182 マリアツンデレジアのお値段
お色気回です。苦手な方はお読み飛ばし下さい。
「わたしの体を買ってくださるかしら?」
「というと?」
「簡単ですのよ。閣下はわたしを手に入れる、それはわたしの利用価値をご理解しているからですよね? けれども、タダというわけにはいきませんの」
そう言って上気した顔を覗かせるマリアツンデレジアは、器用に俺の上着シャツのボタンを片手で弾いてく。
「わたしの体はそれほど安くはありませんのよ」
パチンパチンと小気味良く外れるボタンを見ていれば、まるで蛇が這う様にして俺の肌の上を艶めかしい年増女の指が撫でるのだった。
こんな事をされて、俺も息子も黙っている事は出来ない。
だって男の子だからしょうがないよね!
だが待て焦るな、お値段を聞いてから買いましょうね。
「そ、それは御幾らほどでしょうか?」
俺のそうした先走りを押しとどめようとする勘定を読み取られたのだろうか。胸板の上を泳いでいたマリアツンデレジアの手がぴたりと突然止まると、そのまま俺の右胸の突起をぐっと握った。
な、何するんじゃ。
「リンドルを、対ブルカ連合軍の盟主の座に必ず据える事ですの。まずこれは譲れません」
「ふむ、続きは?」
「それからわたしに手を出した以上、最後まで守り抜いていただく事ですの。これから始まる戦争が終わった後に、お役目は御免とばかりに捨てられたのでは、わたしの立場がございません」
これは、むつかしい事を要求してきたね……
対ブルカ連合軍の盟主の座をリンドル、つまりは事実上の主導権を持つマリアツンデレジアに与えろという要求。
これは女村長の命令してきたマリアツンデレジアの権力を簒奪しろという内容と、合致するのか否か。
シェーン子爵はクソガキだが、これはお飾りも同然の存在だ。
御台としてマリアツンデレジアが支配力を発揮している間は、間違いなく大人しくしているだろう。
何しろクソガキのシェーンはマリアツンデレジアに懸想しているからな。
その意味において、マリアツンデレジアと俺たちが良好な関係である内は問題にはならないだろう。
「なるほど、自分を売る以上は責任をもって最後まで、と」
「男としての責任の問題ですの」
「お、男として?」
ぎゅっと突起を握るマリアツンデレジアの指先に力がこもった。
ちょっと痛い。でも嫌いじゃない……
「夫はわたしの事などダアヌ夫人が恐ろしくてなかなか手を出さなかったのですよ。そのくせ、側に侍らせていたエミール夫人には簡単に篭絡された。この様な屈辱は、決して忘れる事は出来ませんの。男としての責任、とってくれますのよね?」
しかしマリアツンデレジアの権力を簒奪するためには、このままではいけない。
女村長の命令はただ彼女の権力を無力化してしまえと言って来ただけではないだろう。
この対ブルカ戦争が終わった後に、その辺境第一の実力者がサルワタに、アレクサンドロシア卿だと衆目に知らしめておきたいからだ。
そのためには、どうすればいいのか俺は必死に考える。
「け、結婚はまずい。今は確約できませんよ!」
俺とマリアツンデレジアの結婚というのは、計画にない。
もし仮にそうなってしまった場合、カサンドラたちと話し合って想定していた様に、オッペンハーゲンが納得するとも思えない。
盟主がリンドルで、その御台と俺が結婚していたのでは、事実上サルワタからリンドルにかけてが巨大な勢力に見えてしまうだろう。
周辺にはブルカと対ブルカ連合軍の戦争が始まれば、どちらに付くかを日和る軽輩領主たちもいる。
彼らの出方がわからない以上、あまり事を性急に運ぶべきではないし、何より領主であるシェーンがへそを曲げてしまっては、そこにダアヌ夫人派を付け入らせる事になるからな。
必死でその事を訴えかけようとしたところ、
「当然ですの。わたしが欲しいのは権力でも女の幸せでもありませんのよ? ただ、自分の居場所を欲しているだけなのよ」
マリアツンデレジアはようやく俺の胸から手を放すと、ゆっくりと腕を俺の背中に回してきた。
「自分の居場所。ですか」
「シェーンさまは何れはわたしの後見役を必要としないお立場になりますの。あるいはその力量が無い様でしたら、そのうちにも辺境の有力者か、それともダアヌ夫人あたりに廃されてしまう事は明々白々」
「めったな事を言うものではありません。彼は未来ある若き指導者でしょう」
「当然です。だからこそ、そうならないために、手を打たなければいけません」
クソガキだが、彼女も義理とはいえ息子を慮っているのだ。
そしてぎゅっと俺を抱きしめて、耳元に唇を運ぶ。
「このままではリンドルはもうおしまいですの。サルワタのご領主とセレスタのご領主は、聞けば貴族軍人時代のご盟友との事ですのね? それからあなたの何人もいる妻のひとり、カラメルネーゼ卿もそうだとか。そして、騎士修道会の聖少女さまも閣下の婚約者」
「よくご存じで……」
俺も彼女の顔を見たくて、ゆっくりとマリアツンデレジアの髪に手を持って行った。
「調べさせましたのよ、きっとダアヌ夫人の手の者たちも必死で探っている事でしょう。あなたたちがカレキーウォールズ商会に出入りしている事も、もちろん知っています。サルワタの領主にこのまま思う様にさせるわけにはいきませんの」
「ははは、お調べが早い事だ」
「それに、です。あなたもご存知の通り、リンドルの軍隊は弱兵も同然ですの。この戦争を単独で乗り切る事はとても無理な相談ですし、傭兵と農民兵をこぞって集めたと言っても、今からでは訓練もままならないでしょう」
蝋燭の揺らめきにあわせて、ルージュの引かれた唇が怪しく煌いた。
「役に立たないリンドルの軍勢は後方の本陣にいるべきでしょう。そのためには盟主である必要がありますの。名目で構いません、指揮は閣下がお取りになってシェーンさまを名目上の盟主として、戦場に出してはいけません。義息子の代わりにわたしが戦場に出ます」
「いや待て、あんたも戦争経験なんてまともにないだろう。王都の宮廷伯だったか、箱入り娘じゃないか」
俺はあわてて、これまで取り繕っていた礼節の口調も忘れて驚いた。
触滅隊を討伐に向かった時などは、高貴な身の上のたしなみで乗馬こそ達者にこなしていたものの、戦場ではまるで役に立たないので後方に馬と一緒に控えていたぐらいだ。
「だから、お守りくださりますわね? シェーンさまが独り立ちされた後に、わたしの居場所はもうないのですよ。リンドルはわたしのあるべき居場所ではありません。わたしをお買いになって、わたしに居場所をお与えくださりませんの?」
潤む瞳でそんな言葉を投げかけられると、俺はたまらず唾を飲み込んでしまった。
不憫な身の上の未亡人が、俺の腕の中にいた。
実際の年齢よりもずっと幼さの感じる、巻き髪の王都出身の貴婦人である。
「わたしの居場所、守ってくださりますよね?」
上目遣いのマリアツンデレジアかわいい。守りたい!
俺の息子は任務も忘れて暴走特急まっしぐら。
「その条件で、マリアツンデレジアさまをお買いしましょう」
「マリアとお呼びになって」
ただし、クソガキが大人しく俺たちと協調路線を取ってくれるのならという条件付きだ。
俺たちが戦うべき相手はブルカ辺境伯ミゲルシャールであって、辺境諸侯同士ではないのだ。
そして、俺はこの世界にやって来た時に、ひとつ自分の中で決めたルールがあった。
誰にでも尻尾を振るべきではないという事。俺が常に顔色を窺うべき相手は、アレクサンドロシアちゃんただひとりだ。
誰にでもいい顔をしていれば、かならずどこかで足元を掬われる様な時が来るだろう。そんな予感がしている。
だから、その事だけは伝えておかなければいけないと俺は思った。
せめてもの俺の良心だ。
「シェーン子爵を抑えられますか? それが出来なければ、彼をお守りする事は俺にはできませんよ」
「わかりません。シェーンさまはまだお若いですし、理性より先に行動に出てしまう事はあるかもしれませんの」
「なるほど……」
「それではその、戦後わたしがサルワタへ人質に向かうというのでは、どうでしょうか?」
「あなたはそれでいいのですか」
「わたしの居場所は、ここではありませんの」
決意の表情をしたマリアツンデレジアに、俺は無言で首肯した。
本来ならばあのクソガキが立派な年齢になるまで、緩やかな時間をかけて権力の移譲を考えていたのだろう。
シェーンはまだこの齢十三のクソガキだ。この世界では十分に成人に数えられる年齢ではあるけれど、だからといってブルカ辺境伯を筆頭に、隙あらば領地を掠め取ろうとするライバルは多い。
言ってしまえばアレクサンドロシアちゃんだってそのひとりだろう。
シェーンには義母として出来る限りのことはするけれど、自分を守るための居場所もまた欲しているのだ。
「それが人質というカタチでもいいと……」
「カタチにはこだわりませんのよ? 大きさにも」
ふふっと笑ったマリアツンデレジアが、俺を肌サラリと撫でつけた。
もう俺は駄目だ息子も我慢の限界です!
「はあン、そんな乱暴はいけませんの。夜は冷えますので、窓をお閉めになってから……」
◆
除虫菊ではないお香の煙が、マリアツンデレジアのプライベートルームでくゆる。
この甘ったるい匂いは何のものだろう。
全裸になってふたりで汗を肌に纏わりつかせた俺たちは、ゆっくりとその気だるい気分の中で天井を見上げていた。
「触滅隊の隠し財宝を、ダアヌ夫人が狙っています。俺のところで預かっている女魔法使いによると、ブルカ辺境伯金貨で二〇〇〇枚相当の秘蔵があるらしいですね」
俺とマリアツンデレジアの間には、寝台の上で不思議な距離感がある。
何というか、夫婦愛し合っての事ではないのだから、終わってしまえばそそくさと妙な隙間が出来てしまったというわけだ。
その事がどこか寂しい気分になってしまった俺は、今日どこかで話そうと思っていた事に触れる事にした。
本当はもう少し御台さまに触れていたかったけれどもしょうがないね。
息子はもう皮を被って眠りについてる。
「まあ、ダアヌさまらしい事ですのね。それでそのお金の所在は?」
「お隣の領地ベストレとの境目にあるアジトに隠されているそうです。そこには厄介な事に、サラマンダーが守護者として眠りについているとか。この戦争にはどのみち間に合わない金なので、アテには出来ないな」
「どうしてその事を今仰ったのかしら?」
「戦争が終われば、俺がサラマンダーを退治しにいきますよ」
俺にはワイバーンとバジリスクを仕留めたという経歴がある。
もちろんひとりで出来た事ではなく、はじめはニシカさんという圧倒的狩人がいたからであり、その次は賢くもッヨイさまがいたからだ。
「まあ、勝算はありますの?」
「ありますよ。うちにはワイバーンやバジリスクを仕留めてきた仲間がいるんだからね。ダアヌ夫人に渡すぐらいなら、戦後処理にでも使った方がいいかな」
俺たちで山分けしましょうなどと、そんな事を言うと、ようやくマリアツンデレジアはこちらに向き直って距離を詰め微笑を浮かべて見せた。
「期待せずに待っておりますの」
その時である。
プライベートルームの向こうの部屋で、ガタガタと何かを争う様な怒声と音がくぐもって聞こえてきた。
誰かがなだめすかせる様な声がして、その後にきんきんと喚き散らす様な吠える声もする。
もしかしたら、息子が現れたのかもしれないね。
いや、義息子の方だ。クソガキのシェーンだ……
「義母さま、義母さまご無事ですか?!」
残念だったな。彼女はもう俺の腕の中だ。
などとゆったり構えてはいられない俺たちである。
あわててシーツを蹴飛ばして飛び起きた俺とマリアツンデレジアは、直ぐにも身に着けるべき服を探して右往左往しはじめた。
「シェーンさまですわ」
「その様ですね。やっぱりバレるとまずいよね?」
「まだ義息子には話していませんでしたの」
当然だ。
あのクソガキの事だから、話していたら早撃ち魔法で俺が城館に入る前に妨害されていたと思う。
なんか浮気が発覚して、身内に踏み込まれてしまった時のような心境だぜ。
いや、そんな経験はした事がないし、一応俺も奥さんに許可を頂いている事なんだけどね。
とりあえずどこに行ったのかわからないひもぱんを探していたマリアツンデレジアに、あわててパンツを投げて渡した。
「あんたはネグリジェにガウンだからいいよな。俺は身だしなみに時間がかかる……」
「と、とりあず閣下は下だけでも」
怒声がまたひときわ大きくなった。どうやら手前の部屋までクソガキが突破してきたらしい。
家臣たちの妨害もむなしくそろそろこの部屋に突入されるのではないか。
俺は急いでズボンを履くと、とりあえずを取り繕う様に肌の上からチョッキを着てみた。
やっぱり怪しい!
「マリアちゃん。髪の毛が乱れている」
「はあん。もういっそう、居直りますの。シェーンさまもいつまでも母に甘えていてもいい年齢ではありませんしね」
「待ってくれ、あんたはそれでいいかもしれないが、同盟関係が」
俺たちがわけのわからない心境で小さく口論していると、とたんに外から信じられないような絶叫が聞こえて来るのだった。
「ギャー! やめて。顔はやめてよ!」
何事だ。
俺とマリアツンデレジアは頭に「?」を浮かべて、応接セットのある部屋に飛び出した。
一部の表現において不適切な文章があるとのご指摘を多数の方より頂きました。
該当部分を取り急ぎ変更対応させていただきました旨、ご報告申し上げます。




