5. 迷子の仔猫
白い砂。青い海。
そして緑鮮やかな森。
「きれい……」
船から降りて、見たこともない景色に感嘆する。こんなの初めて。
白い浜を踏み、海の近くへ行くとしゃがみ込み、水をすくう。綺麗な透明。
眺めてからそれを、舐めてみた。
「しょっぱい」
塩分を取りすぎたことによって眉間にしわを寄せていると。
「ーーバカか」
どこからか罵倒する声が。
誰かは分かった。
しゃがみ込んだまま斜め後ろを見てみれば、そこにはやはり彼の姿。
一瞬目が合った気がしたが、彼ーーゼクスはふいっと私からすぐに視線を外した。
海の水はしょっぱいとお母さまに教えてもらったことがあるけど、本当にしょっぱいのかは確認したことがなかった。
いつも船で海を渡っているゼクスにとっては、知っていて当たり前のことかもしれないけど、私は初めてなんだ。
だから馬鹿にされるのは、何か……癪に障る。
このモヤモヤを言葉に表すなら、と頭を捻って考えていると。
「やっぱりここ、無人島だったんだね」
ミサトさんが衝撃な言葉を発した。
(無人島……?)
もしかして、あの誰も住んでいないという幻のような島?
名前の通り本当に人が住んでいなくて、自然だけが生きている。あの無人島?
なんてこの島についてのことを考えていると、少し遠くの方から声が聞こえてきた。
「ユリウスがさー、無人島を満喫してみたいんだって。誰か一緒に付き合ってあげなよ」
私、そんなこと言っていない。
イヴァンの言葉に騙されたみんなが、私へと視線を集める。
「ユリウス、そんなこと言ったの?」
「え……」
だから言っていない。
ナギくんに真実を教えようとすると、イヴァンによる集合がかかった。
「じゃあ、くじ引きってことで。先端が赤いの引いた人が今日一日、無人島でユリウスと過ごす特権を貰えまーす」
「はあ? そんなの特権でも何でもないだろ」
ただの罰ゲームだ、と文句を言っているトーマの言葉に複雑な気持ちになりながらも、私も同感。
無人島で暮らすなんてどう考えても無謀だ。何もない島で一日過ごすなんて、私には考えられない。
「はいはい、引いてねー」
トーマの文句も聞かずに、イヴァンはみんなのことを諭す。
イヴァンの持っている物は棒のような物だ。それを引けと言っているのだろう。
全部で、一、二、三……六本だ。
そして、みんなが引いた結果ーー。
「なんで俺が……」
「ユリウスー、僕引けなかった」
「残念、なのかな」
「……」
「ハズレじゃなくて助かったな」
円を描いて集合している状態で、一人一人違う反応を見せた。
先端の赤い棒をじっと見て、絶望感丸出しのトーマ。
その横で、赤いのを引けなくて残念そうにしているナギくん。
ナギくんと同じのを引いたミサトさんは、残念そうにしているナギくんの台詞を聞いてどう反応していいか困っている様子で。
レイは相変わらずの無表情。
視線の先には先端の赤い棒。
ただ一人、すごく失礼な反応をした。
それは最後に言葉を吐き捨てたゼクス。
“助かったな”
私と過ごすことにならなくて良かった、という嫌味も込めて言ったような気がする。
“ハズレじゃなくて”
先端の赤い棒は普通だったら当たりのはずなのに、ハズレと表したし。
“ハズレじゃなくて良かったな”
……確かにハズレだと思うけど、色のついていない棒のほうが当たりな気がするけど。
もっと、何かこう。
気を使うとかしてくれないかな。
目の前に本人がいるっていうのに、今の本音は口にすることないと思う。
「つーか、赤二つかよ」
赤い棒を引いたのはトーマとレイ。この二人と無人島で一日過ごさなければいけない。
トーマ、なんか不満そうだ。
私の世話は一人で十分だろと言っているのだろうか。私だって、一日無人島で過ごす、なんて納得できていないのに。
どうして私が、と言いたいところだが、どうして俺まで……と、トーマの心の声が聞こえてくるようで悪いことをした気分になる。
「あれ? 二人っきりが良かった?」
「んなんじゃねーよ」
なぜかトーマは、イヴァンの挑発じみた言葉に怒りながらも焦って返す。
「じゃあ、出発進行ー」
「お前が言うなよ!」
ーーそんなこんなで、抵抗する暇もないまま決定事項となってしまった。
右手を挙げるイヴァンに対し、トーマが後を振り返って勢いのあるツッコミをする。
つられて後ろを見れば、バイバーイと、ナギくんが手を振ってくれていた。
……本当に今日一日、無人島で過ごすことになったんだ。
私と並んで歩く二人。
私のすぐ左にいるトーマは、窺わずとも不機嫌だということは分かるが。
くそっ、と汚い言葉を使っている。
相当嫌みたいだ。
トーマの先にいるレイは、相変わらずの無表情。何考えているのか分からない。
こうなった事をどう思っているのだろう。
そもそも、どうしてイヴァンはこんなことをしようとしたのか。
まさかこれがイジメ?
ーーと、考えていると。
「これからどうする」
すごく低い声が私の意識を引き戻した。
トーマは本当に機嫌が悪いようだ。
誰も見ずに会話を成立させようとしている。私たちを見たくないのだろう。
……。
『私を』の、間違いかな。
落ち込んでしまったのか、彼の言葉に何も答えられなかった。
物静かなレイが喋るわけもなく。
静かな空間をただ歩いていく。
「つーか腹減った! よく考えてみればまだ昼メシ食ってねえじゃん!」
あ、なんだ。
お腹空いてるから機嫌悪いのか。
トーマは、歩いている最中に目の前にきた木を力任せに蹴りつけた。
落ち込んでいた気分がすっかりと晴れた。
私のせいで機嫌が悪くなっていたんじゃないんだ。単純な理由だった。
「戻るか」
木に足をかけたまま大人しく一点を見つめていたトーマは、颯爽に踵を返す。
船に戻るつもりらしい。
「追い出されると思うよ。きっと」
呼び止めるようなことを言う、レイ。
今日は初めて声を聞いた。
というより、薬草の話をしてから何日間も彼の声をまともに聞いていなかった。
声を聞いたとしたら、食事中にナギくんの言葉に頷いたくらいで。
少しびっくりした。
自分から話に入ってきたことに。
びっくりしたのは私だけじゃなくて、一拍置いてからトーマが訊く。
「なんで?」
「イヴァンの遊びに付き合ったナギは、一日中海の中にいたから」
「……は?」
レイだけが知っているエピソードなのか、トーマはほうけた表情して固まった。
そして何かに気づいたのか、訴えるように両手で気持ちを表現する。
「じゃあなんだこれは、俺たちはイヴァンの遊びに付き合わされてるっていうのか?」
レイは静かに頷いた。
トーマは……
「はあー!? ふざけんじゃねえよ!!」
おもしろいほどに叫んだ。
その頃。
「あーあ、ユリウスと無人島で一日過ごしてみたかったな」
甲板の手すりに両手と顎をつけ、落ち込んでいるような雰囲気を醸し出すナギは、彼らの事を遠くから羨ましそうに眺めていた。
「そんなに行きたいなら行けば?」
「行ってもいいの!?」
「まあ、一応勝手だからね」
イヴァンの言葉をまともに受け止めたナギはーーやった、じゃあ行ってくるね、と船を降りようとする。
が、次の一言で顔が青くなる。
「でも……。毒蛇がいると思うからーー気を付けて、ネ」
本当に心から気を付けてとは言っていないと分かる、黒い笑み。
イヴァンの言葉に喜んだナギだったが、結局イヴァンの言葉によって浮上した気持ちは落とされたのだった。
「森の中に食料なんてあるのかよ」
「……探せば」
レイの頼りにならない言葉に、トーマは溜め息をつく。
昼食を食べていない私たちはお腹が空いたという事で、食料探しをすることになった。
私は今のところ食べなくても大丈夫だけど、トーマがお腹空いていてすごく機嫌が悪いから付き合うことにした。
トーマが止まる。
木の前で。
「これ食えんのか?」
手に取ったのは一つのキノコ。
色も見た目も普通。
一応食ってみようと、トーマが口にいれそうになったとき。
「あ、それ毒キノコ」
レイが何事もないかのように軽く言った。
完全に食べようとしていたトーマ。
忠告が遅かったのか、キノコを口の中に入れてしまっている。
レイの言葉を聞いたトーマは大きく口を開けたまま、ぎりぎり食べずにすんだキノコをゆっくりと引き出す。
そして。
「早く言えよ! そういうことは! 今食いそうだったろ」
持っていたキノコをほおり投げ、一人でずかずかと前へ進んで行った。
お腹が空いていて相当機嫌が悪く、頭にきたのだろう。
“まさか食べるなんて思わなくて”
窺ったレイの顔が、そう言っているように見えた。
(……?)
少し歩いた所で今度は私が足を止める。
草原にいた動物。
それは蛇。
初めて実物を見た。
私の予想ではもっと緑っぽいものかと思っていたけど、枯葉のような色で黒も混ざっていてちょっと複雑な色。
その場にあった木の棒を拾って蛇に向ける。そして目の前でその木の棒をうにょうにょと動かした。
長い体を丸ませてこちらを見ている蛇は、私の動かす棒の動きにつられ目を動かす。
それがちょっとおもしろい。
先頭を歩くトーマ。
苛立った様子で平然を保てないトーマと、後方にいるユリウスたちの間にはわずかな距離が出来ていた。
「あ、」
……またかよ。
滅多に口を開かないレイが、こうやって何かに気を取られたかのように、あ、と言った時は良いことがあった試しがない。
次は何なんだと後ろを向くと、レイはどこかを見ていた。
レイとの距離は一メートル近くあったが、それより後ろを。
……。
(はあ!?)
レイの目線の先にいたのはユリウス。しゃがみ込んで何かをしている。
そこまでは良かったのだが、ユリウスの構っていた者を見た瞬間、トーマは破顔した。
ーーあいつ、バカか。
心の中で焦りと怒りが混ざり合い、トーマの足は勝手に動く。
「おい! なにしてんだよ」
「……?」
トーマの声に蛇から目を離した瞬間、指先に重みを感じた。もう一度視線を戻すと、木の棒に蛇が噛り付いていた。
ーー蛇って木も食べるんだ。
感心していると横から木の棒を奪われた。そしてそのままほおり投げられる。
……何してるの?
蛇ごと投げてしまうなんて、と木の棒を草原に投げた犯人のトーマを怪訝に見上げると、彼のほうが怪訝な顔をしていた。
「ハブだよ! 毒を持っている蛇。分かるか!?」
怒鳴りつけてくるトーマが恐い。
しゃがみ込んでいる状態で彼を見上げているせいか、余計に威圧感を感じる。
「……いや、分かっているならこんな馬鹿な真似しないか」
私、酷い事言われている。
今日で二回目だ、馬鹿にされたのは。
一回目はゼクス。海の水を舐めてしょっぱいと言ったら馬鹿発言された。
“そんなことも知らないのか”
そう、言いたかったのだろう。
今回も。
「あの蛇は毒を持ってるんだよ。噛まれていたらお前、死んでいたぞ」
落ち着きを取り戻したトーマは、たしなめるように言う。
怒りに任せて私を怒鳴りつけたことを気にしているのか、少しぎこちない。
「……分かりました。次からは気をつけます」
普通のことを知らない私が、自分自身のことを少しだけ憎いと思ってしまった。
こうやって気も使わせてしまっている。何でもない、ただ同じ船に乗っている人に。
普通なことを普通に相手と話ができない。
そういう事がすごく……もどかしい。
そんなふうに思っている自分にさらに劣等感を与え、孤独を感じさせる。
◆補足◆
船の上で、ユリウスたちの元へ行きたいと言っていたナギだが。
「やっぱ僕いかない」
となりました。
毒蛇がいるなんて聞いていないと。
そして、自分の事だけを考えていたナギははっとする。
「ユリウスたち危ないじゃん!」
「大丈夫でしょ。たぶん」
「たぶんって……」
抗議するナギをよそに、イヴァンはある方向へ真っ直ぐと指を指す。
自然とナギは、その指を目でたどる。
「だってもう行っちゃたから、止めようにも止められないし」
そこにはもう、三人の姿はなかった。
◆補足◆