14 この中にひとり全裸の男がいる
それが俺。
塔の上から、今しも村の空き地に飛来したワイバーンの姿を見やりながら俺は息を飲んだ。
傍らの妻カサンドラが、ワイバーンのあまりの大きさと禍々しさに、恐怖一杯の顔を浮かべているのをチラリと確認した。
だからだろう、先ほどからずっと俺の腕にしがみついてずっと離さない。
誰かに頼られる事は悪い気はしない。頼られれば人はその気になるものだ。
ここで死ぬ気は毛頭無いが、可能な限り結果は出しておきたい。
恩の売り時だという事は大いに理解していたが、果たしてそれをどう成し遂げるかが問題だ。
「たぶんここは安全だ。君はここで見張を続けて、もしもヤツが逃走を図ったらその方向を教えてくれ」
「わ、わかりました。シューターさんは?」
「俺は下の討伐隊と合流する。ここで槍働きをしておきたいからな」
「……でも、ご無理は」
「心配してくれてるのか?」
「ええと、そのう……」
「かわいいな、だがそういう態度はワイバーンを退治してから続けようぜ」
俺は妻に指示を出した後、最後に白い歯を見せてそう言った。
すると心配してくれていたはずの嫁が、とても嫌そうな顔をしたので俺は寂しくなった。
何だよ、やっぱりおっさんの方がいいのかよ。当然といえば当然だよな……
俺と嫁とは知り合って間もない間柄だからな。
悲しい気持ちを紛らわせるために俺は「じゃあいってくる」と断って、石塔の螺旋階段を駆け下りた。
俺が石塔から飛び出した時、その視界に飛び込んできたのは村の空き地に着地したワイバーンが、巨大な潰れた顔を振って周囲を睥睨しているところだった。
何者も恐れていないという、わがもの顔の表情はたいへんふてぶてしい。
空き地のすぐ先にある前回の戦闘場所、猟師たちの亡骸の置かれている場所に、潰れた顔が注目した。
周辺にある家や干し藁の束の中には、討伐隊の冒険者や猟師たちが潜んでいる。
来襲の鐘を鳴らした時に彼らが駆け込む姿は俺も見ていた。
本来は監視任務についていなければならないはずだったが、それはこの通り嫁に任せている。
これから向かうのは、見張に出ていない時にワイバーン襲撃があれば分担する予定だった所定の位置だ。
周辺はまだ静かにしている。
冒険者たちも、まだ飛び出す機会を伺っている様だ。
家の陰に身を潜めてワイバーンを見ている猟師たちも確認できた。
俺は、ゆっくりとワイバーンに背中を向けながら、ひとつの干し藁に向かった。
そこが俺の待機場所に指定されたところだった。
中には自分の手槍と短弓、それから鍛冶場から借りっぱなしになっていた長槍が仕舞ってある。
長槍は無理をおしておっさんから使わせてもらっているものだが、ドワーフの親方はかなりお怒りだったはずだ。
しかし槍働きをするためには、文字通り槍は必要だ。手槍もあるにはあるが、あれは扱いやすい長さであるかわりに、巨大なワイバーンを相手にするにはリーチが短すぎるし、槍の刃もやはり短い。
天秤棒を応用できる長柄の武器はどれも俺の得意な獲物だが、やはり長槍は一番扱いやすいはずだった。
さて、藁束の中にもぐりこんだ俺は、手槍を手元に引き寄せながら空の王者を観察した。
先ほどからずっと鼓動は高鳴りを覚えている。
はじめてワイバーンを見た時よりも、ずっと緊張している。当然だ。最初の遭遇の時はワイバーンを舐めていた。相打ちとはいえ、猟師がひとりで倒せる相手だというから、どこかで俺でも倒せるとモノを見るまでは高をくくっていたのだ。
だが今は違う。
全裸に限りなく近い俺は震えていた。寒さからじゃない。恐怖からで。
空を切り抜ける様に翔けるワイバーンも、地上に降り立てば歩む速度は緩慢なものだ。
のし、のしといった具合に猟師たちの腐乱しはじめた亡骸に迫る。
俺は文字通り固唾をのんだ。
くそう、美味そうに食ってやがる。バキバキと不気味な音が、静まり返った村の空き地で響いた。
まだか。
まだ罠は発動させないのか。
あの戸板に乗せられた亡骸の下は、落とし穴になっている。
そんな事も知らないワイバーンは続けてバキバキと咀嚼をしてやがる。
はじめは巨大な空の王者が落とし穴の上の戸板に乗れば簡単に割れてしまうのではないかと俺は心配したが、それは杞憂だった。
聞けばワイバーンはその巨体に反してとても体のつくりが軽いのだそうだ。
骨はその中身が空洞状になっていて、空を飛ぶために非常に軽量化された進化をしているのだとか。
なるほど、それなら多少戸板を補強しておけば問題ないのかもしれない。
ただし。
三体並べられた亡骸のうち中央を持ち上げると、戸板は崩落する。ワイバーンのいる箇所のもっとも近い蛸壺の中に身を潜めている冒険者数名が、その瞬間に有刺鉄線状になっている分銅付き鎖を投げ込む手はずだ。
そして、その瞬間が来た。
周囲を警戒するでもなく熱心に亡骸を咀嚼していたワイバーンは、ガツリと中央のそれを持ち上げた瞬間、落とし穴の罠が作動して戸板が崩落した。
景気の良い崩落音を立てて地獄の入り口のごとく落とし穴が開くと、鈍く震える咆哮を上げてまんまとワイバーンが罠にはまりやがった。
あの下には、村長の屋敷にあったものと冒険者が持ち込んだありったけのトラバサミが無数に配置されている。
そしてそれらトラバサミにも分銅付きの鎖や、打ち込んだ杭にワイヤーが巻き付けられていた。
カンペキだ。
この瞬間に身を伏せていた冒険者や猟師たちが飛び出した。
「掛かれぇ!」
リーダーの中年冒険者の掛け声のもと、まずは遠距離で十字砲火になる様に配置されていた弓の使い手たちが、次々に矢を射掛けていった。
そして続いて、号令とともに分銅を振り回していた数人の冒険者たちが、アーチを描く様にそれを飛ばした。
「接争!」
聞きなれない号令が飛び出したかとと思うと。
槍の先にクロスボウを取り付けたような変ちくりんな武器を持った冒険者たちが、次々にワイバーン目がけて走り出した。
空の王者は地鳴りの様な悲鳴を上げた。
複数の有刺鉄線の鎖を被り、穴に落ち、恐らくは仕掛けられたであろうトラバサミのどれかに足を取られたのだ。
そしてクロスボウの付いた槍を手に近づいた冒険者たちは、苦しみながら首を振っている空の王者の顔面めがけて次々に矢を放った。
面白い機構だ。槍の先端から垂れるヒモを引くと、矢が発射されるのである。
俺はというと、暴れる尻尾を避ける様にして接近した。
俺はスタントの経験がある。
こう書くと大それた経験をした様に見えるかもしれないが、人手が不足している時は俺程度の空手を経験した事がある様な痛みにドMな人間が重宝されるのだ。
車にはねられ、馬に蹴散らされ、城門から落とされ、階段から転げ落ちた。回避と受身にはそれなりに自信がある。
絶対的な王者にはなれないかもしれないが、一撃を入れて離脱する事に関しては、やってできない事ではない。
問題はその覚悟があるかどうかと、あとはリハーサル無しな点だ。リハ無しはかなり問題だが、打ち合わせだけはやっている。
俺は走りながら自分の覚悟を高めるためにも叫んだ。
「おおおおおおっ!」
間抜けだがかけ声は何でもいい。とにかく自分を奮い立たせることだ。
そして握る手を引き絞り、体に腕を密着させる。
最後に槍を力いっぱい両手で繰り出した。
狙うのは顔や首、尻尾のあたりである必要はない。俺はベテランの猟師でも、歴戦の冒険者でもなく、ただのバイト遍歴だけが多い元スタント経験もある異世界人だ。
ならばやる事はひとつ。どこでもいいからこのバカでかいワイバーンに一太刀でも浴びせる事である。
俺はドテッ腹に力いっぱいブスリと差し込んだ後、槍を引き抜く手間も惜しみながら必死で逃げ出した。
側では俺と同じ様に襲い掛かって行った人間が、槍や手槍を突き刺して、離脱する。
案の定、痛みと怒りで狂った様にワイバーンが暴れだした。
穴から半分体を出す用にして身を乗り出し、巨大な翼をばたつかせ、俺の隣にいた数人がその翼で叩き伏せられてしまった。
やっててよかったスタントマン。
俺はギリギリのところで回転しながら受身を取り、すぐさま槍を構えなおした。
普通の格闘技の受身とは違い、殺陣経験のあるスタントマンは、武器を持ったまま器用に受身を取る事ができる。
俺はもう一撃可能かどうかだけ見ながら、今度は暴れる翼の被膜に一撃加えてやるつもりで長槍を突き上げてやった。
「ワイバーンが落とし穴から出てくるぞ、全員下がれ!」
その言葉とともに、俺も転がる様にして退避する。
事実また隣のやつが本当に転がってしまった。
助けるために立ち止って手を引っ張り上げていると、ワイバーンが怒りをあらわに落とし穴から完全に出てくるところであった。
潰れた様な顔をしかめ、嘴をすぼめ、そして怒哮を唸らせた。
ドオオオンという、これまでに聞いた事も無い様な呻きだった。
その瞬間にすべての人間たちが硬直した。
ただその咆哮の直前、俺たちが離脱した瞬間の入れ違いに最後の放たれた矢の雨が、ワイバーンに降り注いだのである。
これにはワイバーンもたまらなかったのだろう。
ついに全ての自分に取りついた槍や矢、鎖やワイヤーを振り払う様に身震いをし、不安定な腰つきで巨大な翼を動かし始めた。
空を掻くというのはこういう動きなのだろう。
もがき苦しむようにして周囲に風圧をまき散らしながら、よたよたと助走しつつワイバーンは飛び去って行った。
後に残された空地には、滅茶苦茶になった猟師たちの亡骸と、無数の血だまりが広がっていた。
◆
「ワイバーンは杭に巻き付けていたトラバサミのワイヤーは引きちぎったが、完全に脚に怪我を負った様だな」
落とし穴の中に入って見分していた中年冒険者たちが、そんな事を口にしていた。
家屋の中で待機していた女村長や青年ギムルも姿を現すと、それに向かって冒険者たちが報告する。
「見ろ、ワイバーンの鉤爪だ」
「でかいな。俺が過去見た中でもかなり巨大なオスの個体だったが、こうして目の前で鉤爪を見るとそれも納得だ。目が錯覚していたわけではなかったんだな」
「それから片目に矢がささったのも見た。そう遠くには逃げてないはずだな」
「逃げた方向は?」
落とし穴から出てきた冒険者たちが、俺たち猟師に向かって質問した。
それは俺の嫁がしかと見届けていた。
「あ、あの。サルワタの森の左側の方向に向けて飛んでいきました。営巣地のある方ではありません……」
たくさんの視線が集まって驚いているのか、カサンドラはオドオドしながら説明した。
時折、俺の腕をギュっと握ってくれるのが嬉しい。
もちろん俺になついてくれているわけじゃないんだろうな。なんとなくわかっているが、それでもこの場で頼れるのが俺しかいないんだろう。わかっている。
「捜索隊を出すぞ。あの様子では遠くまでは飛べまい」
「そうだな、左翼におもいきり傷を入れた人間がいたはずだ。なかなか度胸のある動きだったがやったのは誰だ」
俺です。
「うむ。あれはいい手だった。たしか裸の、身軽な格好の猟師だったはずだが」
はいはい俺です。
この中にひとり全裸の男がいる。もちろんそれは俺の事ですぐに俺に注目が集まった。
「おお、シューターの手柄か。よそ者の戦士はさすがだな」
女村長が手放しに喜んでくれると、明らかに場違いな格好をした俺にいくらか当惑した冒険者たちが苦笑まじりに感嘆の言葉を続けてくれる。
「おう、あんたがやったのか」
「咄嗟の判断でいい動きだった」
「彼は村の猟師で、この村に来る前は戦士だった男だ」
我が事の様に自慢げな顔をした女村長が説明を続けだした。
しかし次のひと事で、少なくとも村人たちは俺に恐ろしい視線を向けてくる。
「だがまたも仕留め損ねた。手負いのワイバーンは手が付けられねぇ、もっとも厄介な相手だべ」
さらに、どうしてあの場で倒せなかったのかと物言わぬ視線が俺に集まる。
チッ。また村八分モードかよ。
「……う、うむ。それでは急ぎ手分けして追撃隊を送り出そう」
「どうします村長さん、少数の班に分けて送り出すか」
「村の猟師ひとりに冒険者と周辺猟師のチームを作るのがよろしかろう」
空気を察した女村長がすぐに場の雰囲気を破壊した。
ワイバーン編はもうちょっとだけ続くのじゃ。




