250 バジル大作戦 谷間
深い森の中、起伏に富んだ丘陵地帯を南へ南へと進んでいくと、突如として切り立った崖が現れた。
その中を覗き込んでみれば、枯れた古井戸の様な渓谷がそこには存在していたのだ。
「……やっと見つけたぜ」
昼夜を問わず強行軍を実施して斥候部隊を前進させていた鱗裂きのニシカさんは、自然とニヤリとしたものを顔を浮かべてそう言ったのだ。
ここはナワメの森の最南端に位置する場所で、これより少し先に進めばリンドル領アントワームの村という場所が存在している。
盟主連合軍の補給基地の置かれている場所からはわずか半郷の距離しかない、まさに目と鼻の先なのだ。
「見ろよ、ずいぶんと油断している様だぜ。あそこで酒を飲んでいる人間がいるのがわかる」
鼻をヒクつかせながら周囲を見渡したニシカさんは、直ぐにもその事に気が付いて傍らの現地協力員にその事を言った。
彼はニシカさんと同じ黄色い長耳族の出身だから、当然眼もいいし耳もいい。鼻も同じぐらいに利くらしく一緒になってひくつかせて納得の顔をしたらしい。
見れば眼下の谷間には、兵数五〇〇からなる軍勢がテントの中で生活を繰り広げている姿が見えた。
黄色い軍旗はブルカ辺境伯の領軍である事を示すもので、マントとお揃いだ。
騎士や兵士たちは思い思いに自由な時間を過ごしているらしく、軍馬に飼葉を与えている者がいれば、ほとんど枯れかけた谷間の湿地帯から水を運んでいる者もいる。
中にはその干からびかけた湿地から、ワニの様な動物を網にかけて引っ張り出す兵士たちの集団もいたらしい。
「たいした軍勢が森の中に隠れていたものだな。もう数日もすれば新月の夜になるから、その時まで英気を養っているんじゃねえかと思うが、お前ぇはどう思う。ん?」
「そうかも知れない。で、どうする?」
「よし、お前ぇはすぐにも仲間たちのところに戻って、シューターにこの場所について伝令を飛ばしてくれ」
切り立った崖の中を観察するニシカさんは、ひとしきり周囲を見回した後に黄色い同族にそうやって指示を飛ばした。
どうやってこの崖の下に降りたものかと思案していた彼女に、同族が質問をすると、
「鱗裂きの姐さんは残るのか?」
「オレはこの場所にとどまって、もう少し観察をする事にする。夜になれば下に降りて様子を見る事も出来るんだがな。さすがに昼間の内に下に降りるのは危なっかしいぜ」
豪快な笑みを浮かべたニシカさんは、そう言って同族の尻を叩いて送り出した。
獲物が罠にかかる瞬間をじっと待ち続けるのは猟師がもっとも得意とする戦術だ。
焦らずあわてず、じっくりとそのタイミングを待ち続ける。
俺が仲間たちを率いてこの渓谷へと到着するまでに、少しでも気の利いた情報を集めて貢献しようとニシカさんは最善を尽くしてくれたのである。
◆
「やはりナワメの森の最南端には渓谷がありました。同時にその場所には、敵の軍勢おおよそ五〇〇が伏せていた様ですね。場所はアントワームの村から半郷ほどの距離というので、間違いなく敵の狙いは補給集積既知です」
麻紙の紙片を持ってオホオ村の領主館へやってきた男装の麗人は、さっそくにもその紙を差し出しながら報告を行った。
場所は領主館の執務室で、本来ならばラメエお嬢さまが普段使いしている部屋である。
けれども今は彼女だけでなく、総指揮官のマリアツンデレジアと軍師ようじょ、そして俺がこの部屋に集まっている。
差し出された紙片を男装の麗人からまず受け取った俺は、紙にびっしりと書かれた記述に急いで目を通した。
すべての単語を理解しているわけではないが、俺でもブルカという単語と黄色という単語は理解する事が出来た。
つまり谷間で待ち伏せしている敵の正体はブルカ辺境伯の領軍で間違いない。
「天候はまだ一向に秋雨を運んでくる気配がありません。さすがにそろそろ雨が降り始めてもおかしくない時期なのですが、どういうわけか未だにその兆候がない点も気になりますね」
「不思議な事もあるのですのね。わたしのところには、シェーンさまからリンドルの街に秋雨が到来したと連絡がありましたのに」
俺が思った事を口にしたところ、重要な発言をツンデレのマリアちゃんが口にした。
当然その言葉に全員の注目が集まり、本来ならば先代のオホオ騎士爵が使っていたと言う安楽イスに腰かけていた彼女が困惑の表情を浮かべるではないか。
「な、何ですのみなさん? わたしの顔に何かありまして?」
「前に言っていち度は否定されたけれど、誰かが雨散らしの魔法を使っていると言う可能性は無いのでしょうかね?」
「どうですかねどれぇ。それをやろうと思えば複数人の魔法使いが集まって、魔力をたいりょーに消費しながら行わないと不可能だょ。ひろんり的ですどれぇ」
俺は雨乞いならぬ雨散らしの呪術を誰かが使っている線が怪しいのではないかと、未だに疑いを持っている。
環境破壊がいちじるしい俺の元いた世界でもあるまいに、エルニーニョ現象的な何かがこのファンタジー世界で頻発しているとも考えられないしな。
「作戦の神様であるツジンという男ならば可能と言う事は無いでしょか? どうですかラメエ奥さま」
「そ、そうね。ツジンさまについてはわたしもよく知らないのだけれど、彼は天才的な軍略家だとじいも言っていたし、そういう事も出来るかもしれないわね……」
出来るかも知れないし、出来ないかも知れない。
いずれにせよ敵の待ち伏せしている場所が発覚した以上は、連中が動き出すよりも早くに現地へ到着して攻撃を仕掛ける必要がある。
男装の麗人は言った。
「男色戦隊はすでに補給を整え、いつでも出撃可能な状態にあります」
「敵のアントワーム攻撃は、恐らくおつきさまの満ち欠けを基準に考えているはずなのですマリアねえさま。そうしてみると、もう数日後にはおつきさまが夜の空に隠れる日が来ます」
「なるほど。それならばもう日数はあまりないな、直ぐにも動いた方がいいと言う事になる」
「その点は大丈夫なのですどれぇ」
「確かにそうですね、敵の場所がすでに発覚しているので、われわれは本隊が元来た街道を引き返す形で進発すればいいだけです。わざわざ行軍に不向きな森の中を移動する手間がなくなります」
俺たちの元に伝令を飛ばしてくれた黄色い現地協力員の青年は、確かにいったん谷間の場所を離れた後に、街道を利用して一両日中にここへ付け文を届けてくれたのだ。
「つまり俺たちもその道を辿って進撃すればいいというわけだな。よし、御台さまご下知を」
最後に俺がそう言うと、安楽イスを揺らしながら会話の行く末を眺めていたツンデレのマリアちゃんが、キリっとした顔で俺を見返した。
「わ、わかりましたのよ。ただちに男色戦隊のみなさんは、敵の伏兵がいる渓谷に急行しこれを撃破せよですの。シューターさま、わたくしをお守りくださいましな……」
いやですね。
「あなたは盟主連合軍総指揮官という立場ですから、当初の予定通りフクランダー寺院の本陣に向かってくださいね?」
「そ、そんな。あんまりですの……」
後の事は俺たちにお任せくださいと俺が行ったところ、とても不機嫌な顔をして頬を膨らませたマリアちゃんである。
軍事空白地帯をしっかりと占領する計画こそが稲妻作戦の骨子だからな。
よろしくお願いしますよ!
◆
数度にわたる戦闘で重軽症を負った剣士たちを預けた後、再編成なった男色戦隊の主力は進発した。
部隊の先頭はチームサルワタを吸収したベローチュ支隊である。
「何でしょう。馬に乗らなくていいと言うだけで、わたしにとってはとても気楽な気分になります」
「ッヨイはどれぇのお馬さんに跨りたかったのです……」
「そうですねえ。やっぱり不慣れだと騎乗はお股が擦れるから、はあンってなるじゃないですかぁ。あれよくないですよねえ義姉さん」
「ぼくは家族と一緒にいられれば、それでいいよ」
「わ、わたしは貴族の嗜みとして乗馬は得意とするところだわ。ちょっと疲れたけれど……」
「キャッキャッキャ!」
今回は軍馬に乗り込んで移動する人間は最小限だ。
何しろ森の中の谷間を攻撃するというので、切り立った崖から軍馬で逆落としをするわけにもいかない。
仮にそれが可能な人間がいたとしても本職の騎兵のみなさんだけだからな。
「空荷の馬車を利用するなんて、よく全裸卿は思いついたわね」
「やっぱり全裸を貴ぶ部族というのは学があるのですねぇ」
「ガンギマリーが言っていたのですが、どれぇは賢い学校に通っていたそうなのです!」
「ぼくも全裸になったら賢くなれるかな?」
「駄目ですよエルパコちゃん、これからの季節は寒くなるのですから全裸は体に毒ですよ。ご先祖さまを真似すると風邪を引いてしまいますからね」
「キュブー!」
荷馬車に揺られる奥さんたちの会話が風に乗って聞こえてくる。
先頭を走っているカラメルネーゼさんと妖精剣士のみなさんには聞こえていなかった様だが、風向き的に奥さんズの乗った荷馬車の後方で騎馬を早走りさせていた俺と男装の麗人にはバッチリ耳に届いたのだ。
たおやかな胸を馬の揺れに合わせてばるんばるんさせていた男装の麗人は、申し訳なさそうにしながらもイケメン顔をしわくちゃにしていた。
きっと笑いたいのを我慢しているのだろう。
「申し訳ありませんご主人さま。自分は常にご主人さまを第一に考えています……プッ」
「第一に考え過ぎて、笑いのツボを押されてるんじゃないですかねぇ……」
俺たちは本陣予定地のフクランダー寺院に運び込まれたのちに空荷となった荷馬車を利用して、大量の戦士をいち度に輸送しようという計画に出ていた。
軍事訓練を兄から受けていたタンヌダルクちゃんならいざ知らず、カサンドラは騎乗の経験などまるでなかったし、ッジャジャマくんもそうだ。
一部のサルワタ傭兵のみなさんを除けばわが領内のみんなにとっては軍馬での移動はかなりの負担になっていたらしい事を思い知らされた。
「あーこら新入り、何でそんなにあなたは不器用なんですか! もう少しゆっくりハサミを入れてくれないと困ります。羊皮紙は貴重品なんだからっ。おちんぎんの何割注ぎ込んでいると思っているのですか……」
「んだども、羊皮紙なんておらの村ではいくらでも手に入るものだす。首の皮のそこそこ安い部分であれば、融通してあげる様に、アンギッタさまに相談してみるだすか?」
「クレメンスさん、もうスルーヌの村のご領主さまは、ご主人さまになったかもです。だからマドゥーシャさんも、ご主人さまにお願いすればいいかもです」
「「それだ!」」
奥さんズの馬車の後列には我が家の奴隷ズのみなさんが乗り込んでいた。
御者台でしかめ面をしていたッジャジャマくんは、チラチラと物欲しそうに後ろを気にしている。
そうした後で俺がするすると馬を送らせながら近寄ると、俺に視線を向けてきた。
「シューターさん、俺はいつになったら結婚できると思いますかね」
知らねーよそんな事は。
自分で婚活すればいいんじゃないですかね……
「俺は常々思っていたんですよ。だってそうじゃないですか、シューターさんは猟師の出身、俺も兄貴たちも猟師の出身。それなのにシューターさんには奥さんが両手で数えるよりも多くいるのに、俺にはひとりも女の子が近づいてこないんですよ。一番上の兄貴だってシオさんがいるじゃないですか! くそっくそっ」
「ッジャジャマくん。人生にとって恋多きことはそれほど大切な事かな?」
「何が言いたいんですか巨人の姐さん」
「大切なのは人数じゃないとわたしは思うのさ。どれだけひとりの異性を愛する事が出来たかだとわたしは常々思うのさ」
すると御者台の隣に座っていた沈黙のメイドが、すらすらと詩人の様な事を口にするではないか。
そういえばケイシータチバックさんが、どういうわけかこの行軍に参加しているのである。
「君はどう思かな?」
「どうって、じゃあ巨人の姐さんさんは俺の事を深く愛してくれるのかい」
「残念ながらそれは出来ないさ。わたしは身も心もわが主に捧げる事にしたのでね、わが主のご命令がなくば、結婚は出来ない」
チラリと俺の方を見やるケイシーさんである。
身も心も捧げられたと言うけれど、そんな事は今初めて聞いたんだけれどもね!
「あの、俺は何も聞いていないんですけれど……」
「御台さまはお命じになられました。御台さまご自身に忠節を尽くす様に、夫であるわが主にも忠節を尽くしなさいと」
ハーレムは姉妹、ハーレムは家族。
部下たるものは等しく主と主の家族を守らなければならないのさ。ルルルン♪
鼻歌を唄う様に様にケイシーさんが言うもんだから、ッジャジャマくんは許可を求めてくる。
「じゃあ許可してくだいよシューターさん。俺も女の子と仲良くしたいんですよ」
「残念ながらそれも出来ないさ。例えわが主が許可をしたとしても、わたしは君と恋人になるつもりはない」
「結局駄目じゃないか?!」
白けた面をしたッジャジャマくんはそっぽを向いてしまった。
馬列に揺られる荷駄の兵士たちも、今だけは安堵と休息を得て思い思いに過ごしている。
残念ながら妖精剣士隊のみなさんばかりはそうもいかなかったけれど、それでも安全回廊となりつつあったリンドル川西岸の街道は、気を許す事が出来る場所なのだ。
時折、盟主連合軍傘下の警備兵が検問に立っていて、俺たちを見かけると右腕を胸を当てて敬礼してくれた。
邪魔するも者のいない街道を二昼夜南下したところで、ついに俺たちはナワメの森の南端に到着したのである。
◆
「ようシューター、食材の準備は揃えてあるぜ。ブルカ産のフレッシュミートが五〇〇首だ」
太陽が山々の背中に隠れた時刻。
荷馬車を下車して森の中を分け入ったところで、豊か過ぎるお胸を持ち上げる様に腕組みをしていたニシカさんがお迎えに現れた。
「それは料理のし甲斐がありますね首尾はどうですか?」
「明日の夜が新月だ。つまり月の無い夜は暗闇になるから、猟をする時には避ける夜なんだがな、逆を言えば暗中行動するならば最適だという事だぜ。連中は明日にでもアントワームに攻撃をかける予定だろうよ」
すでにいつでも出撃可能なように準備を終えていたニシカ支隊の面々は、どういうわけかみなさん揃って片眼を布紐で隠しているではないか。
「ああこれか? こいつは眼を慣らしておくために事前に命令しておいたんだぜ。こうしておけば夜眼が効くだろうぜ」
ニシカさんとお揃いのファッションアイパッチ姿をした褐色長耳たちをずらりと見比べたところで、男色男爵さんが俺に頷いて見せる。
よし音頭を取ってくださいと目配せをすると、暗がりの中で白刃を抜き放って男色戦隊の面々を見比べるのだった。
「アンタたちいいわねぇ? 今宵は悪逆非道なるブルカ勢に鉄槌を下すのよお! 盟主連合軍に勝利を!!」
野太い声で吠える男色男爵。
「「オコネイル男爵に勝利を! 盟主連合軍に勝利を!」」
「「全裸卿に勝利を!! サルワタに勝利を!!」」
俺たちは雪崩を打って谷間に殺到する。
リンドル川西部戦線における戦いの終結は近い。
谷間はいいものだ。
谷間にかこまれて窒息すれば、きっと異世界に転生出来ると作者は信じています。




