迷い人・夢の意味
「おーい。いつまで寝てるつもりよ。起きなきゃ次のテスト始まっちゃうわよ~」
深く寝入っていたところを叩き起こされたので寝起き悪く、ムッと睨み見据えその正体と視線が合った。
「あんたがいつまでたっても起きないからこうして叩き起こしてあげたのに何で私が睨まれなきゃならないわけ?有り難く思うくらいしなさいよね」
最後にもう一発僕の頭に衝撃が走った。
目の前にいるのは紛れもなく藍那本人である。
こんなことするのは他にいないから確認するまでもないことだが。
寝ぼけ眼で辺りを見渡すとどうやら全員終わったらしく席を離れて友達と解答を確認しあったりトイレに行っている者もいるようで席がまばらに空いている。
それにしてもどうにも頭の中がシャキッとしない。
無意識にボーっとしてしまう。
「なにいつまでボーっとしてんのよ。そんなに強く殴ってないわよ」
強かろうが弱かろうが殴られれば痛いってことをコイツは知らないんだろうか。
そもそもなんで殴る必要がある?普通に起こしてくれればいいだろうに。
「あんたを起こすにはあれくらいでちょうどいいのよ。だいたいちょっと頭が良いからって暢気に寝ることないでしょ」
そんなこと言われても終わった後の楽しみなんだから仕方がない。
さっさと教室出ても寒いだけなわけだし。
「とにかく今後寝るのは禁止。次に寝るのを確認したら今日はあんたの全額おごりだからね。肝に銘じておくように」
それだけ言うと気が済んだのか、くるりと反転して自分の席へと戻っていった。
なんとも自分勝手この上ない言葉だけど、そのわがままを無視するとあとあと面倒なことになるのは知っている。
過去に何度それで被害が拡大したことか。
こうなるともう寝れない。あとは退屈な時間を退屈に過ごすしかなさそうだ。
絶対に寝れないという緊張感は程よい刺激となって皮肉にもいつも以上に模試に集中することが出来る結果となった。
集中していた分、時間も早く過ぎていったように感じられ、あっという間に全ての科目が終わり藍那との約束の昼を迎えた。
終業を知らせるチャイムが鳴り終える前にぞろぞろとその場から生徒たちが離れていく。
「模試が終わったからって気を抜いていると事故にあったりするから、帰るまで気を抜くなよ」
先生の言葉に耳を傾けた者が何人いたかはわからないが少なくとも僕の耳には届いた。
本当なら僕だってさっさと帰ってゆっくり休みたいところだがそうもいかない。
「さあ、行くわよ。お楽しみの時間の始まりってね」
ほら、来た。
食べて即開散ならゆっくり自分の時間を満喫することも可能だ。だけど、藍那がただ食べて開散なんて許してくれるわけがない。
お決まりのパターンとして食べるもの食べたらカラオケに行く確率が極めて高い。
そうなると軽く四時間以上は付き合わされる。
今が十二時前だから食べてカラオケして帰るのは・・・十九時を過ぎるのは確定だな。
残念ながら今日一日の僕の休みは休みになりそうにない。
「ここから駅まで歩いたって三十分くらいなもんよね。頑張って歩いた分きっと美味しいものが更に美味しく食べられること間違いなしだわ」
そりゃ疲れた体に甘いもん食べれば美味しく感じるのは当然のことだろう。
「それじゃ善は急げよ。出発しゅっぱ~つ」
持つものを持って勢い良く教室を飛び出て行く。
ついでに僕の手まで掴んで走り始めたものだから僕は足が絡まりそうになりながらも必死で歩幅を調整してなんとか転ばずに教室を出ることが出来た。
教室内と違い暖房のない外は当然ながら寒い。
相変わらず雪は積もってるし、更にちらほらと降ってきている。
これからまた一層降り積もるのかもしれない。
歩道の薄汚れた雪の道を歩きながら藍那にオススメクレープの話を延々と聞かされ、気がついた時には目的の店の目の前まで来ていた。
可愛らしい外装の店構えは、形も色も様々なレンガから造られていてお菓子の家を連想させる。。
飾りかもしれないけど煙突まで備え付けられているあたりかなり凝った造りだ。
「どうよ!カワイイでしょ?早く店の中に入りたいのにそれを阻む信号が憎たらしいわ」
そんなこと言われたって赤信号だって好きで赤色やってるわけじゃないだろうに。
店はちょうど交差点の一角に構えているため横断歩道を渡らないことには辿り着けない。
場所的には街から少し外れた場所にあるため道路も片側一車線と大きくはない。
それでもかなりの客が入っているらしく店の中は人影で賑わっている。
「美味しいって評判だもんねえ。そりゃ人も来るってもんでしょ」
そりゃそうだろうけど見える限りでは男の姿はないように思える。
この中に入っていくのはやはり相当勇気がいりそうだ。
グッと握り締めた拳にはこれから戦いにでも行くような溢れんばかりの力が込められていった。
「あ、青になったよ。これで邪魔者は全ていなくなったわね」
ただクレープを食べに来たはずなのに僕も藍那もまるで何者かと戦う前のように気合が入っている。
僕は敵(?)がウジャウジャ潜む館を見上げ一歩を踏み出した。
「危ない!!」
「キャーーーーーーーーーーッ」
途端、悲鳴と絶叫が交差した。
僕もその声に反応して視線を右にズラした。
さっきまで右手側を歩いていたはずの藍那がいない。
視界の端にかろうじて映った藍那は地面に倒れて膝を押さえている。どうやら転んでしまったようだ。
そしてさっきまで藍那がいた場所、つまり僕の隣で別のものが視界の大半を占めていた。
ププププププーーーーーーーーー
派手なクラクションを鳴らしながら大きな鉄の塊が一瞬にして軽々と僕を撥ね飛ばし僕の体は冗談みたいに宙を舞った。
地面をどれだけ転がされたかわからないほどに転がされ壁にぶつかりようやく止まる。
痛みとかそんなレベルのものを感じることもないまま僕の意識は薄っすらと途切れていくのがわかった。
「大丈・あんたは・・・ここ・・死なない・・から・・目・・けて・・・おねが・・・」
聞きなれた藍那の声だけが辛うじて聞こえる。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
それすらも聞こえなくなってからどれくらいたっただろうか。
ほんの少し開くことの出来た視界に白い壁が見えた。
体に感覚がないため体を動かして状況を確かめることもできない。
周りに誰かがいる。
慌しく何かしているみたいだけど何かあったんだろうか。
———————やばい———また意識が—————————
「バイタル低下!意識レベル三百」
何—————いったい—————
「・・・・十二時十八分心肺停止を確認」
—————————————————十二時十八分?
———————————————
———————————
——————
——そうだ。思い出した。
僕は信号無視して突っ込んできた車に轢かれたんだ。
薄れゆく意識の中で聞こえた時間。あれは僕の死亡時刻ってやつか。
その時間を示して止まっているのが僕の部屋の時計ってわけだ。
この場所での記憶が現実世界で消えていたわけじゃない。
過去の出来事を思い出していたからここでの記憶がなかったんだ。
そうなるとここは現実というよりは死後の世界というやつなのかもしれない。
死んだ者たちが集まる世界。
だから音もなければしっかりした光源もない。
デジタル機器がその役目をこなしていなくても不思議ではないし、止まっている時計は主の死んだ時間を表している。
死後の世界なら冷たくても当然なのかもしれないし。
これなら全ての状況の説明がつく。
過去を思い出すたびにここでの意識がなくなっていたからさっきはチャムのサークルの前で目覚めたんだ。
この世界と過去の記憶は目覚めるタイミングでリンクしていたのかもしれない。
そうとわかればもうここから目覚めることはないだろう。
僕は自分が死ぬ瞬間まで記憶を追いかけ終わったのだから。
なんだか色々分かってしまうと外に出る気も失せてしまった。
開きかけていた玄関のドアを閉め、ひとまず家の中に戻りリビングへと足を運ぶ。
相変わらず寒いままのリビングのソファーに腰を落ち着かせる。
何をするということもないし、何かしなければならないこともない。
ただただ、ボーっとチャムの入っているケージを眺めていた。
僕が死んでしまったあとの世界はどうなってしまったんだろうか。
家族は悲しんでくれたのだろうか。
一番僕に懐いていたチャムは寂しがったりしなかっただろうか。
そんなことに思いを馳せながら目の前にいるチャムを見つめる。
まるでスヤスヤと眠っているかのように見えるチャムだけど、ここは死後の世界。
寝ているわけじゃないのは、もう分かっている。
頭では分かっているのに辛い。
あんなに可愛がっていたチャムにもう会えないなんて。
どうしてこんなことに・・・・・・あ・・・・れ・・・・・・?
何か変だ。
ここは死後の世界だとさっき理解したばかりだ。
だったらなんでチャムがここにいる?
いや、そうじゃない。
チャムがここにいたとしてもそれは不思議なことじゃない。
だって僕が死んでからどれだけの時間が経っているかなんてわからないのだから。
記憶を思い出していたからついさっき死んだようにも錯覚するけど、そうじゃないとしたら?
すでに何年も経過していれば寿命がきたチャムがここにいても何ら不思議はない。
だから僕はさっき過去形で思いを馳せていたんだから。
じゃあ何がおかしく思えたのか。
それは、眠っているように動かないチャムだ。
僕も最初はベッドで眠っていたんだろうけど、今はこうして動き回っている。
それも自らの意志でだ。
引き返してしまったけどあのまま外にだって出ることが出来たのに、なんでチャムはずっと動かないままなんだ?
もしかしたら僕は何か思い違いをしてしまっているんじゃないだろうか。
だとしたら、ここは死後の世界じゃないのかもしれない。
そうとわかればボーっとしている場合じゃない。
ここが何なのか調べなければ。
ソファーから立ち上がりさっきまでいた玄関へと向かう。
どんなに急いでも足音一つ聞こえないこの世界において情報収集に聴覚は使えない。
あらゆるものを観察して考察しなければ僕はずっとこの世界で悩み続ける破目になりそうだ。
先ほどまでと違い豪快に玄関のドアを開けて外に飛び出た。
空は変わらず仄暗い色をしている。
決して光が届いているわけじゃないのに暗闇でなく全てが灰色がかって見える。
まず向かうべき場所は学校だろうか。
それまでに色々な場所を見て歩けるし目的地もなく闇雲に歩いても疲れるだけだろう。
通いなれた通学路を歩きながら左右を注意深く探り進む。
見慣れた景色にないものは人だろうか。
絶対的に人が少ない。
いくつかのお店の前も通ったけど店主どころか客の姿すら見当たらなかった。
キョロキョロと目まぐるしく視界を動かしていると一軒の家が目に入った。
ここは確か何年か前から空き家だったな。
そう思い返しながら少しだけ開いている窓の隙間に視線が固定された。
誰か・・・・・・・・・・いる?
光のない薄暗い家の中のためハッキリとは見えないけど、ぼんやりと人影のようなものが見えた気がした。
ずっと誰も住んでいないはずの家。
その中に誰かがいる。
自然と唾を飲み込みひと呼吸入れる。
自分の気配を相手に気取られないように息を潜めて窓に近付く。
相手も同じように息を潜めているのか動く気配はない。
静かに近付き隙間に目を当てて中を観察する。
体格がいいとはお世辞にも言えない病的なまでに痩せ細った体にあちこち穴の開いた半袖のポロシャツ。ズボンは元は長ズボンだったのだろう。片方の足だけふくらはぎがしっかりと見えてしまっている。
ほとんど髪はなくなっているが男で間違いはなさそうだ。
この時期に半袖なのも気になるが、それよりもその半袖のポロシャツから出ているべきものが見当たらない。
もう少しだけしっかりと見えないだろうかと身を乗り出したのがいけなかった。
踏ん張りきれなくなった足が滑り派手に前のめりにコケてしまったのだ。
体を支えていた足が滑ったことで少し開いた窓を握っていた手はおもいっきり窓を開け放ち支えをなくした体は家の中に転がり込み古い畳へとダイブした。
幸か不幸かここでも音はせず幸いなことに埃も舞うことなくただただ畳に倒れ伏しただけにとどまることとなった。
よく考えてみたら僕の耳が聞こえない可能性よりも、ここでは音そのものが存在していない可能性の方が高いのかもしれない。
残念なことに寒さと同じように痛みは感じるらしくあちこち痛いけど。
打ち付けた鼻を擦りながら体を起こすと当然視界もそれに連なって下から上へと上がっていく。
まず最初に足が見えた。スラッと伸びた足が心なしか地面から離れているようにも見える。続けてふくらはぎ太ももと順に見えていく。腰までいったところでやはりまだ腕は見えない。
そのまま視界は上へ上へと高くなっていく。
首が見える頃になってようやく腕がチラリと見えた。
見えている部分が背中側であったためどのような状態かは分からないけれど腕はちゃんとついていた。
考えたくなかった最悪の状態でなかった分の溜め息を吐き出し、その続きを見るため頭の先に視界を移した。
人間の体の最も上まで確認し、僕は止まった。
その更に先、つまり上にまだ何かが見えるのだ。
ある程度の太さをしたそれはスッと天井の方に伸びていて梁の辺りまで続いている。
そこまで見えれば状況判断は出来る。
あまり考えたくもないし見たくもない光景だけど、ここまで見てしまって無視するのも後味が悪い。
恐る恐る正面へと廻り込み僕は情けないことに腰が抜けて座り込んでしまった。
男の形相は酷く苦しそうに顔を赤らめ、必死に首を絞め付けているロープを取ろうとひっ掻きまわしたらしい。
首には爪の跡が痛々しく残っているがロープは少しも緩んだ形跡がない。
今も必死で抵抗している最中のまま固まっているようだ。
現在進行形のまま動かなくなっているという矛盾した状態を僕はしばらく見ていた。
腰が抜けたまま見ていることしか出来なかった。
本当なら逃げ出したいくらいの衝撃的な現状なわけだけど見て見ぬふりはやっぱり出来ない。
言うことを利かない腰をどうにか持ち上げ近くにあった適当な箱を土台にしてロープへと手を伸ばす。
なんとか届いたロープをグッと握り締め手前に引っ張ろうと力を入れた時だった。
反対に僕の体が引っ張られる感じで体勢を崩し箱から落ちてしまった。
いったい何が起こったんだ?
握ったロープの感触が残る右手を開いたり閉じたりしてみる。自分の手に残るロープの感触はまるで一本の鉄の棒を握ったようだった。
それを引っ張ろうと不安定な足場で力を入れたらピクリとも動かなくて、結果的に僕の方が動いてしまったんだ。
苦悶の表情を浮かべる男を再び見上げる。
先ほどまでと何ら変化なく止まったままだ。
僕は自分が使った箱を蹴飛ばした。
蹴られた箱は勢い良く転がり壁にぶつかってから止まった。
・・・・・・・・・なんでだろう。
箱は普通に動かせた。窓もそうだ。
僕の家でも何ら問題なくドアは開いたし、ソファーやベッドにも違和感はなかった。
それに、この人。
ここが僕の予想通りならこの人がこの状態なのはおかしいんじゃないだろうか。
死後の世界において死んでいるわけでもなく生きているわけでもない。
今まさに死にそうな感じ。
でも、自分で自殺を図ったわけでもなさそうだ。
足場がないし、苦しみもがいている。
状況だけで判断するなら殺人って感じだ。梁を通して男を吊っているロープの先は少し離れた柱にくくりつけられているのだからまず間違いないだろう。
問題は犯人の姿がないこと。
殺そうとした相手が生きているのに放置して姿を消すとは思えない。
万が一にもこの男性が生き延びてしまったら犯人にとっては最悪だろうから。
だとしたら僕に気がついて身を隠したとか?
それも多分あり得ないだろう。
もしも、僕に気がついているのなら音が聞こえないこの世界において僕を殺すことは造作もないことのはず。
だいたい、なんでこの男性に関係するものには干渉出来ないんだろうか。
動かない本人に外せないロープ。
これじゃ助けようがない。
そのあともしばらく粘ってロープを傷つけようとしてみたが効果はなく、気になりつつも僕はその場をあとにした。
死後の世界だとばかり思っていたこの場所。
どうやらそうじゃないことはわかった。
学校までの道のりもようやく片側二車線の道路まで来た。
さっきまで思い出の中で見ていた光景なだけに変な感じを覚えずにはいられない。
思い出の世界とは違いここには雪もなくアスファルトが続く車道が見える。
道路の真ん中に立って右を見ても左を見てもハッキリとアスファルトが見えるというのはなかなかない。
交通量の多い学校前では絶対に出来ないことだ。
でも、今ならそれが出来てしまう。
一台も車が通ることなくもなく、その影すら見えない今なら。
何がどうなればこんな世界になるのか。
そんなことを思いながら校門に入ろうと視線を移動させた。
その視線に何かが見えたような気がして数歩後退する。
学校の敷地の横に学校前のバイパスから学校裏に廻り込める一方通行の道路がある。
反対側に一気に抜けられるためショートカットに使う人も多いみたいだけど、同時に一方通行を無視する車も時々だが見かけられる。
その時々見かけられる部類に当てはまる車が見えたのだ。
真っ赤なスポーツセダンは離れていても目立つ。
それも道の真ん中で止まっているうえにハザードランプも点けないままに完全停車しているじゃないか。
通り抜ける車は珍しくもないけど止まっている車は珍しい。っていうか、有り得ない。
まあでも、この世界では止まっていても不思議じゃないのかもしれないが。
それだったら運転手の顔でも拝みに行ってみてもいいかもしれない。なんてことを思いつき校庭を横切り一直線に車の方へと向かう。
校庭には防犯目的と運動部の使うボールなんかが飛び出さないためにと高いフェンスが設置されているため少し離れたところから見ることになる。
それでも車の中を見るには十分なところまで近づけるからそれほど問題じゃない。
金網に噛り付くようにして運転席を確認する。
エンジン音はもちろん無くデジタルのメーターなんかも当然全部消えている。
この世界においての常識にも少し慣れたせいか、そんなことにいちいち気を取られることもなく人物チェックだけに集中した。
そこに誰かしら乗っていればの話だが。
運転席には誰もいない。
もちろん助手席や見にくい後部座席も目を凝らして見てみたが誰も乗ってはいなかった。
乗り捨てられたのだろうか。
それにしたって乗り捨てるにも場所ってものがあるだろう。
車だって見た限りでは綺麗で捨てられるような感じはしないし。
いったいどうなっているんだ。
何かこの世界に関して役に立ちそうな情報でも得られないだろうかと可能な範囲で覗き込んで見てみたものの特にこれといって何もなさそうだ。
吐く音もない大きな息を吐き出しフェンスに掴まったまま体を大きくブラブラと動かしていると、車の前に何かが見えた。
掴まっていたフェンスから飛び退き車の前が見える所まで移動する。
女の子?
そこには髪をポニーテールにした活発そうな女の子がいた。
年齢は僕と同じくらいだろうか。おそらく学校は違うんだと思うけど。
私服のために正確とはいかないまでも少なくとも同じ学年では見たことがない顔だ。
その女の子が車の前を横切っている途中でやはり固まってしまっている。
心なしか車の方を意識するかのように視線や頭が車へと向いている気がする。
さっきの男もそうだったけど、もしかしたらこの世界は死んでも死にきれない魂が集まる場所なのかもしれない。
それだったら僕がここにいるのも頷けるし。
なんで一人だけ動き回れているのかは不明なままだけど。
現状ではこの子にも僕が干渉することは出来ないだろうと考え、その場を離れ校舎の中へと移動しようとした足がピタリと止まった。
女の子の胸の辺り。
鈍い銀色をした大き目のペンダントが首からぶら下がっている。
よく見るとどうやらネックレスタイプの時計のようだ。
藍那もたまにしてるのは見たことあるけど、ファッションの一つとして重宝するんだとか言っていたな。
まあ、今となってはファッション云々よりも正確な時間が分かるかどうかが大事なところだ。
それに僕の時計と同じ時間で止まっていれば僕が死んだ時間とは偶然の一致だったってことになる。
格子状になっているフェンスの隙間からどうにか時間を見ようと顔をフェンスに押し付けて目を血走らせる。
どんな形相になっていようと誰に見られるわけでもないんだから関係ない。
とにかく確認することが全てだ。
顔にくっきりとフェンスの跡をつけながらようやく時間が確認できた。
九時四十二分。
僕の時計が示す時間とは大きく異なる。
そうなるとやっぱり時計が示す時間が死んだ時間ってことになるのか。
だとしたらこの子が死んだ時間は・・・・・・・・・・。
考え始めると気分が沈んでくる。
これ以上ここにいても余計に気分が暗くなりそうだったのでそうなる前に離れることにした。
特に鍵が掛けられているわけでもなく校舎のドアは思いのほか簡単に開いてしまい何の問題も無く中に入ることができた。
通いなれた校舎の中も人がいないとこれほど広く感じるものだろうか。
日の光が差し込むわけでも電気が点くわけでもない廊下はぼんやりとしていて薄暗い。
肝試しをするには少々明るいけど雰囲気は十分に出ている。
今のところ僕以外に動く者を見ていないので何かが飛び出てくる可能性は極めて低そうではあるけど、一人で歩き回るには心細い。
ここは早足でさっさと駆け抜けていこうかな。
最初はあくまでも早く歩いて自分の教室を目指していたのに、そのうちランニングへとフォームが変わっていき気がつけば全力疾走になっていた。
切る風の音が耳に入ってくることも無いせいでいまいちスピードが乗っているのか体感出来ないけど、教室の前に立った時には肩で息をするほどに疲れきっていた。
ドアの向こう側はいつもならクラスメイトで溢れている。
模試の時だってそれなりの人数はいた。
さて、今はどうなんだろうか。
いつもならガラガラと音をたてる教室の引き戸も静かにスムーズに開くと変な感じだ。
シーンと静まり返った教室内には誰一人いない。
きちんと並べられている椅子や机がかえって不気味に感じられる。
ここで急に放送やサイレンでも流れたりすると本格的にホラーな感じになるんだけど、さすがに音の存在してないこの世界でそれはなさそうだった。
頬に纏わりついてくるような感じなのに冷たく乾燥している独特な空気に支配されている教室を横切り窓側へと歩み寄る。
そこから見える景色もいつもと変わらない景色に思える。
そんな見慣れた景色の中にポツンと浮かび上がる物が目に付いた。
反対側校舎の屋上にヌーッと黒い影が伸びている。
それが何かは距離があるため見えないけど確か屋上は立ち入り禁止だったはず。
見ている限りでは影が動く様子は無い。
あそこまで行くには結構な距離があるとはいえ、気になるものは調べておいた方がいいだろう。
問題は辿り着くまでにどこかに消えたり僕自身がこの世界からいなくなったりしなければいいんだけど。
一度廊下に戻り教室のドアを閉める。
閉まる直前に隙間から屋上の影を確認すると変わらず立っているのが見えた。
ハッキリとは見えなかった影の塊を思い出しながら廊下を急ぐ。
早くなっていく胸の鼓動は走っているせいか、それとも・・・・・。
もしも嫌な予感が当たっていたしても、この世界において人間は動けないのだから最悪の事態にはならない。
じゃあ逆にあれが人間じゃないとしたら?
物とか生物ならまだいい。同じく動けないだろうから。
だけど、もしもあれが僕の生きていた世界には存在しないものだったとしたらどうだろうか。
この世界ではなぜか僕だけが動くことが出来る。
僕の推測ではここは死んだ者たちの未練が集まる場所。
だから誰も動かないし何も動かない。
未練の魂が囚われた狭間の世界とでもいえばいいのだろうか。
そんな世界で唯一僕だけが動けている。
それがこの世界においての禁忌だとすれば、僕という存在は許されざるものだ。
存在することが許されない者の末路。
そんなのは決まっている。
完全なる死だ。
つまり、あの影が僕を狩るものだとすれば僕は自ら死に近付いていることになる。
まぁもともと死んではいるわけだけど。
そんな想像力をフルに働かせて頭と心に覚悟を決めさせようと試みたけど、僕の鼓動は一向に静まる気配をみせない。
それどころか距離が近付くにつれてより激しく早くなっていく。
想像通りのモノが待っていたとして僕はどうなってしまうのだろうか。
魂が殺されたらいったい・・・・・・・・・・・・・・。
かなり急いだぶん息も切れぎれになりつつも屋上へと続く階段のある踊り場までやってきた。
目の前の階段を上ってしまえばすぐに屋上には出られる。
一段一段踏みしめるようにして上がっていく。それと同時に僕の心拍数も更に段々と上がっていっている気がした。
全部で十六段あった階段を上りきり最後の境界線ともいえるドアを開けて屋上に出た。
室内と変わらない冷たい空気に震えることもなく影のあった方へと足を運ぶ。
そこに待ち受けている存在が僕にとってどんな存在になりえるのか。
不安を胸に僕は勢い良く影が待つ一角に飛び出した。
いた。
まったく動いた様子も無いままに影はそこに立っていた
黒い服に身を包んだそれはジッと真下を見つめている。
下に広がっているのは休み時間にもなれば生徒たちの声が響き放課後になれば運動部が汗を流しているグラウンドだ。
もちろん今は誰もいない。
影が見つめる先にだってただただ地面があるだけだ。
不穏な影の正体。それは僕の知る人物だった。
学校の中でも規律に厳しく歩く校則とまで言われながらもスポーツ万能で熱血漢なところが意外と生徒から人気のある武蔵野先生だ。
光の乏しいこの世界で黒いスーツを身に纏っていたためにハッキリと全体の輪郭が見えなかったようだ。
でも、なんで先生がこんなところに?
———————待てよ。首吊り男に交通事故に遭ったであろう少女。この世界のルールからすれば先生は飛び降りて死んだってことになるんじゃないだろうか。
いや、違うか。状況から見て首吊りじゃなくて絞殺っぽかったんだから、前の二人は加害者がいたってことだ。
どういうわけか加害者だけはその場にいなかったけど。
でも、そう考えると先生も自殺じゃなくて殺されたってことになるんじゃないだろうか。
この学校で殺人事件が起こった?
なんてこった。僕が死んだ後にそんなことになってるなんて。
あまりに衝撃的な事実に僕はそこにいることが怖くなってきていた。
もう一つ、確認するべきことを確認したらこの場を離れよう。
袖から顔を覗かせている先生の腕時計を確認する。
時間は・・・ダメか。先生はデジタルの時計だ。
先生はいつ死んだんだろうか。
少なくとも僕が生きてる頃にはバリバリ働いてたし、真面目だけど恨みを買うようなタイプじゃないだけに何で殺されたのか気になる。
気にはなるけど、この世界じゃ調べようが無い。
死んだ側の人間しかいないうえに死ぬ前の状態だから痕跡が何も無い。
どうしようもない世界を屋上からグルリと見渡す。
どこまでも続く町の景色は僕の知っている町と変わらないのに雰囲気がまるで違う。
ゴーストタウンなら建物が朽ちたり崩れたりしているから見た目でわかるけど、ここはそうじゃない。
綺麗なまま世界が死んでるって感じだ。
町を行きかう人はいないのに所々に人が固まっている。
たぶん探せばあちこちにいるのかもしれないけど、それだって簡単なことじゃない。
こうして屋上から見渡していたって見つからな———————ん?
ここから少し離れた交差点。
そこに一人いるのが見えた。
やっぱりというか当然というべきか動きはない。
それでもこの世界の住人には違いはないのだから確認に行くべきだろう。
手掛かり云々よりも誰かがいればそれを調べることで僕は自分を保とうとしているのかもしれない。
何もしなければそれはそれで問題ないんだろうし、何か行動に移してみたところで結果は同じだろう。
変わるとすれば目的を持って動いたことに対する達成感くらいだろうか。
自分は死んでもここでは生きている。
それになんの意味があるのかはわからない。
だからせめて動いていなければいけない気がした。
そんな動機のもとに交差点まで来た僕は、まもなくして自分の行動によって後悔と絶望を味わうことになる。
それでもそれが止まっている世界と違って僕の中の時間は経過している証拠なのかもしれない。
そしてこれを期に僕の人生は大きく動き始める。
長い長い運命との戦いの日々にどっぷりと嵌ってしまうのだ。
そのきっかけになる交差点。
そこにいた人物を見て僕は自然と涙を流していた。
今にも動き出しそうなくらいいつもと変わらない屈託のない笑顔。
本当に黙っていれば誰よりも可愛い。いや、普段どおりにしているほうがコイツらしくて一番可愛く輝いていることを僕は知っている。
本人の前でそんなこと口にしたことなんて一度もないけど、小さい頃からわかっていた。
誰よりも可愛いくせに暴力的で口が悪い。美少女の皮を被ったガキ大将みたいな幼馴染みは同時に誰よりも優しく心の温かい女の子だ。
なのに・・・・なのに・・・・なんでここにいるんだ。
意味が分からなかった。
目の前にいる意味が理解出来なかった。
この世界については自分なりに理解していたつもりでいた。
だからこそ意味が分からなかった。
今立っている場所。
彼女の向こうに見えるモノ。
それら全てが僕の脳を揺れ動かしていた。
だって、この世界は自分の意思とは関係なく未練のある魂が集まる場所のはずだ。
そしていま僕が立っている場所は美味しいと評判のクレープ屋の前。
そこに立っている彼女の向こうには運転手のいないトラックが迫っている。
あの日、僕が立っていたその場所に。
そうだ、時計。時計を見れば何かわかるかもしれない。
急いで腕を確認するも見当たらない。
性格的に時計なんて身につけるタイプじゃなかったことを思い出し、ドッと力が抜けた。
落ち着いて見てみれば何か違和感を覚える。
ヒールのある靴を履きワンピースを着こなしている胸元は僕が知っているよりも大きく見える。
表情こそ見慣れた顔と変わりないけど全体的に大人っぽくなっている気がする。
成長した姿ということだろうか。
だとしたら、僕が死んでからいったい何年の月日が経ってしまっているんだろうか。
違う。そんなことはどうでもいい。
なんでコイツが死ななきゃならないんだ。
なんで・なんで・なんで・なんで・なんで・なんでだよ。