368 カールブリタニアの洗礼が行われます
その日、ゴルゴライの旧市街にある教会堂は多くの参列者で賑わっていた。
盟主連合軍の主だった諸侯のみなさんたちは礼拝施設の左列のベンチを占拠している。オッペンハーゲン男爵家のドラコフ卿を筆頭に、ベストレ卿のベストレ家中、男色男爵のセレスタ家中。軽輩諸侯のみなさんもデルテ騎士爵夫妻の様に、家臣の少ない領主家はご家族揃って参加している姿もある。
反対に礼拝施設の右列ベンチは、盟主連合軍の総指揮官たる御台マリアツンデレジアを筆頭に、その義息子シェーンや大正義カサンドラ、タンヌダルクちゃんやエルパコらがずらりと席に腰を落ち着けていた。
ベンチの後ろの方には領内の分限者や商人さんたちからも代表者が参加している姿を見れば、本来はちっぽけな村の教会堂に過ぎなかったこの礼拝施設に、どれだけの人間が集まっているのかが知れるというものだぜ。
「何か俺、緊張してきたんですけど……」
「落ち着きなさいよシューター。今日の主役はあくまでもカールブリタニアでしょ、あなたが洗礼儀式を受けるわけじゃないんだから。わかった?」
「わかってる。ブリトニー、俺のベイビー。ちょっとの辛抱だから洗礼が終わるまでいい子にしていましょうね」
「きゃっきゃ」
上等なおべべを身に着けた俺が、この寒い季節にも関わらず冷や汗をかきながらゆり籠の中のあかちゃんを覗き込んだ。
めでたくカールブリタニアと命名される事が決まった女の子は、これから行われる女神様の祝福を施す洗礼儀式とやらが何なのかわかっていないらしく、領主奥さんの手を握って喜んでいる様子だった。
「それにしてもすごい人数が集まったものですね、シューター卿。僕がこれまで参加した洗礼儀式の中でも、たぶん一番賑やかなんじゃないだろうか」
修道会の騎士ハーナディンが控室から礼拝堂の方を覗き込んでそんな事をいうものだから、俺はますます緊張してくる。
これはアレか、子供の授業参観とかにやってきた父親はこんな感覚になるのだろうか?!
産まれたばかりのブリトニーちゃんで、こんな経験ができるとは思わなかったぜ。
「アレクサンドロシア卿の子供に女神様の洗礼が施されるのだから、注目度は抜群というものだわ。お前も騎士修道会の名を汚さない様に、しっかりと儀式の差配を任せるわよ」
「り、了解です聖女さま。ではシューター卿、素晴らしい洗礼の儀式になります様に僕も微力ながらお手伝いさせていただきます」
高貴な身の上に対する礼をしてみせたハーナディンが立ち去った後、俺は居住まいを改めて緊張をほぐす。
緊張という意味ではゆり籠のあかちゃんを相手にしていた領主奥さんも同じであるらしい。
何しろ俺にとってそうである様に、彼女にとってもブリトニーちゃんは第一子である。
「もはやわらわとお兄ちゃんとの間にややこが産まれた事は、隠し様もない事実として衆目に知れたというわけであるな」
「当初の予定ではサルワタで出産のはずだったけどね。今のゴルゴライは賑わっているから、ひとの口に封をする事はできないさ。そのうちに王国本土にも誰かがここでの噂話を届けてくれるよ」
領内一円の有力者や、ゴルゴライに店を置く商人たちの口伝でね。
夫婦そろって控えの間から礼拝堂の様子を見やれば、こちらにカサンドラとタンヌダルクちゃんが手を振っている姿が見えた。
視線を感じたひとびとは、大正義奥さんたちだけでなくても目礼をしたり笑顔を返してくれたりする。
その中にはカレキーおばさんの商会関係者や、遠い土地から行商に訪れている商人たちも含まれているのだから、彼らこそその噂の担い手になるというわけである。
「であるならば、サルワタ貴族の団結を辺境に知らしめるよい機会であるなお兄ちゃん」
「俺たちの夫婦仲が円満で、これから何が起きても子供と家族で障害に立ち向かっていくという姿を見せましょう」
「うむ。頼もしいお兄ちゃんパパのその顔を、カールもしっかりと覚えておけ」
「ンばぁ……」
俺たちのベイビーはアレクサンドロシアちゃんの言葉を理解しているわけも無く。
覗き込んだ俺の顔を見て、笑ったような顔をして何かをつぶやいた。
モノの本によれば産まれて十日程度では、あかちゃんの眼はほとんどモノを識別できていないというから、俺の顔が不細工だといって笑ったわけではないだろう。
そうして誕生から十日というのは、この土地の宗教的慣習のひとつである女神様の洗礼とやらを行う時期である。
本日礼拝堂にこれだけの人間が集まったのは、カールブリタニアの洗礼儀式に参列し、女神様と共にひとびとが祝福をしてくれるからなのだ。
ありがとうございます。ありがとうございます。
俺はひとりの親として、参列した全ての出席者に心の底から感謝した。
ところでこの洗礼の儀式というのが何なのか。
俺も今回参加する事になってはじめて、詳しい内容を雁木マリやハーナディンたち宗教関係者から説明を受ける事になった。
元いた世界でも、類似する洗礼の儀式、あるいは受洗の儀式なんて呼ばれる宗教的な通過儀礼は存在していた。
そこでの洗礼がどういったものなのか俺はあまり理解してなかったけれども、このファンタジー世界では女神様に魂の保護を受ける儀式を、洗礼と呼んでいるらしい。
なるほど、この土地の宗教観によれば、人間の魂は異世界から転生してきて新生児の宿るわけだ。
女神様の理によって動くこの世界で過ごすための、通過儀礼というわけだね。
「さあお二人とも。洗礼儀式の用意が整ったわ、あたしに続いてついてきなさいな」
「うむ。ガンギマリーどのよろしく頼むぞ」
雁木マリに促されて、ゆり籠の中で笑っていたブリトニーを抱きかかえたアレクサンドロシアちゃんが俺に向き直る。
一緒に控室から外に出ると、一斉に俺たちに注目が集まるのが分かった。
「これより、辺境における女神様の騎士修道会が、全裸の守護聖人シューター並びにゴルゴライ準女爵アレクサンドロシア=ジュメェ両名の子供カールブリタニアの洗礼を、女神様の代理人たる枢機卿ガンギマリーの名のもとに執り行う」
ざわついていた礼拝施設はしんと静まり返り、女神像の前に立って振り返った雁木マリの言葉に耳を傾けた。
教会堂の司祭たちのもとに、アレクサンドロシアちゃんがあかちゃんとともに進む。
そうして礼拝施設の前で儀式めいた洗礼の魔法とやらが、雁木マリの手から行われるのである。
やっている事は聖なる癒しの魔法と同じ事なのかも知れないが、事前にハーナディンから説明されている内容によればこうである。
「女神様は異世界より長き旅を経て、この大地に訪れたカールブリタニアの魂を祝福する。洗礼の魔法とはその女神様との触れ合いのはじまりである。やがてカールブリタニアの魂が再び旅立つその時まで、信仰の限りこの洗礼の魔法効力は継続する。女神様は常に彼女の側に寄り添っているのだ」
雁木マリがこの様な旨を、ありがたい女神様の言葉とともに俺と領主奥さん、参列者のみなさんに紡ぎ出した。
身もふたもない言葉で有り体に説明してしまえば、最初に行われる聖なる癒しの魔法には、新生児にこのファンタジー世界における免疫機能を与えてくれるのだ。
またあかちゃんに不足する栄養素の生成を促す事にもつながるとか。この辺りはマリが個別に同郷の俺のために説明してくれた。
こんな事を言えば罰当たりかもしれないが、神々しい儀式というよりも現実に即した意味合いもそこには存在したのだろう。
最後に洗礼の魔法が終了すると、家族を代表してこの場のみなさんに感謝のコメントをする事になったのだが……
これが一番緊張した。
何せ普段、諸侯のみなさんたちと会議する時にはあまり緊張する事もないのだが、こういう立場でとなるとまた別格だ。
「女神様のおわす大地に魂を転生させてはや十日余りが過ぎました。この佳き日にみなさんとともにカールブリタニアの洗礼の儀を執り行う事ができて、俺はとても幸せです。ありがとうございます、ありがとうございます」
俺は紙片のメモ書きを取り出すと、ご参列のみんさんに向き直ってペコペコしながらそう述べた。
いや本当に、ありがとうございます。ありがとうございます。
最後の最後になって、リンドル宮殿からいつの間にか帰還してきたヘイヘイジョングノーさんのご登場である。
「へ、ヘイジョンさんどうしてここに?!」
「実はマリアツンデレジアさまから急ぎの知らせがありましてね、リンドルの大本営から急ぎ船便でやって来たんですよ。アレクサンドロシアさまご出産おめでとうございます!」
「うむ、そなたの絵画の腕には期待しておる。よき記念の絵を残してくれ」
俺とアレクサンドロシアちゃんと参列者のみなさんで、記念撮影ならぬ記念絵画だ。
さすがに下書きが完成するまでみんなを拘束する事は出来ないので、脳裏に念写でもするらしい。
そうして緊張した面持ちでブリトニーを抱いたアレクサンドロシアちゃんとはにかみ合いながらヘイジョンさんの方を向くと、
「ほんの息を十ほど数えて止めている間は、動かないでくださいね! これから僕の脳内にこのイメージを焼き付けますっ」
シューターさんもっと笑顔で! 顔が引きつってますよなんて突っ込みを入れられた。
ハーレム大家族に囲まれて、こうして父親になった実感というものが俺の中で少しずつ大きくなっていく実感がわいてくるではないか。
「はい、みなさんオッケーです! いい表情が僕の脳裏に焼き付きました」
後にこの記念絵画は、サルワタにある湖畔のお城の大広間に飾られる予定だそうだが、あかちゃんがひとり増えるたびにこの絵画が増えていく事を期待したいね!




