197 舟を使ってスルーヌまで移動します
「なるほど、川を利用して移動するというのはお兄ちゃんも考えたものだな」
湖から城郭の内部に引き入れられた水路を前にして、アレクサンドロシアちゃんは戦備を運ぶ人足たちを見やりながらそんな感嘆の言葉を口にした。
「サルワタからゴルゴライ一帯の統治権をわらわが握っている今ならば、船の利用で移動時間を大幅に短縮する事が出来る」
「さすが全裸を貴ぶ部族というのは学がありますねえ。ねえ、旦那さま?」
「もう全裸じゃないからね。今は君が作った立派なおべべを着ているんだからね!」
俺と並んで荷運びが終わるのを監視していたふたりの奥さんだけれども、褒めているつもりなのだろうが最後に全裸を貴ぶ部族と言われてしまい、ガックリしちゃう俺である。
サルワタに帰還して以後は、ブルカの街で購入した服だけでなく、タンヌダルクちゃんが留守中に仕立ててくれた服を着ているというのにである。
ミノ文化の粋を集めた上等な生地を使っているのに! あなたの作った服着ているんですよ奥さん!
「まぁ、旦那さまったらっ。そういう事はふたりきりの時に」
うっとりした表情で俺を見上げるタンヌダルクちゃんは、何を勘違いしたの自分で縫った上等なおべべの裾をひっぱるのだった。
こらこら、もうひとりの奥さんが見ているので、そういうのはそれこそふたりきりの時に、な。
などと俺が思いながらタンヌダルクちゃんと一緒に女領主を見上げたところ、とても嫌そうな顔をして別の方角を見ていた。
すわ怒らせた?! とは思ったものの、どうやらそうではなかったらしい。
「……問題はあの女だな。お兄ちゃん、鱗裂きを何とかせよ!」
「ニシカさんですか」
「そうだニシカだ。巷ではすでに奥さんの扱いを受けているではないか、すでに手籠めにしてしまった後であるのなら、お兄ちゃんの領分というものだぞ……」
「そうですよう。ニシカさんも大切な家族だと義姉さんがいつも言っていました。家族を大事にしない旦那さまは奥さんたちから嫌われますよう……」
奥さんふたりが身を寄せてヒソヒソ俺にそんな事を言ってくるものだから、あわててそれを否定する。
「俺たちはそんな関係にはなっていないですよっ。ニシカさんとは賭けをしているぐらいです、あの女が結婚のお相手を見つけて来たら、俺が上等な酒を樽ごと進呈するというね……」
「それではお兄ちゃんがまる損するという事ではないか」
「そうですよう。義姉さんはニシカさんに、旦那さまと結婚してもらうつもりでいるんですから」
聞いてないよそんな話。
俺は困惑の表情を浮かべながら奥さんふたりを見比べた後、桟橋前で暴れている黄色い蛮族に視線を向けた。
女魔法使いとモエキーおねえさんがふたりがかりで羽交い絞めにしようとしているが、そもそも俺とほとんど変わらない身長に強弓を引く筋力の持ち主だ。
商人の娘と魔法使いの女では、暴れるニシカさんを押さえつける事は出来なかったらしい。
「オレは絶対に舟に乗るのは嫌だからな! 金輪際こんな揺れるものに乗るのは嫌だ、気分が悪くなるんだ。足が、足が大地に付いている場所がオレはいいんだ!」
「わがままな事をいうと先輩に後で折檻されてしまうので、言う事を聞いてくださいよ。
「折檻は怖いかもです。お願いだから大人しくして欲しいかもです……」
「うるせえ、オレ様に命令するな!」
ぶんぶんと腕を振り回すと、あっさり女魔法使いとモエキーおねえさんは振りほどかれてしまった。
人足たちが困った顔で遠巻きにしている中、男装の麗人があわてて駆けつけると、ニシカさんに飛びついた。
「何だ手前ぇ、オレ様に楯突こうってのか。舟は嫌なんだよぅ」
「落ち着いてください。そんなに暴れると蛮族が知れますから!」
「うるせぇ蛮族じゃねえ!」
さすがに男装の麗人でも扱いかねているのを見かねて、アレクサンドロシアちゃんが無言でニシカさんを指し示した。
場を治めるために行けと言っているのだろう。
俺もすかさずふたりの奥さんに頷いて見せると駆け出し、正面で説得を試みようとしていたベローチュと連携して背後をとった。
ニシカさんは確かに鱗裂きの二つ名を持つ凄腕の猟師だが、俺だってこのファンタジー世界に来て死線を潜り抜けてきたんだからな。
空手経験の長い俺にはできる。
「ようシューター何とか言っておくれよ相棒だろう? この褐色長耳がオレを舟に乗せると聞かないんだ」
「そうですね、船に乗ってください」
「ちょ、お前いてててて、腕を捻るな胸を触るな、何をしやがるんだ裏切者!」
「チキンウィング胴締めスリーパーです」
「そんな事は聞いていねぇ。胸はやめておくれよ、いでぇ!」
油断していたニシカさんの背後から、振り返りざまに腕を取って捻りあげながら首に俺の反対腕を回してやった。
プロレスの絞め技完成で、ニシカさんはあっけなく大人しくなってしまった。
「暴れなければこのまま絞め落とすなんてしませんから、さあ舟に乗りましょうね」
「いでぇいでぇ、胸触るなよ! やめておくれよ大人しくするから……」
「はいはいいい子ですね~」
そのままよちよち歩きになりながら強引に渡し板を伝って舟に乗り込むと、俺は急いで男装の麗人にアイコンタクトを送った。
まごついているとニシカさんが暴れ出して、舟から脱走しようとするからな。
すぐにも意図を理解した男装の麗人が「ご足労をおかけしました」とひとつ呟くと、振り返って一同に命令を飛ばしていた。
「よし者どもただちに舟に乗り込みなさい!」
「しかしまだあと少し荷物がありますが」
「そんな事を言っていたらあの黄色い蛮族が暴れ出しますよ、それでもいいの?」
「いけません!」
そんなやり取りが聞こえてくる間、ニシカさんはぶすっとした顔で舟の中で座り込んでしまった。
蛮族扱いされたのが気に食わなかったのか、それとも俺にあっけなく拘束されてしまったのか、あるいは舟そのものが嫌なのか。
たぶんそのどれもなのだろう。
「やい裏切者。オレ様だけは馬を走らせてスルーヌで合流しても良かったじゃねえか……」
「何事も団体行動ですよニシカさん。猟師だって連携が取れていないと、大物の獲物を仕留める事は出来ないでしょう」
「確かにそうだけどよう……」
「安心してください、気分がすぐれない時に効果のあるおまじないを知っています」
「ほ、本当か?!」
本当だぜ、とニヤリとしておいた俺に、大人しくなったニシカさんがようやく俺の腕を取って感謝の顔をした。
「よし、それをオレ様にやってくれ。おまじないというのは魔法だな? 何だお前も魔法がちゃんと使えるんじゃねえか……」
「ハハハ、そのかわり少しの間だけ我慢してください」
こんなやり取りをしているうちに奥さんたちハーレム大家族の一団や、野牛の族長にハーナディンらが乗り込む。
供回りの修道騎士や野牛の兵士たちが他の舟に分乗するのを見届けて、男装の麗人が合図を送って来た。
「ご主人さま、全艘出港完了です!」
「おう、ご苦労だ」
船頭たちに竿で押されながら桟橋から離岸したところで、駆け出したベローチュが俺たちの舟に飛び乗る。
暴れる胸も何のその。
その反動でいくらか舟が揺れたものだから、ニシカさんがとても怯えた顔で俺の体に腕を回して来た。
けれど、それを見たふたりの奥さんはどこか妙に満足げな顔をしているのだった。
「損して得を取れとはよく言ったものだな」
「そうですねえ、この際は負けて酒樽のひとつぐらいは差し出して、ニシカさんが幸せになればいいのですよう」
「まったくだ、この女に嫁がれたら大概の男は迷惑をするだろうからな。領内にニシカを欲しがる男はいないだろう」
「蛮族ですからねえ……」
「領外となれば以ての外だ、これほどの腕を持つ猟師を手放したとなれば支配者としての見識を疑われるものだ」
「まったくですねえ」
こんな会話がふたりの奥さんたちの間で繰り広げられている。
タンヌダルクちゃんとアレクサンドロシアちゃんは、十人も客が乗ればぱんぱんになってしまう狭い舟の中をひょいひょいと移動しながら、船尾の幌のかかった場所で腰を落ち着けていたらしい。
「あいつらは何を話しているんだシューター。蛮族とかオレを欲しがる男はいないとか」
「ちゃんと聞こえているじゃないですか、ニシカさんが結婚出来たら上等の酒樽を奢るという賭けのはなしをさっきしたものでね」
「チッ、あの賭けはもうお終いだ。誰もオレ様の魅力に気付く男がいやしねぇ」
バツの悪そうな顔をしながらも、まだ舟の上が恐ろしいのか俺にしがみ付いたままの姿勢だ。
「騎士の旦那。それじゃあ川をつたっていったん村の中を抜けますので、そこの長耳の奥さまが暴れない様に、しっかり見張っていてくださいや」
「オレは奥さまじゃねえ!」
まだ舟が動き出したばっかりだから、きっとまだ不満を垂れる余裕があったのだろう。
考えてみれば船酔いに酷く悩まされる前までは、ニシカさんは平気でオッペンハーゲンの貨客船に乗り込んでいたものだ。
きっと自分が酷い船酔いになる事をそれまでは知らなかったんだろうな。
「よくよく考えればオレ様を嫁にと貰い手が現れねえのは、手前ぇがオレの旦那だと勘違いされているからなんだよ。なあシューター、やっぱりあの賭けは無効だぜ……」
おっかなびっくりと言う感じで左右に揺れる船の片縁を掴んだニシカさんの背中に俺が手を添えてやる。
「な、何だよ。優しくされたってさっきオレ様に暴力を振るった事は覚えているからなっ」
「船酔いにならないおまじないですよ、しんどくなったら背中をさすります。聞いた話では魔法使いというのは水場にいると気が散って、魔力を集中する事が出来ないそうじゃないですか」
「そうなのか?」
「あの女魔法使いが言っていましたよ。ニシカさんは魔法使いじゃないけれど、魔法が使えますからね。きっとそれでしんどい想いをしているんですよ」
「そ、そうか」
「だから魔法使いじゃない俺が、魔力の余りをニシカさんに少しでも融通しましょう。魔力のドレインです」
などと適当な事を言ってニシカさんを説得してみると、普段の黄色い蛮族にはちょっと似つかわしくない顔をしてみせた。
小動物の様に身を締めながらも、ニシカさんはようやく生きた心地を取り戻したらしい。
「後はこの、雁木マリから預かっているポーション入りの酒をひと口どうぞ。ああ全部飲んだらまたゲロゲロバーになりますからねっ」
「わかってるよ……」
ポーション入りの酒にある効能は、ただの安静効果である。
ニシカさんはあまりポーションに頼るのを嫌っていた節があるのだが、この時ばかりはしっかりと口に運んでいた。
微妙な顔をしていたけれど、酒の匂いがしたのでひとまず満足そうだ。
ただ落ち着くだけの安静ポーションで実際にどれほどの効果があるのか疑わしい。
だがプラシーボ効果とでもいうべき勘違いによる幸せがあるのなら、それに越したことはない。
モノの本によれば疑問視する声もあると言う事だったが……
「お、おう。お前いいやつだな」
「ははは。相棒の苦しむ顔は見たくはありませんからね」
どちらかというと酒を飲んで幸せになっている様な顔のニシカさんの場合はスパシーバ効果かな。お酒を飲めてありがとうございます、ありがとうございます。
おっかなびっくり、また揺れる度にたわわな胸も揺らして俺に触れて来るので、心中では申し訳ない気分になった。
湖畔の城とサルワタの開拓村との間には物資運搬のために今は河川を使った水運の整備に着手していた。
それを利用し、このまま船はサルワタの村内を経由してスルーヌへと向かう。
残りを陸路で移動したとしても、本日の早い時間にはこのお陰でゴルゴライには到着できるだろう。




