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緑の丘の夜更け

 大盛況の中、セリアの演奏会は幕を閉じた。

 最初から最後まで皆で歌ったり踊ったりしており、セリアの竪琴の音はほとんど聞こえなかったのだろうが、そんなことはどうでもいい。皆が大満足の状態でお開きにできたことが一番である。


「はい、歯はちゃんと磨いた? うがいもしっかりするのよ」


 夕食後の洗面所にて、セリアは一列に並んだ子どもたちの口の中を点検していた。セリアの手には柔らかい布があり、磨き残した子がいればこれで拭ってやるのだ。


「ジョアン、あなたは前歯が少し歪んでいるのだから、念入りに磨かないとだめよ」

「はぁい」

「あら、マックスはきれいに磨けるようになったわね。後は奥歯ね。奥歯は布で磨きにくいけれど、こう、指に布を巻き付けてみてね。頑張るのよ」

「分かった、セリア姉ちゃん」


 素直に返事をする子どもたちは、本当に可愛らしい。時にはやんちゃをしたり反抗したりしてセリアたちを困らせることもあるが、一緒に生活し、育ててきた子なのだから愛着が湧いていた。


 歯磨きを終えたら、着替えをして寝室に向かわせる。子ども用の寝室は二階に四つあり、年齢をばらけさせた子どもたち約五人ずつで一部屋を割り当てている。何かあったときは、年長の子が年少の子の面倒を見られるようにするのだ。


「それじゃあ、おやすみなさい」

「おやすみ、セリア姉ちゃん」

「姉ちゃん、明日もお勉強教えてね」


 皆に布団を掛けて回っていると、ある少女がそう言ってきた。

 彼女は、セリアが来た半年後くらいに館に迎えられた。父親を亡くしており、母親から子育て拒否されて館の前に置いて行かれたのだという。


 セリアは微笑み、少女の布団を顎の下まで引き上げてやった。


「もちろんよ。明日は、今日の続きの本を読みましょう」

「うん、約束だよ」


 そう言って少女は、大きな目をいっぱいに見開いて「約束」をねだる。


 この館に来て、セリアは様々なことを学んだ。中でも、子どもたちへの対応の仕方というのはそれまでの概念を覆すものが多かった。


 グリンヒルの館は孤児院のような役割も果たしている。ここで暮らす子どもたちの多くは親から捨てられたり、家族と死別したりといった背景を背負っていた。


 そういった子たちは、愛情表現が下手だったり執着心が強かったするという特徴がある。今セリアに勉強をねだった少女は、母親から相当酷い言葉の暴力を受けていたそうだ。そのため最初の数ヶ月はまともに話すこともできず、彼女が笑顔を見せてくれるようになったのも最近になってからだった。


 そんな少女は、「約束」に異様なほどこだわっている。どうやら彼女は最後に母親と「ここで待っていなさい。明日には帰ってくるからね」という「約束」をしてグリンヒルの館に置いていかれたそうだ。当然、何日経っても母親は帰ってこなかった。


 だから、セリアたちは彼女と約束をし、それを必ず叶えるということで彼女の信頼を得ることにしたのだ。もし急用が入って約束を叶えられなくなった場合は、必ず報告をする。そうすることで、大人――とりわけ女性――は平気で嘘をつく、という彼女の固定概念を払拭させるようにしている。


 セリアは微笑み、少女の前髪をそっと撫でた。


「ええ、約束ね。それじゃあ、約束通りにできるようにマリーはしっかり寝ましょう。いいね?」

「……うん。おやすみ、セリア姉ちゃん」


 マリーはセリアが約束してくれたことに安堵したようで、すぐにとろんとした眼差しになって眠りに落ちていった。先ほどの歯磨き点検の時からうつらうつらしていたし、ずっと眠かったのだろう。


「……こちら、全員就寝しました」


 子ども部屋を出たセリアは、廊下にいた中年女性に報告する。間もなく他の部屋からも女性たちが出てきて、子どもたちが全員眠ったことを報告した。


 中年女性は頷き、階段の方を手で示した。


「ありがとう、皆。それじゃあ解散。また明日もよろしくね」

「はい、よろしくお願いします」


 中年女性が去った後、セリアたちは顔を見合わせた。他の三人もセリアと同じ年頃の若い女性で、四人はこっくりと頷きあう。


「……今日もやる?」

「やっちゃおう」

「場所は?」

「フィリパの部屋はどう?」

「昨日片づけをしたからばっちり」

「よし、それじゃ二十分後にフィリパの部屋に集合」


 そうしてセリアたちは一旦解散する。セリアたち大人は狭いながらも個室を与えられているのだ。

 セリアは急ぎ自室に戻り、着ていた服を脱いで寝間着に着替えた。演奏会の後でベッドに寝かせたままだった竪琴を簡単に手入れし、ケースに戻しておく。


 フィリパの部屋に行くと、既に他の三人は集まってセリアを待っていた。


「よし、いらっしゃいセリア!」

「お邪魔するわ、フィリパ」


 フィリパの部屋は既にくつろぎモードになっており、床には裸足で上がれるカーペットが敷かれクッションがいくつも転がっている。

 セリアも靴を脱ぎ、カーペットに上がった。集まった四人の娘たちは今、おそろいの寝間着を着ている。以前町へ出かけた際に、「三着以上でお買い得!」とのことだったのでまとめて買ったものである。


 セリアたちは時折、こうして誰かの部屋に集まって夜の女子会を開いていた。

 仕事を終えた夜中に女友達でお喋りをするという習慣がなかったセリアだが、フィリパたちに誘われて参加するうちに、いつしかすっかり溶け込んでいた。慣れとは本当に恐ろしいものである。


「最近マージはどんな感じなの?」


 レモン水を皆のグラスに注いでいたフィリパが切り出すと、セリアの向かいに座っていたマージはくすくすと可愛らしく笑った。


「それがね、最近仕事先でちょっとだけ昇格したらしくて、お給料が上がったそうなの」

「へえ、よかったじゃない!」

「この前、お泊まりでデートに行ってたでしょ。ね、ね、何か進展でもあった?」

「フィリパもエイミーもがっつきすぎ! ローリーは奥手だから、キス止まりよぉ!」


 マージは「ないない」とばかりに手を振っているが、酒を飲んでいるわけでもないのにその頬は真っ赤に染まっている。丘の麓町で暮らしている恋人とうまくいっているようだ。


「でもね、もうちょっとお金が貯まったら館を出て麓で一緒に暮らさないかって言ってくれるの」

「ええぇ……マージ、出て行っちゃうの!?」

「寂しいわよぉ!」

「大丈夫よ! 離れるといっても丘の麓と上じゃない。いざとなったらすぐに戻ってこられるし、今生の別れになるわけじゃないんだから」


 そう語るマージは本当に幸せそうだ。


(一緒に暮らす……か)


 レモン水をすすりながらマージの話に耳を傾けていたセリアだが、ふとフィリパがこちらを見てきた。


「そういえば、セリアはそういう話はないの?」

「えっ」

「そうそう、麓町の男も、セリア狙いが結構多いんだよ!」


 エイミーがそう声を上げたので、セリアは目を丸くした。

 そんなの、初耳である。


「わ、私が!? 嘘でしょ……」

「嘘じゃないって! この前お遣いで町に降りたら、お兄さんたちに声を掛けられたのよ……ねえ、マージ?」

「そうそう。てっきり私たち狙いかと思いきや、『グリンヒルの館で暮らしている楽師の女の子に会いたいんだけど』だってさ!」

「それって私?」

「セリア以外に誰がいるの!?」


 きょとんとしたセリアに、フィリパたちが詰め寄ってきた。


「先に言っておくわ! セリア、肉屋のジョナサンが一番おすすめよ!」

「逆に、配達屋のドナルドは要注意よ! あいつ、セリアの胸しか見ていないみたいだから!」

「む、胸って……」

「その点ジョナサンなら、すっごい真面目だしセリアのことが本当に好きらしいから!」

「……ジョナサンさんって、肉屋でよく店番をしている人よね? 私、買い物以外で話をしたことないんだけど――」

「それは! ジョナサンが! 超が付くほど奥手だからなの!」

「セリアはしっかりしてそうなのに抜けてるからね、変な男に拐かされそうで心配なのよ!」


 フィリパたちの鼻息が荒い。異常な熱の入り具合である。


「で、でも、私はまだそういうのに縁がないし――」


 嘘である。

 二年前には、結婚を夢見た相手がいた。

 だが、それについてフィリパたちに教えるつもりはない。


 グリンヒルの館には様々な過去や経歴を背負った者たちが集まっているので、基本的に過去の詮索は御法度なのだ。だからフィリパたちも、「過去にどんな異性関係があったか」ではなく「今どんな異性に興味があるか」について興味津々なのである。


 だがたどたどしいセリアの言い訳に、エイミーがくわっと目を見開いた。


「なんてこと! セリアももう十九歳でしょう!?」

「もったいないわ!」

「そ、そうだけど、もしいい人が見つかったらみんなにも教えるから……ね?」

「……セリアがそう言うなら」


 ようやっと熱も引いてくれたようで、フィリパたちの距離が離れていくのでセリアはほっと息をついた。


(……いい人、か)


 自分で言っておきながら、ちくりと胸が痛んだ。

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