55 ミノりある会談の行く末
「俺の縁者とそちらとで婚姻関係だと?」
フンスと鼻を鳴らしたタンクロードが、アゴに手を当てて考え込んだ。
モノの本によれば、歴史上ヨーロッパの王侯貴族たちは姻戚関係を結ぶことで強固な縁を作り上げていったという。
そうしておけば、いざという時に敵対する王侯との援護射撃も期待できるし、うまくする事で跡目問題に口を挟むことだってできるという寸法だ。
そんな事は欧州に限らず、戦国時代や江戸時代にはよく見られた血縁同盟の類である。
家臣は縁者を人質に出して、君主は家臣に娘を娶らせるという事もある。逆もまたしかりだ。
女村長の考えていた血を流さない戦争、あるいは外交と言う言葉は、きっとこれを意味していたんだろう。
いやまて、これも権力闘争の一環なのかもしれない。
女村長はこれでも貴族であり領主だ。
こういうパワーゲームを俺たちが知らないところで日常的にやっているのかもしれない。
「悪い提案ではないだろう。ん?」
「それはお前たちが誰を差し出すかにもよるがな」
「わらわがタンクロードと結婚というのも一興だが、お前もとうが立った年増女を嫁にするのでは、旨みが無いだろう。それにこの男、シューターと将来の約束があってな、出来ればわらわの義息子か縁者の女か、そのあたりで手を打ってもらえれば幸甚だ」
さらりと女村長がとんでもない事を口にした。
俺とアレクサンドロシアちゃんが将来の約束をした? そんな話は俺も聞いていない。
ま、まさか俺が女村長の夫……
驚いてそんな事を考えていると、フンスフンスと鼻息を荒くした野牛の族長が決断をする。
「俺はそれで構わないぞ。よし、では互いにさっそく人質を差し出すというのがいいか。おい、タンヌダルクはいるか!」
「は、はい兄さん」
タンクロードが振り返って野牛の一族を見回すと、中から角の生えた女が一歩前に出て来た。
よかった。ちゃんと人間みたいな顔をした女だ。
ミノタウロスは女性なら人間に限りなく近いんだね。
牛か人間かで言うと、限りなく人間に近い牛だ。
ギリギリ人類だ。いける。
角は男どもより小さいし、胸は人間じゃ比較にならないほど立派だ。
ただしニシカさんにはちょっと届かない。
やはり鱗裂きのふたつ名はサルワタの森最強の称号だぜ。
「あ、あの。わたしに何か……」
「お前を嫁候補とする。一族の者から人質を出さねばならんとなれば、お前でどうだ。まだ独り身だろう」
「ば、蛮族の嫁に嫁ぐのですか?! 兄さんひどいっ」
「こら、言葉を慎め。仮にも親戚となる相手の前だぞ」
「あうぅ、ですがぁ。こいつ全裸の野蛮人じゃないですか……」
全裸の俺と女村長を見比べた牛娘タンヌダルクは、すこぶる嫌そうな顔をしていた。
安心しろ、俺は嫁さんがいるから俺と結婚させられる事は無いぞ。ないよね?
俺が女村長を見やると、何がおかしいのかフフッと笑っていた。
「あっはっは。この男は全裸を貴ぶ部族の出身だが、普段はちゃんと服を着ておるぞ。安心しろ」
「そ、そうなんですか? ホントですか?」
「シューター、そうだろう?」
「そ、そうですけど、まさか俺とこのタンヌダルクさんが結婚ですか?」
「わらわの差配に口を挟むな」
「し、失礼しました」
「タンヌダルクといったな。娘御もそう臆するな、この男に嫁ぐと決まったわけでもないからの」
俺が抗議の声を上げようとしたところで、女村長の怒りを買ってしまった。
やはり何か考えがあるのだろう、ここは黙って成り行きを見守るか……
「では、わらわは義息子を人質に差し出す。ギムルよ! ここまで来い」
疑り深く俺をを見ていた野牛妹に笑ってみせた女村長が、振り返ってギムルを呼びながら手を振った。
こちらを眺めていたギムルもそれに気づくと、慌ててこちらに駆けてくる。
「お呼びでしょうか村長」
「お前をこれから野牛の一族に対する人質として差し出す事になった。お前にミノタウロスの一族から嫁をとらせるのでな。結婚おめでとう」
「ひ、人質? 俺がですか」
「野牛の族長も一族から人質を出すと申し出て来たのだ。相手が血縁を差し出すのに、わらわがそうしないのでは釣り合いが取れぬだろう。交換条件だ、呑め」
「お、俺は構いませんが」
歯切れが悪そうにギムルが返事をした。
チラチラと同じ人質仲間にされてしまうタンヌダルクを見て、また女村長に向き直る。
マザコンのギムルの事だ、命令が嫌と言うよりも義母親の側を離れる事に対して、単純に気が引けているのだろう。
こうして、お互いの人質が誰になるか決められた。
「では最後に確認だ。三日後この湖畔で、お互いの親睦を深め人質を交換するための宴席を設ける」
「了解だ。俺たちの居留地にはいい牛がいるので潰して食べるとしよう」
「う、牛を食べるのか?」
「何を言っている、お前たち人間どもだって、牛ぐらい潰して食べるだろう」
「で、ではこちらも鹿肉を差し出すとしよう……」
この時ばかりは驚いた顔をしたアレクサンドロシアちゃんが聞き返していた。
いやあ、野牛面の猿人間が牛を食べると言うから、共食いにならないか心配しているんですよねぇ……
◆
村に引き上げていく道すがら、
「村長さま、まさかあのタンクロードバンダムの妹を俺に嫁がせるつもりじゃないでしょうね」
「あっはっは。お前が望むならそれでもよいが、相手が嫌がるなら他の手も考えねばな。当てはある」
俺は行列の中ほどを歩いている村長を追いかけながら質問をした。
周辺にはあまり聞こえない様に小声でだ。
「俺にはカサンドラがいるじゃないですか」
「奴隷が嫁を多くもらってはいけないという法は無いぞ」
「ギムルさんとくっつけるという作戦じゃだめなんですか」
「まあそれはどうなるかわからんな。わらわとしてはどうころんでも構わないのだ。三日後に宴席を設けると言っただろう」
「まさか、宴席で一網打尽……本気ですか」
「連中をまとめて皆殺しにするか? シューターは戦士らしく物騒な事を考えるな」
まるで他人事の様に女村長がころころと笑った。
俺はこの会話が他の人間に聞かれてやしないだろうかとあわてて周囲を見回した。
特にニシカさんあたりは長耳を立てて聞いている可能性があると思ったが、彼女は風上の先頭を歩いているので問題が無かったようだ。
「わらわの縁者はギムル以外にもおるでな。それまでに呼び寄せればよい、あの野牛の妹に選ばせればよい」
「村長さまのご実家、ですか?」
俺はふとようじょのいたブルカの街の事を思い出した。
「そうではない。わらわはもともとこの村に嫁いだ時は再婚だったのだ。前の夫の実家に義弟がいるので、呼び寄せる」
「ははあ、そういう手があったか」
「やつらを宴席に呼び寄せて皆殺しにするというのは、最後の手段だ。そういう事にならぬ様、あれこれと手を打たねばならん」
「なるほど」
やはり女村長の脳裏には宴席でミノタウロスを一網打尽という計略は存在したらしい。
ふと俺はとあるモノの本を思い出した。確かアイヌのとある部族が和人に懐柔される宴席で、毒を盛られた話を。
毒なり薬なりを混ぜ込めば、いかに筋骨隆々なミノタウロスと言えどもイチコロだろうが、それでは今後生き残った連中と敵対す続ける事になるからな。
むかし俺がお世話になっていたコンビニの女店長や、コンサル会社の青年取締役の人心掌握術を思い出す。
してみると、ビジネスの大半が根回しなのだと常々言っていた気がする。
敵は必ずどのような組織の内外に存在している。
だが、少しでも多く味方を多く作っておくことが、ビジネスを円滑に進める秘訣と言うわけだ。
仕事の段取りのうち八割は、この根回しという事をふたりによく言われたものだ。
それをしなければ、思わぬ場所から反対や計画を潰しにかかる人間が出てくる。
「わかったかの?」
「よくわかりました、段取り八割という事ですね」
「ふむ。よくわからんが、わかってくれたようで何よりだ」
「ところで村長さま」
俺はひとつ聞きそびれていた質問を口にしようと決めていた。
女村長とヒソヒソ話をしる絶好のチャンスだ。この機会に聞いておかない手はない。
「ん? 何だ」
「今回の件が上手くいけば、俺にご褒美をくれると言う様な事を言っておれれましたね」
「そうだったかの?」
「さっきも言っていましたよ、将来の約束があってな、みたいな。意味深に」
「ふふっ、何を期待しておるのか?」
「何をいただけるんでしょうかねえ、ご褒美」
くすりと笑った女村長に俺が下卑た顔を浮かべると、ぷいとそっぽを向いて先を行ってしまった。
俺は慌てて後を追いかける。
「気色の悪い顔をするものではないわ、ご褒美はお預けだ」
嫁にはナイショでキスのひとつでもくれるのかと思ったが、アレクサンドロシアちゃんはご立腹したらしい。
とんだツンデレさんだぜ。




