閑話 奥さまは貴族 中編
「ほとんど体の状態は戻ったと思います。マイ・ヌード」
数日の寝台生活を費やしたところで、主治医を務めているケイシータチバックによって俺は完治を言い渡された。
もしもこれが元いた世界なら、間違いなく全治数週間だったに違いない。
その事を付き添いをしていたカラメルネーゼさんも手放しに喜んでくれた。
「おーっほっほ、それは重畳でございますわよ。シューター卿おめでとうございますわ!」
「そうか、そりゃよかった。ありがとうございます、ありがとうございます」
俺は寝台で頭を下げて感謝した。
すると寝台の脇に座っていたケイシーさんは、ほんのり頬を朱色に染めているではないか。
「こ、これはわが主のために当然の事をしたまでで……」
「そうか、その気遣いはありがとうな。これで俺も外に出て運動ぐらいはしてもいいって事だな?
「イエス・マイ・ヌード!」
俺がついケイシーさんの手を取って感謝の言葉を改めて述べたところで、上気した巨人のメイドは大喜びで立ち上がって貴人に対する礼をした。
そのまま冥途に逝ってしまうのかという風に、クラクラと立ち上がった直後に立ちくらみをしたので、俺もあわてる。
「大丈夫です、問題ありません……」
幽鬼の様にフラフラしながら俺の天幕を出ていった後、ふと振り返るととても嫌そうな顔をした蛸足麗人が俺をブスリと睨み付けていた。
「し、シューター卿。妻として申し上げたき議がございますわっ」
「何ですかねカラメルネーゼさん。あとあなたは妻ではない」
「そんな事はどうでもよろしいですことよ!」
激昂したカラメルネーゼさんは、バアンと布団を叩いて前のめりに俺に顔を近づける。
どうでもよくないので講義をしようと思ったけれど、恐ろしい顔をしているのでいったんは押し黙ってしまった。
「よろしいですか! 婿殿は常日頃から、女性をその気にさせる様な思わせぶりな態度が多すぎのですわ」
「そうかな?」
「先ほどだってそうですわ。何ですかあれは! 給仕ごときの手を取って感謝の言葉、あれでは貴族たる者の取るべき態度ではございませんわよ?」
ぶすぶすと不満を口にする蛸足麗人は、うにゃりと触手を動かしながら寝台の横に腰かけてきたのである。
「貴族たる者の取るべき態度……?」
俺は元々バイト戦士だったフリーターだから、もちろん貴族がどうあるべきかなんて知らないし、その点は耳を傾ける価値があるかもしれない。
バイト戦士って言えば庶民だしな。庶民の中でも下流の部類に入るんじゃないだろうかと俺は思った。
そのついでに、蛸足麗人が「給仕ごとき」という言葉を使った事に、何となく心のざわつくような感覚があったのも事実だ。
何だか貴族と庶民の間に深い溝がある様で、しかも侮蔑のニュアンスが含まれているのではないかと、あまりいい気分がしなかったからである。
けれどもそうではなかったらしい。
カラメルネーゼさんは俺の体に触手を回して優しくタッチすると、そのまま言葉を続けた。
「よろしいですか婿殿。サルワタの守護聖人シューター卿と言えば、今は辺境で押しも押されぬ大貴族さまですわよ?」
「え、スルーヌ一円の軽輩領主じゃないんですかね」
「それでもその妻であるドロシアさんは、サルワタ広域の領邦を形成しつつある大領主ですわ。夫婦とは一心同体、妻が大領主であるのならば、夫も当然同格の存在と見られるのが当然です事よ」
確かにカサンドラの例を取ってみても、俺の代理人として今も戦場で作戦指揮にあたっているわけだし、タンヌダルクちゃんも開拓村を留守中にしていた頃は、警備責任者として俺に代わって村を守っていたものだ。
するとアレクサンドロシアちゃんの代理人として、俺はここにいるというわけか。
「そんな大領主のシューター卿が、ひとりの給仕の女の手を取った意味をお考えください」
「…………」
「閣下は確かに多くの奥さまたちを持つスルーヌ騎士爵家の家長ではございますけれども、そんな方が色目を使ってしまわれては、相手も自分も奥さんになれるのではないかと、そう思ってしまわれるのですわよ! 現に、」
現にと口を荒げて見せたカラメルネーゼさんは、そこで言葉を区切って頬を染め上げ、言葉を詰まらせたのである。
「現に?」
「げ、現に。婿殿はわたくしを重宝して下さりましたわよね?」
そりゃそうだ。
アレクサンドロシアちゃんの親友とも言うべき、貴族軍人時代からの古い仲間だ。セレスタの男色男爵とあわせては戦場でも頼れる存在だからな。
同時に奴隷商人としての経験から、交渉事はとても優秀だ。確かに要所要所で重要な役割をお願いした事は事実だった。
「けれども婿殿、あれがいけません。閣下は今もこうして、わたしの太ももにその、手を置いていられるじゃないですか……」
「あっ」
そうして俺は気が付いた。
いつの間にか俺には女性に囲まれて生活するのが当たり前になっていて、この辺りが気安い態度になっていたのかもしれない。
何と言うか、元いた世界では女性とほとんど縁がなかったわけだからな。
むかし大学生をやっていた頃、ほとんど通っていなかったゼミにも女性は数名いたけれど、それ以外は沖縄古老の空手道場で居候していた時からの縁がある孫娘ぐらいのものだった。
「貴族がそういう事をすると言うのは、誘っているというサインですわよ……?」
いち度はあわててどかしたその手を、ぐるりと触手が引き止める。そうして気が付けば俺の体はがんじがらめに蛸足で拘束されていた。
「わたくしもう年齢的に後がありませんので。ここでひきさがるわけにはいかないのですわ!」
「ちょ、待って!」
興奮気味のカラメルネーゼさんがそう言うと、俺はそのまま押し倒されてしまった。
気が付けば俺は唇を奪われて、ねっとりとその中に舌を侵入されてしま……
「ちゅう、ちゅるん。ちゅぱ……はあン、こうしたかったのですわ!」
「待ってください、何事も順番が大事とカサンドラがいつも……」
「許可は下りましたわよ! ちゃんとカサンドラ夫人には許可を、さあ、さあ!!」
駄目だ、女性にこんな事を言うのは間違っているが、六本蛸足のぶんだけ普通の女性よりも体重の重いカラメルネーゼさんに押し倒されてしまうと身動きが取れない。
それに彼女は貴族軍人として軍事訓練設けているから、こういう時に無駄に相手の体を拘束する方法を心得ているぜ。
暴れると暴れるだけ俺が変なロックをかけられてしまうのだ。
「……」
「…………」
「…………で」
俺たちは互いに沈黙をしていたけれど、とうとうその緊張に耐えられなくなったのか蛸足麗人がおかしなことを口にした。
唇にはネットリした俺から奪った唾液がまとわりついていたけれど、そんな事も気にせず、いや恥ずかしさで顔を真っ赤にさせながら言葉を続ける。
「わ、わたくしお恥ずかしながら未経験なので、この先をどうしていいのかわかりませんですわ……」
「本当にカサンドラに許可をもらったんですか?」
「もちろんですわ。それが証拠にわたくしは婿殿のお世話をする抽選会に参加したのですもの」
真っ赤にした顔のままで俺に被さったカラメルネーゼさんが自信満々にそう言った。
俺の知らないところで行われている家族会議というのは、奥さんたちだけが参加できる最高評議会だ。
奴隷である男装の麗人も参加している事は知っているが、女魔法使いは参加していない。
モエキーおねえさんも参加している事は知っているが、クレメンスは確か参加してなかったはずだ。
ようじょも俺の養女という事になっているが、これも参加していない。
ニシカさんは、確かむかしから参加していたらしいが、奥さんになったのは最近だしな……
「じゃあ、カラメルネーゼさんは俺の奥さんになるんですかねえ……」
「そうですわ。ドロシアさんだけに、好きな様にさせているわけにはいきませんもの……」
「わ、わかった。はじめてなら優しくするから。だから俺の事も優しくしてっ」
俺がそうやって必死に言うと、カラメルネーゼさんはその垂れ目をニッコリさせてこう言った。
「わ、わたくしを抱いてくれてもよろしいですわよ!」




