ほどまでセリアが座っていたそこは、人間の尻の大きさにわずかにへこんでいた。そっとその箇所を手で撫でると、セリアが残していったぬくもりが感じられる。


「……君が幸せなら、僕はそれで――」

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