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真夏の夜の旋律

作者: いしいしだ

夏のホラー2017として出したのですが、提出にラグがあってギリギリ締め切り越しちゃってたので応募できませんでした。その話を載せようと思います。

「ぬわあああああああああん! 疲れたもおおおおおおん! 大学内114週とかやめたくなりますよ~部活ぅ~」


「ああ、今日もうすっげ~きつかったぞ」


「はい、本当疲れましたね」


「風呂にも入ったし、じゃけんもう寝ましょうね~」


「お、そうだな。……田宮、明かり消してくれ」


「はい、おかのした」


「田宮先輩は“わかりました”っていうと毎回訛りますよね」


「うるせーな古村、人の喋り方をいちいち笑うなよな~」


「そうだよ」


「いや、そんなこと……」


「あ、そうだ」


「なんすか黄泉浦先輩、唐突に」


「いや、今日大学を走ってるときにふと耳にしたんだがな……」







「裏野ドリームランドの噂って、知ってるか?」




 ●●が○○○に出会う三日前

 東京都下北沢区『(はく)(しん)(そう)』にて、(りっ)(きょう)大学空手部部員達の会話の一部








 古川奏介とは、実に平凡な少年である。無論、『平凡』という言葉はあくまで我々の中で作り上げた不確定な定義を無理やり押し付けただけに過ぎない。しかし、それでも彼を見た大多数の人はまるで映画のワンシーンの端っこに写るエキストラのように、数秒後にはその存在を忘れているだろう。


 何せ第一に外見があまりにもパッとしない。小学五年生という複雑な年頃の少年達は、だんだん異性を意識するという性に目覚める。それ故に、気になる異性にちょっかいをかける、自分の衣服を自分で選びたがる等、色気づき始めるのが『小学五年生』というものだろう(まあ、たいていその涙ぐましい努力は、同じく思春期を迎えた少女たちに届くことなく散っていくのがほとんどだろうが)。ところが、奏介はあまりにも自分を主張しなさすぎていた。

 奏介は、やんちゃ盛りである同級生たちと比べて少し内向的で、あまり率先して行動するような少年ではない。別段頭が悪いわけでもなく、運動音痴というわけでもない。見事に『目立つ要素』というものが欠落しているといっても過言ではない。本人は知る由もないだろうが、修学旅行の夜の女子部屋の恋バナで、多くの男子が値踏みされる中、こともあろうことか名前すら上がらなかったという悲惨な過去を持つ。彼がいかに影の薄い少年だということがわかるだろう。



 別に、いじめられているわけでもなければ、友達がいないわけでもない、ただ存在感というものがないだけなのだ。


 なので、夏休みの最中、夕暮れ時にいつも他愛ないことで盛り上がる男子グループの面々と一緒に、彼らが住んでいる近くにひっそりとたたずむ廃遊園地『裏野ドリームランド』のくだらない怪談話を信じて肝試しにやってくることは、不自然でもなんでもなかった。


「うわー、やっぱうわさに聞いてた通りだけど薄気味悪いところだなぁ」


「お~い、ケンちゃん待ってよ~」


「うっせーな、さっさとついてこね~とおいてくぞバトラ」


「そんなぁ~」


「あまり人が入っていないためか、だいぶ老朽化が進んでいるようですね」


「入れそうか?」


「ええ、何とか入れそうです」


 この肝試しに参加した子供は4人。成績優秀、スポーツ万能、いろんな同級生と関りを持つリーダー格の少年、ケンタ。体格が大きく、鈍重で見る人をひるませるが、とってもおとなしい少年、力仕事等が得意なバトラ。同級生のなかで勉強において右に出るものはない、一同の頭脳とも呼べる存在、シュウ。そして奏介だ。この色濃い面子の中だと、確かに何にも取り柄がなくかといって劣っている部分もない奏介は目立たない。



 遊園地の策が一部老朽化しており、何とか子どもくらいなら入れそうな大きさになっていた。中に入った一同は、


「うわああ、すげえ…」


「お化け屋敷みたいだね」


「どうしてすぐに解体しないんだろう」


「うぉ! 奏介…いたのか、驚かさないでくれよもぉ」


「そんなこと言われても…」


「僕が調べたところによりますと、この裏野ドリームランドで行われていた解体作業は、なぜか原因不明の事故が必ず起きて、誰も近づきたがらなくなってしまったのだそうです」



 そんな他愛ない会話をしながら探索を続ける。彼らには、「一緒なら怖いものなんて何もない」という安心感があった。事実、四人の中で一番怖がりなはずのバトラもすっかりここの空気に慣れ、楽しそうに歩いている。


 様々なアトラクションを見物し、少年たちは噂で人気のアトラクションにたどり着いた。


「ここだな…」


「うわぁ……こえ~」


「ずいぶんと大きいですね」


 そのアトラクションは、その大きな存在をアピールするかの如く、ドリームランドの中心に悠然と佇んでいた。


 その名はドリームキャッスル。かつてこの裏野ドリームランドのアトラクションが稼働していた時、最も来場客に人気のあったアトラクションで、乗り物に乗ってファンシーな夢の世界の住人達と愉快で素敵な舞踏会に参加するというまさに『ドリーム』なキャッスルだ。


 しかし、この遊園地のオーナーがステロイドを所持していたというスキャンダルに加え、従業員の一人が飲み物に睡眠薬を入れて客を眠らせ、レイプするという前代未聞の不祥事を引き起こしたことで信用がガタ落ちし、この遊園地は閉鎖された。


 その後になり、解体作業にかかわった者がそこで起きた奇妙な出来事を周囲に語り、様々なうわさが立てられるようになった。「観覧車の近くで“出して”って声が聞こえた」「ミラーハウスに入った同僚がなんかまるで別人のように生き生きとし始めた」などである。そして何よりも一番有名なうわさが、


『ドリームキャッスルには拷問部屋がある』


 というものだった。話によれば、ドリームキャッスルには本来存在しないはずの地下への階段がどういうわけなのか存在し、その先は血みどろの拷問部屋がある、とのことだった。


 ドリームキャッスルの噂も数多く存在する中、この噂が最も多く出回っているのは、体験談として語る人物が多々存在しているということの証拠である。



「中は…あ、開いてるよ」


「うへぇ、すっげえ薄気味悪い~」


「やはり長い間誰もここに入ったことはないようですね」


「でも、なんか、ここ、誰かいる感じがするんだけど…」


「うわぁ! 奏介! いたのかよ!」


「もうそれ何回目なの…」


 と、なんとも締まらない一行。ショウがあらかじめ持ってきた四人分の懐中電灯をつけ、中に入る。その先に姿を現したのは…。


「やっぱりな…あった」


 はるか地底へと続いているかのように深く底が見えない階段だった。



「行くぞ…」


「「うん…」」


 こんな時も声を発しない奏介は、やはり影が薄いのではないだろうか。











 ――――――まるで十階分くらい下ったような感覚がした。なんか、自分の感覚が狂うような・・・この先に進んだらもう後には戻れなくなるような……。



 そして、その先にあったものは…。


「あれ?」


「何にもないじゃん」


「鍾乳洞…ですか。何でこんなところに」


「じゃあ噂は…」


「ちぇーっ、ガセかよ。つまんねーの」


 そこには拷問部屋などなく、ただぼんやりとした鍾乳洞がぽっかりとそこに存在しているだけだった。


「はーぁ、なぁ。もう帰ろうぜ?」


「そうだね」


「まあ、あまり遅くなって心配されるのも面倒ですし、帰りましょうか」


 こうして、四人の探検隊御一行の冒険は、何の成果も得られず、終わってしまい、引き返すことにした。



 このまま、なんにもないなんてつまんないなぁ、と思いながらもと来た道を引き返し地価の階段を登り切ったが………


「あれ?」


「何この音………? 」


 彼らは、何か奇妙な音がするのを耳にとらえた。


「ピアノ……ですね」


「何でピアノの音が……」


 あまりにも小さい音なので聞き取りづらいが、その音は間違いなくピアノだった。


 しかしそれは・・・


「なんでだよ、ここって長い間人来てないんじゃなかったのかよ」


 しかしそれは、何者かがこのドリームキャッスルに存在しているという証に他ならなかった。

 

「………なあ」


「「「………」」」


「確かめてみるか………?」


 三人は声もなくうなずいた。



 ケンタを先頭にピアノの音を頼りに道を進むとかなり広い部屋に出た。おそらく、大広間として使っていた部屋なのだろう。今はほとんどの物が解体作業の時に撤去されていたが、



「おい、あったぞ」



 とても大きなピアノがそこにポツンと置かれていた。



 四人は、恐る恐るそこに近寄っていく。


「どうやら、このボタンを押せば自動で演奏される仕組みになっているようですね」


 ほら、とシュウがボタンを押した。かなり長い間使われていないためか、力強く押さないと反応しなくなっているらしい。


 途端に、ピアノが演奏を始めた。


「なんだよ、あーびっくりした」


「ねえ、もう帰ろうよ」


「ああ、そうだな。最後にちょっとしたドキドキがあって面白かったな」


 こうして、彼らの冒険は、本当に終わりを告げた………。









 ドリームキャッスルを出た四人は今日の冒険の話で盛り上がっていた。そして、シュウがみんなから懐中電灯を回収しようとしたときだった。



「あ………、鍵がない」


 奏介の家は共働きだ。兄が一人いるが、大学生でアルバイトをしているため、シフトがある日は夜まで奏介以外の家族は家を空けてしまう。そのため、出かけるときは鍵をかけるのが習慣となっている。つまり、鍵がないと奏介は家に入ることができないのだ。


「え! 奏介、大丈夫?」


「いや、大丈夫。きっとあのピアノがある部屋で落としてきちゃったんだと思う。ごめんシュウ君、取りに行ってくるからもう少し貸して。明日には返すから」


「おい、俺たちも一緒に行こうか? 一人じゃ大変だろう」


「いや、道のりは覚えてるし大丈夫。待たせちゃ悪いしみんな帰ってもいいよ。あとで追いつくから」


「そうか………無理しないで見つからなくてもいいから早く帰って来いよ」


「うん、ありがとう」


 そういって奏介は、一人だけドリームキャッスルの方へと走っていった。


「まあ、奏介もああいってることだし、帰ろうよ」


「ああ、できるだけゆっくり帰ろうぜ。あいつが追いつけるようにな」


「ええ、それがいいでしょう」



 奏介と別れた三人は、先に裏野ドリームランドから抜け出し、この最近話題のカードゲームの話をしながら帰宅していた。


「それでよぉ、相手がアリス三枚目出してきたときはもう負けたかと思ったけどよぉ、相手ミント処理しないで顔殴ってきたんだよ、それでよぉ、次のターンにデスタイラントがやってきたんだよ」


「うわ~、すげ~引き運良すぎ!!」


「んでタイラント出して進化した時に相手リタイヤしてやんの。くっそ気持ちよかったぜ」 


 ところが、ふとシュウが何かに気づいたかのように息をのんだ。


「おい、シュウ。どうしたんだ? 」


 と、ケンタが怪訝そうに問いかける。


「もしかしたら・・・」


「なあ、どうしたんだよ!」


 シュウは、静かに言い放った。



「あのピアノ、なぜ動いてたのでしょう………」


「はあ? いやそれはボタン式でうごくから、ってお前が言ったんだろうが」


 ケンタが呆れたように答えたが、シュウの顔は曇ったままだった。


「いえ、そういうことではないのです……」


「だからどういうことなんだよ!」


 ケンタは少し苛立ったような口調でシュウの言葉を急かした。


「先ほど僕が確認したところ、あのピアノは確かにボタン式だったのです。しかし、あれはどうして押されたのでしょう?」


「そんなの、何か物がぶつかったはずみに押されたんじゃ……。———————!!!!」


 ケンタはシュウが何を言っているのかを理解してしまった。



「そう、僕はあのボタンを押そうとしましたが、だいぶ古くなっていたので押すのが大変でした。とても、何かのはずみで押されたという風には見えなかったのです。さらに、あの部屋はたいていの物が撤去されてしまったので、ピアノの周りにはなにもなかったはずです」


 唯一その言葉を理解していないバトラが、


「ねえねえ、どうしたの? ケンタ? シュウ? ……ねえってばぁ~」


 と沈黙してしまった二人に話しかけるが、二人はだんまりしている。


「もし、本当にあのボタンが押されたことでピアノが演奏されたのだとしたら……」


「シュウ………?」









「あのボタンを押したのって、いったい誰だったのでしょう…………?」












 一方、奏介は家の鍵を取りに行くために再びこの不気味なドリームキャッスルを訪れていた。四人で来た時とは違い、あたりに残されている人形があまりにも不気味で、やっぱりついてきてほしかったなぁ、と後悔しながら進む。笑みを浮かべながら手を差し伸べる王子らしき人形、楽しそうに楽器を演奏している音楽隊の人形、きらびやかなドレスをまとった美しいお姫様の人形。今にも動き出しそうなそれらに目を合わせないようにしながら必死でピアノの部屋へと進む


 そして、問題の部屋に近づいた時だった。


 ピアノが急に演奏を始めた。


(うわっ!!)


 叫ぼうとして必死でこらえた。そして先ほどシュウが言っていたことを思い出し、ほっと胸をなでおろす。またボタンが作動したらしい。


 そう思って明かりのする方へと足を進め・・・・・・明かり?


(えっ? なんで? 僕たちが来たときは真っ暗だったはずなのに・・・何で明かりがついてるの……?)


 奏介は自分が普段ならありえない量の汗を流していることに気が付いた、あしが震えていることにも……。



 見てはいけない、見てはいけない、見てはいけない。




 そう心では思っているのに足はゆっくりと広間の方へと進む。




(引き返せ、引き返すんだ、帰りたい、帰りたい、早く戻らなきゃ、戻らなきゃ、止まらないと、止まらないと、止まって、止まって、止まって、止まれ、止まれ、止まれ、止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ)








 そうこうしているうちに奏介はとうとう部屋の扉の前に来てしまった、半開きの扉の隙間からは、かすかな明かりと静かなピアノの音が聞こえてくる。



 奏介は扉の影からそろりと覗き込んだ。その先には……………。








 ―――――――――――――――ピアノを演奏している何者かの人影があった。



「—————————!!!?」


 叫びたくなる声を必死でこらえる。


 ばれてはいけない。その時何かが終わってしまう。


 本能がそう警鐘を鳴らしているのだ。


 また再び恐る恐る覗き込む。すると、次第に目が慣れてきたのか、演奏している人影がはっきりとわかるようになってきた。驚くべきことにそれは……………………






(えっ? 女の子?)



 ピアノを演奏していたのは、透き通るような水色の髪とアイスブルーの宝石のような瞳をした、奏介と同い年くらいの少女だった。


 ピアノが影になっていて顔ぐらいしかハッキリとは見えないが、そのあどけない、しかしどこか気品に満ち溢れている優雅な顔立ちは、どこか貴族の令嬢、いや、そのような人形を連想させた。


 その水色の髪から察するに日本の者ではない。


(何だろう、この子…………どうしてこんなところに……………)



 最初は、おぞましく醜い幽霊でも出るのではないだろうかと恐れていたが、実際は可憐な少女だった為、少し落ち着いた。


 落ち着いてきた奏介は、今まで意識の外に置いていた少女が奏でるピアノの音色に気が付いた。

 

 そして、息をのんだ。



(すごい…………なんて綺麗なんだろう……………!)


 少女が静かに、かつ美しく、そして物悲しく奏でる音色はどこか優しく、聴く人を落ち着かせ、可憐な容姿と相まってその様はまるで、


「天使……………」


 しまった、と思ったときにはもう遅かった。彼のつぶやきは、わずかに、しかししっかりとこだまして、響いてしまった。




 その瞬間、


 ぴたり、と演奏が止まった。


 少女はぴたりと動かなくなる。



(まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずい、まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずいまずい、やっちゃったああああああああ)



 奏介は、必死で息を押し殺し、どうか僕がいることがばれませんように………、と必死で祈った。




 少女は、ゆっくりと立ち上がり………………そして、

 






 消えた。





「えっ?」



 奏介は思わずまた声を出してしまったが、そんな些細なことよりも今起こったことの方がよっぽど重要だった。


 そう、消えてしまったのだ。突然に、途端に、唐突に消えてしまったのだ。まるで最初からいなかったかのように。


 奏介は少女から一時も目を逸らさなかった、瞬きすらしなかった。にも拘わらずに消えた、……………消えた?………どこへ? 帰った……? いや、まさか………………!!!!












「まあ、あなたさっきの男の子ね。また会いに来てくれたのね、私とっても嬉しいわ………」








 

 棒立ちで突っ立ったまま凍り付いてしまった奏介が感じたものは、耳元で甘くささやかれるその澄んだ声と、左右の頬に感じる冷たい両手の感触だった。



「でもまあ、なんという皮肉なのかしら、この私のことを寄りにもよって天使だなんて、あなたとっても面白いのね、ふふふ」



 ちゅ、と声の主の唇がそっと奏介の耳に触れた瞬間、





「うわああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁあああああぁぁあああああぁああぁぁあぁぁ!!!!」






 と叫び、奏介は弾かれたように転げまわった。



「あらあら、そんなに転んだらけがをしてしまうわ。大丈夫?」



 そういって手を差し伸べるのは………確かに先ほどピアノを奏でていた水色の髪の少女だった。



 差し伸べられた指はすらりと細く、ピアノの鍵盤が叩けるのか不思議なほどだった。水色のおさげの髪は一本一本が妖しく光り、アイスブルーの瞳は嬉しそうに細められている。つややかな濡れた唇と桃色に染められた頬はまだ十か十一くらいの少女に色気を漂わせる。豪奢な、しかし控えめな青を主軸にしたドレスはそ退廃的な美しさをより一層引き立たせ、ドレスの下からは、まぶしいくらいに白くすらりと細い足をのぞかせている。



 

 奏介は、自分に近づいてくる人とは思えない少女に怯え、しりもちをついたままじりじりと後ずさる。




「そんな…………どうして……………さっきまでそこにいたのに………………」



「うふふ、あなたが私の演奏を聴いてくれてたのは分かっていたわ。ありがとう、とっても嬉しかったわ。そのまま気づかないふりをしてるのもよかったけれど、さすがにあの声を聞かなかったふりをするのは不自然だと思ったの、からかってごめんね」



 と、少し意地悪く微笑む少女。自分が今まで玩ばれていたことを知り愕然とし、思考放棄しかけるのをこらえ、恐る恐る、




「君は…………一体……………誰、いや…………………何なんだ………………………?」



 と問いかけた。



 その質問を受けた少女は花が咲いたかのように微笑み、



「ふふ、教えてほしい?」




 奏介の方へ近づいてきた。




「ねえねえ、本当に教えてほしい…………? ねえねえ、本当に? 本当に………?」




 静かにゆっくりと奏介に近づきながら優しくささやく。奏介は後ずさりしようとするが、まるで体が縛られているかのように動かない。




 たちまち少女は奏介のそばに寄り、しりもちをついている奏介を上から見下ろすように覆いかぶさる。そして彼の頭をゆっくりと両手で包み込んで、なお語り掛ける。




「知りたいの? 本当に知りたいのね?」




 奏介は、カタカタと静かに震えながら動くことが出来ない。




 その様を肯定ととらえたのか、




「うふふふふ、いいわ、教えてあげる。私は————————————————————————————」






 そこで少し溜め、ゆっくりと唇を耳元へと持っていき、















「クリス、わたしの名前はクリスティーナ。クリスティーナ=ウエキ=バティ。————誇り高き悪魔よ」







 愛をささやくかのように甘く、静かにそう告げた。


















「あく………………ま?」


「そう、悪魔。千年にも渡る長い長ーい月日を生きる純血の悪魔、親戚のヒディール叔父様は人間の娘と結ばれたらしいけど、私は違う、人間を惑わし、悪に誘う、とーっても怖い悪魔なの。だから、あなたと私は見た目は同い年だけど、私の方がずぅ――――っと年上なのよ。あなたたち人間ならもうヨボヨボのおばあちゃんくらい長く生きてるの。」



 そう誇らしげに語るクリスティーナ。




 悪魔。




 聖書などの知識に疎い奏介でもその名前くらいは知っていた。人間と契約し、その生涯に付きまとい悪の道へ誘う、そしてその者が死ぬときにその魂を喰らう。恐ろしい怪物。そんなモノにつかまってしまったら、どうなってしまうのか、まだ十一歳の奏介でも想像することはそう難しいことではなかった。



「僕に……………」



「ん?」



「僕に何をする気なんだ……………。お願いだから助けて、僕を見逃して……………!」



 震えながら命乞いをする奏介。




「お願い、僕を殺さないで!何でもするから……………!」




 その必死な様を見てクリスは苦笑する。




「ふふ、今何でもするって言っちゃったね」



「…………………………あ」



 奏介の顔が絶望に染まる。



「ふふふ、そんなに怖がらないで。別に食べたりなんてしないから。」



 クリスは、奏介に顔を近づける。ちょっとのはずみでキスが出来そうなくらい近くなるが、奏介はもはやそんなことなど眼中になかった。今は、この自分を覗き込んでくるおぞましい怪物の目から逃れることが出来ないことに絶望しているからだ。




 そんな奏介にクリスはポツンと告げた。








「ねえ、私の演奏、どうだった?」





 その唐突な質問に、



「へ…………………………?」



 奏介は思わず間抜けな表情でぽかんとしてしまう。




「私のピアノ、上手だったかなあって。人に聞かせることなんて初めてだったから……………」



 そういって照れくさそうに顔を赤らめるクリス。戸惑いながらも奏介は、もしかしたら助かるかもしれないと希望を抱き、必死で思考を巡らせる。




「え、え——っと、すっごく良かったよ、なんというか、その……………美しくて、こころが洗われるような……………って違う、ええっと、えーっと……………」


 

 文字通り命がかかっていることに加え、今更ながら目の前の悪魔の少女の甘い香りや吐息に意識が向いてしまい、うまい言葉が出てこない。考えてみればもともと小学五年生に長い時を生きたものを満足させるような感想が思いつくはずがない。これは単なる目の前の悪魔の悪ふざけの一環に過ぎなかったのだが、先ほどから絶え間なく緊張状態にさらされた奏介はまともな思考が働かず————————————





「すっごく、可愛かった………………気がする」



 ————————————思いっきり外した答えを出してしまった。



 あまりにもトンチンカンな言葉に固まるクリス。言葉を発した後に慌ててフォローをしようとする奏介。



「い、いや、違うんだ! えーっと、その、つまり………………」






「ふふ、ふふふ、あはははははははははははははは!」




「………………へ?」





「あははははははははは! あーおかしい。あなたってホント面白いのね。この私に向かって”可愛い”だなんて、ふふふふふ、あはははは」



「ご、ごめん…………!」



「あーあ、おかしい。うん、決めたわ。そうね、そうしましょう。あなた、名前はなんて言うの?」



「え、古川奏介だけど……えーっと、あのーいったい何が…………」








「奏介、私と契約しましょう。主従の契約を」







「はい? しゅじゅうけいやく?」




 今度は奏介の目が点になる。




「あなたに使える下僕になってあげるってこと。あなたはご主人様、私は召使い、OK?」




「い、いや待ってなんで、というかなにそれ!? 僕を破滅させる気なの!?」



「もう、細かいことはいいの。はい、おとなしくして。」



「いやだから何…………!?」






 ちゅっ、





 

 その唇と唇を重ね合わせる小さな音は、この広い大広間に響くことなく消えた。






 奏介は今日何度目になるかわからない金縛りにあい、信じられないとでもいうように目を見開いて呆然とした。





 クリスは、顔を赤らめ、甘く優しく、






「ね、これであなたはわたしのご主人様。あなたのこといーっぱい悪に導いてあげるから、覚悟してね。」





 そう告げて、再び奏介の口に自分の口を先ほどよりも深く、深く重ねた。







 その様は、人を堕落させる恐ろしい悪魔とそれに喰らわれる哀れな少年というより………………






 夜、誰もいなくなった舞踏会の後で永久の愛を誓いあう、王子様とお姫様にどこか似ていた。












 8月16日、夜7時14分22秒




 これは、真夏に出会ったとある影の薄い少年と美しい少女の悪魔の物語、その始まりである契約を交わらせた時間である。










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