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8. 迷子の仔猫《居場所》

 辺りが真っ暗になった頃だろうか。一睡をしたのか分からないまま私は目を覚ました。


(……喉、渇いた)


 気だるい体を起き上がらさせ、周りを見る。星の光のおかげか見える二人。

 トーマとレイは静かに眠っている。

 ……この人たちに何も言わずここから立ち去っても、大丈夫だよね。

 まだ眠くて、立ち上がるとふらっとする体を無理やりに動かした。.

 ここに来るまでの間、確か小さな川があったはず。綺麗な水で、また喉が渇いた時はまたそこへ行くようにと言われていた。


(あ、あった)


 川を見つけてから数歩歩くと、その場にしゃがみ込み水を手ですくう。

 喉を潤すと、ゆっくりと立ち上がった。

 そしてふいに空を見る。

 そこには綺麗な月。満月。

 夜の闇にたった一つ光り輝く。

 星の光だと勘違いしていたのは、月の光だったんだ。

 まるで心を奪われたかのように見つめ続けてしまう。


 お城にいる時も、窓から見えていた月。

 でもこんなにも近くにはなかった。

 こんなにも大きく瞳に映る事はなかった。

 お城から抜け出して何日が経とうとしているのか。私の事をいつも起こしに来ていたクレアは今、どんな事を思っている?

 私の事を一番に心配してくれていたのはクレアだった。外に出るのは危ないと悲しげな顔をしながら注意するのはクレアだけ。

 他はただ、お父さまに命令されてか外は危ないと同じ事を言い並べる騎士とメイド。

 もううんざりしていた。メイドはメイドでも、クレアだけは違ったんだ。


 お城は私の居場所であって、居場所ではないと思っていた。

 けど、今思えば私の居場所はクレアの傍だけだったのかもしれない。

 唯一私の事を心から心配してくれる人であり、私の事を誰よりも知っている人。

 ここにはもう、そんな人は存在しない。

 ここにいるのはーー私の存在を煩わしいと思う人と、本当に何も思っていない人。

 ミサトさんとナギくんは気を使って優しく接してくれているけど。心の中ではきっと、面倒くさいと思っているに違いない。お城にいる騎士やメイドたちのように。


(……私の居場所なんて、どこにもない)


 最初からそんなものは存在しない。お母さまとクレアがつくってくれていたんだ。

 微かに自分が映る水面を見る。

 途端。

 ーーガサッ

 という音と。

 ーーボキッ

 と、木の棒が折れたかのような音。

 振り返るとそこには彼が立っていた。


「トーマ、さん?」


 どうしてここに。さっきまで寝ていたはず。


「さっき、寝ぼけて起きたら丁度誰かがどっか行く所で……。それがお前だったからついて来た」


 木に挟まれた所で、少し気まずそうに言う彼は隠れようとでもしていたのか。

 それに私だったからついて来たって、レイだったらついて行かなかったの。どうして。


「お前が一人で森の中歩きでもしたらすぐに迷子になるだろ」


 ……心配してくれた、ってことかな。

 ああそっか。私が『女』で、守るべき存在だからか。何か、お城にいる騎士と似ているな。命令されて誰かを守る事と同じだ。


「それにーー」


 トーマが近づいてくる。

 私の横へ来るとしゃがみ込んだ。

 喉渇いたから。

 手でお水をすくって飲んだ彼は、そう言って口を拭った。そしてふと何かに気づいたように私を見ながらに立ち上がる。

 私ではなく、私の首元。


「首飾り返してもらったんだな」


 あ……。

 首元にあるネックレスに手を当てる。

 気づいてもらえた。


「腹減ってて気づかなかった」


 彼はずっとお腹空いたと言っていた。お魚を食べてそれは収まったけど。

 まさかそれが原因で今までこのネックレスの存在が忘れさられていたとは。

 でも、気づいてもらえただけで嬉しい。


(……え、嬉しい?)


 自分の思った事なのに目が点になる。

 これは一度イヴァンに奪われたもの。それをトーマは奪い返そうとしてくれた。でもそれは私から断った、自分で取り戻すと。

 宣言通り取り返せて……というより返してもらえて安堵した。お母さまのネックレスが売却されずに自分の手に戻ったと。

 でも、それを彼に気づいてもらえて嬉しいなんて。どうしてそんな事を思うのだろう。

 彼は私の命を救ってくれたけど、赤の他人と同じなのに。

 俯いたままネックレスに触れていると、私の驚きに気づかずトーマが喋り出した。


「月、綺麗だな」


 そう言って満月を見上げる彼の後ろ姿。金色の髪が月の光によって綺麗に輝いている。

 あなたの髪の方が綺麗だよ、なんて。

 私に言ってきた言葉だと分かっていても、何も返せない。

 ただ彼の後ろ姿を見つめるだけ。

 彼はーートーマは私の何?


「どうした?」


 突然振り返った彼は私の顔を見るなり、不思議そうな顔をしながら訊いてきた。

 何でもないです。

 そんな事さえ言えない。

 トーマは私の何なんだろう。

 どうして私たちはこうやって喋っている? 無人島で数少ない人同士だから?

 だからといって、こうやって慣れ合う必要があるの? 

 私の事を嫌っているかもしれない人と。

 彼は私の事を思っているのかな。


「……」

 訊きたい。


「あの……」


 彼は私の何で。

 私は彼に嫌われていないのか。

 嫌われていてもいい。

 嫌われていないところで、彼は私の居場所になんてならないんだから。


「私はトーマさんの何ですか?」


 直球すぎた。

 こんな事を訊こうとしたわけじゃない。

 彼は私の事をどう思っているのか知りたかっただけ。なのに、勝手に口走った。


「……」


 やっぱり。

 彼は呆気にとられたような顔をしている。

 何訊いているんだという。

 訊くんじゃなかった。こんなこと。

 嫌われていないのか知りたかった。それを聞けただけで気持ちが楽になるから。

 嫌われていないなら普通に接しれば良い。

 だけど嫌われているなら、近づかないようにしなくてはならない。


「ーー何でもないです」


 わざと明るい声を出して笑んだ。

 そうしなければ気づかれそうで。私がそういう事を気にしている人間だと。

 気づかれてしまえば、逆にそれを使われて傷つけられてしまうんじゃないかと、本音を言えば……怖い。

 私は、人間関係が得意な方ではないから。

 もうここに用はない。

 彼も喉を潤したようだし。

 ここにいる理由はなくなった。

 洞窟に戻りましょう、とも言えずに自分だけ立ち去る。さっきまで明るく接しといて、すごい変わりようだろうか。

 でももうこれ以上はいい。

 微かな希望はこれっきり、もう持たない。


「ーー待てよ」


 ぐっと掴まれる手首。けど痛くない。

 言葉とは裏腹に優しい止め方。

 彼に触れられるのは初めてではない。これで二回目だ。

 されど前と違う。今の彼の手は温かい。


「何ですか?」


 希望の無くなった目は、どんな瞳をしているのだろうか。

 彼の一瞬揺らいだ目。

 私はそんなに酷い瞳をしているのかな。


「お前は一体、何を考えているんだ」


 何を考えている?

 私は存在意義が欲しいだけ。

 他の事はどうだっていい。

 あの街に戻りたいとか、友達が欲しいとか、そんなものは願わず。

 『今』を大切にしたいんだ。

 それを大切にできるか、周りにいる人によって変わってしまうのが私の優柔不断という悪いところが出てしまっているのだろうか。

 そんな事は言えず、黙りこくる。


「今日、お前馬鹿みたいに言いたい放題言ってただろ。あんな風に今も喋れねえのかよ、黙り込んでちゃ分かんねーだろ」


 分かったところでどうせ、鼻で笑われるだけだ。それなら話さなくても一緒。

 そう、決めつける事で道理のある逃げ道をつくっているのかもしれない。


「最初から伝わらないんだって諦めてたら、何も伝わんねえんだよ」

(……!)


 この人は人の心が読めるのだろうか。

 鈍感そうに見えて、実は鋭いとか。

 言いたい事を言ってのけたのか、彼はそれっきり黙っている。

 これは私が何か言わなければいけない?

 でも何を。


「私は別に……、貴方に思われたいとか思ってないです。船の上の人たちにも気に入られたいとか思ってないです。ーーただ、私の立ち位置が知りたいだけ……」


 本当に?

 ーー嫌われ者ならそれでいい。

 私の本当の気持ちは一体、なに。

 周りの人から本当の自分を見られないのには慣れた。けれど、本当の自分を見られた上でどう思われているのか考えた事がない。


 「怖いんです」ーーそう言ったとして、何が怖いのか詳しくは答えられない。

 自分でもよく分かっていないから。

 そう思っている理由は分かるけど、それが本当に自分の思いなのか。考えれば考えるほど、『自分』が分からなくなる。


「私は、海賊が嫌いです」


 お母さまを殺されたから。


「でも、貴方たちは悪い人に見えない」


 だから期待してしまうのかもしれない。仲良くやっていけそうだと。

 勝手かもしれない。嫌いだと言っておいて、完全に軽蔑しないなんて。

 私の本当の気持ちはごちゃごちゃになっている。いろんなものが交錯している。

 だからなのか、考えれば考えるほど頭が痛くなってきて苦しい。

 この気持ちは一体何なのか。


「お前は嫌かもしんねえけど、俺たちはもう仲間なんだよ」

「なか……ま?」


 ナギくんにも言われた言葉。

 彼は面倒くさそうに、照れくさそうに話を切り出した。

 つーか、俺もやだしなーーと吐き呟いている言葉は私の耳には入らなかった。


「同じ船に乗っている仲間。実際こうして無人島で嫌な思いして暮らしてるしな」


 あの時はそんなに深く考えなかった。

 『仲間』という単語。

 彼からそんな言葉が出るとも思っていなかったし。


「……でもトーマさん。“海賊船に女がいるなんておかしいだろ”って言ってましたよね」


 まだ鮮明に覚えている。机を叩いて立ち上がった彼の必死な姿を。


「それって、海賊船に女がいることが許せないってことですよね」


 なのに仲間だなんて。

 よくそんなに軽い事が言える。

 軽い言葉は誰かを傷つける。

 彼は習わなかったのか。


「……もしかして、そんなこと気にしてたのか?」


 彼はポカーンとしていた。

 ありえもしない反応。

 そんなことって、まさかそっちが軽い言葉……。

 コクリ、と私は頷く。

 嫌な予感をしながら。


「それ、忘れろ」

 忘れろってーー


「てか、まじそれ忘れて」


 ずっと気にしていたことを。忘れろなんて言葉で片づけられようとしているなんて。


「どうしてですか?」


 訊かずにはいられない。

 すると彼は、訊いてはいけなかったものなのか歯切れ悪く答え始めた。


「ああ……あんときは腹立ってたんだよ」

「どうして?」

「女が海賊船で一緒に暮らすなんてって」


 ーーやっぱり。

 何も違くないじゃないか。


「ちげえよ。いや、違くねえけど」


 どっちなんだ。


「ゼクスにない事言われてイラついてたっていうか……。確かに海賊船に女がいるなんてって一度思ったよ」


 ーーやっぱり。

 もう疲れた、彼の話聞いてるの。


「でもまあ、何も不自由してないからいいかなって」

 彼は話している最中もずっと目を合わせてくれない。それは照れ隠しなのか、嘘をついているからなのか。


 前者だと思いたい。

 彼は嘘がへたそうだから。


「トーマさんて、口調は悪いけど本当に優しい人なんですね」


 前にナギくんから聞いた。食事中にこの事を言ったら押し黙ったけど。


「は。……お前なあ!」


 今回は照れ隠しに叫んだ。

 彼の弱味というか。言われたら嫌な言葉。ーー『優しいね』

 どうしてこんなに嫌がるのかは分からないけど。たぶん、照れ隠しの一環なのかも。

 『仲間』

 その言葉だけでも、ぽっかりと空いていた心は十分に埋まった。

 ぽっかり空いていたというよりは、闇の中に沈んでいた。

 という表現方法が正しいかもしれない。

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