創始日
自分は何者なのか。ん?その疑問だけが宙にふわふわと浮くように意識のなかに現出し、存在というものが何なのかというわけの分からない問いを創造する。
肉体が少年のまま、赤子のように新たに生まれ出でたような感覚がある。少し湿り気を帯びた生暖かい空気に肌が不快な思いをしている。何で俺はここにいるのだろう、と何度思ったのか分からない疑問が頭に浮かぶ。答えは出ないまま、ひたすら足を動かし続ける。
もうどれくらい歩いたか。目の前に広がる暗闇は一切晴れることはない。闇に目が慣れる感覚もない。
自分は死んだのではないかと初めての可能性を感じ始めた。
今死んだという記憶はない。というか生きてきた記憶すらない。ついさっきこの暗闇で生まれたばかりだと俺の心は告げている。
人間という概念に当てはまる存在であることを勝手に祈っている自分がいて、その思考に戸惑いを覚える。前世というものが存在するのであれば、俺はかつて人間だったのかもしれない。だからこそ人間に恋い焦がれているのだろう。幸運なことに暗闇で自分の姿を視認することはできないが、手足や目鼻口、心臓の鼓動は感じ取れる。それを考えれば、おそらく俺は人間だ。
漆黒の闇は徐々に薄暗くなっていき、明瞭なる光が目の前に広がり始める。それに気付いたときにはもう俺の体はひたすらに走り始めていた。何度も転びそうになりながら光のもとへ急ぐ。足の筋肉はすぐに悲鳴を上げ、ぜえぜえと息も上がってしまう。
俺は手を伸ばす。
・・・・・・あとちょっと・・・・・・
眩しさで目を開けることさえままならない。徐々に視界は明瞭になっていき、青々と広がる空が顔を出した。少年は自らが予想した通り、人間だった。肉眼で見える外の風景は広大で、ずっと見ていても飽きることのないものだった。
風が頬を撫でるように優しく吹き付けると、木々たちに実る甘やかそうな果実がゆらゆらと揺れるのが見える。
ここはどこだろう?そして俺は何者なのだろう?何も思い出せない、いや最初から何も存在していなかった。俺はそう断言することにした。なんか考えるのも面倒臭いと思ったから。
少年の見た目はある程度整ってはいるが、目立つような容姿ではなく、至って地味めな感じだった。髪型や服装がシンプルだからそう見えるだけかもしれないが。
汚れてはいるが、しっかりと服を着ていたのだ。それに俺は疑問を覚えたが、またも面倒に思い、その感情を押し込んだ。
「とりあえず・・・・・・腹へったな・・・何か食べるものが欲しい・・・うん。」
震える足で一歩を踏み出し、目の前に広がる森の中を一直線に歩き続ける。
動物の姿は一切見られない。食せるものといったら木になっている果実くらいだ。贅沢も言ってられないし、まあいいか。歩き続けたせいで足の疲労が重くのしかかっている。が、赤々と実った果物はその疲れさえも忘れさせるよう。
「・・・・・・ジャンプして届くか?」
高さ五メートルほどのところに実っている。普通ならば届くわけがない。ただ少年はいけるだろうという思いに疑いを持つこともなく、ジャンプした。すると身体は軽々と五メートルの高さまで浮き上がり、真っ赤な果実をもぎ取ることができた。
少年は無言で果実に一口かぶりつく。甘い蜜が溢れ出てくる。これはなんとも美味な食べ物だ。これは止められない止まらない。
「これからどうすっか・・・・・・てかここはどこなんだ?」
答えを提示してくれる人はいない。静けさだけがその場を支配していた。まあとにかく人を探そう。
俺は森の中を歩き続ける。疲労と戦いながら見えた先には荘厳なる城門が鎮座していた。
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手を翳すと名前が浮かび上がる。
シン アルフォード。それが浮かび上がった文字だった。
聞いたことのない名前だが、それが俺の名前らしい。城門を潜った先にあった三角形の輪に視線を向けるとシン アルフォードという名前が出たのだ。
「これが俺の名前か?」
「はい、そうでこざいます。これから行く世界であなた様が名乗る名前でございます。」
「ふーん、まあいいか。シン アルフォードね。了解。」
「順応が早いですね。普通はもっと警戒されたり、ここはどこだという質問をする人もいますよ?」
「もちろんそういう気持ちもあるけど、あれこれ考えるのが面倒臭くなるんだよ。なるようになるだろ?」
「度胸がありますね。フィーネ様もお好きそうな人柄です。」
「フィーネ?」
「はい。これからあなた様がお会いになるお方です。詳しくは・・・お会いになれば分かります。」
執事姿の男は恭しく礼をした後、目の前から姿を消した。
先に行っていいってことか?じゃあ遠慮なく。
シン アルフォードは躊躇いもなしに聳え立つ城の中へと足を踏み入れた。
第一印象、まず天井が高い。高すぎる。巨人が住んでいるんじゃないかと思ってしまうくらいに規格外な作りになっている。
壁には絵が何枚も飾られており、その絵も巨大で迫力がある。
目を奪われるほどの美を纏った女性。妖艶さと儚さ、女性としての強ささえも兼ね備えているのが一瞬見ただけでも理解できた。
誰がモデルなんだ?この美人は。
しばらく歩き続けると、何の装飾も施されていない真っ白な扉が現れた。
それを思いきり押して開け放つと真っ赤な絨毯が一面に広がっていた。壁際に鎧の衛兵が何人も立ち、剣を胸の前で持っている。シンが扉を開けて中に入った瞬間に彼等の殺気が全身にチクチクとした感覚として襲いかかってきた。部屋の中心にある玉座に腰掛けた女性は壁にかけられた絵そのものだった。
「ようこそ、シン アルフォード。私はこの世界の主、フィーネ グロサリオン。この世界を創造し、生命を超越した存在。」
うん、なんか小難しいことを言っているが、要はこの世界で一番偉い奴ってことか?
「あ、シン アルフォード?って言います。よろしくっす。」
「貴様ぁ! 無礼であるぞ!創造主様の眼前でよくもそんな・・・・・・ぶっ!」
玉座の手前に控える髭面で目付きの鋭いおじさんがシンに向かって喚き散らす。が、途中でなにかに吹き飛ばされたように床に突っ伏した。
「騒々しいわ。あなたの方が無礼ね。御免なさいね、シン。」
「あ、いえ、大丈夫っすけど。」
今・・・何やった?めちゃめちゃ綺麗な女の人だけど、怒らせたら只ではすまない。そんな気がしてならない。
「とりあえずここまで来てくれるかしら。」
「うす。」
シンはフィーネの前まで歩いていく。端々から刺々しい視線に晒されるが、鈍感なのかシンは一切気にしていない。
「なにか質問はある?」
「質問っすか?質問・・・・・・」
「この世界に何か疑問はないの?」
「んん・・・・・・ああここはどこで自分は誰なのか、それくらいは知っておきたいかなと思いますね。」
普通なら前のめりになって聞いてくることを関心が薄い様子で聞いてきたことに少なからずフィーネは驚く。そしてこの人間は普通と違うかもしれないと少しだけ歓喜する。
「ここはウォルティネ。創世記第七聖墓、水晶の世界。そしてあなたはそこに生まれ出でた私の二十四番目の子供、シン アルフォード。」
フィーネが説明してくれたことで何か分かるかもしれないと期待したが、ますます理解不能に陥った。創世記?第七聖墓?水晶の世界?何だそれ、全く意味が分からない。
ただシンが他と違うところはまあいいかの精神が根付いているところ。知ったとして何になると開き直れる潔さがあるところだ。それは利点にもなれば欠点にもなる。
「俺がこの世界・・・ウォルティネだっけか?ここで何をするために生まれたのか、分かるのか?」
「ええ、もちろん。あなたは私の子だもの。でも厳密に言うとこの世界でやることはないわ。また別の世界でシン アルフォードとして為すべきことがあるの。」
「別の世界?」
「ええ、こことは違う場所であなたは頂点にならなければならない。」
漠然とし過ぎていて、よく理解できない。頂点とは何の頂点なのだろうか?
フィーネも言葉足らずだったのを自覚したのか、話を続けた。
「世界で最も強くなりなさい。強さとはどういうものなのか・・・それは己で考えなさい。」
言いたいこと、思っていることが全て伝わるなんて思っていない。フィーネが理解してほしいことの数%しかシンには伝わらないだろう。いやそれ以下かもしれない。それでも言うことに意味がある。他の二十三人に伝えた時と同じように。
「シン、あなたならきっと成し遂げることができると・・・私は確信しているわ。」
フィーネの言葉には不思議と説得力があった。シンは迷わずに頷きを返す。
「それならばまず、あなたの器に魔力を宿す必要があるわ。でないとこれから行く世界で生活すらできないだろうから。」
魔力を宿すとは具体的に何をするのか想像もつかない。ちょっと楽しみだ。
「レオナルド、あれを持ってきて。」
「かしこまりました。」
フィーネの側に控えていた黒スーツの青年が恭しく一礼してから何かを取りにその場を離れた。物腰が柔らかそうな印象はあるが、油断ならない危険な雰囲気を醸し出している、そんな気がした。
レオナルドという名前の青年が持ってきたのは黒い水晶。飲み込まれてしまうほどに黒く、深い闇が広がっている。その水晶から視線を離せなくなる。夢中になる不思議な力が宿っていると確信した。
「これがあなたの魔力の根源になるもの。クリスタル ネロよ。」
「クリスタル ネロ?」
「ウォルティネの最高位魔法、クリスタル ネロの二十四代目魔法主としてあなたは旅立つの。」
フィーネはふと静かに目を瞑り、祈りの格好をとる。
すると目の前に置いた黒水晶がゆっくりと宙に浮き始め、漆黒の激光を放ち、シンの体を包み込む。しかしそれも数秒のこと。暗黒だった視界は徐々に晴れていき、元通りになった。体に変わったところはないし、気分も悪くなったり、頭が痛いなんていう症状も見られない。これで魔力が宿ったのだろうか?甚だ疑問だ。
「・・・・・・これで魔力が宿ったはずよ。念じてみて。」
シンはフィーネに言われた通りに心で念じる。すると仄かに揺らぎを感じた。漠然としていて、言葉では言い表し難い感覚であるが、でも確かに不思議な力が自分に宿っているのが分かった。これが魔力というやつか。
力を具現させるには・・・想像力が必要らしい。
シンは心の無駄を削ぎ落とし、一心に魔法を想起する。変化はすぐに現れた。手の平に若干の温もりを感じたと思ったら、薄青の魔力が固形化し、漆黒の水晶が生まれ出でた。刃物のように鋭利で攻撃性があるその水晶をシンは意思を込めて操作する。自由自在に宙を舞い、移動する速度も変化させることができる。思うがままに・・・・・・というわけにはいかないが、大まかな方向に動かすことは可能なようだ。
「最初はそんなものね。鍛えれば魔法の質も向上していくはずよ。」
フィーネは飛翔している水晶の動きを目で追いながら少し安心したかのような表情を浮かべた。
「了解。早速新しい世界に行くのか?」
「まあ今から行ってもいいけど、魔法をある程度モノにできてから行ったほうがいいと私は思うわ。」
確かに。今魔法を初めて使ったわけだから、シンは初心者と言ってよい。自分がこれから出向く世界がどんな場所なのか全くわからない。この魔法という技能がどれだけ進歩しているのかも。
緊張もしないし、恐怖も感じない。ただ単純にワクワクする。しかしこの期待感だけを抱いて新たな世界へ旅立てば待っているのは困難と挫折だろう。それらが悪いとは言わないし、どんなに努力してもいつかどこかで壁は立ち塞がってくる。ただ準備をすること、努力をすることが大事なのは間違いない、と思う。
「・・・それもそうっすね。じゃあここで少しの間、お世話になってもいいっすか?」
ーーーーー結構あっさりと残ることを決めたわね。
なるべく早く新たな世界へ行って自分の腕を試したいとシンが思っているのではないかと予想したが、違ったみたいだ。少し意外感を覚える。
「ええ、もちろん。ここはあなたの家なのだから。」
「それと魔法の練習は外ならどこでもやっていいわ。あと剣術や格闘術を学びたいなら私に言いなさい。ウォルティネ最強の使い手を講師に付けてあげる。」
「おお、それはありがたい。なら剣術も格闘術も教えて欲しいから、その使い手の人を紹介してもらえますか?」
「あら決めるのが早いわね。魔法の練習に固執するかと思ったけど?」
「魔法だけ練習しても意味ない気がするんで。剣術も格闘術も魔法士に必要な技能だと思いますしね。」
ニシシと不器用な笑顔を浮かべたシンを見て、フィーネは確信した。彼はこれからどんどん大きくなって、誰よりも強くなるだろうと。
フィーネはメイドを呼びつけ、シンか住まうことになる居室に案内させるように指示を出した。メイドはシンに一礼してからこちらですと案内を始めた。謁見の間の西に位置する大扉から出るとだだっ広い廊下が続いていた。武装した甲冑姿の兵士が歩いている。これが日常らしいが、シンには見るもの全てが新鮮で、興味深いものばかりだった。
メイドが通り過ぎていく部屋の説明をしていくが、全く頭に入ってこない。時間を掛けて覚えればいいかと楽観的に考えている。その前に新しい世界に行くことになるかもしれないが。
気づけば右方がガラス張りの廊下になっていた。そこからは広大な草原が見える。ゆらゆらと揺れ動く草花がシンの目に焼き付く。
ーーーーーおおお、綺麗だな。こっち側は森じゃないんだ・・・
心の中の呟きはもちろん前を歩くメイドには聞こえない。けれどメイドの横顔が大草原の方を向いていた。さっきまで無表情だったとは思えないくらい艶やかで柔らかな笑顔だった。彼女はこの景色を愛しているのだとすぐに察することができたし、シンに自慢げに見せているようでもあった。
「すごい綺麗っすね。この景色。」
「・・・はい、美しいですよね・・・」
ウォルティネ。この世界にいる期間がどれくらいなのかはまだ決まっていないけれども、ここにいる間はウォルティネについてもっと知りたいと強く思った。
幸いにもこの城の中には図書館があるというので調べものはそこを使うことにした。
謁見の間を出てからどれくらい経っただろうか?というよりこの城の広さは尋常ではない。階段を一切使っていないのにまだ廊下が続いている。部屋まであとどれくらいかとメイドに聞こうとした瞬間に彼女は立ち止まる。
「着きました。ここがシン様の部屋でございます。」
他の部屋の扉と同じで、何ら変わり映えのない感じ。まあ別に特別な部屋を望んでいたわけじゃないけども。
「隣はどんな人が住んでんの?」
「いえ、誰も住んでいません。」
「あ、そうなんすか?」
「はい、その隣も、その隣の隣も誰も住んでいません。」
「空き部屋ってこと?」
「はい、そうです。」
「はあ。」
シンは曖昧な返事をする。部屋がこんなにも必要なのかと疑問に思ったからだ。
メイドはシンの表情を見てそれを読み取った。
「かつてクリスタル ネロの魔法主様・・・初代から二十三代までがお住まいになっていた部屋です。」
「ああ・・・だからこんなに部屋があるのか。」
シンは納得として頷きを返す。
さっそく部屋に入ると家具が一式揃えられており、既に誰かが住んでいるのではないかと思うくらいの部屋になっていた。
決して豪華な様相を呈しているわけではないが、塵一つ床に落ちていないし、ベッドのシーツには皺一つない。
うん、空気も悪くないし、なかなか過ごしやすそうだ。
「こちらが鍵になります。」
「お、ありがと。」
魔法の練習に入りたいならフィーネに言えばいいらしい。メイドがそう言っていた。
メイドが出て行ってから、シンは部屋のベッドに仰向けの状態で寝転がった。天井は真っ白で清潔に保たれていた。毎日の掃除を欠かさずやっているのだろう。あのメイドがやってくれているのかもしれない。
自分という存在がこの世に生まれ出でたのはついさっき。それは間違いない。でも魂というか、いわゆるそういうぼんやりとしたものは以前にも世界を旅していたということは漠然とだが理解できた。記憶は全くないけど、いやあったほうが問題か・・・
これから何が始まるのか。どんなことが待っているのか。楽しみでしかない。シンは目を瞑り、想像を膨らませるが、見える景色は真っ白な空間だけだ。
気楽に行こう。なるようになるさと心の中で呟いて、シンは眠りについた。
魔法の訓練は明日からで・・・・・・・・・