344 釣れますか? 2
イジリーの砦に立て籠もる守将はシャグニコルチンという名前だった。
年齢は三十過ぎと俺とさして変わらないという話だから、十歳を過ぎて騎士見習いになってから、ずっと戦場生活をし続けてきたベテランというところだろうか。
お見合い結婚を契機にイジリーに婿養子として入封したという話だから、今が一番脂の乗り切った頃合いである事は間違いない。
「シューターさん、こっちを見ているね」
「見せつけてやればいいよけもみみ奥さん。ほくほくの湯気が上がっている肉に、できるだけ美味そうにかじりつくのがこの場合の正解だ」
「わかったよ。ニシカさんみたいにお下品に食べるね」
「うるせえ、オレ様は高貴な身の上だからそんな事はしねえ!」
そのシャグニコルチン(相変わらず酷い名前だぜ)という男は、ぼうぼうの無精ヒゲを蓄えた顔で忌々し気に俺たち眼下で酒盛りをしている家族を睨みつけていたのだ。
骨付きの肉を器用に二股フォークで持ち上げたけもみみは、隣で憤慨する黄色い花嫁の苦情など気にもせずに、はむはむと口に運ぶではないか。
ニシカさんはと言うと酒が入っているわけでもないのに酒杯に満たされた水をグビグビとやって、プハァとこちらも演技をしてくれる。
「おい、恨めしそうな顔をして馬鹿面の騎士がこっちを見てるじゃねえか。アイツら腹を空かせてひもじい気持ちなんだぜ。アッハッハ!」
ニシカさんは馬鹿笑いをしてみせた。
隣のギムルは微妙な顔をしながらチビチビと酒を呑んでいたのだけれど、俺が追い酒を注ぐと、ニシカさんに釣られる様にこちらもグビグビとやりはじめる。
いいね、忌々しそうなシャグニコルチンの顔がみるみる土色の表情になって、わなわなと震えているのがここからでもわかる。
何事か言葉を発して物見矢倉で見張りについている兵士たちに八つ当たりをした後に、不機嫌そのものの態度で姿を引っ込めたではないか。
たぶんだが、どこからか狙撃される事を警戒してその場を離れたのだろう。
事実、ニシカさんならばここから弓を使って狙い撃ちする事は容易だったかもしれない。
ただし、ニシカさんは相手の油断を誘うために手元には自慢の長弓を配備してはいなかったし、風の魔法だけで攻撃をかけるには立ち上がるか瞬間的に集中するか必要になる。
そのモーションでバレるから必要はなかったのだが、今度は天幕の中で潜んでいた女魔法使いがいるからな。
何れも今はその時ではなくて、相手が痺れを切らして砦から討って出てくることが重要だ。
ここで敵の守将を暗殺してしまっては、亀が甲羅の中に首を引っ込めたみたいに対処不能になってしまう可能性があるので、それは意味がない。
「チッ、まだ挑発が足りねえのかよ」
「首を引っ込めてしまったぞシューターよ」
「若大将、まだまだです。相手にはちゃんと効いてますよ。それが証拠にあの忌々しそうな顔ですから」
不満を口にするニシカさんと、俺を睨みつけてくるギムルさんである。
すると俺の酒のお酌をしてくれるギムルの若奥さんが、旦那を諭すように穏やかな口調でそう述べたのだ。
野牛の一族と言えばどちらかといえば情熱的で前のめりな性格のひとが多いものだと思っていたけれど、タンシエルさんは一風変わっておしとやかな印象だ。
うちのタンヌダルクちゃんはこういう時に、どちらかと言えばあべこべに挑発に乗ってしまって、意地で酒盛りを本気で盛り上げちゃいそうなところがあるからね。
胸が大きいのはミノタウロス女性らしいと言えばそうなのだけれど、冷静な判断を持つ貴族軍人みたいな物腰で、ちょっと頼りになる感じがする。いいね!
「さあ、もう一息盛り上げるためにもお酒が必要です。みなさん、お義父さまにお呑みいただく高級な上等酒が不足していますよ。お義父さまはハチミツ酒とオッペンハーゲン産のぶどう酒、リンドルの蒸留酒でしたらどれをお求めでしょうか」
「サルワタの酒でいいかな……」
「聞きましたか? お義父さまは故郷のお酒をお望みです!」
「ハハッ、ただちにお持ちいたします」
ハチミツ酒は苦いのでパスだ。オッペンハーゲンのぶどう酒は確かに上等で舌にガツンと味わいがあるものだけれど、野戦地で呑んでも味わえるものではない。
リンドルの蒸留酒はアルコール度数がいかにも四〇パーセントを超えてそうな代物なので、酔ったら不味いし悪いがこれもパスだ。
してみると俺が一番今欲しているのは、酔いの回りが遅く馴染み深いぶどう酒で十分だ。
などと思っていると、俺の酒杯に改めて注がれたのは、サルワタの酒は酒でもぶどう酒じゃなかった。
「ブベッ?!」
「ん。どうした相棒、そんな安酒を呑んでるから喉に詰まらせるんだぜ。貸しておくれよ……焼酎だコレ?!」
たまらず眼を剥いて俺に非難の視線を向けて来るニシカさんである。
「や、やい。どうして旦那のお前ぇだけ酒を呑んでるんだ」
「知らないですよ。さっきまで同じものを呑んでたでしょ白湯をっ。俺だって馬鹿じゃないから敵が煽られて砦から奇襲をかけてきた時に酔ってたら困るんですよ」
「ぐぬぬ。オレ様とちがって相棒は酒で失敗した経験なんてないからな、これが信頼の差というやつなのかよちきしょうめ」
俺とニシカさんが身を寄せ合ってヒソヒソやっていたら、面白いものを見る様にけもみみ奥さんが口元に微笑を浮かべていた。
「何だよけもみみ、オレ様を笑う気かよ」
「そうじゃないよニシカさん。今呑むよりも我慢して、勝利の美酒をシューターさんとわかちあったほうが幸せになれると思ったんだよ。だからぼくは細かい事は気にしないんだ。ところでこのお肉は癖が無くておいしいね、今年の猪肉はとてもいい肉だよ」
フォークで食べるのが面倒になったのか、ニシカさんみたいに骨を直接握ってむしゃむしゃと、エルパコは食べ始めていた。
彼女は見た目がショタボーイ(♀)みたいなお上品な顔つきだけれど、元は猟師なので本質的にはこういう事もできるのかもしれない。
でもニシカさんみたいに歯を立ててというわけじゃなくて、口が小さいからかわいらしい。いいね!
そうこうしているうちに、いよいよ本格的に底冷えする夜の風が木々の狭間を駆け抜けるようになった。
魔法の砂時計を確認すれば日付変更まであと一刻と深い夜が差し迫っている。
雪は舞い散り寒さも厳しく、今夜はこれ以上の酒宴をすると風邪を引く人間が出るのではないかというはなしになったので、酒宴はお開きだ。
「ぐぬぬ、敵はまったく挑発に乗ってこなかったな……」
「ギムルくん、相手もエリート騎士出身の領主だからここは焦りは禁物だ。十分にこちらには食料に余裕があり士気も盛んだという事を見せつける事ができた。後はこれを何度となく繰り返せば、頭で危険だと理解しても怒りが前に押し出されて攻めに出てくる」
その時が勝負だから、油断せずに明日を待とうとエクセル卿はギムルを諭すのであった。
明日は人間を変えて酒宴を開くことになっているので、ニシカさんが天幕で待機して、カラメルネーゼさんと女魔法使いがそれを担当する。
「しかしツジンが立て籠もる側でなくて本当によかったな」
「そうだねシューターさん」
「あの男は酒も呑まない女遊びもいい顔をしないというやっかいなヤツだそうですから、こういう酒宴の罠だって意味がなかったかもしれませんからね、ご主人さま」
「しかも三国志とか戦記物とかは元いた世界で精読していた可能性があるから、歴史上の故事に照らし合わせて罠だとすぐに看破していた可能性すらあるぜ」
極度の寒さから身震いをしながら、けもみみと男装の麗人に温めてもらうために俺は抱きしめた。
女魔法使いさんはすでに隣で大いびきをかいているし、ソープ嬢は冷たくなって休眠している。暖かいベローチュに少しでも体を温めてもらわないと凍え死んでしまうっ。
「ご、ご主人さま。他の奥さま方から苦情が来てしまうので、あまり引っ付かれると……」
「シューターさんの頬っぺたはとても冷たいね。ひゃんっ……」
ゲスの極みな心づもりがあったわけではないが、ついつい寒くてお肌を合わせてしまったところ、けもみみの口から愛らしい声が漏れた。
すると天幕の奥からギムルの不機嫌な声が聞こえてくる。
「黙れ。例え義父上義母上と言えど、俺の寝所たる天幕で破廉恥な真似は許さん。義母うぇい、アレクサンドロシアさまに報告されたいらしいな……」
「「「…………」」」
すいません。
アレクサンドロシアちゃんに報告とかそういう脅しはマジで勘弁してください!




