2 異世界で薪割りの仕事はじめました
やあみんな、俺の名は吉田修太。
とある異世界の村で薪割り職人をやっている男さ。
腰巻き一丁に手斧がひとつ。
それが俺の職場でのファッションスタイルである。
今日も朝から薪を割っている。
季節は春だそうだ。
冬場のうちに使い込んでしまった薪を補充するために、木こりのゴブリンたちが集めてきた木をたたき割って、村のそれぞれの家で使える様に形をそろえていく。
とても簡単な仕事だ。ただしとにかく体力がいる。
初日の俺はこうだ。
まず、切り株の上に適当に切りそろえられた大き目の薪に手斧を振り下ろした。
慣れていない作業なので、手斧は薪に食い込んで取れない。
薪がひっついた状態でもう一度切り株に叩き付けると、薪が割れる。
最初のうちは不揃いで、無駄な動きもとにかく多い。
手を振っているうちに五分もすればまず掌がしびれてきた。
これは手にマメができる前兆だった。摩擦で皮膚がこすれて熱くしびれはじめるのだ。
それから次の五分で腕がダルくなる。
続いて二の腕だ。最後に腰が重たくなってきて、どうにもならなくなる。
これらは過去のバイトで経験したことがあった。
そのむかし、年末年始に餅つきのアルバイトをやっていた事があったからだ。
あの時は両手持ちの木の杵でやるので、両腕ともいかれてしまった。
あれを毎日やっていると、そのうち楽をするために体が力を抜く様になるんだが、薪を割る作業はちょっと違った。
こいつは片手でやらなくてはならないのだ。
片手はとにかく辛い。しかし片手でやらなくてはいけない。何故なら、腕を休ませるために交互にやるのが肝要だからである。
それを知らなかった俺は、初日のうちは両手でやっていた。
小さな手斧を両手で振ると確かに楽なのだが、何となく無駄が多いことに気付いた。
二日目には片手でやる事を覚えて、少し楽になった。こういう作業は、とにかく力んで作業をしていると、続かないのだ。
あらゆる肉体労働系のアルバイトをしていた俺にぬかりはない。
手抜きのやり方を覚えた三日目には、俺は立派な薪割り職人になりつつあった。
「ふむ。お前は自分で言っていた通り、確かに体力だけは少しはあったようだの」
妙齢の女村長が、俺の職場見学にやって来てそんな事を言った。
嬉しい事を言ってくれるじゃないの。
自慢じゃないが、俺はいろんなバイト経験をしてきたから、特に上手くはないが何でもそつなくこなしてみせる自信がある。
俺はそれをいつも六〇点主義と呼んでいた。
一〇〇点を取ってしまうと、人は満足してしまう。
だから常に六〇点の出来栄えを目指す。
できたらそれを五〇点としてさらに一〇点大目に頑張る。これの繰り返しだ。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
「まあ、いきなり農作業をやらせるわけにはいかないからな。勝手に畑の作物を食べられたら大変だ」
女村長は俺にそう言ってフフフと笑った。
なかなか美人だ。
こうしてみると茶色い髪を腰あたりまで伸ばした妙齢な村長は、三〇そこそこといったところだろうか。
いつだったかモノの本で読んだが、昔は人間の寿命なんて五〇かそこらだったらしい。
だから結婚も早ければ、出産も早い。それだけ人間が大人になるのが早かったんだろう。
そういう意味で三〇過ぎの女村長がいたところで、どこもおかしくはないのだ。
なかなかの美人であるところの女村長は、満足したのか監視役の筋骨隆々な青年に目くばせをすると、自分の屋敷へと戻って行った。
初日以来、俺の監視をしている青年は、深々と頭を下げて女村長を見送っていた。
さて、俺の仕事は続く。
何が悲しいのか、ここ数日にわたって薪の山の連なりを消化していたはずだったが、木こりのゴブリンが次々にあたらしい薪を持ってくるので、この作業がひとつも終わらない。
監視役の青年はずっと俺の側に居るが、こいつはひとつも仕事を手伝わなかった。
その代わりに、時おり腰にさした剣を抜いて、チャンバラの真似事をやっていた。訓練を兼ねた、俺に対する威嚇でもしているつもりなんだろう。いい身分だぜ。
四日目になると、腰巻きがこすれて俺は衣擦れで怪我をした。
腰骨の辺りがどうもヒリヒリすると思ったら、皮膚が軽く破けているではないか。
それにしばらく腰巻きを洗っていなかったので、村長の家の若い女を見つけて、話しかける事にした。
「お嬢さん、ちょっといいかな?」
当然、全裸で腰巻きをぶら下げた俺に、女は警戒心をあらわにする。
だって全裸だもん、当然だよな。
「…………」
「この腰巻を洗濯して干しておきたいんだけど、この井戸は使ってもいいものですかね?」
言葉は丁寧に、だ。
最初はフレンドリーにゴブリンへ話しかけたが、あの時は失敗した。ガン無視された。
だったら次は丁寧にと思ったが、これもどうやら失敗だったらしい。
わずかの間、俺の話を聞いていた若い女は恐怖の顔を浮かべると、そのままあわてて村長の屋敷に引っ込んでしまった。
「ええと、俺は井戸水をですね……」
使いたかっただけなんだ。
すると背後で剣を磨いていた筋肉青年が言う。
「駄目だ」
「でも、ずっと洗っていないので不衛生ですし。できれば体も洗いたいんですが」
「駄目だ」
「じゃあどうしたらいいんですかね?」
「我慢しろ」
青年は無慈悲な言葉を俺に告げた。
とても悲しくなって俺は作業を再開する。
衣擦れがひどいし痒いので、全裸のまま薪割りの仕事を続ける事にした。
◆
「今日の飯は何かな~?」
お昼時になると、日々の最初の食事が支給される。
俺がこの世界に来て一番の楽しみにしているのがこの食事だ。そしてもうすぐお昼休みだ。
初日にオートミール風の雑炊を食べてから、ふかし芋に揚げた川魚、蛇のかば焼きやら煮込み野菜のスープなどを食べさせてもらっている。
肉は貴重品だ。肉はあくまでも村でも地位の高い人間の食べ物らしく、この村のカーストで一番低い位置にいる俺は肉は肉でも、ベーコンの破片を少し食べさせてもらえるだけだ。
かわりに蛇やら川魚を少し食べさせてもらえるのだが、とにかく脂の乗ったものが食べたくてしょうがなかった。
何しろ朝から晩まで薪割りという単純だが肉体を酷使する仕事をしているのだ。
本日で異世界の薪割り職人になって一週間が過ぎた。
最初の数日は筋肉痛で死ぬほどつらかったが、働けなくなると殺されるのではないかという恐怖で、ダラダラながらも薪割りを続けた。
今はその苦しみから抜け出して、薪割りなんて目ではなくなった。
ただし悲しいことがひとつだけあった。
腰巻きを着用していると死ぬほど痒くなるので、装着するのをやめた。
衣擦れもひどいから、ちょうどいい。
問題は、近くの木の枝に腰巻きを天日干ししていたら、それが飛んでいったのだ。目の前で汗をぬぐいながら「ふひゅう」などと言っている瞬間の事だった。
「あ、待て。俺の腰巻き!」
悪戯な風が枝に引っ掛けていた腰巻きを晴れ渡った空に躍らせる。
あわてた俺は手斧を放り出して、股間の息子をぶらぶらと躍らせる。
それを見た筋骨隆々の青年が、腰の剣を抜き放って躍り出るのだ。
「どこに行く!」
「俺の一張羅が飛んでいきます!」
「仕事をしろ!」
「でも俺の一張羅なんですよ! つけると痒いけど、ないと夜寒いんです!」
「持ち場に戻らないか!」
融通のきかない青年は白刃をちらつかせて俺の前にずいと出た。
殺される。
俺は格闘技経験者だから、相手の殺気ぐらいはわかる。
こいつは本気で俺をいつでも殺せる様に構えやがった。
睨み合う俺たち。
一瞬だけチラ見すると、腰巻きは地面に落ちた後も、土をずるずるやりながら風に乗って村長の屋敷の入り口あたりに飛んでいく。
入口はここからは見えない。
「キャア!!」
大きな悲鳴が聞こえた。
あの若い女のものだろうか。村長の屋敷で下働きしている。
「持ち場に戻れ」
青年はふたたび俺に命じた。
「わ、わかりました」
「それでいい」
「べ、別に逃亡しようとか思ったんじゃないんだからね。一張羅が飛んで行ったから取り返したかっただけなんだからね。あれがなくて夜に風邪を引いたら、あんたのせいなんだからねっ」
悔しいので不満をたらたらと言ったら、また白刃を青年に突きつけられた。悲しくなった俺は、しょうがなく手斧を拾って薪割りに戻った。
ちなみに昼飯は逃亡をはかった罰という事で、飯抜きにされてしまった。
◆
飯は一日の仕事が終えると、ふかし芋を五つほど毎日もらえる。
昼間なら少しは手の込んだ料理をもらえるが、夜は作り置きしていた冷たいものしかもらえない。
しかし昼抜きだった今日は、冷めていようが芋をもらえるのはとても嬉しい。
ほんと一日ぶりの飯だ。
ちなみに朝飯はもらえない。一日に二食しか食わせてもらえないのだ。
とても悲しい。
そういえば。
今日は夕食に瓶がついた。
中身はあまり美味しくないぶどう酒だ。まだぶどうの皮かすがのこっているものだ。生水はあまり体によくないらしく、これが水がわりらしい。
どうやらこれが女村長から俺への給料という事だった。
「最低限の仕事はしっかりとこなしてくれているらしいな」
「ありがとうございます。ありがとうございます。ぶどう酒までいただけて、感謝しております」
全裸で平伏した俺は、上目遣いで妙齢の女村長を見上げた。
別に嬉しくもなんともないが、飲み水もまともにもらえないのだから、ぶどう酒の搾りかすでつくったような酒でも、ありがたいのは確かだ。
「うん。いい具合に順応してくれているらしい。おいギムル! この男にこれからも仕事を終えたらぶどう酒の瓶をひとつだけおやり」
「しかし村長、いいのですか?」
「構わないとわらわが言っている」
女村長の命令に、とても嫌そうな顔を青年がした。
青年の名前はギムルというのか。今日初めて知ったぜ。
◆
陽が落ちる前に俺は家畜小屋(我が家)に戻る。
家畜小屋といっても、以前ここが家畜小屋に使われていただけであって、今の住人は俺だ。
正確には俺と、昼間は外でえさをついばんでいるニワトリの同居人がいるだけだ。
その日の薪割りが終われば、こいつら同居人を迎えに行って家畜小屋に戻すと、俺も大人しくしているわけである。
体中が痒くて、寝るのもつらいのだが、さてどうしたものか。
そんな事を思っていると、村長の屋敷で下働きをしている? らしいいつもの若い女が、桶にぬるま湯を持ってやってきた。
当然、その側には筋骨隆々な青年ギムルが控えている。
何か悪さをするのではないかと思われて、監視役は未だに外されていない。
「湯を持ってきた。このへちまで体を洗え」
話しかけてきたのは青年の方だった。
若い女は俺の顔を一瞬だけ見ると、汚いモノでもつまむように、ボロ布を持っていた。俺の一張羅であるところの腰巻きだ。
「おお、それは俺の」
「…………」
早く取ってくれと言わんばかりに、グイと腰巻きを突き出す若い女。
「ありがとうお嬢さん。お名前は何というのかな?」
優しいスマイルを浮かべたつもりだったが、かわいこちゃんは鼻をつまんで逃げ出してしまった。痒いし、もう数日風呂に入ってないのだから、そりゃ臭かろう。
俺はゲンナリした顔で青年ギムルに向き直るとお礼を言った。
「ありがとうございます」
「小屋に戻れ。それと、明日からは薪割りをしなくてもいい」
「え、それじゃ俺、首ですか? もしかして処刑されるんじゃ……」
「ふん、どうだかな」
青年はそう告げると、俺を家畜小屋に蹴り込んで外から閂をかけやがった。
暗がりの中で俺は、へちまのたわしをお湯につけて全裸をこすりあげた。
最後に残り湯で腰巻きをしっかり洗って干す。
これでもう明日から全裸とは言わせないぜ。
吉田修太、三二歳。
薪割りのヘルプバイトを完遂。
ちなみに今回のバイト代は搾りかすで作ったぶどう酒。