全てはこの部屋から始まった
ファンタジー、ミステリー、ホラー、SFそれぞれのジャンルが織り交ぜられた話になっています。
現実と非現実の境界線が無くなったとしたら、人はどんな行動をとるのでしょうか。
いつものように僕はベッドへと潜り込んでいた。
高校生活において最高に至福の瞬間を一つあげるなら間違いなくここだろう。
ただ、この寒い季節でも暖房のない僕の部屋は外気の影響を諸に受けてこの上なく寒い。
オール電化住宅という名のわりに床暖房なんて気の効いた設備のない家にも関わらず、うちではスリッパを履くという習慣がない。
そのため真冬でもフローリング張りの床の上を裸足で歩き回っている。
深夜十二時前、僕以外は早々と自分の部屋にいき眠りにつく。
毎日決まって最後にリビングを出るのが僕だ。
愛犬のチャムがコタツで暖をとる僕の後ろを通って自分のサークルへと入っていく。
チャムがうちに来てもう十一年の年月が流れた。
すっかり若さのなくなったチャムはいつも同じ時間に自分でケージに入り水を二口ほど口にしてから寝床を整え始める。
二本の前足を器用に使いながら満足のいく寝床の形に仕上がると眠りに入る。
それを確認してから僕もリビングを出るというのがいつの頃からか習慣になっていた。
今日もいつものようにチャムの寝姿を見てからコタツの温もりを名残惜しみつつリビングを後にする。
せっかく温まった体が冷え切る前にと急ぎ階段を駆け上がり自分の部屋へと向かう。
十分過ぎるほどに冷やされたフローリングにより徐々に足の裏が冷たくなり痛みを伴うようになっていく。
すっかり冷えてしまった足を止めることのないようにして急いで部屋のドアを開けて中に入る。
今の今まで主のいなかった部屋は当然仄暗い。
それでも窓の外から月明かりが薄っすらと差し込んでいるおかげで真っ暗ではない。
どうせ電気をつけたところで、この部屋ですることは寝るだけなのだからとスイッチに指を触れることなくベッドへと潜り込んだ。
それが三分くらい前のこと。
入ったばかりの頃はベッドの中さえも冷たく、暖かく感じるようになるまでジッと動かずに待っていた。
それが三分たった今、ようやく暖かさを感じるようになってきたのだ。
体が温まるに連れていつもなら瞼が重くなっていき眠りに入るまで時間はかからないのだけど今日は目が冴えてしまっている。
その原因も明白にわかっている。
さっきから何度となくガラスが叩きつけられるような勢いで音を立てている風だ。
夜から吹き始めた風が今になって強くなったみたいだ。
ゴロロ・・ゴロゴロ・・・
遠くの方では雷の音までも聞こえてくる。
窓に当たる風向きからして雷雲はすぐにでもこちらの方に流れてくるだろう。
こういう夜は興奮してしまい落ち着かないものだ。
やがて訪れるであろう嵐の夜に心は疲れた体とは裏腹に興奮し元気を取り戻していく。
ゴロロロピシャァッッゴロゴロゴロッッッ!!
急に近くで雷が鳴り始めた。
それと同時に風とは違う窓を叩く音。
どうやら霰まで降ってきたようだ。
そういえば寝る前にテレビで言っていた。今夜から巨大な寒波が上空に留まるうえに台風のような気圧になるため寒波台風と名づけられた寒気がやってくるのだと。
その結果がこれだ。
冷え込み方も半端じゃない。
そんな状況でも、いや、そんな状況だからこそか体は強制的に僕を眠りへと誘い始めた。
重くなってきていた瞼も一気に閉じ始める。
意識が途切れるのももう間もなくのことだろう。
そう思った頃にはほとんど瞼は閉じかけていた。
すぐ真上で鳴り響く雷の音や窓を容赦なく叩きつける風や霰の音を聞きながら深い眠りへと落ちていく。
その瞬間だった。
全ての音が完全に消えた。
静寂を超えた無音。
雷や風、霰の降り注ぐ音だけじゃない。部屋の中にある時計の音さえも消えてしまったのだ。
不気味な静けさが僕を支配していく。
それと当時に落ちかけていた意識が一気に覚醒した。
頭まですっぽりと入っていた布団を視覚的に周りが認識できるようにギリギリまでズラしていく。
何度も目を瞬かせながら瞳だけを左右上下に動かして周りの様子を窺う。
目に入る光景は暗いながらもいつもの自分の部屋だと認識できる。
別段変わったところはないようだ。
ただ、やはり何の音もしない。
いうなればまるで時が止まってしまうとこんな感じになるのかもしれないが、そんな経験はもちろんしたことがないわけで定かではない。
どのくらいその無音状態が続いたのかは分からない。
周りを窺っているうちに眠りについてしまったのだ。
それを知ったのは自分が目覚めた時のことだったのは言うまでもないけど。
目覚めた時といっても自分で起きたくて起きたわけじゃない。
まるで寒空の下にでも放り出されたのかと錯覚してしまうほどの寒さを感じて目が覚めてしまったのだ。
全身空気に触れないように布団に入っていたにも関わらず冷たい空気が容赦なく僕の体を包み込んでいる。
ガタガタと震えながらも部屋の壁に掛けられている時計を何とか確認する。
寝起きで定まらない視線をハッキリさせるために目を細め微調整して針の指す時間を一つ一つ確認する。
十・・二じ・・・・十八・・・・・・ふん?!
そこまで確認して飛び起きた。
寒いなんて言ってられる時間じゃない。
完全に遅刻だ。
いや遅刻なんてもんじゃない。
携帯のアラームは忘れずにセットしておいたはずなのに。
それを確認するべく枕元に置いている携帯を手にする。
冷たい。
よくここまで冷えたものだと感心するほどに冷えきっている。
タブレットタイプの携帯のボタンを押してみるが反応がない。
しまった。
昨夜は充電するのを忘れてそのまま寝てしまったのか。
このタイプの携帯は充電が二日ももてば良いほうなのだが、タイミングの悪い事に昨日がその二日目だった。
これではアラームを鳴らせと言う方が無理な注文である。
それにしたって誰か起こしにくらい来てくれてもいいものではないだろうか。
しぶしぶ部屋のドアを開けて外に出る。
あれ?
いつもなら木製で出来ているドアを開閉するたびにキィキィとうるさい音がするのに今日は珍しく静かに開いた。
もしかしたら寒さで木が収縮してスムーズに開いたのか?
部屋の外に出ると両親の寝室や妹たちの部屋に通じるドアが見えるのだが、どれもしっかりと閉められている。
どうやら誰一人起きてきてはいないようだ。
そういえば昨夜、僕以外みんな休みだから朝は適当にパンでも食べて行ってくれって言われたのを今頃になって思い出した。
だからって家族が揃いも揃って昼過ぎまで寝ているというのもどうかと思うが。
開く気配もないドアを恨めしそうに見ながら階段を下りていく。
普段であれば階段を下り始めると気配に気付いてリビングにいるチャムが吠え始めるのだけど、一向にその気配がない。
もしかしたら一人くらい起きてきていてリビングにいるのかも。
そんな淡い期待を持ちつつリビングのドアの前まで下りてきた。
静かだ。
誰かが起きていればテレビくらい点けていそうなものだけれど音が聞こえない。
光が漏れ出している様子もない。
自分の家だと言うのにまるで他人の家に上がりこんでしまったような錯覚に陥りそうだ。
そっとドアを開けて中の様子を窺う。
キンと冷えた空気が頬に触れ身震いする。
どうやらテレビだけでなく暖房もついていないようだ。
中に人の気配を感じないことを確認してからゆっくりと中に入る。
リビングを見渡す限り別段変わった様子はない。
この時期カーテンを閉め切った部屋は決して明るいとは言えず、電気を点けないと少々不便に感じる。
だから手探りで壁にあるスイッチを入れた。
反応がない。
何度かスイッチを入れたり切ったりしてみたが、やはり反応しない。
蛍光灯が寿命を迎えたのかな。
しょうがなく電気をあきらめパンを食べるための準備を始めることにした。
コーヒーのためのホットミルクを作るべくレンジに牛乳の入ったコップを用意してボタンを押す。
音が鳴らない。
普通なら電子音が鳴ってすぐに動き始めるはすなのだが。
中を覗き込んで確認するもやはり止まったままだ。
ボタンを数度押し直してみても動かない。
ふと目をやるとデジタル表示も消えていることにようやく気がついた。
電気も点かずレンジも動かない。
これってもしかして停電してるのか。
しょうがなくヤカンに水を入れようとして手に取り、やめた。
よく考えたら停電じゃIHは使えない。
こんな時にガスだったらお湯くらい沸かせただろうに。
これで完全に体を芯から温める方法はなくなった。
せめて本当に停電なのかを調べないと動きがとれない。
向かいの家を確認しようとカーテンを開けて窓から辺りを確認する。
やはりと言うか、当然と言うか周りも電気が点いていない。
そもそも今は昼を過ぎたばかりだ。
電気を点けている家を探す方が難しいかもしれない。
結局事態は変わらず一人ポツンとソファーに腰を下ろした。
それにしても何かが変だ。
いくらみんなが寝ているうえに停電だからってここまで静かになるものだろうか。
なにより一番の異変はチャムが静か過ぎること。
中に入って来た時も一切の反応を示さないなんてあり得ないことだ。
ここからでも見えなくはないが、ちょうどチャム愛用の毛布に隠れていて姿までは見えない。確認するなら近付かなければどうしようもないということだ。
寒さで重く感じる腰を持ち上げ一歩・・・また一歩と近付いていく。
数歩歩いたところで毛布の上に丸まっている愛らしい姿は見ることが出来た。
ただ、それだけだった。
動く気配が一切見られない。
それどころか呼吸に合わせて上下するはずの体の動きすらない。
少しずつ心臓を打つ鼓動が速くなっていく。
サークルの傍まで近付いて上から見下ろしてみても反応はない。
高さにして八十センチ程度のサークルの枠。
その上から身を乗り出すようにして手を伸ばす。
いつもならサッと伸ばして頭を撫でてやったりしているのだけど、今日はいつもの半分にも満たないスピードで手を伸ばしていく。
その距離残り三十センチ。
次第に鼓動は更に速く強くなっていく。
あと二十センチ。
背中に流れる冷たい汗が止め処なく溢れ出ている。
あと十センチ。
このまま触れてもいいものだろうか。
確認しなければいけない事実と確認したくない真実。
その狭間で僕の気持ちは揺れ動いていた。
それでも伸ばす手は止まらない。
もう指先をグッと伸ばせば触れられるところまで来ていた。
あと戻りは今さら出来ない。
覚悟を決めて最後の距離をゼロにするべく手を伸ばした。
指先が微かに毛先に触れそうになった時だった。