209 仮初めの盟主 中編
「僕と義父さまとふたりだけで話がしたい」
そうリンドル子爵シェーン少年に告げられた時、俺は言葉の裏にある真意を邪推せずにはいられなかった。
普段は感情をほとんど表に出さない性格のシェーン少年であるけれど、間違いなく俺の事を嫌っている、あるいは敵視している節があるのだ。
何しろ彼の背景を考えると、何か意に含むものがあると考えるのが当然だったのだ。
「わ、わかった。では奥さんたちは先に退出していてくれ。マリアちゃんもかな……?」
「義母さまもよろしくお願いします。それとそのけもみみっ、僕は何も悪さはしないので、けもみみ夫人もご遠慮願おうか!」
「おっおう。エルパコも次の間で控えていてくれると助かる。これでいいか?」
「うん大儀……」
会見場所となった謁見の間をぞろぞろと出ていく双方のお貴族さまたちであるけれど、最後まで護衛としてけもみみがの残ろうとしていたし、同じ様にマリアちゃんも部屋に残るべきかどうか躊躇していた。
最終的には「ふたりきり」と強調した事で、そのふたりも大人しく引き下がる格好になったのだが。
まだこの部屋に当たり前の様に残っているひとがいる。
俺たちサイドの人間と言えば鱗裂きのニシカさんで、まるで俺もシェーン少年も空気の様に扱っているみたいに、本人は大あくびを平気でかましてる。
一方のシェーン少年の側は、例の新米官憲くんのホイヤがおすまし顔で少年の側に立っていた。それから部屋の奥の方に護衛の兵士だろうかバレーボール選手かよと突っ込みを入れたくなるような長身の女性が控えているではないか。
「ホイヤ」
「はいシェーンさま」
「僕はこの全裸貴族と、ふたりきりで話がしたいと言ったんだ」
「心得ておりますシェーン子爵さま、わたしは空気です。続けてください」
「もういち度言う。出ていけ」
「?!」
どうやらニシカさんは、新米官憲くんが居残っているのを見て、わざとここに堂々と残っていたらしいね。
チラリと俺の方を見やって、聞き分けの無い新米官憲ホイヤを強制排除していいかどうかの許可を求めてくるではないか。
しかし自らを登用してくれた主家に対してもこの態度。
頭が悪いを通り越して度し難い役立たずではないだろうかと俺は思ってしまうんだが。
ニシカさんが俺に視線を送って来たので、すかさずシェーン少年を見やる。すると大きなため息をこぼした少年は俺に頷き返しつつ、背後の巨人女性にあごでしゃくってみせる。
立ち上がったニシカさんと巨人女性を比べても、大人と子供の様な身長差だった。
ニシカさんは俺より僅かだけ身長が低い程度なので、少なくとも一七五センチあまりの長身モデルみたいな体形なのに、それよりデカい。本当に巨人族かな?
「ちょ、何をなさるのですかおふたりとも。本官はシェーン子爵さまの忠実な部下ですよ!」
「僕は出て行けと命令したはずだ。この命令を無視する様な部下は果たして忠実と言えるだろうか、いや言えない」
無表情のままそんな事を口にしたシェーン子爵に対して、哀れホイヤは巨大なレディにつまみ出された上、その尻をニシカさんに蹴り飛ばされていた。
「おら、ちゃっちゃと歩かないか。ぶち殺すぞ!」
「ホイヤアアアー!」
片腕で成人男性をつまみ上げる腕力しゅごい。
リンドル家中には武辺の部下はひとりもいないと勝手に思い込んでいたけれど、あの女性だけは気にしておく事にしよう。
「シェーンくん。あの女性は君に仕える騎士か何かかな?」
「ああケイシータチバックの事か、彼女は宮殿料理人のひとりだ。いわばメイドだよ」
「料理人! それにしても大きいね……」
「それはそうだ、巨人族の女性だからね。けどそんな事はどうでもいい」
俺はさっきまでアレクサンドロシアちゃんが腰かけていた、シェーン少年の向かいの席に移動しながら考える。
「これでシェーンくんの望んだとおり、俺ときみだけふたりの空間になった」
「そうだね……」
リンドルの主権者と俺は無言で見つめ合った。
主権者とは言うが、後見人として実質的に領地経営を取り仕切っているのは御台のマリアツンデレジア第二夫人である。
彼はこの血縁の無い義母に対してほのかな想いを募らせていた。
まだ年若く、年増に数えられる二〇代半ばの女性の割りに幼さの残った宮廷伯の家柄出身のマリアちゃんであるけれども、ツンデレと名前が付いている割には、何かとシェーン子爵を甘やかしてきた節がある。
単純に義理の親子関係と言う事で距離感が掴めなかったのもあるだろう。
あるいは王都から嫁いできたこの領地で自分の居場所を創るために、どうしてもシェーン子爵を利用しないといけないので、甘やかしてしまったところもあるのだろう。
「……」
「…………」
そうしたツンデレのマリアちゃんの「シェーンさまを立てる」という行為が、もしかすると少年の心をくすぐったのかもしれない。
彼は間違いなくマリアツンデレジアに初恋めいたものを感じていたらしい。
俺たちサルワタの人間は、その事を女領主とギムルの関係に例えて「似ている」と感じていた。
事実、俺とマリアツンデレジアちゃんが大人の取引をしようと密会に及んだ際も、クソガキはその事を目ざとく発見して妨害を試みてきたぐらいだ。
そのシェーン子爵が俺に対してふたりだけの話があると言って来たのである。
「何か言えよボーイ」
「ゴホン……その」
じっとこちらを見ているクソガキの顔は端正な表情そのものだった。
この顔はエミール第三夫人の血筋がそうさせているのだろうか、それとも先代ジョーン子爵の血筋なのか。
俺にはわからないがそのショタ白人フェイスがジロリと俺を見つめてくるものだから、妙な気分になる。
なかなか切り出してこない少年に俺は質問を投げかける。
「で?」
「……これから話す事は、誰にも漏らさない事と誓ってもらいたいね」
「わかった。それはマリアちゃんにも知られたくないし、ダアヌ夫人にも知られたくないという事だね」
「そうだ。義母さまにもダアヌ夫人ににも叔父御にもだ」
マリアちゃんは義母さまでダアヌ夫人は夫人なのか、などとつまらないところに興味を引かれてしまうが、俺は居住まいを正して向き直った。
「ブルカからこの様な信書が来た。見てもらいたい」
「どれどれ、ちゃんと蝋印で封をした本式の書簡なのか……」
小さなテーブルに置かれていた手文庫の蓋を開くと、二層になった下の段から小さな巻物を取り出した。
一見した通り羊皮紙を使った贅沢な紙で、ちゃんと指輪印章で蝋封まで施した本式のものだ。
彼は信書と口にしたけれども、身分あるものからの手紙である事は間違いない。
受け取ってまず蝋印を確認したところで、俺は顔をしかめた。
そのまま蝋印を見た後に、謁見の間の壁にかけられていた横幕に視線を送ってしまう。
同じものだ……
「リンドル子爵家の紋章か」
「その指輪印章を保持している人間は五人しかいない。その内、家中のものは僕と僕の後見役を務めている御台の義母さま、ダアヌ夫人と伯父御だ」
「つまりこの蝋封をした人間は、五人目のという事だな」
まどろっこしい話をするのは苦手なアレクサンドロシアちゃんの性格に影響されてしまったのか、俺はついつい事の先にある意味を探ってしまった。
まさか死んだ人間であるシェーン子爵の実父ジョーン卿が復活した。などという話はこのファンタジー世界であってもちょっと想像できない。
となると、これを持っていそうな人間はシェーン少年の実母エミール夫人でしか考えられないのだ。
「つまりはそういう事か」
「そういう事さ」
俺は先を急ぐ様にして剥がれた蝋印に気を付けながら巻物を広げた。
びっしりと書かれた文字。貴族の書体はどうも筆記体めいた流麗すぎて読めない文字である事が多いのだが、これは丁寧かつ癖の少ない、言い換えるならば騎士修道会の人間が書いた様な書体に近い。
なるほど、エミール第三夫人ご本人が記述したのだろう。
彼女はリンドルの文官を務めていたはずだ。
「親愛なるわたしの坊や。あなたがこの手紙を読む頃には、リンドル子爵家のご当主として苦渋の選択を迫られている事でしょう……」
そんな言葉からはじまる手紙がそこには書かれていた。
しかし俺はこのファンタジー世界の文字を完全に把握しているわけではない。
「読んでくれ」
「?」
「字が読めないんだよ、言わせんな」
「チッ、無学で全裸の蛮族が。貸せ……」
すでに坊やも知っている事かもしれませんが、ブルカ辺境伯ミゲルシャールは母の実父です。
坊やにとって祖父であるミゲルシャール卿に向けて、あなたは辺境を私する悪逆非道の諸侯たちの盟主として担ぎ出されているのです。
わたしはひとりの母として、孫と祖父が争う戦の行く末を見届ける事がこれほど心苦しいと思った事はありません。
直ぐにも辞めさせるべくあなたを説得したいと常々考えていましたが、わたしを取り巻く環境がそれを許してはくれませんでした。
戦争をしてはなりません。
坊やは母にそして祖父に刃を向けると言うのですか、母はとても悲しいです。
あなたのお爺さまは、この戦争で辺境の平和を守り切った暁にはリンドル子爵家を安泰し、セレスタとベストレを加えた領地を加増すると明言なさってくだいました。
母を助け、お爺さまを助けると思い、この戦争の盟主に祭り上げられてはなりません。
リンドル子爵家を私し、御台を名乗る宮廷伯の娘マリアツンデレジアを差し出しなさい。
そしてひとたび開戦となれば、手筈のあった暁には盟主連合軍の背後を付いて戦線を切り崩すのです。
知らせは必ず坊やにもわかる様ものを使います。
その時を待つのです。
「あなたのただひとりの母エミールより……」
自分で読み上げるのが酷く恥ずかしかったのだろう。
澄ました顔にとても嫌そうな雰囲気を漂わせながら、声変り前の音色で淡々とその手紙を読み上げてくれた。
「きみのお母さんを差し出せと来たか」
「きみの奥さんを差し出せと書いてあるのだ」
「マリアツンデレジアさまは奥さんではないが、諸侯のみなさんはは近頃そういう風に理解しつつあるね」
「きみがそう仕向けて、義母さまを陥れたんだろう。違うとは言わせないぞ……」
大きくため息をついた俺とシェーン少年である。
この手紙を俺に見せたという事は、きっと親愛なる義母上を差し出すつもりがシェーン少年にはないという事だ。
だが俺に相談と言うのはどういうことだ?
少なくともリンドルに巣くっていたブルカ辺境伯の工作員はかなり排除することに成功したはずだが、そもそも誰がこの書簡を届けたというのだ……
「この書簡は不完全ロリババアかオゲインおじさんが持ってきたのかな?」
「いや違うさ。これは通勤中のホイヤが秋分の祝祭式典の準備中の人ごみに巻き込まれた時、町民の格好をした人間に渡されたと言っていた」
「ふむ……」
彼は馬鹿だから、それがどんな内容かは気にもしなかったそうだ。
リンドル子爵家の蝋印が押されているのだから、もしかすると家中の人間同士とやり取りぐらいにしか思わなかったのかもしれない。
「俺がきみの義父としてひとつ忠告をする。官憲のホイヤくんは解雇した方がいいかもしれない」
「余計なお世話さ。きみが義母さまに近付かないようにするための監視役として雇っただけの人間だ。それ以上は一切期待しない」
「そうかい……」




