51 野牛の一族 後編
村の外れにて再集合した俺たちは、村から見てサルワタの森の左翼側にある湖畔を目指した。
先頭を行くのは、この森の事ならば何でも知っているという鱗裂きのニシカさんである。
何か道中で見逃しているものはないかと再確認するために、ッワクワクゴロさんと並んで丁寧に足元を、そして周辺の木々の様子を伺っていた。
その後ろに俺とカサンドラにエルパコ、最後尾はベテランの美中年カムラである。
むかし俺は、とある大人向け怪しい商品を売る通販会社のコールセンターでバイトいていた事があった。
もちろんバイトなので、ひたすらかかってくる電話の応対をするだけという簡単なお仕事をマニュアルに従ってこなすだけだ。
しかし、お客様の苦情を一手に引き受ける部署でもあるので、とにかくストレスが溜まるのだ。
そうすると正社員の上司がよく、俺たちを誘って息抜きを仕様と野外に連れ出した。
バーベキューである。
世の中にはどんな場所にも自衛隊出身のひとがいるもので、バーベキューの出来る河川敷やキャンプ場に連れて行ってくれたその上司は、サバイバルのプロらしく手際のよい準備や下ごしらえの指示をしてくれた。
大自然の中で美味い肉を焼いて食べるのは、最高の息抜きだったものだ。
ところでその上司、もとはレンジャー集合過程を突破したレンジャー隊員だったらしく、林の中を歩く時に音も無く草木を分け入っていくのだ。
そこで、何でそんなにニンジャみたいな事が出来るのか聞いたところ、こう返事をしてくれた。
――むやみに歩いていると、枝を踏んだりして音が鳴るだろ? 強引に草をかき分けると折れて人間が通った事がすぐにわかる。足跡を見ると歩き方の癖が出ているので、いちど覚えてしまえばだいたい何者かがわかる。
そんな事をさらりと言ったわけである。
たったそれだけの情報で色々わかるものなのか! と驚いたものの、今のニシカさんやッワクワクゴロさんは、まさにそんな痕跡を探しながら湖畔に向かっている。
元々が街周辺で猟師をやっていたというエルパコについては、若いながらにそういう所作が身についていた。
村のベテラン猟師ふたりほどではないにしろ、確かにこの子も音を立てずに俺たちのすぐ後ろを付いてきている。
一方のカサンドラを見ると、さすがに村の生まれというだけはあって森歩きは慣れているらしく、疲れは覚えていない様だった。
ただし、やはり音を立てずに痕跡を残さずにというわけにはいかならいらしく、本来は俺の持つ手槍を杖代わりにして歩いていた。
「カサンドラは、短弓は使えるのか?」
「はいえっと、子供の頃からお父さんに習っていたので、兎や狐を仕留めるぐらいなら出来ますよ」
何という事でしょう。たぶん新妻は俺よりも弓の扱いが上手いらしい。
「ただ、獲物を追いかけたり待ち伏せしたりという事は、出来ません。ただ目標に向かって射つだけで……」
「そういうのはこれから覚えればいい事だしな。俺も猟師見習いだから一緒に覚えような。格闘技でよければ教えてやれるし、代わりに俺に弓を教えてくれ」
「はいっ」
それこそ、手とり足とりお互いに。
などと場違いな事を俺が妄想していると、後ろからエルパコが小さな声をかけた。
「ぼっぼくにも、教えて……」
「ん。格闘技の事かな?」
俺が質問すると、コクリとけもみみがうなずいた。
まあ、ひとりを教えるよりもふたりを教える方が楽かもしれない。
一緒に勉強する相手がいる方がライバルというか、お互いに負けないように頑張るかもしれないしな。
教えるのはやぶさかではないので俺は「いいぜ」と軽く返事をしておいた。
やがて俺は見覚えのある風景を確認する。
最初はッワクワクゴロさんとリンスクの罠を仕掛けた場所で、その先はワイバーンを追いかけて進んだ道だ。
そうこうしているうちに森が少し開けて来て、湖畔がもうすぐ近くになる事を理解した。
振り返ったニシカさんが、
「見つけたぞ」
「ミノタウロスの足跡か?」
「ああ。だがそれだけじゃねぇ、獲物を狩った場所らしいのを見つけた」
ニシカさんの言葉に美中年が反応した。
ッワクワクゴロさんも一度それを見止めたところで、彼だけは周囲警戒をしている。
俺たちは先頭に駆け出したカムラさんに続いて、ニシカさんの指示した場所に注目した。
どす黒くなった地面、恐らくこれは血溜の跡だろう。
何かを引きずった形跡があるのを見つけて、ニシカさんが視線でその跡を追っていた。
カムラさんも熟練の冒険者らしく、鎖帷子をジャリンと言わせながらどす黒い土の状態を確かめたりしていた。
「数日は時間がたっているみたいだな」
「獲物は鹿か、この足跡は蹄だ。それとこっちは靴だな」
カムラさんとニシカさんがそれぞれそんな事を言うと、ッワクワクゴロさんが周囲警戒から視線を外して戻ってくる。
しかし靴という単語に俺はつばをゴクリと飲み込んだ。
ミノタウロスは靴を履く程度に文化が発達した連中という事なのである。
オーガは大変失礼な言い方をするのならば、せいぜいが縄文人か弥生人の様な連中だった。
金属の武器は持っていたが、恐らく自作したであろう武器についてはそこまで精巧なものではなかったし、それ以外の出来のいい武器については、たぶん交易で得たのか他の部族から奪ったもので、恐らく後者が当たりだろう。
「その靴というのは、どんなもんなんですかね」
「ブーツだろうな。ほれ見ろ、しっかりとした型のある足跡だ」
ッワクワクゴロさんが、ひとつの足跡を差していった。
大きさは三〇センチはあろうかというデカいものだ。十六文キックが出来そう。
「足跡の特徴を見ると、狩りをしていたのは三人ほどみたいだな」
「そんな事までわかるんですか?」
「ああ。靴の裏のすり減り方を見れば、それぞれの特徴が出ているからわかるぜ」
当たり前の様にニシカさんが鼻をひとなでして言った。
それを当然の様にッワクワクゴロさんやカムラさんが同意してうなずいている。
「という事はこの猟師の規模から考えて、七家族から十家族ぐらいだろうな」
「鹿は比較的人間を集めて狩る動物だからな、それに対応した人間が三人という事は、多くても四〇人程度の一族という事か」
思案気にッワクワクゴロさんが言うと、カムラさんが言い添えた。
むかしのバイト先の上司と同じ様に、それだけの情報をわずかな痕跡からかき集めたのだ。
ただし、そのあたりの計算はニシカさんにとってあまり興味のある内容ではなかったらしく、それよりも近くに転がっていた石ころに注目していた。
「鏃だぜ」
「お、磨製石器の鏃ですね。俺たちが狩りに使ってるのによく似ている」
「これは鍛冶師が手を入れた鏃だ。かなりやっかいな連中なんじゃねえのか。ッワクワクゴロさんよ」
ニシカさんは拾い上げた石の鏃をッワクワクゴロさんに差し出した。
モノの本によれば磨製石器というのは、素材となる原石を叩き割って成形した後に、研磨を加えて鋭くさせたものだった。
村で使っている石鏃にはガラス質の黒曜石の鏃と、これと同じ研磨石器の鏃がある。
量産力のある鉄鏃と比べて数をそろえるのは手間もかかる。
さらに、鋭利だがすぐに破損してしまう黒曜石の鏃に比べると、磨製石鏃は再利用を目的にしているものだ。
部族集団の規模が小さいとなると、生産力に限りがあるので再利用可能な石器を利用しているという事だろうな。
ニシカさんが俺に石鏃を見せてくれたところ、興味深いものを発見した。
「アスファルトだ」
「ん? 何だそれは」
「石器の接着剤に使っている材料ですよこれ、油の成分から取り出したものです。このあたりには原油が取れる場所があるんですかね?」
「原油? 何だそれは」
俺が唐突にそんな質問をしたものだから、ニシカさんやッワクワクゴロさんも首をひねっている様だった。
そもそも原油の存在を知らないらしい。
これもモノの本による話なのだが、古い時代の石器を使っていたひとびとは、天然のアスファルトを熱して石器の接着剤に浸かったり、壺などの道具の補修に使われていたことが知られている。
俺は大学時代に考古学がやりたくてそういう学校に入ったので、多少なりともそういう事を文献で見た事があったのだ。
「その、アスファルトというのが使われていると何か問題があるのかねシューター」
「みなさん原油もアスファルトも知らないという事になれば、恐らくこのサルワタの森周辺にもともといた連中じゃないんでしょうね、この野牛の一族は」
カムラさんが不思議そうに質問をしてくるので、俺がそんな返事をした。
ついでに言うと俺がそんな事を口にしたものだから、エルパコがぽかんとした顔でこちらを見ている。
カサンドラにいたっては、とても真面目な顔を作って俺をガン見していた。
も、もしかしたら、ふたりとも俺の事を尊敬してくれているのかな?
「まあそんな事はどうでもいい。もう少し周辺を散策して、洞窟の近くまで移動するぜ」
ニシカさんは俺の手にしていた石鏃を奪うと、そのまま腰後ろのフィールドバッグの中に仕舞い込んでしまった。
確かに今は、彼ら野牛の一族がどこから来たかよりも、相手の戦力と状況を理解する方が先決だ。
◆
夜を迎えるまで、俺たちは湖畔の周辺をかなり警戒しながら足で歩いて情報収集をした。
まかり間違ってばったり遭遇してしまえば、相手の数が三〇人だか五〇人だかいるので、応援を呼ばれてしまえば負ける可能性もある。
それにオーガよりもミノタウロスの方がやっかいだという諸先輩がたの意見を考えるならば、出来ればやり過ごすかこちらから奇襲する形で戦いたいものである。
まあそもそも、今回は戦う事が目的ではなく、あくまで状況を確認する事だった。
そして好都合な事に、俺たちは野牛の一族と出くわす事なく夜を迎える事が出来た。
「やっぱり緊張するか?」
「……はい。こんなに森の奥深くまで入った事は無いので」
「実は俺もこれで三度目なんだけどね。通ってるうちに慣れてくるから、今はしょうがないさ」
「はい」
干し肉と蒸した芋をかじりながら、俺とカサンドラは会話をしていた。
ここから少し先に洞窟の入り口がある。
ぽっかりと丘の崖部分に開いているそれが、ダンジョンと化した洞窟の入り口だというのだ。
アリの巣であれば、そこに見張が立っている様なものなのだろうが見当たらなかった。
今は夜まで交代で休憩をしながら、内部探索の時を待っているのだった。
「それでもカサンドラがいてくれて、正直助かっているよ」
「ホントにそうでしょうか……」
「飯の支度をしてくれる人間がいるだけで、かなりね」
これから戦闘を行うニシカさんやッワクワクゴロさん、エルパコには少しでも雑用をせずに休んでもらう必要がある。
俺はまあいざ戦闘となれば多少は空手の心得があるから使えるだろうが、猟師っぽい探索作業というのはてんで駄目だ。
美中年カムラさんはそれより猟師たちよりだろうが、それでも猟師たちの様に気配を消して獲物を追跡するというタイプにはどうしても見えなかった。鎖帷子を着ている時点で、多少うるさい。
そんな気配を消しての情報収集の中で火を使っても大丈夫なのかとニシカさんに質問したところ、
「あいつらはどうも、基本は洞窟の中で生活をしていて、あまり外には出てきていないみたいだから平気だろ」
という様な事を言って、自炊の許可をくれた。
もちろん火を使って暖かい飯を食えるのはありがたいので喜ばしいが、本当に大丈夫なのだろうかと思ったぐらいだ。
「まぁ。それを目印にあいつらが出てくるってんなら、そん時は状況を利用して連中の規模を確認すればいいだけだぜ」
というので、なかなか頼もしい。
「変なフラグを立てた事にならなきゃいいんですがねえ。ま、そういう作戦なら了解です。フラグが立っても責任とってニシカさんがへし折ってくださいね」
「フラグ? おいカサンドラ、シューターがまた変な事を言っているから、どうにかしろ!」
俺の日本風な返事はどうやらニシカさんには通じなかったらしく、妻に頭を心配されてしまった。
そして完全な月明かりが夜空に上り切った頃。
眼を閉じて休憩をしていたッワクワクゴロさんがむくりと起き上がって、俺たちを見比べた。
「そろそろ頃合いだな、洞窟の中に入るぞ。俺とシューター、エルパコの嬢ちゃん、それにニシカで中に入るから、万が一のためにカサンドラとカムラの旦那は残ってくれるか?」
「俺は行かなくていいのか?」
「カムラの旦那はいざという時の予備だと思ってくれ。腕が立つ人間が後ろに控えていると頼もしい」
ッワクワクゴロさんの指示に美中年は了承を伝えた。
「それから、エルパコの嬢ちゃん」
「ぼく、おとこのこだから……」
「すまねえ嬢ちゃん。もし俺たちが途中でまずい事になったら、俺たちを見捨ててでも洞窟の外に向かえ、カムラの旦那とカサンドラに伝えて、三人の誰でもいいから村にこの事を伝えるんだ」
まあ、そんな事にはならないと思うがな。と鷲鼻をひくつかせてッワクワクゴロさんが締めくくる。
「じゃあいこうか、シューターとオレで先頭な?」
「鱗裂きのニシカさんが隣なら心強い」
そんなニシカさんと俺の会話の後ろで、エルパコが小さな抗議の声を上げていた。
「ぼく、おとこのこなのに……」




