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LOST MOMENT  作者: 梟の尻尾
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邂逅

     コンコン

「どうぞ」

「美味しい夕食お待ちどうさま」

 あなたは本当に看護師ですか?って言いたくなるのをグッと堪えて食事を受け取る。

 漂う香りは悪くはないが、当然ながらまともな食事なわけもなく、限りなく薄くした味噌汁らしきものに粥とお漬物が少々といったラインナップとなっていた。

「そんなに目を輝かせちゃって。久しぶりの食事だからゆっくり味わって食べなきゃダメよ。胃に負担をかけないようにね」

 言われてみればそうだ。

 食事をとるということそのものが僕にとっては二年ぶりになるのか。

 少し筋力の落ちた手で握る箸は、やや心もとない感じで魚の身をほぐしていく。

 事故に会う前なら食事なんて十五分とかからなかったのに今では倍は時間がかかってしまいそうだ。

「それじゃゆっくり食事を楽しんでね」

 それだけ言い残して部屋を出ようとする秋永さんを咄嗟に呼び止めた。

「秋永さん・・・」

「なに?」

「僕の退院っていつぐらいになるでしょうか?」

「今日の検査の結果次第かな~。問題なければ退院の許可も出るだろうし。落ちた筋力のためのリハビリは通院でも問題ないレベルだからね」

「そうですか。ありがとうございます」

「だからって焦らないようにね」

 去り際にそう忠告されたけど焦らないわけにもいかない。

 自由に動けないことには藍那を守りようがないのだから。

 食事をどうにか済ませベッドの上でゴロゴロと過ごす。

 すぐにでも眠りについて更なる情報収集をしたい気持ちとは裏腹に睡魔はやって来てくれない。

 時間はまだ夜の七時を廻ったばかりだ。

「どうしようもなく暇だな」

 こういう時に限って面白いテレビ番組というものはない。

 携帯ゲームの類は持ってきていないし、間の悪いことに携帯電話は充電切れ。

 せめて本の一冊でもあれば嬉しいけど残念ながらそれも無い。

「暇だ・・・」

 ベッドの上から見える天井の景色に面白いものは見えてこないかと目を凝らして見てみるが、染み一つない天井に想像を掻き立てるようなものが見えてくるはずもなかった。

病院内でもフラフラ散歩してみるかな。

 消灯時間までであれば出歩いていても問題はないだろう。

 ただ動き回るには今の僕の体では少々不安が残る。

 一応車椅子もあるにはあるのだがどうも抵抗感を覚える。

・・・それでも背に腹は変えられないか。

 幾ばくかの葛藤の末、抵抗感を振り払いゆっくりと車椅子に乗り込んだ。

 僕が運ばれた病院は町の中でもひと際大きな中央病院だ。

 施設環境は充実しているし何より院内の雰囲気がとても明るいと評判がよく、患者数も多いと聞く。

 僕も何度か診察に来たことはあるけど入院はこれが初めてのことだ。

 廊下を進む間、看護師と思われる人影が病室に入っていこうとしていたり、ナースステーション内で働いているような姿が見られた。

 入院患者のいる病棟は二階から上のフロアで一階は外来や検査関連施設となっている。

 そのワンフロアを廻りきってしまったのでエレベーターに乗ろうとボタンを押す。

 どうせなら違うフロアも見て廻ろうと考え、ひとまず一階の外来待合室へと向かおうと思ったのだが、いくら待ってもエレベーターが来ない。

 車椅子のため階段は避けたかったのだが、仕方なく階段脇に車椅子を置き手すりに体を預けながら一歩一歩慎重に下りていく。

 数分の格闘ののちようやく一階まで下りることができた。近くにある外来患者用の車椅子を拝借してゆっくりと走らせ始める。

 診察時間がとっくに終わっている外来待合室は、就寝時間に差し掛かっていることはもちろんのことだが、行きかう人々の姿が無く閑散としていることも手伝い一段と薄暗く感じられる。

 夜間警備の人はいるのだろうけど見回りの時間でもない限り出会うことはなさそうだ。

 カラカラと車椅子の車輪が廻る音を脳内で無意識下にオートリピートせながら待合室を進んでいく。

 数メートルほど進んだあたりからだろうか、脳内で繰り返し響く車輪音に混じって時折ノイズのような違和感を覚え始めていた。

 いや、正確には何かの気配を感じているのだと思う。

 それをノイズのように知覚し捉えているのだろう。

 そのノイズの発信源となっている気配を探るべく周囲のあらゆる情報を取得しようと車椅子を止めて集中する。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 おかしいな。何も感じられない。

 少なくとも物音は聞こえてこないし当然誰も姿を現わさない。

 閉塞された病院という特殊な空間がそう感じさせていただけなのか。

 首を傾げながらゆっくりと車椅子を走らせた。

 再び滑らかに走り出した車椅子を操りながら違和感を覚えた場所の方へ意識を集中させる。こちらが止まっていたから相手も息を潜めていた可能性は高い。それならこちらが動き出せば相手も動かざるを得ないはずだ。

 本当に誰かがいて僕の跡をつけているのだと仮定すると、僕には跡をつけられる理由に心当たりがないわけだから、ただの勘違いの可能性も高いわけだが。

 そんなことを考えながら更に数メートル進んだ時だった。

 前に進みながらも後ろの様子が見えるように目の端で捉えられる程度に首を少しだけ回しておいたことが功を奏した。院内の所々に設けられている観葉植物の陰で何かが身を潜めたように見えたのだ。

 相手を刺激しないように意識しながら極自然に車椅子を反転させて、問題の観葉植物の方へと進んでいく。

 あまりに静かな環境のなかで更に見えぬ人影に追われているという感覚に、僕は自分でも気づかないうちに内心では相当ビビッていたのかもしれない。

 車椅子の車輪を操る掌が汗でグッショリと濡れていたことに今更になって気が付いた。

 ゆっくりと目的の観葉植物へと近づいていく僕の心臓は確実にその鼓動を速めていっていた。力強く打つ心臓とは違い、僕自身はかなり弱腰で今にもこの場を逃げ出してしまいたいという衝動にかられていた。

 自分で近づいていっているのにおかしなことを言うが、それは確実に近づいてきている。

 行かなければ済む話なのだが、そうもいかない。

 ただ、そこに本当に誰かがいた場合、僕はどうなってしまうのだろうか。

 そんな先行きの見えないことを繰り返し脳内で巡らせながらその時はやってきた。

 手の届くところまでやってきてしまった。

 あとはその向こう側に首を伸ばせば確実に見ることが出来る。

 自分自身への最後の抵抗と言わんばかりに出来る限りゆっくりと首を伸ばして観葉植物の後ろを見る。

 ・・・いない・・・?

 そこには誰もいなかった。

 ただ当たり前のように壁があり誰もその隙間に隠れている者はいなかったのだ。

 ただの勘違い?

 それにしてはあまりにもはっきりと人影を認識したように思えたのだが。

 そう思い先ほどまでの弱腰だった自分が嘘だったかのように躊躇も遠慮もなくあたりを手当たり次第に探してみる。

 それでも当然のように誰も見つけられない。

 釈然としないながらも再び車椅子を反転させてその場を跡にしようと素振りを見せてから、わざとらしくオーバーに近くの物陰を睨みつけた。

 その瞬間、明らかに何かがこちらの視界に入るまいと動いた。

 なんだ今の?

 やっぱり誰かがいる。

 医者?看護師?いや、それなら声を掛けてくるのが普通だろう。

 警備の人でも同じことだ。

 僕が患者であろうと不審者であろうと確認に来るのが普通だ。

 だったらいったい・・・?

 誰かがいることが確認できたわけだからこれ以上相手を刺激する必要はない。それに相手が姿を現わさないということは、僕に気付かれていると思っていないのだろう。

 だからと言って無視するわけにもいかない。

 走れないから撒くことは難しそうだが、今なら一気に走り出すことで相手の不意をついて逃げ切れる可能性もある。

 そう判断してすぐさま暗がりの中、精一杯の力で車椅子を走らせる。

 待合室を横切り、曲がり角をドリフト気味に直角に曲がる。

 車椅子の華奢なタイヤが悲鳴をあげた気もしたがそんなこと気にしている暇は無い。

 検査関連の施設とを繋ぐ長い廊下を文字通り爆走しながら背後に謎の人物がついてきているのを眼の端で確認しつつ先を急ぐ。

 対象との正確な距離を確認しようと一瞬振り返って視線を移すと仄暗い中で薄っすらとシルエットだけが見えた。

 人・・・であることは間違いない。

 だけど男か女かはわからない。

 いったい誰なんだ。

 せめてどこかに身を隠せたらやり過ごせるだろうけど場所が・・・・。

 あった!あそこなら何とかなるかもしれない。

 その場所を指し示す案内板を見つけそこに向かって車椅子を走らせ、勢いのついたまま再び角を曲がる。

 手の平から伝わってくるタイヤの軋む感覚からするに間違いなくタイヤ痕が残ってしまってるだろうけど、そんなもの今はどうでもいい。

 それよりもあそこに行ければなんとかなるはず。

 角を曲がりきって目指す場所のドアの取っ手を掴みそのままおもいっきりスライドさせた。静かに開閉するドアであり尚且つ車いすごと進入することが可能な場所。それでいてあの勢いでここに逃げ込むとは考えにくいはず。

 男女兼用の多目的トイレ。ここならと思ったのも束の間。ひとつ大きなそして致命的なミスを進入と同時に思い出してしまった。

人感センサーだ。動く物体に反応し室内の電気が自動点灯して明るくなることを思い出し、愕然とした。

 見つかることを覚悟し項垂れる僕の頭上から煌々と照らすはずの電気はなぜか点灯せず、室内は変わらず暗いままだった。

 助かった。

 偶然にも電気が切れていたのか、点灯しない蛍光灯を見上げているうちにゆっくりとドアは独りでに閉まり廊下よりも一層暗くなった室内で安堵した。

 追いかけてきた謎の人物がドアの前で立ち止まったことがドア越しにも気配でわかる。

 僕は気付かれないように息を殺し出きる限り身を小さく縮ませる。

 ドア一枚を挟んで向こう側には得体の知れない何者かが立っている。

 そう考えるとすでに高鳴っていた心臓の鼓動が更に早く強く打ち鳴らされていく。

 しばらくの間そのままジッと待っていた。

 謎の人物もその場から動いた様子は無い。

 きっと僕が出てくるのを待っているのだろう。

 動きが無いまま数十秒程度が経過しただろうか。

一瞬ドアが揺れたかと思うと一気にスライドして開け放たれたことで、張り詰めていた空気が一気に流れ始めたように感じた。

 思わず声を漏らしてしまいそうになったほど豪快に開けられたドアは、そのまま閉じることを許されないかのように手で押さえつけられている。

 辺りをゆっくりと物色するように見渡してから謎の人物は中へと入っていく。

 僕が隠れた場所からは、それ以上、中を見ることが出来ない位置にいる。

 あとはタイミングを見計らってここから逃げ出すのみ。

 それさえ出来ればこの場をやり過ごせる。

 そんな何も根拠のない自信を頼りに頃合いを見定めようと集中していく。

 結局何も見つけることは出来なかったらしく、どこか残念そうで同時に苛立ちを隠しきれない複雑な表情で隣に位置する男子トイレへと進路を取り再びドアを豪快に開け放った。


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