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「さぁ先輩方着きましたよ。先に言っておきますが、見ての通り古い銭湯ですから、広さとか設備はあんまり期待しないで下さいよ」
そう言ってのれんをくぐる風呂屋の息子。冷泉昴は外観を隅々まで眺めた後、無言でそれに続く。
「上の湯……」
水川実依子は大きな瞳を揺らして目の前の風呂屋の名前を呟いた。
そして、高鳴る胸を押さえながら二人に続く。
「おう、帰ったか」
受付に座っていたのは、いかにも頑固そうないかつい男。
「あれ? 親父、お袋は? 買い物?」
「あぁ。トイレットペーパーがねぇとか言って、慌てて買いに行った。それより久しぶりだな、お前が友達を風呂に連れてくるのは」
「友達っつーか、学校の先輩だよ。三年の冷泉先輩と、二年の水川先輩。今日の昼飯おごってもらったんだ」
父親の言葉に息子はひどく短い言葉で二人を紹介する。間髪をいれずに一歩前に進み出たのは、優等生モードのメガネ男子。
「はじめまして、冷泉昴と申します。突然お伺いしてすみません」
「冷泉っつったら、あの大病院の息子だな? それにそっちは、水川自転車工務店の……久しぶりだな」
「お、覚えてくださってたんですか!」
動揺する水川実依子を見て、驚く湯上忍。
「え? 親父、水川先輩とどこで……」
「確か二年ぐらい前に一時期よく入りに来てたんだ。しかし、水と川に、冷たい泉か……二人共、しっかり温まっていけ」
無愛想にそう告げた湯上父に頭を下げ、下駄箱に靴を入れる二人。
「じゃあ水川先輩、休憩室で待ち合わせしましょうか。えっと、一時間後ぐらい……」
「二時間!」
湯上忍の提案を遮り、なぜか同時に同じ声を上げる先輩二人。
「……じゃあ二時間後で。ご、ごゆっくり……」
水川実依子と別れ、二人は男湯へ。
脱衣場で何やらキョロキョロと辺りを観察している冷泉昴の隣で、さっさと服を脱いでいる風呂屋の息子に気付いた常連客が、声をかける。
「しの坊、こんな時間に会うのは珍しいな! しかも友達と一緒か!」
「げ、軍曹!」
露骨に嫌そうな顔をする湯上忍の肩をつかみ、上から下まで眺めるマッチョな男。
「しの坊は相変わらず細っこい体してるな、男ならちょっとは鍛えたらどうだ?」
「だから俺は肉体改造には興味ねぇって……」
「ん? 隣の君はちょっとは鍛えてるみたいだな! 服の上からでもわかるぞ! どれ、脱いでみなさい!」
「軍曹、友達じゃなくて先輩なんだ、頼むから絡むなよ! はいはいあっち行った!」
風呂屋の息子は常連客を何とか追い払い、最上級生に耳打ちする。
「すみません先輩……あの人、ゲイなんで気をつけて下さい」
「いや、全く構わない……色んなタイプの人間が集うのが風呂屋というものだ。他にもどんな常連客がいるのかぜひ紹介してくれ」
あれ? 基本無表情な冷泉先輩がちょっとだけ笑ってる……?
つられて湯上忍も口元を緩めた。
「先輩って、人付き合いとか嫌いなタイプかと思ってました」
そんな湯上忍の発言に、冷泉昴は少し間を置いて、応える。
「……人付き合いは、得意でもあり、苦手でもある」
「え? それってどういう……」
「相手を観察し、その人物が求めている人間を演じてコミュニケーションをとるのは得意だが、ありのままの自分で他人と関わるのは苦手だ」
「……ちなみに今の冷泉先輩はどっちですか」
「今は……素の自分だ」
メガネを外して答える冷泉昴に、湯上忍は嬉しそうに笑う。
「ならよかった! ちなみに今後も俺の前では素でいてくださいね?」
風呂屋の息子だと知って近付いたのは自分の方なのに、随分友好的なことを言う後輩に、冷泉昴は眉根を寄せた。
「何だお前、またスペシャル定食をおごって貰いたいのか」
「え? いや、いいですよ。俺そこまで金に困ってませんから」
「そうか……わかった。ちなみに俺はいわゆる俺様タイプの人間だ」
「あーわかります、それ」
「……幼少の頃から家が金持ちという理由で本来なら対等であるべき同級生達が俺を持ち上げて扱ったため、自己中心的な性格が定着し、友達と呼べる存在すらいない。お前はそれでも構わないのか?」
「……俺も、出会ってどれくらい話したら友達と呼べるんだろう? とか、お互いに友達になろうって約束したら友達になれるものなんだろうか? とか、そういうことを考えてしまうタチでして」
少し恥ずかしそうに自分の内面を口にする湯上忍。
「ちなみに先輩は、どんな関係が友達だと思いますか?」
「そうだな……お互いに会話がなくても居心地が悪くない関係」
「あーわかります、それ。すごくわかります……じゃあ、そういう関係を目指すってことでいいですか?」
「あぁ、それがいい」
「それじゃあ先輩、早く風呂行きましょう。湯船で俺に話しかけてくる奴はだいたい常連客なんで、紹介しますよ」