祝300万PV感謝&記念SS 正妻の矜持 後編
お待たせしました。
投稿が日付変更を挟んでしまい、申し訳ございません。
わたし自身の気持ちを整理する上で避けて通れないものがあるとすれば、それはオッサンドラ兄さんの事でした。
兄さんがわたしに対して特別な感情を抱いていたという事を知ったきっかけは、夫との結婚をした後の事です。
マイサンドラ姉さんが隣の村に嫁いで行ってから先、見習いから一人前の鍛冶職人となってお仕事に精を出していたオッサンドラ兄さんとは、しばらく疎遠になっていました。
けれども父が死にしばらくすると、生活に困窮したわたしの事を聞きつけて、たびたび食べ物を差し入れてくれるようになったのです。
その事はとてもありがたい事だと思っていたのですが、夫と結婚してからも兄さんの猟師小屋通いは止まらず、夫がブルカの街へお仕事に出かけている間にも、たびたび訪ねてくる事があったのです。
そしていち度は、たまたま訪ねて来られた村長さまの義息子ギムルさまによって兄さんが訪ねてきている事が発覚してしまいます。
オッサンドラ兄さんは村長さまによって接見禁止を言い渡されたのでした。
さすがにそれは兄さんに対して厳しすぎるお咎めなのではないかと、少し心配になったのも事実ですけれど、一方でそれは兄さんがわたしに対して特別な感情を抱いていたんだという事を教えてくれたのです。
オッサンドラ兄さんはそれ以後、村長さまの命令によって決してわたしの側に近づいてくる事はありませんでしたけれど、同じ村で生活している以上は兄さんを見かける事もあります。
それは湖畔の建設現場で作業中の事であったり、村の中でお野菜を家に運んでいる時であったり、あるいは村長さまのお屋敷と行き来している最中であったり。
わたしも必要以上に兄さんを目撃しても近づかないようにしていましたし、兄さんもご自身のお立場を考えてか、わたしを遠くから見つめてくる事はありましたが、それ以上何をどうしようという事はなかったのです。
村の中でご出世なさったシューターさんの事を考えた時に、あまりご心配をかけない様にと考えた事も、もしかしたら失敗だったかもしれません。
兄さんの視線はこうして思い返してみると、決してあきらめきれないという気持ちの表れだったのかもしれないのです。
もう少し不安をこの口で夫に伝えていればよかったのかも。
そうして夫と家族たちが留守にしている夜に、間違いを犯されたのです。
シューターさんが駆けつけた時、わたしの頭の中はからっぽでした。
このままでは夫に捨てられてしまうのではないか、もう正妻としてわたしはいられないのではないか。
そんな不安で胸の中はいっぱいで、夫の顔をまともに見る事も出来なかったのですけれども。
わたしの気持ちはよそに、シューターさんはオッサンドラ兄さんを引きはがすと、そのまま殴る蹴るの暴行を兄さんに加えました。
最後まで挑発する事をやめなかった兄さんは、そうして怒り狂った夫によって、喉笛をつぶされてしまったのです。
わたしは教会堂の診療所に運び込まれました。
すぐにも助祭さまがわたしを往診してくださったのですが、間違いを犯されたという事実よりも、それよりも夫の事が気がかりでした。
動転した気持ちの整理はつかず、夫がどうなったのか、これからのわたしたちがどうなってしまうのかだけが心配でたまらなかったのです。
オッサンドラ兄さんは喉笛をつぶされても結局応急手当てを受けて、死ぬことはありませんでした。
わたしの心の中にあった感情は、醜いものだったと思います。
だって。わたしたちの幸せを壊してしまったオッサンドラ兄さんに、憐みの感情を持つような器量はわたしにはありません。
どうして兄さんは死ななかったんだろう、どうして夫は入獄しなければいけなかったんだろう。
けれどそんな気持ちも、どういうわけか助祭さまの用意してくださったお香を嗅いでいるうちに、そんな事もどうでもよく感じる様になってきたのです。
けだるいその気持ちは、後で聞けば助祭さまの仕込んでいたよくない香薬の影響だったのだそうですね。
ブルカの街からやって来られたガンギマリーさんに改めて診療していただいた時に、その事を知りました。
シューターさんが冒険者のカムラさまと剣を交えて大怪我を負った後、わたしたちは新居へとお引越しをしたのですけれど、夫が目を覚ますまでの間にガンギマリーさんが熱心に治療にあたってくださったのです。
「本当はね。直ぐにでも事後の処置をしなければいけなかったのだけれど」
遅くなってしまってごめんなさいね、とわたしにお声掛けをしてくださったガンギマリーさんが微笑を浮かべると、まるで女神様の様にも感じられました。
それも当然ですよね、彼女は教会堂の聖少女さまと言うではないですか。
「いいえ、こうして聖少女さまに診ていただけるだけでもありがたい事です」
「せっ聖少女だなんて、やめてちょうだい。あたしはただ、仲間の奥さんがこうして治療を必要としているから診ているだけの事よ」
「ありがとうございます。それであの、シューターさんの……」
微笑を浮かべたガンギマリーさんがわたしの手を取って、
「シューターは体内の血が足りなくなって、まだ起き上がる事が出来ない状況なの」
「そうですか……」
「心配しなくても命に別状はないし、これまでと同じように働いていけるわ」
よかった。
心の底からそう思ったのですけれど、ここ数日のうちに連続して起きた身の回りの出来事に、まだわたしの心は整理が付いていなくて。
きっと不安の顔がわたしに出ているはず。そのままシューターさんにこの顔を見せて心配をさせるべきではない。
そんなことを思っていると、
「シューターはいい奥さまをもらったのねえ。」
「?」
「あなたは立派な方ねって、そう思ったの。だって、自分に降りかかった不幸の事もあるのに、あいつの事を今も心配しているでしょう? あたし、あなたと同じ経験をしたことがあるから、あなたは立派だなって」
そう思ったの、と聖少女さまが笑いました。
わたしは立派なのでしょうか。今もとても不安で、村長さまに命じられた正妻という立場を、これからもちゃんと続けていけるのかどうか不安でなりません。
「強くはないけれど、強くあろうと立派にしておられるわ。だから、あなたたちの事がうらやましいわねえ、あたしは」
ガンギマリーさんの言葉に、どれだけわたしは救われたでしょうか。
シューターさんが意識を取り戻してくれるまでの間、わたしの手を握りながら色々と気持ちを解きほぐしてくださった事は感謝しないといけません。
「旦那さまは、これからもわたしの事を女としてみてくださるでしょうか」
だから、思い切って胸の内を口にしてみました。
そうするとガンギマリーさんは真面目な顔を作って、わたしにこう言うのです。
「大丈夫じゃないかしらね。あの男はあれで芯の強いところがあるし、寝言でも俺の奥さんとか言っていたじゃない」
「そうですけれども、シューターさんにはわたしの他にも妻はいるわけですし」
「本当、あいつにはもったいなさすぎる事ね。あなたに、タンヌダルク夫人だったかしら? それにエルパコ夫人も」
エルパコちゃんはまだ夫の奥さんというわけではありませんが、そのうちにそうなる事は明白なので黙っておきました。
否定しておいて後日そういう事になるとややこしいですしね。
「けど、確かにシューターさんはわたしの事を俺の奥さんと呼んでくださいます」
「妬けるわねホント。奴隷の癖に」
「奴隷騎士ですよ、ガンギマリーさん。シューターさんはこの村の騎士さまです」
わたしがそう訂正すると呆れた顔をして聖少女さまが笑ってくださいました。
◆
それからしばらくして、本当の意味でわたしの世界が大きく広がる出来事がありました。
サルワタの森の領地を代表して、夫とわたしが他領への外交歴訪に出かける事が決定したからです。
あわただしく村を出発したわたしたちは、村長さまとともに馬車に乗り込むとサルワタの森の開拓村を出発しました。
出発の折に窓の外を覗き込んでみると、ほんの少し前までわたしたちの住んでいた猟師小屋が見えます。
春、シューターさんがブルカに向けて村を出発した時もこの景色を見られたのでしょうか。
チラリと窓から馬に乗った夫を見やると、あまり馬がお好きではないのか不機嫌そうなシューターさんがガンギマリーさんと会話をなさっている姿が見えました。
きっとこれからの旅の事をお話合いになっているのでしょう。
シューターさんはこの村に来てからこっち、ずっとお忙しく動き回っておられますもの。
気が付けば村長さまの片腕として、こうして外交使節の使者様を務めるまでになられているのです。
それなのに。
その夫を支えるべきわたし自身が、わたしの様な田舎の娘が夫とともに代表を務めるのは本当に大丈夫だろうかと不安な気持ちもありました。
村長さまはこの時のために花嫁修業をさせて高貴な身の上のための礼儀作法を学ばせたのだとおっしゃっていましたけれども、花嫁修業をはじめてまだ日も浅く、やはり心配でたまりません。
こんな事では村長さまの仰った正妻としてしっかりとやっていく事が出来るのかしら。
そう思っていたところ、心配した夫に声をかけられました。
「俺もさ、本当のところを言えばこの村にやって来てからこっち、知らない事はじめての事ばかりで大変だったよ」
ゴルゴライの村にある宿での事です。
これから先、この村を発ったわたしたちはリンドルという街とオッペンハーゲンという街に立ち寄って、その土地の領主さまとお話をしなくてはいけません。
そんな不安なわたしの顔を察してくださった夫は、お宿でお風呂の準備をしているとわたしの腰に手を回して抱き寄せると、そんな事を口にされました。
「シューターさんもなのですか?」
「そりゃそうさ。今回だって外交使節の正使だろ? 使者の役割なんて普通の人間がやったこと、あるわけないじゃないか。だって俺たちちょっと前まで猟師の夫婦ですよ奥さん」
「そうでしたね、ふふっ」
「それが今では奴隷に落ちて、気が付けば騎士さまだ」
「はい、わたしの自慢の騎士さまです。出来ればわたしだけの騎士さまでいて欲しいものです」
わたしがそう言うと夫は困った顔をして誤魔化そうとしました。
きっとこの顔は、他の女性の事を考えていた証拠です。シューターさんはすぐに考えている事が顔に出るのでわかります。
だって、わたしはシューターさんの奥さんですもの。
「さてまず、どこから話したらいいかな?」
「そうですねえ。もちろんシューターさんは全部お話しくださいますよね?」
「も、もちろん包み隠さず、ツダ村でどのようなお話合いがあったのか、お話ししようね」
寝台の上に腰かけた夫は恐縮した顔でわたしを見やると、少しの間わたしと離れてツダの村に出かけていた間の出来事をひとつひとつはなしはじめました。
やはり、村長さまとはそういう関係になったのですね。予想はしていましたけれど、これはしょうがありません。
ガンギマリーさんも夫と婚約をする事になるなんて。これは予想外です。
エルパコちゃんはよく頑張りました。家族なのですからみんなで幸せになりましょうね。
この分ですと、いずれニシカさんまで言い出す日が来るんじゃないでしょうか。
その時わたしはどういう風に夫に接したらいいのでしょうか。
「ねえシューターさん。これからもわたしの事を愛してくださいますか?」
「もちろんだよ、何といってもカサンドラは俺の正妻だからね。一番大切な奥さんだ」
ひとしきりこれからの結婚についての相談が終わると、わたしを抱き寄せた夫はそんな事を口にしました。
「いけませんよシューターさん。わたしたち妻の事は公平に扱って頂かなくてはいけません、みなさんに優劣を付けるんですか?」
「え、いや。そういうわけじゃないんだけどな……」
「ふふっ、わかっています。けれども今はシューターさんはわたしだけの旦那さまです」
意地悪な事を口にしてしまいましたけれども、やっぱり嫉妬はあるのです。
でも今夜はシューターさんの正妻として、夫を独占してもいいですよね?
当初は安易な気持ちで投稿を始めた本作ですが、こうして長らく異世界村八分を続けてこられたのもみなさまにご愛読頂けたおかげだと思っています。
まだまだつたない部分もあるかと思いますが、これからも本作をよろしくお願いいたします。




