緑の丘の訪問者
二年ぶりに会ったデニスは、雰囲気こそ昔と変わっていないが身長はさらに伸びており、試しに彼に肩車をしてもらった少年は大はしゃぎだった。
せっかくだからデニスを館に案内してゆっくり話をしたいと申し出ると、彼は快く了承してくれた。そして館の傭兵の代わりに、疲れて眠ってしまった二歳の女の子を抱っこして館まで来てくれることになったのだ。
「使わないまま貯めていた有給を消化して、生まれ故郷に戻っていたんだ」
どうしてここに来たのか、と問うと、デニスは腕の中で眠る女の子を大切そうに抱え直してそう言った。
「帰郷自体は思っていたよりもあっさり終わったから、セリアが行くって言っていたグリンヒルにも寄っていこうと思ってね。会えるかどうかは分からなくて不安だったけれど、一日目で会えてよかったよ」
「そうだったのね。まさかデニスがこんな所まで来るとは思っていなかったから、びっくりしたわ」
「僕の方こそ、二年ぶりにセリアに会ってびっくりしたよ」
「それは……この子たちのこと?」
デニスには先ほど、グリンヒルの館のことを説明しておいた。もちろん、この子たちはセリアが産んだわけではなく、館で面倒を見ている孤児だということも。
だがデニスは笑顔で首を横に振る。
「それもあるけど……それよりもずっと、セリアの雰囲気が変わったことにびっくりしたんだ」
「私の雰囲気? そうかしら?」
以前マザーにもそんなことを言われた気がする。
デニスは頷き、自分の首の後ろを指先でとんとんと叩いた。
「そう。二年前のセリアなら、いくら僕が君の話を聞かなくて勘違いして立ち去ろうとしていても、首根っこをひっ掴んだり叱り飛ばしたりはしなかっただろう?」
「……あ、その……ごめんなさい」
先ほどはデニスが勝手に解釈をして勝手に去っていこうとするものだから、ついつい子どもたちに注意をするときのような気持ちで声を上げてしまったのだ。確かに、昔のセリアなら同じ年頃の男性に対してあのように声を上げたりはしなかっただろう。
だがデニスはからりと笑い、隣を歩くセリアを目を細めて見下ろしてくる。
「気にしないで。確かに君の変化にはびっくりしたけれど、元気でやっているっていう証拠じゃないか。それに今の君、すっごく生き生きとしている」
「そうかしら?」
「そうだよ。昔から君はきりっとしていて素敵だったけれど、今の君も僕は好きだな」
「す、好きって……」
デニスはなんてことないように言うが、言われたセリアの方は「はいそうですか」で終わらせられない。そして、「好き」の単語で思い出した。
(……ああ、そうだわ。肉屋のジョナサンって、フィリパたちが言っていたんだっけ)
麓町の肉屋のジョナサンがセリアのことを好いているらしい、と。今になってやっと思い出したくらい印象に薄かった。名前を忘れていて申し訳ないと、今になってジョナサンに対して謝りたくなる。
それにしても。
(……すごく、胸がどきどきする)
フィリパたちからジョナサンの話を聞いたときも、先ほど彼と話をしたときも、何とも思わなかった。
それなのに、デニスからさらりと「好きだな」と言われると、心臓がばくんと派手に脈打った。
そう、それは二年前に捨てざるを得なかった「あの感情」とそっくりで――
「あ、あれがグリンヒルの館かな?」
デニスの声で、セリアは我に返ったのだった。
「なるほど、セリアの旧友ですか」
マザーの部屋にて。
セリアは早速デニスをマザーのもとに通し、彼との簡単な間柄を説明することにした。
過去のことはあまり口にしたくないと事前に彼とも打ち合わせをしていたので、セリアのぼんやりとした説明にもデニスは笑顔で頷いた。
「はい。子どもの頃から顔見知りの彼女が元気にしているか、ちょっとでも顔を見られたらと思いまして」
「そうですか。私にはデニスさんの顔は見えませんが、あなたがセリアのことを気遣う想いがよく伝わってきますよ」
マザーはそう言って微笑み、「そういえば」と顔をセリアの方に向けた。
「デニスさんは、どれくらいの期間休日を取られているのでしょうか」
「……有給はまだ残っているって言ってたわね?」
セリアの問いにデニスは頷いた。
「そうです。ここから王都ルシアンナまで馬を駆って二十日くらいでしょうか。ですから、自由に動けるのは一月くらいですね」
「なるほど。……デニスさん。もしよろしければ、休暇の間こちらで過ごされませんか?」
「えっ、マザー?」
マザーの方から提案するとは珍しい。たいていの場合は相手の方が館への滞在を申し出てマザーが許可するのである。
そう思ってセリアが声を上げると、マザーは口元に皺を寄せて微笑んだ。
「今は傭兵の皆さんの仕事も繁盛する時期ですからね、男手はいつも不足しています。お金を支払っていただけるのであれば宿として部屋をお貸ししますし、労働力を貸してくださるのであれば食費も滞在費も結構です」
「なるほど。僕が館の仕事を手伝うのならば、一月間宿で暮らすよりもお金の節約になりますね」
「はい。こちらにとってもあなたにとっても不都合はないははずです。もちろん、デニスさんが選んでくださればの話ですが」
「願ってもない話です。僕もセリアの様子を見たいと思っていたので、一月間お世話になりたいです。もちろん、男として手伝えることは何だってしますよ」
「えっと、デニス、いいの?」
マザーとデニスの間でとんとん拍子に話が進むのでセリアがおずおずと問うと、デニスはセリアを見て頷いた。
「もちろん。お金だって無尽蔵というわけじゃないからね。それに一月間何もせずに宿暮らしをしたら体がなまってしまう。宿代の代わりに労働力を提供できるなら、僕にとっても都合がいいんだ。それに」
「うん」
「さっきも言ったけど、ここにはセリアがいるからね。二年前とはちょっと勝手が違うけれど、君の側で働きたいと思うんだ」
「……う、うん?」
「やっと君と再会できたんだ。積もる話もあるし、君が今までどんな生活をしてきたのかも知りたい。だから一月間、君と同じ場所で生活したいんだよ」
「……」
なんだろう。
どうしてデニスの言葉はいちいちセリアの胸を刺激してくるのだろうか。
(……ああ、そうだ。きっと、デニスは世界中でも数少ない、私と「知りたい」を共有できる人だからなのね)
グリンヒルの館の住人には、過去の話はできない。
その点、昔からの付き合いがあるデニスなら今の聖奏師たちの状況を聞けたりセリアの生活の話をしたりすることができる。そんな存在が現れるのが、二年ぶりなのだ。だからきっと、自分はこれほどまでどきどきしているのだろう。
セリアは自分で自分を納得させ、デニスに笑顔を返した。
「……うん。私も、デニスといっぱいお喋りしたいわ」
「そっか……嬉しいよ」
「一ヶ月間、よろしくね。デニス」
「……うん、よろしく」
そう言って手を握り合う男女を、マザーは穏やかな笑顔で見守っていた。