392 正妃さま入城の事 前
いくらこのファンタジー世界における結婚の概念があやふやだからと言っても、守るべき道理と慣習というものは存在しているだろう。
何しろ相手は王様の正妃、つまり第一夫人であるのだから当然だ。
「正妃さまが旦那さまの庇護を求めて、ご領内までお越しになったという事は理解できました。けれども、それがどうしてシューターさんとの結婚となるのでしょうか……?」
寝室での出来事だ。
上等なおべべに着替えるのを手伝ってくれながら、とても嫌そうな顔をしたカサンドラがそう言った。
その口ぶりからも不満があるのは明らかで、幾つもの嫌そうな顔を使い分けるカサンドラの中でも、特別に嫌そうな顔なので嫉妬で怒り指数はマックスだろう。
「な、何かの誤解があった様だね。ニシカさんが新しい嫁と勘違いしたものだから、奥さんたちみんながそういう風に思い込んだらしい」
「つまりニシカさんの勘違いであるという事ですか?」
「王様のお妃さまと結婚だなんて、普通に考えたらおかしいだろ。そもそも離婚していない相手と結婚する事は不可能だ」
「確かにそうですけれども、シューターさんがたいへんご立派な方である事はこの王国にも広く知れ渡っている事です。当然そのご威光が王都に届いた結果、ガーターベルトフォンギースラー正妃さまがお考えになっても、特段それはおかしい事ではありません」
結婚してほしいのか駄目なのか、複雑な心境を吐露しながら上目遣いに俺を見上げてくるカサンドラ。
俺はたまらず苦しい顔をして彼女を抱きしめてしまった。
「誤解は解かないと不味いね。俺が不敬罪とか大逆罪の嫌疑を駆けられればサルワタ貴族みんなが大変な事になってしまう。ニシカさんがどうしてその様な勘違いに至ったか、しっかり把握する必要がある」
「はい。何事も順番が大切ですので、段階を踏んで結婚するべきです」
俺の言葉はしっかりと大正義奥さんに伝わったのだろうか。
結婚とか言ってるし、これは勘違いしたままなのではないだろうか?!
「そもそも結婚式も婚姻届けも存在していない様な世の中だから、離婚についても明確な根拠が存在しているかどうかもわからないからなあ……」
仮にこれが王族に連なる正妃様と俺の不倫関係だと世間に思われる様なことがあれば、国法に照らし合わせて俺だけが処罰されるだけでなく、朝敵としてサルワタ貴族が一族郎党まで皆殺しにされる可能性だってあるのだ。
その点について俺が疑問を感じていると、俺の隣でタンヌダルクちゃんに式典用の上等なおべべを着せてもらっていたようじょがこちらを見上げて言葉を投げかけてくる。
「ガーターベルトフォンギースラーさまはお手紙の中で、陛下の御許に何れ帰還できるその日まで庇護してくださいと、書いていたのです」
「確かにその一文はあったな。庇護してくれという事が俺と結婚してくれなんて、どこにも書いていなかったというわけだ」
「そうなのです。なので、ガーターベルトフォンギースラーさまはどれぇと結婚したいわけではないのです」
「まあ、そうだったのですか。だそうですよタンヌダルクちゃん?」
勇名を馳せているアレクサンドロシアちゃんの武威を頼みにはしていても、別にその旦那の俺と結婚したいわけじゃないのである。
改めてようじょにその事を指摘されて、大正義カサンドラはひとまず納得の表情をしてくれた。
けれど野牛奥さんの方は不満があるらしく、俺とカサンドラの顔を交互に見合わせながら何か言いたげな表情だ。
「それじゃあ、旦那さまの魅力が蛮族の王都まで広く行き渡ったわけじゃないんですねえ……」
「当たり前だよ。王様がきっと幽閉されているか何かされていて、このままじゃ王家が大変な事になるから俺たちに頼って来たんだ。他の奥さんたちがどう勘違いしているのか知らないが、俺は誰彼構わず結婚しちゃう人間じゃないんだからなっ」
それこそ順番の問題もある。
ガーターベルトフォンギースラーさまと実際に会見して、王妃さまが俺たちに何を求めているのかを知る以前から、色々と詮索したり図り事をすべきじゃないだろう。
「けれども、どれぇの危惧はもっともなのです。正妃さまをサルワタ領邦に受け入れたという事は、世間にどれぇと正妃さまが結婚する、したと誤解を与える可能性があるのです。何しろどれぇは、奥さんが一杯いるハーレム大家族の家長なのです」
「…………」
「すると正妃さまは、密かにサルワタ領邦入りをしたかったんじゃないでしょうか? シューターさんにはコッソリと使いをやって接触してきたのですよね?」
カサンドラが不思議そうな顔をしながら俺のベルトを締めてくれる。
ちょっとキツめに締めるのは、たまたま考え事をしていたからだと信じたい。そうに違いない。
「ああそうだよ。接触してきたのは白色エルフだったから、きっと正妃さまとは同族の護衛か何かだろうな。ニシカさんが見たという正妃さまも白エルフの同胞だったって話だし」
「やはり正妃さまは内密にシューターさんに庇護をしていただきたいわけですね。それなのに、この様な歓迎使節を送り出して大々的にやってしまっては、周辺に正妃さまをお迎え入れする事を宣言してしまう事になってしまいませんでしょうか……?」
またカサンドラが疑問に思うとおりである。
領主奥さんの性格を考えれば、これを機会に政治的に上手く立ち回ろうと考えてわざと大袈裟に振舞っている可能性はある。
けれどアレクサンドロシアちゃんはこの手の政治駆け引きについては、得意にしている事と不得手にしている事が明確に真っ二つになっている奥さんだ。
外交交渉においても裏取引の類や暗躍をするタイプの工作は、完全に苦手にしている。
その点についてはようじょも大いに同意するところがあったらしく、
「ドロシア義姉さまの性格が裏目に出なければよいのですが……」
「そうですね。ただ腑に落ちないのは、これをする様にニシカさんに指示した雁木マリですよ。何か含むところがあってあたしにまかせてちょうだい、みたいなアイコンタクトを黄色い奥さんに送ったと言うから意味不明だ……」
奥さんたちの妙な団結に、俺は背筋が寒くなる気分だった。
チェスの指し手をひとつ間違えれば、せっかくこちらがブルカ伯を戦争奴隷にしていたり、正妃さまの身柄を保護していたのに、何もかもすべてが台無しになる可能性だってあるからな。
「よしっ。ッヨイちゃんはどこにお嫁さんに出しても恥ずかしくない立派なレディーになりましたよう」
「ありがとうなのです、ダルク義姉さま!」
「旦那さまも、蛮族を代表する立派な全裸卿である事を示すお召し物ですよう」
「いや服は着てるから全裸の代表選手にはなれないかな?」
とにかく、まずは他の奥さんたちが妙な暴走に走って、外交的な致命傷に陥らない様に心がけなくちゃいけない。
大正義カサンドラはハーレム大家族における最大の抑止力だからな。
正妻奥さんとしっかりと顔を合わせて意思疎通を図ったうえで、おめかしをしたッヨイさまやタンヌダルクちゃんたちと大広間たるコンコースへと向かう事にした。
昨夜に続いて今夜もそこで、正妃さまを迎え入れるための夜会が開かれる事になるからね。
◆
夜明け一番で歓迎使節を送り出すために行動を開始した一部の奥さんたちは、あわただしく供回りの兵士たちを連れて出発していた。
マリアツンデレジアが野牛の騎兵隊を連れてスルーヌに、ベローチュは傭兵団を連れてクワズへ、そしてエルパコが修道会の騎士隊を連れてサルワタへと先触れに向かっている。
この王国における家格だけで言えば、マリアちゃんの生家であるアウグスブルゴ宮廷伯家は王族を迎え入れるのに恥ずかしくない爵位だろう。
そこに野牛の騎兵隊たちが加わったのは、軍事力の上でサルワタ貴族が頼りになる事を示すのに都合が良かったからだ。
「タンクロードさんがちょうどグラードに兵隊を連れて帰還したタイミングだったので、手配をする手間が省けてよかったのです!」
「王国本土の人間からすればミノタウロスの兵隊は異形の集団に見えるやもしれぬが、とは言え畏怖の軍勢が味方にいるというのは心強くもある」
「そうね! 実際、盟主連合軍の兵士たちは野牛の騎兵隊はいつでも頼りにしていたものね!」
騎兵隊はマリアちゃんの副官として、タンクロードさんが直接率いているから安心だ。
俺たち人間を蛮族と呼ぶミノタウロス至上主義者の義兄ではあるが、あれで主従関係にはうるさい性格なので、おかしな行動に出る事は無い。
ッヨイさまやアレクサンドロシアちゃん、それにラメエお嬢さまもその点を理解しているから、城館の物見やぐらより見える眼下の市街を眺めながら、安心して雑談していられるのだ。
「クワズに関しては、ダリエルおじいさんがいるので安心なのです!」
「うむ。義父上は礼儀作法について厳しく家中の教育をなさっている方だから、その点も問題無いだろう。それにベローチュも家格こそ低いがあれも貴族の生まれだ、見落としがあれば補佐もするだろう」
「そうね! クワズはわたしの生れたオホオの村といい勝負の片田舎だけど、そもそも人口が少ないから粗相をする人間もあまりいないから心配ないわね!」
男装の麗人はモエキーおねえさんとサルワタ傭兵団を連れてクワズに向かったが、もしも心配事があるとするならば傭兵団のみなさんの方がやばいかも知れない。
気のいい連中である事は間違いないが、声が大きいのと人相が悪いので都会の人間からすればミノタウロスよりも凶悪な人種と間違われてしまうかもしれないからな。
上手いこと、モエキーおねえさんのオットリ加減で中和される事を期待したいものだ。
「サルワタは、ジンターネンさんが心配なのです……」
「あのばあさんは、誰かれ構わず意見をする女だからな。その点心配だが、まあさすがに王族に向かって不敬な態度を取る事もなかろう。そんな事をすればエルパコが間違いなく物理的に止めに入る」
「そうね! エルパコお義姉ちゃんを怒らせれば、恐ろしい折檻が待っている事はこの土地の人間なら誰でも知っているわ!」
ははは。けもみみがジンターネンさんを折檻する様な事態になれば、間違いなく手遅れだからねっ。
義息子のギムルやその嫁タンシエルがみんな最前線のイジリー村に在陣しているから、現在村を預かっているのはジンターネンさんだ。
その様な事態ならないためにも、心の底からおばさんには大人しくしてもらいたいものだ。
エルパコを補佐するためにマイサンドラが一緒に向かっているはずだが、あのふたりは相性が悪そうなので何だか今から心配な気分になって、ソワソワしはじめた。
「む、広場の交通整理が終わった様であるの。女魔法使いがあちらから、手を振っているのが見える」
「本当だ。あいつ魔法使いの癖に、何で騎士の正装みたいな格好をしているんだ?」
「どれぇ、それは簡単な理由があるのです」
「?」
「どれぇのどれぇが、どれぇのどれぇ親衛隊の正装に定めたからなのです。だから、どれぇのどれぇ親衛隊は、儀式がある時はあの格好をしているのです!」
すると男装の麗人が連れて行ったモエキーおねえさんや、サルワタに派遣されているマイサンドラも、同じ騎士の正装みたいな格好をしているのだろうか。
いかにも傍若無人を絵に描いた様なマイサンドラが、いやいやながら騎士の正装を着させられている。その事を想像するとなかなか笑えるではないか。ふふっと思わず口元を綻ばせた。
「何を気色の悪い笑い顔を浮かべているのだお兄ちゃんは。そういう妄想の実現は、ふたりきりの時にしてもらいたいものだぞ」
「そうね! 旦那さまは時々思い出し笑いをするけれど、きっとエッチな想像を働かせているに違いないわねっ」
しないよそんな事!
マイサンドラがギャップ萌えなら、ふくよかなバディを持ったモエキーおねえさんが騎士の正装をすると、もしかしたらコスプレみたいな印象になりはしないだろうか。
それはそれで悪くはない。肢体の曲線美、たまらんねえ。いいね!
俺がそんな馬鹿みたいな妄想を追加でした事がモロにバレていたらしい。
ゴミを見る様な蔑みの視線をアレクサンドロシアちゃんに向けられて、俺も息子も委縮した。
「そんな事よりどれぇ、サルワタの物見の塔から狼煙が上がったのです! ガーターベルトフォンギースラーさまがサルワタの開拓村に到着したという知らせだょ」
おお、こうしてはいられない。
俺はあわてて了解しましたとようじょに返事を返しながら、アレクサンドロシアちゃんと頷き合って城門に向かう手はずを整える。
「じゃあ領主奥さん、俺はラメエちゃんとふたりで城門前にお迎えに上がる事にする」
「くれぐれも粗相がない様に頼むぞお兄ちゃん。ラメエもお兄ちゃんの妻たる者として、しっかりとガーターベルトフォンギースラー正妃をお迎えするのだ。わらわが会うのを心待ちにしていたと、伝えておいてくれ」
「了解した」
「わかったわ!」
あわただしく城館の物見やぐらを降りた俺たちである。
途中、本館前でソワソワしているカサンドラをなだめているタンヌダルクちゃんを見かけた。
何でも正妻としてこの城の差配を預かっているカサンドラは、今夜の晩餐会も責任者として立ち振る舞わなければならないらしい。
「ダルクちゃん。王族の方をお迎え入れるのにこんな格好でよいのでしょうか」
「義姉さんは蛮族一の貴婦人なのだから、堂々としていればよいのですよう。うふふっ」
「あら、胸元のリボンが曲がっていますよ」
近頃は押しも押されぬ大正義にして正妻だったカサンドラが、むかしの様に落ち着きが無くモジモジしているのも珍しいものだ。
チラリと視線を送ったところ、ふたりが深々と貴人に対する礼を俺に向けてくれた。
「到着の知らせがあった。カサンドラ行ってくる。タンヌダルクちゃん付いてきてくれ」
「はい、旦那さま」
「わかりましたよう。お前たち、旦那さまとわたしたちに馬をお持ちなさい!」
「へい、野牛奥さまっ」
こうして軍馬に跨った俺は、タンヌダルクちゃんとラメエお嬢さまを従えて城館前の広場に飛び出す。
きれいに掃き清められて、街の住人たちが集まったその広場を通過すると、警備に立っているクレメンスや女魔法使いたちが見えた。
そしてどうやら、人間の脚をしたソープ嬢も広場の警備責任者として参加しているらしい。
「お前たちはこのロープより半歩下がって大人しくしているように。何でも王族の人間をジロジロ見るのは不敬に当たるそうだから気を付けるのだぞ。どうしても見ていないと落ち着かない時は、夫であるシューターさまをよく見ておくのだ。彼ならば普段から全裸だし、見られるのも平気だろう」
「何だ。この城に住んでるご夫人さま方は、みんな全裸でプライベートを過ごしているんですかい?」
「全裸を貴ぶ部族の妻として当然の事だな」
自慢げに言う事じゃないからね?!
広場を通過してサルワタ通りに入ると、見物客たちも通りに面した店前に集まっている。
方々に立った兵士たちが頭が高いやら私語を慎めやら飛ばしている声が聞こえて、俺まで妙に緊張感を募らせ始めたのである。
市壁の城門前にやってくると、やぐらの上に煌びやかな甲冑を身に着けたニシカさんがいた。
それにグラード駐留の騎士隊を預かるイサ卿の姿もある。
「おう相棒、白い同胞のご一行は森の中をこちらに向かっている最中だぜ! もう間もなくの到着だ」
ニシカさんは遠い親戚でもやって来るような軽いノリでそんな事を言うが、相手は国王の正妃さまだからね?
ヒラリとやぐらの上から雪上の路面に着地してみせた黄色い将軍である。
その瞬間に甲冑の上からでもよくわかる爆乳を激しく揺さぶってみせた彼女は、居住まいを正しながら俺と居並び、城門の外へ出た。
「ガータベールトフォンギースラーさま、まもなく到着だぜ! お前ら地面に平伏し、高貴な身の上に対する礼儀作法でもってお迎えをするようにっ」
大きな声を張り上げたニシカさんの言葉を合図に、市壁の城門を守備する兵士たちがその場に平伏した。
俺もたまらず両手を地面に付けそうになるが、そこは思いとどまる。
城門の外、遠方に小さく豆粒の様な馬列が見えた。
片方は派手な紅のマントを着込んでいるからマリアツンデレジアで間違いない。
もう一方の純白の外套、きっとあれがオルヴィアンヌ王国のガーターベルトフォンギースラー正妃陛下で間違いないだろう。
それを確認したところで、まず俺が右手を胸に手を沿えて片膝をついた。
ニシカさんやタンヌダルクちゃん、ラメエお嬢さまたちもそれに倣う。
いったいガーターさまはどんな女性だろうね。伏せた姿勢でそんな事を思案しながら、馬蹄が近づいてくるのを俺は静かに待ち続けるのだ。




