95 豚面の猿人間の村に到着しました
旅立ち二日目の昼頃、俺たちはゴルゴライの村という場所に到着した。
ゴルゴライはサルワタの開拓村とは違い教会堂や商店などが密集したたたずまいだった。
領主の在所であるため、恐らく村から街へと移行期にさしかかっているのだろう。
そして土壁と石造りの家が混在しているのは、サルワタよりも古い時期から開拓が行われた事を物語っている。
「ここから俺たちは別行動という事か」
「そうね。ツダの村に外交使節の一団で乗り込んでしまうと、どうしても辺境伯の耳にあたしたちの行動が届けられる可能性が高まってしまうもの」
「そうだよな。いずれブルカ伯の耳に届くとしても、それは少しでも遅い方がいい」
一団の先頭で馬を並べて入村した俺と雁木マリが言葉を交わした。
少なくともツダの村で騎士修道会総長と会談を終えた後、可能であるならばリンドルに到着して以後というのが望ましい。
オッペンハーゲンの領主はブルカ辺境伯とは長くライバル関係にあるので、むしろ俺たちがブルカと対決姿勢を示したことで話に乗ってくる可能性もある。
が、リンドルの旗色は今の段階ではわからないのだ。
仮にブルカ辺境伯に俺たちの行動が知れてしまった場合、リンドルに対して辺境伯から何かしらの圧力が行われる可能性がある。
「しかしこの村には宿があるのだな。立派なものだ」
「ここも河川に沿って村が起こり、その反対側を用水路が流れていたでしょ?」
「ああ、サルワタよりも村そのものの規模は小さいが、同じ様になっていた」
環濠集落というやつである。
ゴルゴライの人口は恐らく五〇〇人を大きく超えるという事はない比較的平均的な村だろうが、ここに村をぐるりと囲む城壁が加われば、立派な城郭都市になるだろう。
「村に宿屋があるという事は、ここも交易の重要な拠点のひとつという事なのかな」
「どうかしらね。単純にサルワタ領は王国の最果てだから、宿屋がある必要がきっとないのよ。行商人はドロシア卿とだけ商取引をして、運び込まれた品物は彼女が村に分配するわけでしょう?」
「確かにそうだな。だとすると、行商人がそれぞれの集落を回る必要も無いか。村長さまの屋敷には立派な客間もあったしな」
「そういう事なのでしょうね。さ、宿屋に到着よ」
石造りのなかなか立派な宿屋を前に、俺はおたおたしながら馬を飛び降りた。
「あの、こんな豪華な部屋じゃなくても、わたしたちもみなさんと同じ吊り床でいいのですが……」
「一応、お前ぇは騎士夫人なんだから、カサンドラはここでいいんだよ」
宿屋にはふたつの部屋があった。
ひとつは高貴な者が公務で旅中に利用する豪奢な部屋と、申し訳程度の敷居がある吊り床部屋である。
馬車の荷物を運び出して宿に入った時、はじめカサンドラはみんなと一緒になって、吊り床部屋に向かおうとしていた。
そうすると、あわててニシカさんやエルパコが制止したのだ。
ほんの少し前まで貧乏暮らしをしていたので、まあ俺たちは吊り床の方が当たり前に受け入れてしまいそうだ。
「こ、こんな豪華な部屋の調度品を壊してしまったら大変です」
「それなら安心よ。高貴な身の上の人間は、調度品が壊れても元から不良品だったに違いない、不愉快だと言ってあべこべに宿屋に抗議するわ。カサンドラ夫人もそうなされば平気よ」
目を白黒させていたカサンドラに、雁木マリがとんでもない入れ知恵をしやがった。
さて、ゴルゴライの村でカサンドラたちと別れて改めて馬上のひととなった俺たちである。
ツダの村を目指すのは、今回の会談の一方の主役であるサルワタ騎士爵アレクサンドロシア=ジュメェとその郎党である俺、エルパコ、冒険者エレクトラとダイソン、それから雁木マリと修道騎士三人である。
また、ゴルゴライの村にはニシカさんと野牛の兵士たちがカサンドラにもしもの事が無い様に馬車とともに待機している。
馬車を置いて機動力の増した俺たちは一路ツダの村に向けて加速した。
照り付ける陽射しは強烈なものだったけれど、早駆けする馬上で身一杯に浴びる風は涼やかだった。
道程は今までの開けた平原の地形から、ブルカ領内に入ったあたりで風景が変わった。
ほんのひと月前に通過した道だったけれど、ちょっとだけ懐かしい気分だ。
街に近づくにつれ辺境僻地の風景はなくなり、いよいよ一面が田園に囲まれた世界となった。
そしてしばらくすると、先導をしていた修道騎士のひとりが馬脚を返して俺たちに叫んだ。
「この先でツダの村に分岐する三叉路にさしかかります!」
「あたしたちはこのまま総長と落ち合うためブルカ方面に向かうわよ。ドロシア卿はツダを目指してください」
雁木マリも馬足を止めながら女村長を見やる。
「わかった。それではダイソンよ、例の件を手配するために、聖少女どのとともに街へ向かってくれ!」
「招致の件、承知だぜ!」
「しょうちのしょうち? 何のことだダイソン」
「へへ、旦那はお楽しみにしていくだせえ」
よくわからない事を女村長とダイソンが交わすと手に何かの巻物を掲げて見せた。
それを見届けると「行くわよ」と馬に鞭を入れた雁木マリに従って、修道騎士とダイソンが疾駆していった。
「さて、ツダの村というのはオークの治める村だと聞いている」
「オークというと豚面の猿人間か何かですかねえ」
「よく知っておるではないか。いかにもオークとは豚面の猿人間さ」
モノの本によれば、オークと言えば姫騎士や女騎士をヒィヒィ言わせる部族のみなさんである。
そんな場所に女騎士そのもののアレクサンドロシアちゃんが行けば、まさか「くっ殺せ」などというフラグが立たないだろうかと心配になってしまう。
しかしこのファンタジー世界における豚面の猿人間は、そういう人々ではなかったらしい。
「シューターは腸詰めのひき肉料理というのを知っているかの」
「ソーセージの事かな?」
「詳しくは知らんが、ヤツらは腸詰め料理を作らせれば絶品というからな、今から楽しみではないか」
「料理ですか。まさか俺たちがひき肉料理のミンチに使われるという事はないでしょうね……」
「シューターさん。それは猫の猿人間の話だよ、ケットシーだかキャットシーだかという部族だね」
俺の心配をよそに、冒険者エレクトラが俺の隣に馬を並べながら説明をしてくれた。
なるほど、その何とかシーという部族は人間をミンチにして食べるのか……。
猫面の猿人間に捕まる事が無い様に注意しなければならない。俺は女村長に捕まって本当に幸せ者だったのだ!
恐ろしい想像を馬上で働かせて、俺は冷や汗を額に浮かべてしまった。
「あっはっは、安心しろシューター。ケットシーがひき肉にするのはジャッカル面の猿人間だけだ」
「コボルトを食用にですか。それにしてもいろんな猿人間がこの世界に入るのですね……」
「そう聞いておるな。すべての獣人はいにしえの魔法使いたちよりはじまったと神話は伝えておるが、今となってはいにしえの魔法使いたちによって多くの種とその混血が生まれておる」
このファンタジー世界をかつて支配していたという、いにしえの魔法使いというのは本当に罪深いな。
動物を片っ端から擬人化して手を付けたんだからな……
「それじゃいにしえの魔法使いたちというのは何者なんでしょうねえ」
「恐らくはそれがエルフ族であったのだろう。耳の尖った猿人間というのは、たいがいが長耳の末裔なのだろう。ゴブリンやエルフなどがそうだ」
「すると、ヒト族というのは何面の猿人間なのですか、村長さま」
俺たちの会話に興味を持ったらしい先頭のエレクトラが、振り返ってそんな質問をした。
ふむ、確かに俺たちヒトもこの世界では何者かの猿人間なのかもしれないな。
ところで女村長は炎天下にドレス姿でよほど熱いのか、馬に揺られながら胸元のボタンを少しはずしていた。
おおお、大きすぎる事はないが、それでもその谷間に見える蠱惑的な肌はそそるものがあるね!
「ふむ。さしずめシューターの顔を見ていると、ヒト族というのはアホ面の猿人間であるらしいの」
俺にジロリと視線を送った女村長は、口元を少しほころばせながらそんな冗談を口にした。
しっかり俺がガン見していた事はバレてました!
◆
俺の名は吉田修太、三二歳。
女村長のために団扇を仰ぐのを仕事にしている男だ。
「それにしても暑いな」
「真夏ですからね、こればかりはしょうがありませんねえ」
「だからと言って、なぜこのクソ暑い時期にわらわは正装をしていなくてはいけないのだ」
「まあこれも領主として、貴族としてのお役目ですから。諦めなさい」
俺が大きな団扇を仰ぎながら諭すと、女村長は不機嫌に鼻を鳴らすと眉間にしわを寄せた。
眉間にしわ寄せたアレクサンドロシアちゃんもかわいい!
昼下がり。ツダの教会堂の宿舎にある窓は開け広げられて、少しでも外の空気を取り入れようとしていたけれど、入って来るのは熱のこもった生ぬるい風ばかりであった。
どこから見つけて来たのか安楽椅子にいつもの様に腰を落ち着けていた女村長は、たまらず首元のリボンを緩めようと手を伸ばした。
すると、俺たちの会話をよそにせっせとカンバスに向かっていた男が苦情を口にする。
「あああ動いてはなりません女騎士さまっ、じっとしていてもらわなければ」
「……おい絵師よ」
「何でしょうか、アレクサンドロシアさま」
「わらわはいったいいつまでこの格好でじっとしていなければならんのだ」
「し、下書をしている間はご自重下されば……」
カンバスに油絵具を塗り付けようとしていた筆を止めて、しどろもどろになりながら男は諭した。
男の名はヘイヘイジョングノー。
見るからに芸術家肌の男らしくややこけた顔にすぼめた眼、それから神経質そうにねじれた髪を抑える様に三角帽を被った男だった。
これだけクソ暑いというのに、長袖の被り服を着ているのは思わず神経を疑ってしまう。
ここは豚面の猿人間たちが治める村であるけれど、ヘイヘイジョングノーはどこにでもいる人間である。
俺たちがツダ村の教会堂前へ到着すると、村の広場で絵を描いている男がいたのだ。
それがヘイヘイジョングノーさんだ。
旅をしながら絵を描いてそれを売りつけるという生活をしているらしいが、たまたま旅装束の俺たちが教会堂へ入っていくのを見つけて声をかけられたという次第だ。
「素晴らしい。そして美しい! ぜひその絶世の美しさを、僕の手で後世に残したいとは思いませんか?」
そんな事を言われて気を良くしたアレクサンドロシアちゃんが、ツダの村で騎士修道会総長を待つ間の暇つぶしにと、教会堂の宿舎の中へ招き入れてしまったのである。
しかし絶世の美しさと言われたものだから、女村長はさっそく甲冑姿を解いて、いざ騎士修道会総長と会談に臨むために用意していた正装のドレスを身に着けて絵を描かせる事にしたのだった。
これじゃ暑くても自業自得なのだけれど、しょうがないね。
女の子はいつだって美しく着飾りたいものだし「後世に残しましょう」と言われれば我慢ですよ我慢。
「暑くてかなわんぞ」
「ヘイヘイジョングノーさん、完成まであとどれぐらいかかるんですかねえ」
「も、もう少しの辛抱ですから。あとほんの一刻」
一刻というのはたぶん元いた世界で二時間ぐらいの事だろう。
見ているところ、俺は絵画について詳しくは知らないが、油絵スタイルみたいなので描いているんじゃないかと思ったのだが。
それにしては完成が意外に早いものだな。
試しにカンパスを覗き込んでみると、いかにも油絵を描く時にぐるぐるまるまる、よくわからない下絵から少しずつ人物描写が克明になっていく描き方ではなかった。
なるほど。油絵具を使うと言うだけで基本的に別のお作法で絵を描くのか。
しかし暑いな。少し前なら全裸で過ごしていたのに、服を着るとこんなにも暑いのか。
全裸が急に懐かしくなった俺は、女村長の側に戻って来ると、ついつい自分自身を団扇で仰いでしまった。
この世界にある団扇は、どちらかというと三国志の名軍師が持っている様な羽根で出来たアレである。
すると不機嫌に眉間へしわを寄せたアレクサンドロシアちゃんは、俺の仰いでいる団扇を乱暴に奪い取ってこの部屋を退出してしまおうとした。
「ええい、もうやってはおれぬ!」
「ああっお待ちください女騎士さまっ」
「後はそちらで何とか致せ、その方も絵師であろう。さんざん待たせて出来ませんでは良心がないぞ」
「そんなぁ……」
アレクサンドロシアちゃんは文句を吐き出して出て行ってしまった。
外で「エレクトラ、水と手ぬぐいを用意しろ!」と叫ぶ声がしたので、体を拭きに出て行ったのだろう。
ま、これだけ暑いと人間もイライラするよね。
「どうするね、ヘイヘイジョングノーさん」
「……僕の事はヘイジョンと呼んでください。親しい人間はそう呼んでいます」
「じゃあヘイジョンさん。後はひとりで何とかなるかな?」
「何とかしますよ。僕も絵師の端くれだ、この目に焼き付いた猛々しくも美しい女騎士さまを、このカンバスに再現してみます!」
そうかい。じゃあ俺はアレクサンドロシアちゃんの警護があるから、ここで失礼するよ。
気を取り直してカンバスにかじりついたヘイジョンさんを残して、俺は風呂仕度をしに出て行った女村長を追いかけた。
その後。
あわてて部屋に飛び込んだ俺は、服を脱ぎかけていた女村長にぶつかってしまった。その時に雷を落とされたのは、もちろん偶然であると言いわけしておく。
だがこれだけは言いたい。
やはり何度見てもいいものだ。アレクサンドロシアちゃんの胸は、やや垂れてなおますます魅力的であったと。




