第七十四話「天才少年の秘め事 前編」
クリフ・グリモル。
ミリス教団の教皇の孫。
若くして魔術に長けた、天才少年。
性格はやや喧嘩っ早い所があり、
自尊心が強く、自分を大きく見せようとするきらいがある。
ゆえに友人はいない。
才能はある。
しかし、才能にあぐらをかかない勤勉な姿勢を取っている。
発言は鼻持ちならないが、行動は伴っていないのだ。
そこに好感を覚える者も少数ながら存在する。
クリフは現在16歳。
一年前に成人を迎えたが、祝う者は誰もいなかった。
彼が魔法大学へと来た理由は簡単だ。
一言で表せば、権力争いである。
数年前にミリシオンで起きた、神子暗殺未遂事件。
その事件は教皇派の仕業とされ、ミリス教団内部での権力争いが激化。
騒動の中、教皇は自らの孫であるクリフを、世界の反対側にあるラノア王国へと避難させた。
「クリフ、お前は大物になる器があります。慢心せず己を見続けなさい」
教皇はそう行って、クリフを送り出した。
クリフは自らが期待されている事がわかっていた。
当然だ。
エリスには負けるが、自分は天才なのだから。
そう思っていた。
長い旅路の末にたどり着いたラノア王国は、過酷な土地だった。
食事は合わず、気候は厳しく、
考え方が大幅に違う者達でひしめいていた。
だが、それでも。
それでもクリフは自分の才能だけは信じていた。
特別生であり、教皇の孫であり、
将来はミリス教団を背負って立つ自分は、他とは違う。
そう思っていた。
一年目に二度、打ちのめされた。
一度目は、ザノバ・シーローンという人物だった。
彼は神子だった。
生まれつき、神に愛された人物だった。
頭はちょっとおかしかったが、能力は確かだった。
自分の三倍は体重があるような相手の顔を掴んで、持ち上げ、放り投げるのを見たことがある。
そんな力があるのに、彼は魔法大学にいるのだ。
魔術を学んでいるのだ。
土系統の魔術ばかりを重点的に。
その成長速度はクリフから見れば遅々たるものであった。
だが、そもそも神子が魔術を習う必要など無いのだ。
魔術とは太古の力無き人々が神の所業を真似ようとして創りだされたものだという説もある。
神子とは神の力を持った人間だ。
魔術など習う必要はない。
そう思い、クリフは彼に問うた。
「お前はどうして、魔術なんか習っているんだ?」
「うむ。やりたいことがあるのだ」
そう言って、ザノバはいつも持ち歩いている箱から、一体の人形を取り出した。
そして、その人形について長々と語った。
クリフは、彼の言葉の意味が半分もわからなかった。
だが、その人形の出来が素晴らしいものであるという事だけは伝わった。
「余は、この人形を作った方に弟子入りし、この方と共に世界に人形を広めたいのだ!
そのため、余も人形を作れるようにならねばならん!
再会した時に基礎的な事はできるようになっておかなければ、師匠に申し訳が立たん!
もっとも、自らの手でも作ってみたいというのもあるがな!」
それは『夢』であった。
クリフが持っていないものであった。
否。
クリフが諦めたものだった。
神子であり、自国の期待を一身に背負っているだろうに。
故郷に戻れば、きっと自由なんてないだろうに。
彼は一縷の望みを捨てていないのだ。
ある日突然、自由になる可能性を。
そして、自由になった時、自分のやりたいことをやるつもりなのだ。
ちなみに、クリフは、シーローン王国での事件やザノバの事情などは知らなかった。
自分の常識になぞらえて考え、そう結論付けたのだ。
勘違いである。
だが、クリフは感銘を受けた。
大したやつだと思ったのだ。
「その師匠というのは、どういう奴なんだ?」
「ルーデウス・グレイラットというお方である」
名前を聞いて、クリフは打ちのめされた。
ルーデウス・グレイラット。
エリスにフラれたあの日より、その名前は心に残っていた。
ここでまた、その名前を聞くとは思わなかった。
それも、自分が感銘を受けた人物の口から、である。
ショックは大きかった。
二度目は、先輩によって。
当然の事ながら、クリフはこの学校では自分が一番強いと思い込んでいた。
接近戦も含めるとなればエリスには到底かなわない。
だが、魔術師という枠組みでなら、自分に勝てる者はいない。
自分は天才だし、学校にいるのは、所詮学生レベル。
教師だって、自分より魔術が使えない奴が大勢いる。
故に、自分はこの学校で一番強い。
それが思い上がりだと知るのは、入学して約二ヶ月。
学生の中でもトップクラスだと噂される、二人の獣族の少女に負けた時だ。
リニア、プルセナ。
きっかけはどちらからだったろうか。
クリフは口も悪く、鼻持ちならない発言ばかりをしていた。
当時のリニアとプルセナはすでにかなりおとなしくなっていたが、
やはり生意気な年下にでかい口を叩かれるのは気に障る。
クリフも、なんと言って二人を怒らせたのかは覚えていない。
ただ、戦いの内容だけは覚えている。
上級魔術を唱えようとしたクリフに対し、
プルセナが初級魔術で牽制しつつクリフの詠唱と足を止めた。
そして、リニアが接近してきて、クリフをぎったんぎったんにしたのだ。
公衆の面前でボコボコにされて、クリフは一人、泣いた。
2対1だし、しょうがない、自分は負けてないと言い聞かせた。
そして後日、フィッツという年下の先輩が、一人であの二人を倒したと聞いて、二度目のショックを受けた。
上には上がいる。
この学校にきて、クリフはそんな当たり前の事を知った。
そして、上級魔術を使えた所で、決して強くはなっていないという事を、ようやく理解した。
その日以来、クリフは努力した。
ただ、そのプライドは高く、誰にも教えを受けることはなかった。
自分で強くなるにはどうすればいいのかを考え、
しかしわからず、ひたすらに足りない部分を補おうとした。
そして、入学より二年目。
さらに二度の衝撃を受ける。
一つ目の衝撃。
ルーデウス・グレイラットの入学だ。
自信のなさそうな顔。
みすぼらしい鼠色のローブ。
初対面の相手にへりくだる言動。
卑屈とも言える態度、低い腰。
女性を見る、ねっとりとした目線。
男としての魅力が欠片も感じられない立ち姿……。
エリスやザノバから聞いて想像していた人物とは大きくかけ離れていた。
こんな奴が、と疑問に思った。
同姓同名の別人だろう、と。
しかし、ザノバは彼を師匠と呼び、エリスの事も知っていた。
なら、こいつは嘘を付いているんだ、とクリフは結論づけた。
嘘を積み重ねてエリスとザノバを騙したのだ、と。
それが証拠に、リニアとプルセナに挑発されても、へこへこと頭を下げるだけだ。
本当に強いのなら、あの二人を打ち破れるはずだ。
クリフはそう判断した。
だが、すぐに化けの皮が剥がれるとも考えていた。
ザノバは本当の神子で、勤勉な努力家だ。
リニアとプルセナも実力はピカイチ。
嘘やごまかしでやっていける場所ではないのだ。
フィッツがルーデウスに敗れたという噂も聞こえていたが、
何かの間違いか、彼が流した嘘か、卑怯な手を使ったのだろう。
そう考えていた。
が、ルーデウスは実力を示した。
彼は無詠唱魔術の使い手だった。
まず、ザノバを更に心酔させた。
リニアとプルセナも軍門に下った。
あのフィッツも認めており、数日に一度は、一緒に図書館で勉強をする仲だという。
それだけの実力がありながら、授業に出ているのも見た事がある。
神撃や結界魔術の『初級』の講座である。
いまさら必要ないだろうに、自分に足りないものを貪欲に学ぼうとしているのだ。
ルーデウス・グレイラットは自分よりも才能があり。
自分よりも勤勉であり。
自分と違って結果を出している。
それはクリフにとって、認めたくない事実であるはずだった。
しかし、ザノバと出会い、リニアとプルセナに敗北したという経験のせいだろう。
思いの外、すんなりと受け止めることができた。
この少年は、自分の遥か上を行く存在なのだと。
だからといって好きになるわけもなかった。
事実を受け止めるのと、ルーデウスを好きになるのは、まったく別の事であるからだ。
そして、最後の衝撃。
それは、ある日の事。
時刻は夕暮れ時のこと。
道を歩いていた時のこと。
ふと上を見上げた時のこと。
そこに女神がいた。
金色の豪奢な髪を持っていた。
窓に寝そべるように物憂げな表情で外を見ていた。
夕暮れに赤く染まる顔は美しかった。
クリフの心臓は打ち抜かれた。
一目惚れであった。
もともと、クリフは面食いである。
冒険者にあこがれていた幼少の頃には、
将来のお嫁さんは綺麗な人がいい、なんて言っていた。
孤児院のOGである治癒術師が美しかったからだ。
「……っ!」
その時、窓辺の女性がクリフに気づいた。
ふわりと微笑んで、手を振る。
その仕草、笑顔、シチュエーション、全てがクリフのド直球だった。
クリフは思った。
僕はこの女性に会うために生まれてきたのだと。
彼女は僕に出会うために生まれてきたのだと。
その瞬間、エリスの存在は初恋の相手から、ただの憧れに変わった。
--- ルーデウス視点 ---
月に一度のホームルーム。
現在は、俺の周囲にザノバ、リニア、プルセナが並んでいる。
友人と机を並べるというのは、やはりいいものだ。
ちなみにジュリもザノバの膝に座っている。
リニアはいつも通り、机の上に足を乗せ、健康的な太ももを惜しげもなく俺の前にさらけ出している。
これが間近で見られる生活というのも、なかなか悪くはない。
「ボスはいつもあちしの足に釘付けだニャ、ボスも飢えた男ってことか……。
ほら、ピラッ……ギャー、スカートの中に手を入れるニャ!」
リニアはたまに無駄に挑発してくるので、遠慮なく触らせてもらう。
しかし、触れども触れども、虚しくなるだけだ。
行き場のないリビドーが悲しみとなって増幅されるのだ。
「ニャ!? 何ニャその目は、自分から触っておいて、なんでそんな顔するニャ!?
あちしの何が気に食わニャいんだ!?」
ぶっちゃけ、最近では耳とか尻尾とか触らせてもらった方がいい。
猫耳と猫尻尾は癒されるのだ。
「リニアは馬鹿なの」
プルセナは俺の手の届かないギリギリの位置で肉を食っている。
干し肉だったり、焼肉だったり、生肉だったり。
種類は様々だが、基本的に常に肉を食っている。
普段はクール系を気取り、迂闊なリニアを馬鹿にしているが、
肉で釣ると尻尾を扇風機みたいにしながら近づいてくる。
彼女の方が毛質は柔らかく、撫で心地がいい。
前々から気になっていたので見てみたが、獣族には人間耳はついていなかった。
人間が耳の生えている場所を斜めに横断するように生え際がある。
もっとも、種族によってはもっと横寄りに耳がついている奴もいる。
頭蓋骨の形が違うのだ。
恐らく、耳の内部構造も違うはずだ。
もし俺が生物学者だったらぜひとも解剖して調べてみた事だろう。
だが、俺は生物学者ではない。
してみたい解剖は違う意味での解剖だ。
もっとも、全ては病が治ってからだがね。
彼女はリニアと違い、肉をあげなければ撫でさせてくれない。
逆に言えば、肉さえ上げれば撫でさせてくれる。
貞操観念はそこそこ高いようだが、
少々心配である。
「師匠、以前より足首の角度が悪くなっていますな」
「ごしゅじんさま、あたしがなおします」
「ジュリ、余のことはマスターとよべ。そして師匠の事はグランドマスターと呼ぶのだ」
「はい、ますた」
ザノバは平常運転だ。
しかし、彼はこのグループ内のヒエラルキーは一番下となっている。
先日の決闘でリニア・プルセナに勝利したのはもっぱら俺であり、
ザノバはそれにくっついていた金魚の糞にすぎない。
虎の威を借る狐は気に食わない、というのがリニアの言い分だ。
対するザノバは、
余は師匠の一番弟子である、と主張した。
だが、俺の教えを受けているのはシルフィ、エリス、ギレーヌに続いて四番目だ。
ギレーヌとは持ちつ持たれつの関係だったから除外するとしても三番目。
そう言った時のザノバの情けない顔ときたら、ちょっと悪い事をした気分になったぐらいだ。
フォローとして、人形の方では一番弟子だと教えておいた。
人形の二番弟子であるジュリは、ザノバのロキシー人形に関する講義を真面目に聞いている。
彼女もだいぶ洗脳されてきたようだ。
人形製作に意欲的に取り組もうという意志を伺える。
とはいえ、俺やザノバと対等なレベルで人形について語れるのはまだまだ先だろう。
そして、拙いながらも無詠唱魔術を使える。
やはり幼いと魔力総量が増え、無詠唱魔術も使える、というフィッツ先輩の説は正解らしい。
「…………ぐらんどますた。できませんでした」
「はい」
ただ、やはりまだ幼いせいか、失敗が多い。
今もまた、ロキシー人形の足が水ぶくれみたいにでかくなってしまっている。
小さなサイズの土魔術を作り出すのは無理なのだろう。
もちろん、俺は怒らない。
何事もやってみろと教えている。
失敗に懲りず、何度でもやりなおせと教えている。
失敗は成功の母とも言うし、一度の失敗でやめてしまえば引きこもりまっしぐらだ。
「ロキシー人形を直すには、まだ早かったですね」
「ごめんなさい」
彼女が俺を見る目には、たまに恐怖の色がある。
なんでそんなに怖がるのか。
俺はお前を救ってやったじゃないか。
そう聞いてみると。
炭鉱族の寝物語に登場する『穴の怪物』というものを教えてくれた。
その怪物は穴の奥に住んでいて、たまに出てきて悪い子を攫う。
逃げようとしても、いつのまにか足元が泥沼になっていて逃げられず、
袋を被せられて穴の奥底に連れて行かれるのだ。
穴の奥に連れて行かれた悪い子はある日ひょっこり戻ってくるけど、
まるで別人みたいにいい子になっているんだと。
なるほど、言われてみると確かに。
俺は泥沼を使ってリニアとプルセナを倒し、袋を使って拉致監禁。
ザノバとジュリがいない所でフィッツ先輩に手伝ってもらってお仕置き完了。
リニアとプルセナは俺にでかい口を叩かなくなった。
ジュリの目から見れば、その通りかもしれない。
「ふぁー、眠いニャ」
「最近、暖かくなってきたの」
「ボス、今度あちしの昼寝スポットを教えてあげるニャ」
「え? 昼寝してるリニアさんにイタズラしていいんですか?」
「……ボスはエロいことしか考えてないのかニャ?」
「師匠は人形のことを第一に考えておられる」
「お前は口開くとややこしくなるから黙ってるの」
「ですが」
「いいから肉でも買ってくるの」
「もうすぐ教師がくるニャ」
「ダッシュなの」
「ますたー、ここはわたしが」
「じゃあ、僕が」
「ボスがいくくらいならあちしが行くニャ」
「どうぞどうぞ」
「ニャ!?」
教師が来るまで、そうやって雑談をしていた俺たち。
まあ、うるさかっただろう。
間違いなく、うるさかっただろう。
さて、この部屋にはもう一人いる。
教室の前の方。
ひとりポツンと勉強をしている少年。
真面目に勉強している少年。
クリフ。
彼は俺たちの雑談に、肩を怒らせて立ち上がった。
「うるさい! 集中できないだろ!
遊びに来てるんなら故郷に帰れ!」
俺は黙ったよ。
ザノバも雑談をやめて、ジュリへの講義に戻った。
しかし、元不良生徒二人は、それを喧嘩上等だと受け取った。
「誰に向かって口聞いてるニャ」
「お前のサイフの中身は、今日から私のお肉になるの」
「!?」が中空に浮かび出る。
普通、前回やられた奴というのは、次回では噛ませ犬となる。
が、この二人はクリフとはすでに喧嘩済みであるらしい。
クリフは入学早々に二人にやられ、
それ以来、ずっと真面目に勉学に励んでいるのだとか。
敗北を糧に成長する。
勤勉な少年だ。
邪魔するのはよくない。
「申し訳ありません。勉強に励んでる方の邪魔になりますね、静かにします。
ほら、二人も座って、座って、座れって、おすわり」
「……ボスがそう言うならしょうがないニャ」
「ファックなの……」
リニアとプルセナは不機嫌そうな顔でストンと座った。
「ふん、わかればいいんだ。まったく、ザノバまで一緒になって何をやってるんだ、まったく……!」
クリフはふんと鼻息を一つ。
リニアとプルセナはチッと舌打ちをしていた。
真面目に生きている奴の邪魔することはない。
俺も不真面目に生きているつもりはないがね。
どちらにしろ、彼とは接点を持たないだろう。
その時は、そう思っていた。
---
それから一週間後。
俺はいつも通り、フィッツ先輩と転移について調べていた。
最近わかり始めた事だが、
転移と召喚というのは、やや似ている部分がある。
魔法陣の形状も似ている。
魔法陣から発する魔力光の色も似ている。
しかし、決定的に違う部分がある。
それは『人間は召喚できない』という事だ。
どんな召喚魔術でも、人間が召喚できたことはない。
魔獣、精霊、植物……それらを召喚することはあっても、
人間は召喚出来ない。
過去の文献、資料、物語を見ても、人間を召喚するものはなかった。
人族、魔族、獣族……この世界にはあらゆる種族がいるが、
人間と称されている者達を召喚することは出来ないのだ。
もっとも。
俺もフィッツ先輩も召喚については専門外だし、
似ているからなんだという話に落ち着いた。
けれど、俺には引っかかる部分があった。
『生身の人間』は召喚することは出来ないとして。
じゃあ、『魂』だけなら?
「……」
それを口にする事はない。
ただ、詳しい人に聞いてみたいと思った。
異世界をさまよう人間の魂。
そいつは召喚できるのか。
「フィッツ先輩、召喚魔術に詳しい先生にあたりを付けておいてくれませんか?」
「え? うん、わかった。でも、この学校では召喚術って付与系しか教えてないよ? 僕らの調べてることがわかる先生、いるかなぁ……?」
そうなのか。
そういえば、授業のリストを見た時も召喚術の授業はなかったな。
あるものに関してはわかるが、無いものに関しては気づかないものだ。
しかし、付与って召喚術にカテゴライズされるのか。魔術教本には書いてあったっけか。
「とりあえず、探してみるしかないでしょう」
この時、
俺の内心には不安が芽生えていた。
それを表面に出すことはない。
杞憂だ。
関係ないはずだ。
あの災害は10歳の時に起こった。
俺が転生して、10年だ。
そう、10年も、何も、起こらなかったのだ。
関係ないはずだ。
---
寮への帰り道。
この世界にも季節による日の出と日の入りはあるのか、
入学当初は夜になっていた時刻でも、まだ夕暮れという時刻。
すっかり周囲から雪は消え、北方大地特有の、赤茶けた地面。
そこに敷かれた石造りの道を歩いていると、ふと声が聞こえた。
「まてやコラァ!」
「詠唱できると思ってんじゃねえぞ!」
校舎の裏から、一人の少年がまろび出てきた。
それを追うように、六人の男が追いかけてくる。
少年は距離を取って魔術を詠唱しようとする。
最初は大規模な詠唱を行おうとして、しかし男たちに妨害され、
初級魔術で牽制するも、相手が六人いれば意味もなく。
少年は追い詰められ、殴られ、転がされた。
六人は亀のように耐える少年に追い打ちをかけた。
イジメだ。
イジメの現場だ。
胸が痛くなる光景だった。
俺は思わず声をかけていた。
「これこれ君たち、亀をいじめてはいけないよ」
思わず駆け寄ってそう言うと、六人は一斉にこちらを向いて、睨みつけてきた。
俺よりちょいと背丈が高いのもあって、威圧される感じだ。
「んだてめぇは!」
しかし、そのうち一人が気づいた。
「お、おい、こいつ、泥沼の……」
「泥沼……? る、ルーデウスか!?」
「リニアさん達を部屋に監禁して調教したっていう!? あのルーデウスか!?」
調教はしてねえよ。
「いや、さすがにデマだろ!?」
「プルセナさんがボスって言って尻尾振ってるんだぜ……!?」
「あのひとは肉くれる人にはだいたい尻尾振るだろうが!」
「だけどよ、あの二人が従ってるってのはマジなんだろ?」
「ああ、顔に落書きされてる所、授業中にみたもんよ」
「なんだっけ、『私はルーデウス様の性奴隷です』だっけか?」
「いや、内容はよく覚えてないんだが……」
「決闘して倒してから、拉致って奴隷かよ……」
「……しかもドルディア族をだぜ?」
「後先考えてねえのかよ……」
男たちは俺を尻目にあることないこと喋りだし。
最終的にはゴクリと唾を飲み、戦慄の視線を俺に送ってきた。
互いに目配せしあい、頷き合う。
そして、倒れている少年に目を落とす。
「おい、今日の所はこれで勘弁しといてやる」
今日の所は。
という言葉に、俺は敏感に反応した。
「今日の所はってことは、また後日同じことするつもりですか?
六人がかりで、一人をイジメるんですか?」
きつい口調でいうと、六人はあからさまにめんどくさそうな顔をした。
「チッ……」
「なあ、ルーデウス……さん、あんたには関係ねーだろ……」
こいつらはいつもそうだ。
関係無い。関係無い。
俺だって関係ないことは承知で首つっこんでんだよ。
「事情は知りませんが、六対一は卑怯ですよ」
「…………」
六人は顔を見合わせ、そして首を振る。
目線で話すなよ。
「わかったよ。やらねえよ。けどな、そいつだって、別に何もしてねーわけじゃねえんだからな」
男の一人はそう言うと、踵を返した。
ほか五人も付き従い、校舎裏へと戻っていった。
校舎裏に巣でもあるんだろうか。
「ふぅ」
俺は息を一つ吐いた。
やはり、ああいう威圧してくる相手がたくさんいるとビビるな。
多人数との戦い方はある程度俺の中でもシミュレートされているが、
しかし、それと心の問題は別だ。
1対1ならビビらんのだがなぁ……。
「やあ、大丈夫ですか?」
俺は、立ち上がりつつある少年に近づいた。
彼は服の埃を払いつつ、小声でヒーリングを詠唱していた。
さすが魔法大学といった所か、イジメられっこでも治癒魔術を使うとは。
そう思っていると、少年が振り返った。
クリフだった。
「…………」
正直、クリフにはいい思い出が無い。
顔を見る度に突っかかってくるし、
今回もどうせ「お前に助けられる筋合いはない!」とか言うんだろう。
そう思っていた。
「お前に助けられる筋合いは……」
と、そこまで口にして、クリフは口をつぐんだ。
そして、むむっと考えるような表情を作り。
ふぅとため息を一つ。
「…………いや、助かったよ。ありがとう」
「どういたしまして」
クリフは頭を一つ下げると、足早に去っていった。
俺はその光景をあっけに取られてみていた。
確かに助けはした。
だが、こうも唐突に態度が変わるとなると。
何か企んでいるんじゃないかと思ってしまう所だ。
いや、ここは素直に受け取っておくべきなのだろうか。
今までクリフはやけに噛み付いてきたが、俺から噛み付き返す事はなかった。
クリフもようやく、俺を敵ではないと認めてくれたのかもしれない。
そもそも、なんで嫌われてるのかもわかっていなかったのだが……。
「まあいいか」
俺は寮に向かって歩き出した。
---
翌日。
俺は昼食を食い終わる頃、クリフに呼び止められた。
そして、放課後に校舎裏へと呼び出される。
クリフは怒っていた。
何を怒っているのかわからない。
だが、難しい顔だった。
喧嘩するのだろうか。
と、俺はボンヤリと考えていた。
すでに予見眼を開眼している。
周囲に気を配りつつ、右手に魔力を溜めていた。
恩を仇で返すとは、最近の亀は酷いな。
そんな風に考えていた。
「よし、このへんでいいか」
誰もいないことを確認して、クリフは振り返った。
顔が真っ赤だ。
すぐにわかった。
これは決闘ではない。
そういう目的で呼び出したのではない。
むしろ、これは告白だ。
このシチュエーションはそういうアレだ。
参ったな。
いくら女の子相手に役に立たないからって、
パンツレスラーになった覚えはないんだが。
フッ、もてる男は辛いぜ。
なんちゃって。
「じ、実はな……」
「おうよ」
答えは決まっている。
俺は堂々と、返事をしてやろう。
まずはお友達から、そして、そこで終わりだ、とな。
「好きな子がいるんだ」
「お、おうよ……」
照れ照れと頬を描きつつ、顔を赤らめてクリフはうつむく。
俺はこれを断るのか?
胃が痛い。
これがもし女の子だったらと考えてしまう。
俺の剣は聖剣でも、その鞘でもないのだ。
しかし、クリフは顔を上げると、ある一点を指さした。
「あの子なんだ」
指さした先は、校舎。
やや遠目に、窓から顔を出した人物が見える。
ここからでも、長い金髪が風に揺れているのが見て取れる。
彼女は夕日に染まる学校風景を、物憂げな表情で見下ろしていた。
「昼間、見たんだ。話してる所。
知り合いなんだろ?
その、紹介、してくれないか?」
「…………おうよ」
校舎から顔を出している人物。
それは、俺もよく知っている人物だった。
噂でよく聞く問題児。
サキュバスのように同級生を食いまくっている魔性の女。
エリナリーゼ・ドラゴンロードだった。
副題を
「クリフvsエリナリーゼ」
「騙されし童貞~純真な恋心を叩いて砕く淫靡なる性欲~」
「気になるあの子がくっついちゃう!? 生意気なあの子の恋心!」
の、どれかにしようかと思ったけどやめた。