閑話 宮廷に吹きすさぶ風は絶えずして 10
長屋の板窓の外を眺めてみれば、眼下にしんしんと降りしきる粉雪が見えた。
粉雪は昼間にもかかわらず振り続けて、やがて敷き詰められた通りの石畳を白一色に変えてしまった様だ。
辺境では見慣れた冬の風景も、ここ王都では珍しい事になるのだとか。
「ナメルさん、お客さんがおいでになったよ」
仮初めの夫婦生活を送っている俺とビビアンヌの元に、訪ねてきたものがあった。
季節は十二月に至って本格的な冬の到来を感じさせる。
訪ねてきたお客とやらの姿は、ちょうど長屋の板窓から見下ろせる路上で事前に確認する事ができた。
修道騎士ハーナディンと、その優男が連れた奴隷の集団である。
「入ってもらえ。それと連中も寒かったろうから、酒の用意を」
「ぶどう酒でいいかなあナメルさん」
「それで構わん」
ここはレンガ造りの古びた二階建て長屋だ。
貴族街の外れにある低所得者向けの貸し家ではあるが、主だったこの地域の住人は貴族の屋敷に通いをしている奉公人だ。
住み込みの人間たちとは違い外に部屋を借りる事を許されているだけあって、ボロ長屋ではあるがそれなりだ。
この部屋も贅沢を言わなければふたり暮らすぶんには十分な空間があった。
「お邪魔します。いやあこっちもとうとう降りはじめましたね、辺境が懐かしい気分になりますよ」
「貴様は王国本土の出身だと聞いたが、辺境の暮らしが長いのか」
「成人して直ぐに騎士修道会で修道生活をはじめましたから、まあどちらが長いと言えば辺境でしょうか。あ、これビビアンヌ夫人。カラメルネーゼ卿から林檎の差し入れです」
「まあありがとうございます。おほほ」
立ち話も何だから、みなさんゆっくりしてくださいな。ほほほ。
ビビアンヌが玄関口から修道騎士ハーナディンと奴隷どもを招き入れる。
俺は寝台を椅子代わりにして腰を落ち着けると、対面の丸イスにハーナディンが座り、奴隷どもは彼の背後に立ってお辞儀をした。
かいがいしくビビアンヌが、盆の上に温めた酒を持って戻ってくる。
「それで、この奴隷どもを俺はどうすればいいんだ」
優男が連れてきた奴隷の家族とやらを見やった。
何でも、庭師をやっているらしい疲れた顔をした棟梁の母親とその娘。青年はその母親の義理の息子だとか。中年の男と若い男。
寒い冬場にもかかわらず血色のいい奴隷どもだ。カラメルネーエ夫人に買われてそれなりの扱いを受けていたことが伺える。
「ここに奴隷譲渡のための書類一式と、彼女たちの身分証明書類があります。ナメルシュタイナーさんはこれから、彼女を使って人材派遣の商売をやってください」
「俺に商売をやらせるのか?」
懐を探り、羊皮紙の書類と金属片の商業手形らしきものを差し出してくるハーナディン。
受け取って確認すれば、商業手形はカラメルネーゼ奴隷商会の商売株だった。
「カラメルネーゼ卿のご命令で彼女の一家を庭師として、宮廷貴族の屋敷に潜り込ませる事をやっていただきたいんですよ」
「簡単に言ってくれるじゃないか。庭師を潜り込ませろと言っても、情報収集のためだ。どこでもいいというわけではないのだろう」
「まあそうなりますね。アウグスブルゴ伯邸か、陛下に近い立場にある宮廷貴族でなければ意味がありません。少なくともナメルさんは、アウグスブルゴ伯邸の使用人とはすでに繋がりをお造りになっていると、アンナル卿には聞いているのですが」
「そのアンナルビーズ卿はどこにいるのだ?」
そう言えば窓から眼下を眺めている時は路上に彼女の姿があったはずだがと、そんな質問をしたところ。
「どこだろう。トイレですかね?」
「長屋の共同便所なら、階下の奥だ」
「失礼だな。トイレなんか行くわけがないじゃないか。長屋の空き部屋の様子を見てきたんだよ」
すると、失礼するよと断りを入れながら部屋に入ってくる小柄な女だ。
ビビアンヌから暖かい酒杯を受け取りながら、俺の隣までやって来て寝台に座った。
「書類の類は人材派遣に必要なものが揃っているから、きみにはその周旋をやってもらうわけさ。形式上は義姉上の商会に雇われたという体裁で。季節が季節だから潜り込ませる事は簡単だ」
「ふむ、季節?」
「そう冬場になれば、討ち枯れた庭園の枝葉を切り落とすのに庭師が入ってもおかしくない。本領の屋敷なら住み込みの庭師もいるだろうけど、王都の屋敷は別荘だからね。さすがに家中に庭師を住まわせているお貴族さまは少ないんだ」
「そこまでの事を考えて、カラメルネーゼ夫人はこの庭師を用意していたのか」
「そうなんじゃないかなあ。義姉上はたいへん思慮深い方の様だから。嫉妬深くもあるけれど。あはは」
ピモシー卿の屋敷には、確かにヘンリールーという料理番をしているコボルトの親爺の伝手がある。
頼んで俺が庭師を潜り込ませる事は難しくないかもしれない。
問題は他にどの屋敷に潜り込ませるかだ。
「僕もあまり詳しくなかったんですがね。王都では、これと決まった出入り先が派遣の庭師にはないそうです。庭師は四季毎に貴族屋敷を訪れて、庭仕事はないかと訪いを入れて稼ぐ習慣があるそうでね」
「つまり他所より早くに屋敷に訪問をして営業を取れば、庭仕事を請け負う事ができると義姉上は言っていたよ」
王都にてお抱えの庭師になる事が庭師の業界では最大の誉れであるが、庭師を抱えている屋敷でもない限りは公平に庭師にもチャンスがある。
そこに付け込む事がチャンスというわけだ。
「使用人の雇い入れには、それなりに身元を気にするものだけど。さすがに庭師は余り気にされないのが実情だ。使用人と違って屋敷内には入り込むことがめったにないからね。だけどこのアンナたちが知りたいのは陛下にごく近い人間の関係者がどの様な交友を持っているかだ」
何としても隠し事をしている宰相ピモシーの尻尾を掴まなければならない。
カラメルネーゼ夫人がこの王都に滞在できる期間はあまり長くはないらしく、その下地を作り上げれば早々にもサルワタへと帰還するらしい。
目的は現状の王都中央の有様を全裸卿に報告する事だ。
年明け早々にもサルワタの売女騎士や全裸卿を王都に乗り込ませるための、万全の受け入れ態勢を用意するといったところだろうか。
「あんたが棟梁だな」
「はい、死んだ夫の後を継いで今はわたしが」
「腕の程度はどのぐらいなんだ」
「ウルモス子爵家さまのお屋敷で、家族揃って庭師をしておりました」
「聞いた家柄だな。ハーナディン卿は、何か知っているか」
ツジンであったかマリリンマーキュリーだったか、ブルカ伯の関係者から聞いた事がある名前だ。
その点を優男に問うたところ、意外にもしっかり情報を持っているらしい。
「ブルカ伯の身内が養子に入り家督を継承した家柄です。現当主のアップルスター卿はブルカ伯のご令嬢、テールオン妃の身代わり役をやっていたそうですよ」
それで聞いた事がある名前だったか……
やっていたという事は、
「ゴルゴライ街道口の会戦でこちらの攻勢によって、ご家中一党は敗戦しました。現在、アップルスターさんは我々の戦争奴隷です」
「主従揃って奴隷身分とは救いが無いな。全裸卿に召し出されたのかその女は、」
「いえまだそういう話には今のところ……」
女好きの全裸卿の事であるから、何れ嫁にとその女にもなるのかも知れない。
いやそうではなく、アップルスター卿がテールオン妃の身代わり役、つまり替え玉をやっていたという事実の方が重要だ。
「それだけ身元が確かな庭師の一家なら、派遣する先の屋敷には困らないんじゃないかなナメルくん」
「わかった。コボルトの親爺に、まずはアウグスブルコ邸で庭師の入用が無いか確認を取る。悪いがビビアンヌ、行って来てくれるか?」
コボルトの親爺はこの長屋の一階に住んでいる。
差し入れにもらった林檎をお裾分けする様にビビアンヌに命じながら、ついでに長屋の空き部屋が無いかも聞いてくるように追加した。
「はい、わかったよナメルさん。ついでに庭師のご一家が住める部屋を探して来ればいいんだね?」
「庭師の奴隷を買い取った俺がそれで商売をはじめたいと言えば、相談に乗ってくれるだろう」
「あいわかったよ」
何かと料理の相談に乗ってもらっているビビアンヌは、あの犬獣人のヘンリールーとは親しくしている。
時期が時期なら仕事の世話もやぶさかではないと言っていたぐらいだ、どこかを当たってくれる可能性がある。
それにビビアンヌは元が安酒場で酌婦をしていた女だ。
情報をそれとなしに引き出すのは、やってできない事は無い。
そして派遣の庭師業の体裁を取り繕っている間に、実際に入り込むべき屋敷を選定せねばならない。
◆
「先日は林檎をありがとよ。使用人どもで食べさせてもらったが、甘くて美味かった」
「そうかならよかった」
「残った林檎は酒に漬けこんでいるから、そのうちにでもお裾分けで樽ひとつお返しできると思う」
「ほう、楽しみにしておこう」
アウグスブルゴ邸の裏口での事。
石畳に積もった雪に足を取られそうになる庭師の一家を見送りながら、俺とコボルトの親爺はそんなやり取りをしていた。
「しかし旦那は仕官の口を探していたと思ったが、どういう風の吹き回しだね?」
「ビビアンヌをあまり心配させるわけにも行かんのでな。いつまでも仕官先の無い貴族の亭主では、苦労を掛ける事になる」
「違いねぇ」
だから、貯蓄があるうちに知り合いから奴隷を買い取ったのだ。
という方便を、コボルトの親爺はそっくりそのまま聞き入れてくれた。
俺は特段に顔を出したわけではなく、親爺とピモシー卿との間で話を付けて、庭師の棟梁をしている母親を引き合わせただけだ。
ピモシー卿は俺の顔を見知っているので、表に出るのは不味い。
「ああして屋敷に働きに出しておけば、勝手に稼ぎをもぎ取って来るからな。手に職ある奴隷というのは助かるというわけだ」
「うちのお館さまはあまり庭の手入れにご関心がある方じゃねぇからな、秋も誰も訪ねてこなかったので、中庭も落ち葉がボロボロと溜まって、枝もぼうぼうだ」
しばらくは王都中央の政治劇にかまけていた事もあって、庭で饗宴を楽しむ様な事はピモシー卿も無かったらしい。
いったい何をあの宰相が隠しているのか知るためにも、庭師が屋敷を出入りしているという環境はこちらとしても大助かりだ。
「俺としても、宰相さまのお屋敷の庭を手入れできたとなれば、他でも仕事がいくらか取れるかも知れないのでありがたい」
「わかった。他に庭師が派遣されていない屋敷の話があれば、俺の方でも料理仲間に聞いておく事にする」
「そうしてくれるとより助かる。この商売で成功したら、コボルトの親爺を好待遇で料理人として雇い入れなくちゃいかんな」
「期待せずに待っているぜ。うちのお館さまは余り客人を屋敷に招き入れねぇんで、料理の腕を振るう事があんまねぇんだわ」
全裸卿が王都へ上洛するとなれば、サルワタ貴族が屋敷のひとつでも構える事になるだろう。
その時はこのコボルトの親爺を推薦してやる事にするか。
そんなやり取りをしたところで後の事は庭師の家族に託して、俺はマキアート奴隷商会に向かう。
すでに商館には近衛騎士の代表者や将軍らが集まって、何事かの謀議を交わしているところだった。
それが謀議と知れたのは、いかにも悪い顔をした知恵者のアンナルビーズ卿が議論の主導を握っていたからだ。
「すでに近衛騎士の諸卿やワッキンガーくんの努力によって、ブルカ伯がサルワタ貴族の戦争奴隷になっている事実は広がりつつあるよ。例えブルカ伯がこの春に宮廷工作を行っていたとしても、将来の外戚どのが戦争奴隷になっていると知れば、テールオン妃派の求心力は失われるはずさ」
それに、と言葉を区切った小柄な女が弁舌を続ける。
「聞けばウルモス子爵のアップルスターさんというひとは、テールオン妃の身代わり役をやっていたほど近しい存在なんだってね。その伝手を頼って仕官をしたという体裁で、親衛隊の中にこちらから人間を送り込むのはどうだろうか」
「なるほど、その手がありましたか……。誰かウルモス子爵の推薦と称して親衛隊にひとを送り込んで、陛下の内情を探らせる。と……」
「将軍のワッキンガーくんや近衛騎士のお身内ではちょっと親衛隊に入り込むのは苦しいけれど、ここにひとり身元が割れていないお貴族さまがいるからね」
ん? 全員の注目が俺に集まるのを感じる。
ま、待ってくれ。俺に宮中警護役を担っている親衛隊員として、王城内部に侵入して来いと言うのか?!
「あらまナメルさん。いつからお戻りになられていましたの? ところであなた、武芸の方もなかなか嗜んでおりましたわよね。双剣のデブなんて主人が言う程度には」
「デブではない、俺は誇り高き熊獣人だ!」
「今はそんな事などはどうでもよろしくってよ。わたくしは主人を迎え入れるためにサルワタへ戻る事になります。それまでの情報収集はぜひともナメルさんにお任せしようと思っておりましたの」
「…………」
どうやらこの俺を親衛隊員として送り出すスパイにしようとしているのか。
正体がバレれば確実に処刑される事は間違いない。
「けれど成功した暁には、きみは勲功の臣となるのさ。ビビアンヌ夫人に少しでも楽をさせてあげたいだろう? どこかの土地を拝領した暁には有力諸侯のご夫人だ。おめでとう」
「おーっほっほっほ! 気の早い妄想ですこと。まあそれはそれとして、いかがです、双剣のお熊さん?」
そう畳みかけてくるアンナルビーズ卿とカラメルネーゼ夫人に、俺ができる選択肢はあまりなかった。
ビビアンヌを引き合いに出してくるのは卑怯だぞ!
「わ、わかった。その親衛隊への仕官、やるだけはやってみる」




