110 フェーデしますか逃げますか 中編
圧倒的強者を前にして俺は恐怖した。
ささやかな俺の格闘技人生に照らし合わせても、ゴリラと戦闘をした事はもちろんない。
しかしワイバーンやバジリスクと戦った経験はある。
俺たちの住んでいるサルワタの森の名称は、何と言っても巨大な猿人間のハラワタに由来しているというほどで、そのハラワタを森にぶちまけていたのもワイバーンによって捕食されたからという。
してみると、ワイバーンは巨大な猿人間より強く、そのワイバーン狩の名手である鱗裂きのニシカさんは巨大な猿人間よりも強いという三段論法が成立するのではないだろうか。
いや、しないか……
ゴルゴライ村の中央広場でのっしのっしと歩いている巨大な猿人間は、ゴルゴライ兄弟の側までやってくるとナメルシュタイナーが差し出した巨大な戦斧を片手で受け取った。
なるほど。あれはデブが使うための武器ではなく巨大な猿人間専用の武器だったのか……。
それを証明するように、華奢なカフィアシュタイナーには不釣り合いなほど大きな盾もまた、巨大な猿人間が奪う様にして装着するのである。
これは明らかに俺の予想の範囲を超えた出来事だった。
恐らく天秤棒でどうこう出来る相手ではない、しかも腰に吊った剣でも、接近するのも難しいんじゃないのかしらね。
こ、こんな時のためのポーションチートだ!
俺は腕に先ほどまで腕にしがみ付いていた雁木マリに視線を送った。
雁木マリは懐からカプセルポーションの注入器具を取り出すと、腕まくりをしてそれを押し付けていた。
「ふぅ、はぁ。くっ、ふうぅぅ……」
どうやら鎮静効果が期待できる様なカプセルポーションをキめているらしい。
大丈夫ですかねマリさん?
すると厳しい表情をしたニシカさんがあわてて俺に近づいてくる。
「ど、どうするんだシューター。あいつを倒すには接近して急所狙いをするしかないぞ」
「どうするって、ニシカさん。あんたはワイバーンも倒してしまう飛龍殺しの鱗裂きでしょう。巨大な猿人間もどうにかならないんですか……?」
「ならねぇよ! オレたち猟師が頂点捕食者であれるのは、自分たちの狩場内で戦う事が条件だ。どう考えたって、ここはオレたちのホームタウンじゃねえだろが」
「確かにそうだ。そうなると、役割分担をしっかり決めて、機動戦で勝負を決めるしかないですね……」
ウホウホと吼える巨大な猿人間を睨み付けながら俺は必死に考えた。
同じく身を寄せてきたカラメルネーゼさんが口を開く。
「婿殿には勝算はおありですこと?」
「集団戦闘をするときの基本は、一番強いヤツを最初に倒してしまう事だ」
「そうですわね、戦場でも指揮官をまず倒すのが原理原則ですわ」
「だから、ニシカさんには近接武器は捨ててもらって、お得意の強弓であの巨大な猿人間に一撃を加える戦い方をしてもらった方がいいかもしれない」
「それだと、巨大な猿人間を相手にするだけなら可能だが、他のデブとガリの相手はどうするんだよ」
俺の提案にニシカさんが難色を示す。
確かに全力で最初に巨大な猿人間を倒すことを考えるにしても、他の熊兄弟をどうするかについて何かいいプランがあるわけじゃない。
「だったら、あの化け物の相手は誰かひとりが引きつけておいて、早々にガリとデブを制圧する方法を考えた方がよさそうだな」
「いいですわ。わたくしの触手を使えば、最低ひとりはすぐにも制圧する事は可能ですわね。あの不埒なお坊ちゃんならば開始早々に絡めとってみせますわ」
俺がカラメルネーゼさんに視線を送ると、そう言いながら首肯してくれた。
問題はあの熊兄弟の実力だ。見た感じどちらも強者のオーラを感じないというのは先にも触れたとおりだが、見ている限り巨大な猿人間は兄のナメルシュタイナーの命令に従っている様に感じられた。
そうすると、あのデブが巨大な猿人間のご主人さまというわけか。
もしかすると俺がバジルを育てている様に、子供の時から巨大な猿人間をペットにしていたという事も考えられるけれど、どうだろうな。
もしかすると実際の見た目以上に強者で、実力をもってあいつを征服したという事も考えられないわけじゃない。
「とすると、問題はナメルシュタイナーの方だけになりますが、ニシカさんは巨大な猿人間とデブ、相手にするのはどっちがいいですかねえ?」
俺はニシカさんを見やった。
ニシカさんは村界隈で一番の猟師であり、恐らく戦闘をさせてもかなり粘ってくれる事は間違いない。
俺が巨大な猿人間の相手をするべきなのか、デブの相手をするべきなのかも迷うところだった。
「ニシカさんが巨大な猿人間の相手をしたことがあるのなら、まず序盤はお任せしておくのがいいかなとも思いますわ。どうですの?」
「おっオレか。確かに巨大な猿人間をサルワタの森で仕留めた事はあるが、あれは連中の部族からはぐれた若いやつだった。そもそもアイツらは集団で行動をしているから、部族の連中相手に戦った事はねえし、これはもうやってみなくちゃわかんねぇぞ……」
そして目の前の巨大な猿人間は、間違いなく部族でも戦士階級だと言われてもおかしくないレベルでムキムキの個体らしい。
「だから、いくらオレ様でも、あれを御する自信はねえな……」
「わかりました。じゃあアイツは俺が相手をすることにしましょう。それならニシカさん、」
「んだよ」
「デブを決闘開始と同時に倒してしまうしかないですね……」
「わかった、やるだけはやってみる」
そう返事をしたニシカさんが、会場の主賓席で控えていたけもみみに向かって「おい、オレ様の弓を持ってこい!」と叫んだ。
エルパコはすぐにもコクリとうなずくと、もしものために用意していたニシカさんの長弓セットを持ってこようとする。
それを見届けたニシカさんが俺たちに向き直って、苦しそうに言葉を吐く。
「とにかく速攻であの熊兄弟を制圧しなければ、どうやっても詰んでしまうという事だぜ」
「ポーションチートでどこまで力の差を埋められるのか。おいマリ、体力強化、筋力強化、知覚強化、回復強化、興奮促進、あるだけ全部ポーションを使いたい。っておいマリ?」
足元には使い切った複数のポーションカプセルの殻が転がっている。
鎮静効果を期待できるポーションをキめていた雁木マリは、どうやら完全にダウナー状態で虚ろに立っているだけの役立たずに成り果てていた。
◆
完全に使い物にならなくなってしまった雁木マリにかわって、もうひとりの騎士修道会の人間、修道騎士ハーナディンが試合の証人として立ち会ってくれた。
「このフェーデはゴルゴライ領主ハメルシュタイナー準男爵の発起によって、サルワタ騎士ニシカとの間で行われる。当事者たるカフィアシュタイナーは、兄のナメルシュタイナーと騎士ゾンゴンアグバンジャビンを介添人とする。訴えられたサルワタ騎士たる鱗裂きのニシカは、騎士シューターとカラメルネーゼ騎士爵を介添人とする」
あの巨大な猿人間の名前はゾンゴンアグバンジャビンという長たらしい名前らしいが、今はそんな事も気にならなかった。
倒してさえしまえば、その長たらしい名前も死んだ巨大な猿人間のひとつで片づけられる。
一応は雁木マリも責任者としてその場に立ってはいるけれど、巨大な猿人間を前にして彼女は相変わらず使いものにはならない。
過去の事を考えればそれも仕方がないのかもしれない。
そして彼女の過去のトラウマを克服するためにも、俺たちはここで巨大な猿人間を倒さなければならないのだが。果たしてそれは可能なのだろうか……
「それではお互いに前に出てください。勝負は双方どちらかの全員が戦闘不能、あるいは降伏を認めた段階で終了します。異議が無ければ、これより武力解決手段を開始しますよ?」
「おう。俺たちはそんなサルワタの田舎者なんかには負けない」
「言ってくれるじゃねえか、辺境の田舎者なのはお互い様だろ? さっさと勝負をはじめようぜ」
ハーナディンの言葉にデブとニシカさんが応酬した。
ここまでくればもう引き下がれない、ハーナディンが開始の合図さえ出せば戦いの火ぶたは切られたのである。
「よし、それでははじめ!」
ハーナディンの号令とともに俺たちは動き出した。
相互の距離はおおよそ十数メートルといったところか。巨大な猿人間があまりにも巨大なので、その距離感覚を見誤ってしまいそうになるが、デブを見ている限りそのぐらいの距離がある。
そして戦いは実際に拳を交えてみないとわからないところがあるので、俺は悲観ばかりをするつもりもなかった。
事実、目の前の巨大な猿人間は緩慢な動きとともに戦斧をゆっくりと持ち上げようとしている。
これはもしかしていけるんじゃね?
そういう期待感が一瞬だけ脳裏をよぎったのもつかの間、信じられない事に神速な動きでナメルシュタイナーとカフィアシュタイナーが飛び出してくるのだった。
「ふたりとも!」
「チッ、わかってるぜ」
「承知していますわ」
俺の叫びに呼応して、ニシカさんが素早く距離をとりながら弓を射かけようとする。狙いは適当だが、これはきっと風の魔法で軌道修正するつもりで放ったのだろう。
一方のカラメルネーゼさんは、ニシカさんと反対に抱いていた剣を抜き放つと、暴れる触手をうごめかせながら前に出る。
俺もまた天秤棒を握りしめながら駆け出した。
本来ならば巨大な猿人間から真っ先に潰すつもりだったのに、出だしからその作戦は台無しになってしまったのである。
熊兄弟は見かけによらず軽やかな身のこなしだった。
最初は大きな戦斧を武器にするのかと見えていた兄ナメルシュタイナーの方は、短剣をふたつ抜き放つと両手に広げて俺の方に迫り来る。
弟のカフィアシュタイナーも似たような戦闘スタイルで、こちらも短剣二刀流という格好だ。
「連中は機動力を生かして俺たちの連携を阻害し、動きが止まったところを巨大な猿人間で仕留める作戦だ!」
俺は斬りかかってくるデブの連撃を天秤棒で払いながら、巨大な猿人間の動きにも気に払わないといけないというひどい有様になったのである。
カラメルネーゼさんもまたアテが外れたのか、ニシカさんに襲いかかろうとするガリの弟をけん制に走る。
「くそ、そんな棒切れで俺を倒せると思うなよ下郎が!」
「うるさいよ、デブのくせにちょこまかと」
子供の喧嘩みたいな口上を言い合いながらも、絶え間なく斬りかかってくるデブの攻撃を必死で受け止めた。
本来ならば天秤棒の出来るだけ端を握る様にしてリーチによる戦闘を心がけるところだが、今回はデブの連撃に対応するために、握りを短く持つ。
というよりも、天分棒の中心軸近くを持つ様にして、棒の前後をうまく攻守に使いこなせるようにしないといけなかった。
くそう、こいつかなり強い。
悪い方の予想通りに、いざ戦闘になるとめっぽう強くなるタイプの戦士さんでしたわ。
けれども不思議と負ける気はしなかった。
ギリギリのところで実力差があるらしく、双剣による連撃こそ恐ろしい早さだったけれど、見切れないほどではない。
慣れとは恐ろしもので、俺がこのファンタジー世界で剣を振るって戦った経験を蓄積した結果、どうやら萎縮せずに戦えているらしいのだ。
それにポーションの効果も上乗せされているはず。
だけれども。
何とか天秤棒を振るって押し返し、こちらから反撃に出ようとした瞬間に、巨大な猿人間が邪魔をしてくるのである。
「ウホッホ、ワンパン!」
中央広場の石畳に叩きつける様な戦斧の一撃。
初動は緩慢なくせに、攻撃の終末運動に入る瞬間だけはめっぽう迅速の攻撃だった。
俺はかなり腰の引けた状態になりながらそれをかわすが、その瞬間にナメルシュタイナーが短剣を突きさしてくるのである。
「ちっ、しくじったか」
「やられてたまるか……」
荒い息をしながら飛びすさり、何とか距離を取ろうとした瞬間に巨大な猿人間の戦斧が俺の目の前に迫りくる。
たまらず天秤棒で受けようとしたが、そんなもんは巨大な猿人間にとっては枝葉程度の防壁でしかなかったらしい。
見事に一撃で破壊されたかと思うと、俺は慌てて天秤棒を打ち捨てて刃広の長剣を引き抜いた。
長剣なら斬撃による裂傷を相手に期待できるけれど、リーチが短くなったぶんもしかすると不利になるのかもしれない。
冷静なのか興奮状態なのか、まぜこぜのポーション効果でおかしくなっている脳がそう考えた。
それにしても、どうして俺だけ二対一の構図なんですかねえ?!
ニシカさんとカラメルネーゼさんは何やってるんですかッ。
俺の悲痛な心の叫びが届いたのだろうか。
一瞬だけ背後を気にするチャンスがあってチラリと見やったところ、見事に無数の触手によって絡めとられたカフィアシュタイナーの姿が飛び込んできた。
カラメルネーゼさんの腰から無数に生えるその蛸足が、痩せすぎの少年を死の抱擁でくびり殺そうとしているのである。
カフィアシュタイナーの体にはニシカさんが放ったであろう弓が深々と刺さっており、もしかするとカラメルネーゼさんの触手攻撃がなくてもやがて死ぬ運命だったのかもしれない。
そしてもうひとつ、期待できる出来事があった。
いよいよ鱗裂きのニシカさんが、引き絞った強弓のつるを解き放ったのである。
直線を描いたその矢は、怒り狂いながら俺を襲おうとしていた巨大な猿人間の胸に向けてまっすぐに飛び込んでいった。




