192 デス・コミュニケーション
久方ぶりに顔を合わせた面々と夕食を終えると、俺は奥さんたちに軽く挨拶を済ませて執務室へとやって来た。
それはマイサンドラに教育的指導をするためでもあるけれど、独りで考え事をしようと思ったからと言うのもあった。
室内に入ってみると、六畳ほどの空間に執務机とソファが置かれていた。
狭い空間だが、いわゆるお貴族さまとしての俺に与えられたオフィスルームというわけだった。
まさか万年バイト戦士だった俺に、俺だけのための仕事部屋が与えられる日が来るとは思いもしなかったものだ。
部屋をぐるりと見回して、そのまま向き合ったソファの片方の席に腰を下ろすと、足を放り出して天井を見上げた。
この部屋に窓はあるけれど、はね板窓は虫が入って来るので閉じられていて、入室する際に自分で持ってきた魔法のランタンだけがこの部屋をぼんやりと照らし出していた。
ランタンは向き合ったソファの間に置かれた小さなテーブルの上に置いている。
ゆらゆらとそれが揺れる度に、どことなしか俺の目頭が熱くなるような感覚に見舞われた。
独りになって考えるとは言ったけれど、それは俺がある意味でマイサンドラを扱いかねているからだろうと思う。
もちろん暴力に訴えかけてマイサンドラを教育しよう、なんてつもりははなから無い。
そんな事をして村の中で俺が暴力的全裸だなどと噂にでもなってみろ。
俺自身も全裸の奴隷から成り上がって、お貴族さまの地位を鼻にかけた最低野郎という噂が広がってしまう事になる。
そうなれば女領主であるアレクサンドロシアちゃんはもちろん、タンヌダルクちゃんやここにはいないカサンドラたちをはじめ、妻のみんなの評判まで落としてしまう事になるからな。
俺は万年バイト戦士だった男だ。
フリーターで、様々な職業を転々としてきたけれども。
実際のところ自分が上司になり、部下を持った事が人生の経験で一度も無かったんだ。
もしも会社員を経験していて三二歳という年齢になっていたのならば、もしかすれば部下のひとりぐらいはそろそろ自分にはいたかも知れない。
中には俺とは反りの合わない部下だっていたかも知れないのだ。
フリーターとして色々な経験が出来た事は、俺にとってそれほど後悔のある人生ではなかったと思っているけれども。
部下なあ。サラリーマンやってたら少しはその扱いも身に付いていただろうか。
「上司って柄じゃないんだよなぁ。どっちかというと万年バイト戦士だから、部下やってる方が気楽だと言うかねえ」
教育が必要だ、などと偉そうなことを言ってみたけれど、実際問題マイサンドラをどうしたらいいのか考えもつかない俺である。
「困ったねこりゃ。こういう時は誰かに相談するのがいいのかな、ひとりで何でも出来るなんて思い上がっちゃいけない」
そのくせマイサンドラを呼び出してしまったのは失敗だったかもしれない。
上司経験の長いアレクサンドロシアちゃんか、妖精剣士隊の隊長をやっていた事もあるベローチュあたりに相談をする方がよかったかもしれない。
まあいざとなったらガス抜きだ。
出会った当初はまるで反りの合わなかった雁木マリとある意味で和解できたのも、ふたりで稽古にかこつけてガス抜きをしたことがきっかけだったはずだしね。
「よし、ひとまずはそのプランでいこう。後で奥さんとベローチュに相談する事にして……」
そんな益体も無い事を考えながら頭の上で腕組みする。
ぼんやりと視線を泳がせていたところでドアがノックされた。
コンコンギイ。
「は、話があるんでしょう。いつになったら声がかかるかと思って待っていたけど、いつまでたっても来ないからわたしから顔を出したわよ」
声の主はマイサンドラだ。
妙に緊張した声音で勝手にドアが開いたかと思うと、これまた勝手に仕事部屋に入って来るではないか。
許可などした覚えもないのに、ドアを閉めてこちらにやってくると、俺の対面のソファに腰を落としてしまった。
暗がりの中に正妻カサンドラによく似た顔がこちらを見やっている。
やはりその表情も緊張の色が見えるものだった。
「覚悟は出来ているわ。早く済ませてちょうだい……」
マイサンドラの顔はいかにも気の強そうな吊り上がった眉が印象的な顔をしていた。
ひと言でいうならば美人なんだろう。
けれどもそれを魅力的に感じないのは、この女が不遜な態度を改めずひとつも俺の前で愁傷な態度など見せた事が無いからだった。
はじめてカサンドラを見た時に感じたどこか薄幸そうな疲れた顔をしている。
けれど今のカサンドラはそういう表情をする事が無くなった。
だが眼の前のマイサンドラには、色濃くその幸薄い表情が見て取れていたし、事実これまでの人生に疲れていたのだろう。
改めて暗がりの中で観察してみると、この女も哀れな人間に見えてくるから不思議だった。
「わたしは謝ればいいのかしら?」
「……」
「言っておくけれど、わたしは自分の家族が一番に大事で、弟だけには幸せになってもらいたいと思って行動をしただけだから」
「…………」
「結果的にブルカ辺境伯の手駒にされてしまって、弟も何もかもを失ってしまったかもしれないけれど。それでもこの村で受けた仕打ちの事を、わたしは許せないと思っているわ」
押し殺した声で、ソファに座した眼の前の女はそう言い切って見せた。
緊張はしていても、まだ不遜な態度を引っ込めるつもりはないらしいね。
「別に俺に謝ってもらってもしょうがないからな。あんたが本当に謝る気があるのなら、それはカサンドラにしてもらいたいものですねえ」
「じゃあカサンドラに顔を合わせた時にでも、ごめんなさいと頭を下げておくわ。これでいいでしょう?」
なおも不遜な態度でそう言い切ったマイサンドラは、最後に口角を吊り上げて見せた。
いや、これは強がりからだろう。
季節は秋口に差しかかったとは言っても、締め切ったこの部屋の空気はどこか暑苦しいものがあった。
そしてゆらゆらと灯りを揺らしている魔法のランタンは、マイサンドラの額に一筋の汗を流している事を教えてくれていた。
たぶん、この女も俺に何かされるのではないかと覚悟を決めてここにやって来たらしい。
「そういう態度をいつまでも続けていると、そのうちに村の連中はともかく俺の仲間からも白い眼で見られてしまうと思うんですけどねぇ」
「もう弟は死んでしまったからね。わたしがこの際どうなろうと、どうだっていい事だわ」
「……あんたはそうかもな」
「もう気が済んだでしょう?」
そう言って立ち上がろうとしたところを、俺はすかさずマイサンドラの手を掴んで押しとどめた。
「まあ待て、話は終わってない」
すると先ほどまで緊張の方が勝っていたマイサンドラの瞳に、強い意志の力を見取った様な気がした。
鋭く殺意めいたものを宿しながら、すぐにも身構えて腕を振りほどこうとする。
「何よ、わたしを手籠めにでもする気?」
「え? いやそういう事じゃないからねっ」
違う。そうじゃない!
村長屋敷が燃えて今となっては村一番の家屋になってしまったけれど、近くの部屋には奥さんがふたりも待っている場所で、女を押し倒してどうこうするつもりなんてないよ!!
「じゃあ今さら何か話があると言うの? わたしは村の人間を敵に回して人殺しの手助けをした女よ。この村の連中はその事を覚えているし、お前だってカサンドラに辱めを受けさせる様に仕向けたわたしを許すつもりはないんでしょう?」
「ま、まあ。そうかな」
「わたしも同じよ。村の連中がわたしたち姉弟に奴隷を見る様な眼、態度をして来た事を許せない。お前がオッサンドラからあの子を奪った事をわたしは忘れない!」
マイサンドラが力強く俺の手を振り払った。
あの子とはカサンドラの事だろう。
やっぱり俺に対してわだかまりがあったんだね。
俺もある。
だから勢いマイサンドラが今度は俺の胸ぐらを掴んだとしても、別段不思議には思わなかった。
「お互いに行き違いがあって、お互いに許せない間柄だ。あんたは、あんたにとって裏切者のマテルドを殺して納得したかもしれないが、俺はカサンドラにあんな眼にあわせたあんたも、その先にいる悪巧みをさせたブルカ辺境伯もどうしても許せない」
「…………」
「今のあんたはマテルドを殺した後、自暴自棄になって捨て鉢そのものだ。このままじゃあんたは村でもどこでも、居場所がないだろう。ん?」
「じゃあわたしに死ねと言うの?」
「だからここいらでガス抜きをしよう。お互いに腹を割って駄目ならば、ひとつ稽古をしようじゃ――」
「やれるもんなら殺してみなさい! 来ないならこちらから殺してやる!」
「ちょ、最後まで話を聞いて!!」
テーブルをまたいで俺の胸ぐらを掴んでいたマイサンドラは、俺の言葉など耳に届いていない様に今度は俺の首を掴みかかった。
稽古とかそういう次元じゃねえ、こいつは俺を殺す気になっている様だ。
俺は長い空手経験があるから、こいつが本気で殺そうとしている事ぐらいはすぐにわかった。
そうじゃなくてもこのファンタジー世界に来てから命のやり取りは何度もやって来たから、こいつが本気なのは考えるまでも無い事だ!
「ぐっ、このやろ……」
カサンドラとたいして変わらない細腕の様に見えてさすがは猟師のそれだ。
引き締まった筋張った腕と手が、ぐいと俺の首根引き絞ろうと力を強めたのだ。
だがすぐにもマイサンドラの腕の関節に体重を乗せて振り払うと、あべこべに左拳を握りしめて胸を突き返してやった。
簡単にマイサンドラは反対側のソファに飛んで行ってしまった。
「がはっゴホ……」
俺が喉の苦しみから解放されて立ち上がりながらあわてて構えを取ろうとしたところ、マイサンドラはどこから持ち出したのか、暗闇にきらめく白刃をちらつかせて踊りかかって来た。
この女、ナイフをどこかに隠し持っていやがった!
さすがブルカ伯のスパイ訓練を受けた女は違いますね!!
「殺す気か!」
「そうよ、死ね!」
素早くナイフを走らせたマイサンドラの一撃に、俺は最小限の動きで咄嗟に避けて見せた。
このパターンはあれだ。絶対に服が次々に割かれていくという最悪の状態だ。
マイサンドラはなおもしつこく俺に飛びついてきては、ヒラリと飛び退くという事を繰り返す。
剣の心得があるわけではないので、刺すという動きに注力して俺に掴まれない様に工夫をする動きだった。
さすがに猟師としてッワクワクゴロさんとニシカさんを育てたというだけはあって、体捌きは敏捷で、こんな動きでリンクスやホラアナライオンみたいな獰猛そうな捕食獣に止めを刺すべく跳びかかっていたのだろう。
俺はと言うと、狭い六畳ほどの空間で、しかもソファやらテーブルやらがあるので避けるのもいちいちままならないから困ったものだ。
殺す気でかかってきているマイサンドラは恐ろしくはあったが、それでもギリギリで殺される様な事はないと判断する事だけは出来た。
狭くても、刺すだけに注力した動きは所詮は単純な行動パターンの繰り返した。
狭いと言う事は俺の動きも制限されるけれど、攻め立てる側のマイサンドラもワンパターンになりやすいのだ。
そしてやっててよかった護身術のインストラクター!
何度目かの突きによってボロ雑巾のように哀れに裂かれまくった俺の上衣だったけれど、その腕をしっかりと掴んだところでマイサンドラをそのまま壁にドカンと叩きつけてナイフを落とさせた。
なおも暴れようと暗闇の中で睨みつけてきた彼女に、俺は掌底をマイサンドラの胸骨を狙って打ち付けてやった。
ギャンと悲鳴を上げたマイサンドラは、ふたたびその勢いで壁に叩きつけられてソファに転がった。
服はボロボロになったけれど、マイサンドラは俺の皮一枚すらも傷付ける事は出来なかったのだ。
残念でした、そろそろ稽古は潮時だ。
俺はおもむろに引き裂かれた上衣を脱ぎ捨てる。
こんなものを着ていると、ピラピラしていて気になってしょうがないからな。
這う様に立ち上がって最後の抵抗をしようとタックルをかましてきた彼女に、俺は容赦なく男女平等膝蹴りをする事にした。
申し訳ないが、今は手加減をしている場合ではない。
顔面をしたたかに蹴りつけるのは躊躇があったので、掬い上げる様に脇腹辺りを一発見舞ってやった。
ガツンといい音を立ててぶっとんだマイサンドラは、ソファに体を放り出して倒れ込んでしまった。
「くっ、どうしてわたしは何もかも失ってしまったの……」
「どこかで進むべき道を誤ったとしか言えませんねえ。降参か?」
「降参よ降参。お前が全裸を貴ぶ部族の出身で、辺境不敗と言われているのは事実だったのね……」
さすがに勝てないと悟ったのか、マイサンドラは体をだらりとしたままにソファから俺を見上げてそう言った。
「殺せなかった……」
いや、危うく殺されそうになっていたのは事実です。
このファンタジー世界に来て何度も命のやり取りをしていなかったら危なかった……
そんな風に俺が考えているところで、バタンと勢いよく仕事部屋の扉が開け放たれた。
「ご主人さま!」
「お兄ちゃん何事だッ」
そこには上半身裸の俺と、服を取り乱してソファでぐったりとしたマイサンドラが横たわっているわけで。
騒ぎを聞きつけて飛んで来たであろうふたりの奥さんと、そして奴隷の男装の麗人である。
灯りを突き出しながら部屋に入った女性陣の表情を見れば、明らかに誤解されているという事が読み取れたのだけれど!!
「体に教育するというのは、こういう事だったのかお兄ちゃん……」
「ち、違うからね? そうじゃないからね?」
「だっ旦那さまあ、これはいったいどどどどういう事ですかあ!!!」
どういう事でしょうねえ?!




