閑話 サルワタを統べる者 嫉妬
わらわはシューターを得たことで、ひとつの野心を膨らませていた。
どれだけの歳月をこの痩せ枯れた土地に尽くしてきたのか。
辺境の地というのは常に物資が不足しているものだ。
わらわが嫁いできた十数年前といえば、薬は常に足らず食料は厳冬で麦が不作になれば飢餓に見舞われた。
流行病の到来も、森に踏み入った者がどこからか貰って来ては広めるので、油断は出来ない。
ふたりの夫に先立たれ、あげく忘れ形見のギムルを託されたわらわの心情は言葉に表せぬ焦燥感で一杯だった。
何をやっても上手くいかぬわらわの人生を呪いたい気持ちが無かったと言えば嘘になるだろう。
厳冬の影響で麦が不作の年には、自らの失政を認めた上で中央に救済を求める書簡を送りだしたのは、まだ記憶に残っている。
けれども権力闘争に明け暮れる王侯貴族たるや、寄越したのはたった一通の書簡である。
ブルカ辺境伯を頼れ。
わらわは国王によって命じられた騎士であり、その後サルワタを受け継いだことで騎士爵の位を持つ国王の臣下である。
それをよりにもよってブルカ辺境伯を頼れと言うのは、いったいどういう事か。
国王の名で夫エタルが二〇余年かけて切り開いた開拓は、いったい何だったのかとその時わらわは思った。
その事業の跡を継いだのは、わらわである。
さらにそれを次代に受け継ぐのは義息子ギムルなのである。
武に優れ学もあるシューターは、村に来てこれより役に立った。
野牛の一族と交渉を果たし、街に出ては移民を募り、これまであまり頼りにならない村出身の若い幹部のことを考えれば、これほどいい男はいないな。
ダリエルパークは見合いであったし勝手に死んでしもうた。エタルはふた周りも齢が離れて父娘の様な関係であった。
もはやわらわにとって一番の頼れる男はシューターになっていたのである。
ふとした時、何を思ったか「アレクサンドロシアちゃん」とわらわをからかった彼の事をお兄ちゃんと呼ぶようになった。
口にしてみると、さほど不快な気持ちはなかった。
◆
けれども。
シューターを我が手元に残したいと望むあまり、わらわは気付かぬうちにふたつの大きな過ちを犯してしまったらしい。
村に留め置くためには嫁でもくれてやれば里心が付くだろうと。
そうしたわらわの打算は、見事に裏目に出てしまった。
彼の嫁にと選んだのは猟師ユルドラの娘カサンドラだ。
ユルドラはこの冬にワイバーンを仕留めるために森へ入ったものの、暴れる飛竜と相打ち死んだ。
縁者の無いこの娘の救済をせねばならぬ事は村長として当然の事だし、生前のユルドラとの取り交わしで、村の生計を支えている猟師の中でこれはと思う者があればカサンドラを嫁がせようと話していたのである。
シューターはその嫁ぎ先として最適であるとわらわも思っていたのだが、これは早合点が過ぎた様だ。
ふたりの夫婦仲について言っている事ではない。
カサンドラははじめ、わらわが物見の塔の地下牢に放り込まれたシューターを世話せよと命じたとき、たいへん不満の顔をしていたものだ。
それがしばらくしてシューターが街よりもどって少し経った後、夫婦生活について訪ねてみたところ、
「お気遣いありがとうございます。シューターさんには大変よくしていただいております」
と言ったのだ。
もちろんこれは両者を引き合わせたわらわとして、これほど喜ばしいことはない。であるのに、納得のいかぬ気持ちは何か。
内心の気に障る気持ちを少し表に出してしまい、わらわは意地の悪い質問を繰り出す。
「ほう、例えば?」
「た、例えばですか」
「そうだ、どの様にかわいがってくれるのかの?」
「お風呂にはいるときはいつも体を丁寧に拭いてくださいますし、髪も洗ってくださいます」
「ほほう。全裸を尊ぶ部族というのは、よほど女が大事と見える」
お兄ちゃんめ、わらわに対する態度とはえらい違いではないか。
「あ、あまりしつこい時もあるのですが、わたしの顔を見ると夫は悲しい顔をしておやめになります。それから、髪を洗ってくださる時はとても気持ちいいです」
けしからん、何というノロケだ。わらわはたまらず安楽イスから身を乗り出してしまう。
これではさぞ夜の夫婦生活も上手く行っているのであろう。
そんな事を考えていると、ついその言葉が口をついて出てしまっていたらしい。
「なるほど、夜の生活にも満足しておる様だな」
しまったという顔をたぶんわらわはした。してしまってから、戸惑いの顔を浮かべたカサンドラに、たまらず咳払いをしてしまった。
この時になって、ようやくわらわは自らの過ちのひとつに気付いた。
この娘にシューターを押しつけておきながら、ひどく嫉妬しているのだと。
そしてもうひとつの過ちは、村にひとりだけカサンドラの縁者がいた事。
亡きユルドラの弟夫婦の息子、オッサンドラである。
この男の両親もすでに死没し、齢の離れた姉マイサンドラも隣村へと嫁いでいたのだが、この男はどうやらカサンドラに懸想していたらしい。
肥えた体格で若いくせにアゴ髭を蓄えた男だというのに、まるでわらわの中からはぽっかりと失念していた。
この男がシューターの留守中、たびたびカサンドラに言い寄っていたのである。
何度かは亡きッサキチョの跡を継がせた猟師の親方ッワクワクゴロによって追い払われたらしい。
しかし街より戻ったギムルが土産を片手に猟師小屋を訪ねたところ、懲りないこの男はいよいよカサンドラを押し倒そうとしていたらしい。
「村長。オッサンドラはこの際、厳しい処分を言い渡すべきです」
「ほほう。ギムルよ、お前はシューターの事をあまり快く思っていなかったはずであるが、この旅の間に何か成長があったと見えるな」
「い、いえ。あの男は信頼できる男ですので」
旅の道中に何があったのかは知れぬが、男としていっぱしの成長を見せた義息子の進言に従って、わらわは当面カサンドラへの接見禁止をオッサンドラに命じた。
しかしこれでもまだ足りなかったらしい。
いよいよ開拓の促進を宣言して森の湖畔に築城を開始したあたりで、次々に不可解な事件が起きた。
付け火に殺人。
これらは、さすがわらわの見込んだ男というだけはあって、シューターの働きで犯人を見事仕留めた。
だがその引き替えに接見禁止を命じていたはずのあの男が、カサンドラを強姦したのである。
やはりわらわの不埒な想いが施政者としての眼を曇らせて、こうした可能性を予見出来なかったのだろう。
カサンドラに続き、野牛の娘タンヌダルクを娶らせ、嫉妬を覚えながらもわらわ自身、将来はシューターに身を任せても良いとさえ想い、覚悟も定まりつつあった。
恐らくこれだけの女に囲まれて、シューターはもはやわらわたちを裏切る事はないだろうと。
けれどもカサンドラに対する負い目は、今回の件でとても大きくなり、そしてどの様に詫びていいものかと、わらわの中に重くのしかかる。
◆
冒険者カムラの村入りに端を発した様々な事件の末、わらわは改めてブルカ辺境伯との対決姿勢を村の主だった人間に宣言した。
兼ねてよりその意志はあったのだし、シューターにだけはその心内を話しておったので、気負いはなかった。
何れ領内を富ますためには必要なことだったのだと幹部たちに、ひいてはわらわ自身に改めて言い聞かせたのだ。
そのための協力体制を辺境広域に布くため、わらわは外交使節をこのサルワタから送り出すことにした。
辺境の鉱山都市リンドルと、中継貿易都市オッペンハーゲンへ向かう使節の正使を務めるのは、当然の事ながらシューターをおいて他無い。
けれども、その前に是が非でも騎士修道会との協力をとりつけねばらなぬという事で、わらわはシューター夫妻のために用意された馬車に乗り込んだ。
カサンドラへの謝罪の機会はこれをおいて他ないと思ったからだ。
「あ、あの村長さま。わたしもこの馬車に乗っても良かったのでしょうか?」
「何の問題があるというのだ。ん? お前たち夫妻はわらわの送り出した外交使節団の使者であるだろう」
「ええと、使節団の使者を務めるのはシューターさんで、わたしはどうして同行するのか未だによく……」
野牛の族長より借り上げた豪奢な馬車の中で、萎縮していたカサンドラがそんな事を申し訳なさそうに言った。
聞いたわらわは、申し訳ないと思いながらも、ついつい声を上げて笑ってしまった。
「アッハッハ、お前はそんな事を気にかけていたのか」
「うう、はい……」
これ以上萎縮させてしまったのでは、謝罪どころではない。
少し落ち着かせるために、わらわは声音を改めて言葉を続ける。
「安心せよ。貴族の外交においてはだな、使節を送り出すときは夫婦そろってというのがひとつの作法になっておる。だからわらわはお前に花嫁修業をさせておったのだ」
「そうなのです。どれぇの第一夫人はカサンドラねえさまなので、外交使節に同行されるのは、何もおかしいことはないのですねー」
わらわの言葉に、馬車へ同乗していたッヨイハディも言い添えた。
「そうだったのですか。まだまだ拙いですが、やっておいて本当によかったです」
「うむ」
ややホッとした表情を見せたカサンドラを馬車の中で見やりながら、言葉をどう続けるのかわらわはタイミングを探った。
「してカサンドラよ、」
「はい?」
意を決したわらわは、揺れる馬車の中で居住まいを改めながらカサンドラの眼を見た。
謝罪の言葉、そしてそれに続く言葉。
この様な仕打ちをカサンドラに与えておいて、果たしてこの娘に許しを得ることは出来るのだろうか。
「わらわから、言っておかねばならぬことがある……」




