2. 籠の中の鳥(後)
翌朝。
ドレスも乾いたということで借りていた服はトーマという青年に返し、私はまた昨日と同じ格好をしていた。
けれどもすごく動きずらい。
お城の中ではこんな不自由さ、一度も感じたことなかったのに。
「掃除もまともにできないのか」
床に両膝をつき、両手で白いタオルを持ち、床を拭く。
初めての体験で、少し不器用な掃除の仕方なのかもしれない。
「……」
必死にやっているというのに、私のすぐ傍で嫌味を吐く人がいる。
ーーゼクス
床の上で正座しているため、今の視界には彼の靴しか見えない。
どんな顔をしていようとどうだっていい。
昨日、ナギくんに聞いた。
ゼクスは誰に対しても冷たい態度をとる。だから気にする必要ないと。
この人の性格上仕方ないらしい。
そんな人の嫌味なんて聞く必要ない。
「ああ、確かお前はどっかの令嬢だったな。そんなやつは掃除ひとつもろくにできない」
‘ーーろくでなしだな’
(なっ)
癇に障るようなことを……。
ばっと顔を上げれば、そこには言ってやったぞというような清々しい顔。
「なんだ?」
今の発言にはさすがに苛ついた。
睨みつけるように見れば、だんだんと彼の表情も変わっていく。
瞳の色を濃くして、彼も私を睨むように見つめる。
「サルみたいな顔して怒るな」
「誰が……」
「お前だ」
気がつけば私は両手に拳をつくり、なぜか防戦態勢をとっていた。
右手には雑巾。
「一応訂正しときますけど、まだ怒ってません」
立っても負ける身長。
できるだけ威圧しようと彼を強く見上げるが、それを包みこむほどの威圧感を彼は持っていると、数秒で思い知らされた。
そして……。
「そうか」
‘ーーなら俺も一応言っておく’
「令嬢だろうがなんだろうが、この船の上ではお前はただの女だ」
‘ーーそれを忘れるな’
「私、あの人嫌いです」
「え、そうなの?」
キッチンでの昼食作り。
ミサトさんの隣でちょっとした愚痴を、溜め息とともに呟くように吐いた。
『まさかだとは思うが、タダでここに住まおうとなんてしてないよな?』
早朝、部屋から出て最初に会ったのがあの人で、最悪な一日のスタートを迎えた。
慣れない掃除をやって、手伝いとしてここへ来たのに何が不満か、ミサトさんにも『こいつ、使えないだろうが扱き使え』……なんて言ったりして。
いくら私でも、何様よー、って馬鹿みたいに叫びたくもなる。
「意外だなあ。ゼスは普通の女の子にはモテるのに」
「そうなんですか?」
信じられない。でもミサトさんは嘘つくような人に見えないし、本当なのだろう。
あんな人のどこがいいのか。
相手のことなんか少しも考えず、簡単に嫌味吐く人のどこが。
「ああそっか、確か君は普通の女の子じゃなかったね」
私は酷く不満そうな顔をしていたのだろう、ミサトさんが含み笑いをする。
意味ありげな、楽しげな笑み。
「……ミサトさんのほうが、女性からモテそうです」
初対面の人にも優しくて、料理教え上手なお兄さん。
あんな人よりも、ミサトさんのほうが絶対好かれそうな気がする。
これはお世辞なんかじゃない。
「僕? そんなことないよ」
こういう謙遜するとこも、人から好かれるポイントなのだろう。
昼食作りも終え、甲板へと出た。
目に映る金髪の青年。
手すりに寄りかかり、目を瞑って、彼は両手を枕にするように頭の後ろへ回している。
「お昼、ですよ」
声をかければ起きる気配を見せ、ん……と、目を薄く開けた。
俯いたまま、焦点の合わない状態で瞬きを繰り返す。
そして顔を上げ、私を視界に映した。
綺麗な瞳。
とぼけているような顔が驚きの色へと変わり、また何でもないかのような顔へ戻る。
「……ああ」
一言だけ発すると、顔に手を当て、ダルそうに立ち上がった。
どうしてか、その時、腑に落ちないような表情をされていた気がした。
「ユリウス、いないと思ってたらミサトのお手伝いしてたんだね」
「うん」
(まあ、それもあるんだけどね)
テーブルに集まった六人。
私をいれて七人。
けれど、テーブルを囲う椅子は六つ。
長方形のテーブル、向かい合うように座る六人。そのうち一人だけが、みんなをまとめるような場所に座ることになる。
つまり、みな横側面に座っているが、一人だけ縦側面に座るということ。
そんな役目を引き受けてくれたのは赤髪のイヴァン。
気にした様子もなく縦側面に座っている。隅にある椅子を持ってきたのだろう。
「ユリウス」
また続けて私の名を呼んだナギくんがいきなり、あ!と大きな声をあげた。
何事かとみんなの視線が彼に注がれる。
「ユリウスって確かどこかのお姫様なんだよね?」
お姫様という単語にどうも頷けず、なんとなく小首を傾げると。
「僕、ユリウスさまと呼ぶべき?」
急に改まった呼び方をしてきた。
心配そうにするナギくんの表情。
可愛らしい。
「ううん、呼び捨てでいいよ。船の上では私はただの女みたいだから」
ナギくんの隣の、私の向かいにいるゼクスをちらっと見る。
彼は私に目を向けることもなく、テーブルに並べられた料理を食べている。
彼に言われたことをそのまま言ってみたんだが、耳に入らなかったのだろうかーーと、彼を見続けていると。
「お前ら、いつの間にそんな仲良くなったの?」
私の右隣にいる青年ーートーマが食事をしながら話しかけてきた。
“お前ら”というのは誰のことをさしているのだろうか。
目が合ったし、私に話しかけてきていることは確実。
まさか目の前にいる彼と私のこと?
いや、それは絶対にない。
今の成り行き上、私とナギくんのことだろう。
親しく会話しているように見えたのかも。
えーと……。
「部屋であなたたちの話を聞かせてもらっていたら、敬語使わなくていいよとナギくんが言ってくれて」
俺たちの話って……、と、話しかけてきた彼は訝しげに顔を顰める。
言っていいことなのか、ナギくんをみるとナギくんは笑った。
了承したということだろう。
「トーマさんは口調が荒くて、性格も荒いけど」
話の途中で、なにっーーと、今にも大声をあげそうな勢いでトーマは声を発する、が。
「でも、意外と優しいそうです」
そう言ったら彼は押し黙った。
「トーマ、やっさしーもんねー」
ふざけているような口調。
トーマを煽てるような発言をする赤髪のイヴァンは、指先でヘタを摘まむとそのままチェリーを天高く持ち上げ。
顔を微かに上げると挑発的に口に含んだ。
鮮やかなチェリー。
赤い髪であって、赤い瞳をもつ彼が食べると一層際立つ。
「うるせっ」
何もしなくても、視線が集まる席にいるイヴァンへ向けられた。
羞恥心の入り混じったトーマの罵倒。
「だって彼女のこと助けたじゃん」
「……」
イヴァンが私のことを顎で示す。
なぜかその言葉にまたトーマが押し黙るものだから、話を続けることにした。
「あと、身内からのさん付けを嫌うとか」
知ってんならさん付けすんなよーーと、隣にいるトーマは誰に言うでもなく、小さな声量でボソッとぼやく。
たぶん誰にも聞こえていない。
私には一応聞こえた。
けれど、聞かなかったことにする。
だって、私は『身内』ではないから。
さん付けするなよ、と言われたところで身内ではない私はどうすることもできない。
だから聞き流す他ないのだ。
「イヴァンさんは何考えているのかわからない、だそうです」
イヴァンへ視線を向ける。
「は、それだけ?」
「はい」
イヴァン本人はどうでもいいような顔をしてまたチェリーを口に含んだが、なぜかトーマが突っかかってきた。
「俺のはご丁寧に細かく教えておいて、イヴァンのはそれだけかよ」
ああ、なるほど。そういうことか。
自分のことはこの女(私)に詳しく教えたくせに、イヴァンのはそれほどのものじゃなくて不公平だと。
ふざけんなよ……と、また小さくぼやいている。
ーー次は、左隣にいる人。
「ミサトさんは見た目通り優しくて、お兄さんタイプだとか」
「そう、かな?」
「そうだと思います」
揺れる船、私を支えてくれた。
料理作りだって何もできない私に優しく。
「レイさんはーー猪突猛進……。いえ、興味のあることには真っ直ぐらしいですね」
昨日、それを間近にした。
彼はドクダミの薬草について永遠と語る勢いで、知る知識を出していた。
もちろん、驚いた。
一見クールそうに見えて、自分の興味あることには熱い。
いわゆるギャップと言うものだろうか。
「そう」
たった一言、軽く口にしてスープを呑む。
今は空気から伝わるほどの静けさ。
そして難題候補。
「ゼクスさんは……」
目の前にいる人は、さっき私に嫌味を言い放った人とは思えぬほど、一言も言葉を発さず静かに料理を食べている。
なんて嫌な人だ。
みんなの前では平静を装おうというのか。
「冷たいお人です」
俯いて小さく言ったはずなのに、真っ直ぐとした声。
誰かがふっと吹き出す。
確認すればそれはイヴァンだった。
「それって、あんたの感想じゃない?」
「あ……」
私の間抜けな声に、イヴァンはーーぷ、あははは、ウケる!と膨大に笑い出し、テーブルを叩きつけ始める。
「イヴァン……」
机を叩くな、と冷徹な目つきをしている目の前にいる彼ーーゼクス。
凍りづいた空気。
「食べなよ」
左隣にいるミサトさんの掛け声で、私は料理を食べ進めた。
やっぱりここにも自由なんてものは存在しないんだ。
いつまで経っても私は、籠の中の鳥。
ーー何も変わらない。
お城から抜け出しても、何も変わりなんてしなかった。