93 旅立ちの前夜 後編
お待たせしました、後編です!
逃走したニシカさんを追って自宅に戻ってくると、食堂ではタンヌダルクちゃんがティータイムの支度をしているところだった。
先に屋敷に帰っていたカサンドラと、それから野牛の族長が団欒をしているではないか。
「旦那さま、おかえりなさい。馬車の手配が付きましたよう」
「ああタンヌダルクちゃん。いま村長さまのお屋敷の前で確認してきたところだ。かなり立派な馬車の様で、タンクロードさんありがとうございます、ありがとうございます」
「おう、いいって事だ兄弟」
俺がいつもの様に低姿勢で頭を下げると、義兄は牛面をニヤリとさせて軽く手を上げてくれた。
ティータイムをしているくせに、野牛の義兄からは闘志のオーラがこの瞬間も噴き出しているから恐ろしい。
しかも義弟どのという呼称からいつの間にか兄弟に呼び方が変わっているじゃないか。
「兄弟も、蛮族の諸領主との外交団に加わるそうだな」
「そうなんですよ、明日にも出発の予定です。タンクロードさんにはご迷惑をおかけしますが、領内の事はよろしくおねがいします」
「そこのところは任せてくれ」
大きくうなずいたタンクロードバンダムは、その鍛え上げられた肉体に似合わず器用にティーカップを持ち上げた。
近頃、奥さんたちが凝っているこのファンタジー世界風のお茶である。
確かセージにローズマリー、ラベンダーを煎じたもので、風味も甘酸っぱい赤みがかった飲み物だった。
少なくともこの村でお茶と言えば、チャノキを原材料にした紅茶でも緑茶でも烏龍茶でもなく、何か別の部位を使った加工物である。
つまりハーブティーの類だ。
「シューターさんもお掛けになってください。お仕事大変だったでしょう?」
「そ、そうだね。ありがとう」
俺はカサンドラに勧められるがままに食堂の上座に着席した。
本来ならば野牛の族長たるタンクロードバンダムが上座に座ればいいものを、そこはちゃんと空席になっていたのでちょっと微妙な気分である。
どうやら居間の方を気にしているエルパコの様子から、眼帯長耳はあちらに逃げ込んでいるらしい。
手招きをしてけもみみを呼び寄せた俺は耳打ちをした。
「ニシカさんを探して、次に勝手な事をやったら両眼アイパッチの刑にすると俺が言ってたとだけ伝えておきなさい」
「うん、わかったよ」
エルパコを送り出すと、立ち上がったタンヌダルクちゃんがティーカップを俺の前に差し出してくれ、お茶の支度をしてくれる。
「旦那さまが留守にするので、わたしはとても不安ですよう。どうしてわたしも連れて行ってくれないんですか?」
「そういう聞き分けの無い事を言うものではないぞダルク。ご領主によれば、外交というのは一種儀礼のものだそうだからな。そういう役回りは正妻の務めというものだろう」
とても悲しそうな顔をして俺を見やって来たタンヌダルクちゃんだが、義兄がそう言って諭してくれたので不満顔のまま引き下がった。
そういう次第でタンヌダルクちゃんは今回村でお留守番の役目なのである。
「義姉さんが羨ましいです」
「ごめんなさいねダルクちゃん。わたしも同行していいのか不安でしょうがなくて……」
「大丈夫です。義姉さんはなんてったって正妻ですからねえ。義姉さんのご苦労を少しでも楽にできる様に、わたしも花嫁修業がんばりますよう」
ちょっと気を取り直して意気込んで見せるタンヌダルクちゃんだが、
「でもでも、わたしが知らない間に旦那さまにもしもの事があったらと思うと……」
「未開地の蛮族相手に交渉というのも大変だろうが、まあその武術の腕は本物だから心配はないだろう。何しろそこは俺が保証してやれるからな」
「そうですね。兄さんに勝った人間は旦那さまだけですからね。旦那さまは全裸最強です!」
ちょっと興奮気味のタンヌダルクちゃんが、お茶を注ぎながら少しだけこぼしてしまった。
「あらいけない」
「駄目ですよダルクちゃん。お茶は貴婦人の嗜みなのですから、優雅にしないと村長さまにお叱りを受けてしまいます」
「ごめんあそばせ旦那さま、オホホ」
カサンドラにたしなめられて、タンヌダルクちゃんはおかしな似非貴婦人風の言葉を口にした。
女村長の屋敷ではいったい何を教えているんだ……
そんな風に思っていると、カサンドラが何やらタンヌダルクちゃんを手招きしてコソコソと密談をはじめた。
何だ、気になるけど俺の方を時々見てはヒソヒソ話している。
俺がジロジロ見ているとさらに声を潜めて背を向けながら話を続けた。
そして時おり「キャ」とか黄色い声が聞こえてくるから、ますます怪しい。
「と、ところでタンクロードさんは村に滞在中、どちらで寝泊まりされるのでしょうか」
「おうその事だが、領内警備のために兵士をずいぶん連れて来たからな」
「それはまた大変で。どうされるのですか?」
「ご領主の命によって俺はジンターネンという者の屋敷を借り上げる事になった。他はこの屋敷やご領主の屋敷に分宿させる予定だ。留守中というのに悪いな」
「い、いえいえいとんでもないです。自由に使ってくださって結構ですよ」
しかしジンターネンさんの家に泊るのか。
俺が世話をしていた豚だけではなく、牛や羊なども多数抱えている村でも有力な酪農家だし、女村長が宿所に借り上げる命を下したのだから家もかなりの広さなのだろう。
しかし、ジンターネンさんねえ。
「ご愁傷様です、ご愁傷様です」
「?」
牛面が首をかしげて俺を見ていた。
◆
出立前の最後の夕食という事で、家族みんなで食事を楽しんだ。
ニシカさんは相変わらず部屋に閉じこもって出てこなかったので、居間に詰めているッワクワクゴロさんの弟たちや野牛の兵士たちと一緒に食べているのだろう。
出てくればいいのに、悪戯を見つかった子供みたいにきっと委縮しているのだろう。
しばらく野牛兄妹が談笑を楽しんだ後に、タンクロードバンダムは待機していた野牛兵士たちを引き連れてジンターネンさんの家に向かった。
ついでに自分たちの猟師小屋の修繕が終わったと言うので、ッワクワクゴロさんの兄弟たちも引き上げていく。
相変わらずエルパコの部屋に居候を決め込んでいるニシカさんの家は、どうやら修繕に手が回っていないのか、まだ放置されたままなのだそうだ。
「オレの家はもうオレひとりのその日暮らしだからな。家財の一切は妹に持っていかせて、家にはろくなもんが残っちゃいないんだ」
「そうなんですか。それじゃ優先順位が後回しになるのはしょうがないですねえ」
「お前んちはどうなんだよ。ボロ屋だがまだ十分に使える家だっただろう。オレんところは爺さんの代から使っているから、もうあれは建て直した方が早いからな、アッハッハ」
がらんどうになった食堂で、ようやく居間から出て来たニシカさんと俺は会話をしていた。
明日の出立に向けて、お互いに武器の手入れをしているところである。
ニシカさんはいくつもの矢筒の中に詰め込まれた矢の数を数えて確かめているし、俺はさっそく手に入れた騎士の剣というのを布で丁寧に拭いていた。
刃こぼれひとつない騎士の剣を油を湿らせたボロ布でふいていると、妙な高揚感が膨らんでくるから不思議だ。
だって俺も男の子だもん。
子供の頃は八代将軍吉宗が暴れるテレビの時代劇を見てはチャンバラごっこをやっていたものだし、チャンバラが好きすぎて斬られ役までやっていたぐらいだからな。
男の子は剣とか武器とかは本質的に大好きなのだ。
「なぁところでシューター。オレはいつまで両眼にアイパッチしてないといけないんだ?」
「いつまででしょうねえ。反省するまで付けてるといいですよ」
右眼にいつものアイパッチ、左眼に予備のアイパッチをしたニシカさんは、つまり両眼がふさがっていた。
だというのにニシカさんはまるでモノが見えている様に器用に矢筒の蓋をしたり、ヒモを結んだりしている。
「何不自由なさそうですから、そのまましばらく過ごしても問題ないんじゃないですかね」
「ばっ馬鹿野郎、オレ様を何だと思っているんだ。だいたいのものは暗がりでも作業が出来る様に訓練してきたが、オレだって眼を塞がれていて色まで区別出来るわきゃぁないんだよ」
「色が見えないと何か不具合があるんですかね」
「そ、そりゃ相手の顔色が伺えないだろう。お前ぇがどれだけ怒っているのかも今のオレ様にゃわかりはしないんだ」
「なるほど」
便利なニシカさんの狩猟スキルだが、さすがに顔色まではうかがえないか。
「もういいだろう。オレがゴブリン人形を運び込ませたのは悪かったよ、あれはオレたちの村に友好的なところには、配って回ればいいかななんて思ったんだよ。友好の印にな」
「友好の印はいいんですが、旅荷を運べるにも限りがあるんだから箱ひとつだけ残して倉庫にもどさせましたからね」
「そうかい。ありがとな……」
俺がそう言うと、ニシカさんはため息を漏らしながら感謝を口にした。
まあゴブリン人形も何かの使い道があるかもしれないので、ひと箱だけまだ荷台に乗ったままである。
ニシカさんはどうやら気配で俺が少し許す気になったのを感じたのか、勝手に眼帯を両方ともはずしにかかっている。
「こんなもの、オレに付けさせるんじゃねェ」
だったら普段から付けなきゃいいのに、きっとニシカさんなりに何かのジンクスがあるんだろうな。
乱暴に眼帯ふたつをブラウスからのぞいた胸の谷間に突っ込んだ彼女は、さっさとテーブルに並べていたいくつもの矢筒を腕に抱いて、不機嫌に自室へと戻っていった。
しかし胸の谷間に持ち物をしまうっていうのは、新しいな……
俺も自分の長剣を磨き終えて鞘に納めると、護身用の短剣を掴んで寝室にもどろうとした。
すると、寝室から肥えたエリマキトカゲを抱いたカサンドラと、ヒモで縛った毛布を持ったエルパコが出て来るではないか。
「キッキッベー」
「どうしたんだ君たち、村長さまから毛布を摘発する命令でもあったのかな?」
「実はわたしたち、前のお家の修理が終わったので見に行こうと思っているのです」
進捗は聞いていなかったが、修理が終わればいずれ移民の誰かが新たな住人になるだろう。
「そうか、猟師小屋の修理が終わったのか」
「はい。それで明日に別の方に引き渡されていしまうと言うので、最後の夜ぐらいは思い出の家で過ごそうかなと思ったんです」
カサンドラが言うと、意味が解っているとは思えないバジルが頷く様に首を上下に振った。
「エルパコは護衛という事か」
「うん」
「じゃあ俺も用意しないとなあ。寝台はもうないんだよな?」
そう言って毛布をひとつ持っていこうと寝室に向かおうとしたところ、
「あ、シューターさんはこのままお屋敷に残ってください」
「?」
「タンヌダルクちゃんは明日からこのお屋敷にお留守番でしょう? だからそのう……」
ちょっと頬を朱色に染めたカサンドラが、意味ありげに上目遣いで訴えかけて来た。
「な、なるほど。要件はわかったよ」
「しばらくわたしたちが留守にするので、きっとタンヌダルクちゃんも寂しいと思うんです」
だからその、優しく慰めてあげてください。
そう、みなまで言わなくても俺は理解した。
タンヌダルクちゃんとの本当の意味での初夜はまだだからな。
「うおほん。え、エルパコ、俺は臭うかな?」
「シューターさんのいい匂いがするよ」
俺は自分の体臭を気にしながらそんな事を言ったら、くんくんと鼻を寄せたけもみみが確認をしてくれた。
これはどういう意味だ。どう解釈をしていいかわからない。
そんな風に服の袖を引っ張って確認をしているうちに、カサンドラが一礼をするとエルパコを従えて猟師小屋に向かってしまった。
寝室の前に立っている俺。
この扉の向こう側に、タンヌダルクちゃんがいる。
たぶん意を決して、そういうお膳立てをカサンドラがして、本人も納得づくで。
タンヌダルクちゃんは俺のふたり目の妻だ。妻であるならば公平に扱わなければならない。
果たして俺にそれが今まで出来ていたかどうかは、はっきり言ってしまえば謎だ。
今夜せめて、留守の間寂しい思いをするだろう奥さんをなぐさめてあげなくてはいけない。
だがどうだろう、そんな安易なものでいいのだろうか。
いろいろと考えを巡らせてみたが、何かいいアイデアも浮かばないうちに寝室でガタッという音がしたのを耳にした。
きっと似たような事をタンヌダルクちゃんも考えているに違いない。
そんな風に思いながら扉を開けると、そこにはヒモパンひとつで正座した野牛の奥さんが寝台の上にいた。
たわわな胸を抱き上げる様に腕を組んでいて、魔法のランタンに照らされたその表情はどこか恍惚としている様にも感じる。
俺が何かを口にする前に、タンヌダルクちゃんが先に口を開いたのだ。
「だ、旦那さま。お待ちしておりました!」
待たせたね、というのもおかしな話なので何を口にしていいかわからない。
もう覚悟の格好をしているタンヌダルクちゃんを前に、俺はゆっくりと歩み寄り、
「しばらく留守にするし、心配をかけてしまうけれど。家の事よろしくな」
「もちろんですよ!」
俺は寝台に腰かけながらタンヌダルクを抱き寄せた。
すると俺の胸の中に体を預けながらも、野牛の奥さんは手を探ってランタンの明かりを消そうとしていた。
いいよそれは俺がやるから。
代わりに手を伸ばして明かりを消すと、ふうと吐息が俺の胸元にかかるのがわかった。
暗がりの中でタンヌダルクちゃんの小さな柔らかい指先が俺のシャツからのぞいている胸元をつたい、
「ふっふちゅちゅかものですが、よろしくお願いしましゅ!」
肝心なところでタンヌダルクちゃんは噛んでしまった。
かわいいなあ、俺の奥さん。
もちろんそれ以上の事は言わせないつもりで、そのぷっくりとした唇を塞いでやった。
書きたいシーンがいろいろあって、物語の進行が遅くなってしまい申し訳ございません!




