第六十一話「旅の終わり」
あれから三日が経過した。
そして、俺達はアスラ王国へと入った。
目的地はすでに目前。
すでに到着したと言っても過言ではないだろう。
だというのに一行の表情が晴れない。
先日の出来事が尾を引いているからだろう。
街道ですれ違う人々の明るい顔とのギャップが激しい。
完敗だったからな。
あっけなく全滅させられて、俺は命まで奪われた。
なんの気まぐれか、わざわざ生き返らせてもらったようだが。
それがなければ、俺はこの世にいない。
俺としては、あまり実感がわかないが。
自分でも不思議な事だが、俺はあの時のことをあまり恐怖していない。
トドメを刺される瞬間、確かに死にたくないと思った。
トラウマになってもおかしくないと思った。
だというのに、目覚めた時には、なぜかスッキリ爽やか……。
というわけではなかったが、「ああ、夢か」という感覚があった。
悪夢を見た時と同じ感覚だ。
死ぬ寸前の感覚と夢が繋がっているためか、
全てが夢だったという感じがしているのかもしれない。
そう考えると、人神はそれを想定して、俺の意識に割り込んできたのかもしれない。
正直、本能的に拒否したくてたまらない感じなのだが、
ルイジェルドの事も考えていてくれたようだし、
実は悪いやつではないのかもしれない。
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俺が死にかけて以来、エリスの距離がどうにも近くなった。
以前は馬車に座っていると、斜め前ぐらいに突っ立って、
「バランスの訓練よ、ルーデウスもやったら?」
なんて言ってたのだが、最近は座るようになった。
俺の横に。
太ももが密着するような距離で、である。
そんな距離になると、いろいろと見えてしまうものもある。
例えばある日の事だ。
エリスの服とズボンの裾から地肌が覗いていた。
そうしたものが覗いていると、つい撫でたくなってしまうのが人の心というものだ。
なので右手でついっと撫でてみたら、真っ赤な顔をして睨まれた。
ここで、流石の俺も少々戸惑った。
そう、殴らないのだ。
エリスが俺を殴らない。
今までなら殴るような事をしても、殴らないのだ。
顔を真っ赤にして睨むだけ。
ただ、じっと見てくるだけなのだ。
しかも、エリスは変わらず、俺に密着して座っている。
今まではそうした行為をすると、一歩引いた距離を取られたものだ。
けれども、今は距離が近いまま。
真面目な話、今度はズボンの中に手を突っ込みたくなるから、そろそろ離れてほしい。
笑って済ませる事と済ませられない事があるのは知っている。
そして俺は済ませられない事の方がしたいと自分でもわかっている。
我慢しているのだ。
そんな俺の葛藤を知ってか知らずか、エリスの距離は近い。
「…………」
手を自由にしているとエリスの方に伸ばしてしまう。
なので。
現在、俺は左手で魔術を作ろうとし、
右手でその魔力をかき乱すという作業をしていた。
オルステッドが使っていた魔術だ。
確か『乱魔』とか言ったか。
手から出される魔力が形になる直前に、別の魔力で妨害し、散らす。
単純で、消費魔力も少ないが、凄い技術だ。
思えば、王級の結界も似たような方法で魔術を無効化していたのだろう。
口で言うのは簡単だが、実際にやろうとするとなかなか難しい。
左手で魔術を使おうとしているからだろうか。
魔術が不完全ながら形になってしまう事が多い。
オルステッドのように、完全に無効化するのはなかなか骨だ。
しかし、これだけでも牽制にはなるだろう。
いや、いい事を教えてもらった。
「ねえルーデウス、さっきから何してるの?」
「オルステッドが使っていた魔術を真似しようと思いまして」
そう言うと、エリスは俺の手を凝視しだした。
俺の左手に歪な形をした小さな石弾が出来て、コロリと落ちる。
また失敗だ。
まるで両手でじゃんけんをしているような気分だ。
どうしても左手を勝たせてしまう。
適当じゃダメなんだろう。
おそらく、何らかの法則に従って魔力を動かさないといけないのだ。
うん?
適当じゃダメってことは、かき乱すときに法則があるってことか。
なら、法則を考慮した魔力の放出をすれば、逆に乱魔を無効化できるってことか?
夢が広がるな。
「どういう魔術なの?」
「魔術を無効化する魔術です」
「そんな事、できるの?」
「今練習している所です」
「なんでそんな事してるの?」
「最近、魔術を封じられて何もできないケースが多かったので、研究ですかね。
まぁ、またオルステッドに会って戦う事になったら、
逃げ切れるぐらいにはなっておきたいじゃないですか」
エリスはその言葉で絶句して、黙りこんでしまった。
しばらく、石弾がコロコロと落ちる音だけが続いた。
「ねえ、ルーデウスはなんでそんなに強いの?」
エリスはずっと黙っていたが、ふと、そんなことを聞いてきた。
俺は強いのだろうか。
いや、そんなことはあるまい。
自慢じゃないが、俺はここ数年、自分の強さを実感することはなかった。
無力感だけが残る毎日だ。
「エリスの方が強いとおもいますけど?」
「そんなことないわよ」
「……」
「……」
そこで会話が途切れた。
エリスは何かを聞きたそうに、しかし言いにくそうに口をつぐんでいる。
なんだろうか。
わからない。
いや、わからないってことはないか。
「先日、簡単にやられてしまったことを気にしてるんですか?」
「…………うん」
仕方ない所だろう。
奴は人神いわく、世界最強の龍神様という話だ。
あのルイジェルドですら軽くあしらわれた。
相手が悪い。
この世には、努力では到達できない領域が存在する。
生前、俺は色んなことをやり、あるいはそこそこ上位になった事もあるが、
最上級に到達した事は一度もなかった。
やりこんだゲーム、これなら負けないと思ったものでも、上には上がいた。
オルステッドは、いろんな制限を課せられているらしい。
それでも体術でルイジェルドを上回り、エリスを片手であしらい、俺を完全に無力化した。
しかも、最大HPにダメージをぴったり合わせるような戦い方で倒された。
まだまだ余力を残しているってことだ。
本気を出せばどれぐらい強いのか、さっぱりわからない。
呪いのせいで本気は出せないらしいが……。
本気なんか出せなくても、あいつには、勝てない。
おそらく、どれだけ努力しても勝てない。
「相手が悪かったんですよ、あれは仕方がありません」
「…………でも」
エリスが悩む気持ちもわかる。
なにせ、エリスは一発だったからな。
剣を受け止められて、そのままぶっ飛ばされた。
「エリスはまだ若いですし、努力しだいでは強くなれますよ」
「そうかしら……?」
「ええ、ギレーヌだって、ルイジェルドだって、そう言ってるじゃないですか」
エリスがふと顔を上げた。
まっすぐに俺を見てくる。
「ルーデウスは死ぬ所だったのよ?
どうして、そんな……簡単に言えるの?」
そりゃあ、あまり感覚が残ってないからだ。
俺は戦おうなんて思ってない。
次にあいつの顔を見たら、俺はロケットのように逃げ出すだろう。
あるいはネズミのように物陰に隠れるか。
逃げ切れないなら、今度は命乞いをするかもしれない。
願わくば、その光景はエリスには見られたくないものだ。
しかし、その情けない本音を口にするのは恥ずかしい。
「次は、死にたくないですからね」
「…………そうね、死にたくは、無いわよね」
「安心してください。もしエリスが危ない目にあっても、なんとか抱えて逃げられるぐらいにはなっておきますから」
エリスは難しい顔をして、俺の肩に頭を載せてきた。
今ここで頭でも撫でてやれば、ポッてなるかもしれないと思ったが、
右手は現在、乱魔の最中である。
「まあ、何にせよ、もう少し強くならないといけませんよ」
もう少し。
そう、もう少しだ。
さすがに、この世界で最強にはなれない。
この世界の天井は高すぎる。
前世でも俺は世界一になれなかった。
その才能の片鱗もなく、努力の仕方もヘタだった。
この世界における才能がどれぐらいあるのかわからないが、
俺は自分を信じて愚直に何かに打ち込む事はできそうもない。
でも唐突に変な奴に襲われても逃げ切れるくらいにはなっておきたい。
俺はエリスの髪に顔を埋め、くんかくんかと匂いをかぎつつ、
そんなことを考えるのであった。
---
夜になり、エリスが寝静まると、俺はルイジェルドと会話をする。
あの日以来、男の口数はいつにもまして減ってしまった。
普段からあまり饒舌な方ではないのだが、それがむっつりと押し黙るようになってしまった。
あの時の事を気にしているのだろう。
彼は責任感の強い男だ。
無事に送り届けると約束したのに、それが守れなかったと思っているのかもしれない。
馬鹿な事だ。
運よくとはいえ、俺はこの通りビンビンだ。
「あのオルステッドという男、龍神だそうですよ。
"七大列強"第2位の」
まずはジャブとして、そんな言葉から入った。
相手が強いのだから仕方がない。
そんなニュアンスを含ませつつ。
「そうか、どうりでな……」
「強いですよね、あの後、僕も手も足も出ずやられましたよ」
「一目みた瞬間勝てる気がしないと思ったのはラプラス以来だ」
人神曰く、オルステッドはそのラプラスより強いらしい。
本気で戦えない制約がついているらしいが……。
ルイジェルドはその事を知るまい。
手加減され、体術だけであしらわれた。
その事実はルイジェルドにとってショックだったのかもしれない。
と、思ったが、
「俺も"七大列強"の上位に対抗できるとは思っていない。
奴らは人知の及ばぬ本当の化け物だ。
ああいった輩と一本道で遭遇するのは、運が悪いとしか言えん。
そして、生き残れた事は運がいいとしか言えん。
ルーデウス、もしまたああいう奴と出会う事があっても、決して喧嘩は売るなよ。目も合わせるな。今回のような事になりたくなければな」
「え、ええ。まあ、多分次は目を逸らして通り過ぎます」
怒られてしまった。
まあ、俺が声を掛けなければただすれ違うだけだったはずだしな。
そこは反省しておこう。
でも、最初はそんな危なそうな奴には見えなかったんだけどな……。
いや、ルイジェルドとエリスがあれだけの反応を示していたんだ、もっと警戒してしかるべきだった。
「では、何に悩んでいるんですか?」
聞くと、ルイジェルドはジロリと俺をねめつけた。
「ヒトガミとはなんだ?」
おう。そのことか。
「奴は最初、俺たちを見逃すつもりだった。
殺気を撒き散らしつつも、眼中にはなかった。
だが、ヒトガミの名前を口にした瞬間、殺気が完全にお前に向いた」
俺は目を閉じた。
言うべきか、言わざるべきか。
以前に答えを出したつもりだったが……。
人神はああ見えて悪いやつではないらしいし、
あんな目に会ったというのに隠し事をしている。
そんな事実が嫌だったのもある。
なので、言うことにした。
「実は、人神というのは――――」
あれだけ悩んでいたというのに、決めてしまえばすぐだった。
そして、口もスラスラと動いた。
転移の時から、夢に時折人神と名乗る正体不明の人物が出てくる事。
その人物がルイジェルドを助けるように助言したこと。
それ以外にもいくつもの助言を授けてくれたこと。
自分の不審な行動はその助言に従っていたからということ。
そして、どうやらその人神と龍神は敵対関係にあるということ。
人神との会話はおぼろげで、忘れている事も多かったと思う。
しかし、大まかなことは全て伝えたと思う。
「人神と龍神……太古の七神か……。
にわかには信じられん話だ」
「でしょうね」
「だが、納得のいく部分もある」
そう言うと、ルイジェルドは無言になった。
焚き火のパチパチと燃える音だけが、その場を支配する。
火の作り出す影がゆらゆらと揺れ、一人の老戦士の顔を描きだす。
ルイジェルドは種族柄若くみえるが、その表情には歴戦を思わせる何かがある。
ふと、俺は最後の夢で、ルイジェルドの呪いについて触れたことを思い出す。
「そういえば、ルイジェルドさん。
スペルド族の汚名ですが、あれは呪いらしいですよ」
「……なに?」
「正確に言えば、ラプラスが自分に掛かっていた呪いを槍に移して、
その槍を種族全体に及ぶようにした……という感じだそうです」
「そうか……呪いか……」
朗報と思って話したのだが、
ルイジェルドは暗い顔をしてさらに考えこんでしまった。
「呪いを移すなど聞いたこともないが、ラプラスなら可能か。
奴は、なんでもできる男だったからな」
俺はそれほど詳しくないが、呪いというものに関してはルイジェルドの方が詳しいだろう。
彼はしばらくあれこれと考えていたようだが、
最後に力なく笑った。
「呪いならば、解く方法は無いな」
「そうなんですか?」
「ああ。呪いは解く方法がないから呪いなのだ」
呪いを解く方法ってのは無いのか。
「種族全体に掛かる呪いなど聞いたこともないが……。
神の言うことならば、本当なのだろう」
俺は無駄な事をしてきたのだ、と自嘲げに笑う。
光の加減だと思うが、目の端に涙が溜まっているようにすら見えた。
「でも」
「なんだ?」
「人神は、槍での呪いは通常とは違うから、時間経過で消えかけていると言ってました」
「なに?」
「ルイジェルドさん本人に残された呪いも、髪を切ったことで急速に薄れつつあると」
「本当か!」
ルイジェルドが唐突に大きな声を上げる。
エリスが「んぅ……」と声を上げ、もぞりと動いた。
この話は彼女にも聞かせた方が良かったかもしれないが……。
まあ、起きてからでいいか。
「ええ。今残っているのは呪いの残滓と、最初の呪いで出来た先入観だけだそうです。ルイジェルドさんのこれからの努力次第で、スペルド族の人気は少しずつ回復していくそうです」
「そうか……なるほど、そうだったか……」
「でも、人神のいうことです、多少は信用できるとはいえ、鵜呑みにはしないほうがいいかもしれません。今まで通り慎重にやったほうがいいでしょう」
「わかっている。だが、それを聞けただけで俺には十分だ」
ルイジェルドは無言になった。
もう光の加減でそう見えているだけではなかった。
ルイジェルドは涙を流していた。
「じゃあ、僕もそろそろ寝ますね」
「ああ」
俺はその涙を見なかったことにした。
俺たちの頼れる戦士ルイジェルドは、涙なんて流さない強い男なのだ。
---
そして、それから一ヶ月。
俺たちはまっすぐに北を目指す。
王都を経由せず、細い道を北へ、北へ。
小さな農村を転々と経由し、一面の麦畑や水車小屋を横目に見つつ、北へ。
情報なんて集めなかった。
出来る限りのスピードで、俺達は北を目指した。
情報は難民キャンプにたどり着けば全てわかると思っていた。
だがそれ以上に、あと少しだから、はやく到着したいという考えがあった。
フィットア領にたどり着いた。
何もないことを知った。
いや、この事はすでに知っていた。
ただ、かつてそこに何かがあったであろう場所にも、何もなかった。
一面の麦畑も、バティルスの花畑も、水車小屋も、家畜小屋もなかった。
ただ草原が広がっているだけだった。
広い広い草原だ。
その光景に寂寥感を持ちながら、現在唯一ともいえる、フィットア領の町。
難民キャンプへと到着する。
最終目的地。
その入口まで後一歩という所で、ルイジェルドは馬車を止めた。
「ん? どうしました?」
ルイジェルドは御者台を降りてしまう。
魔物でもいるのかと思い周囲を見渡すが、敵影は無い。
ルイジェルドは馬車の後ろまで歩いてくると、言った。
「俺はここで別れる」
「えっ!」
唐突に宣言された言葉。
俺は驚きの声をあげていた。
エリスも目を丸くしている。
「ちょ、ちょっと待って下さい」
俺たちは転げるように馬車から降りて、ルイジェルドと向かい合う。
早すぎやしないだろうか。
難民キャンプに来たばかりだ。
いや、後一歩という所で到着すらしていない。
「せめて1日ぐらい休んだら、いえ、街の中ぐらいまでは一緒に入ったらどうですか?」
「そうよ、だって……」
「必要ない」
そっけない言葉で、ルイジェルドは俺達を見る。
「ここには戦士しかいない。お守りは必要あるまい」
「…………」
その言葉に、エリスが押し黙った。
正直。
俺も少々忘れていたのかもしれない。
ルイジェルドが、あくまで俺たちを故郷に送り届けるためにここまでついてきたということを。
その目的が達成した以上、別れはあるのだということを。
ずっと一緒にいるものだと思っていた。
「ルイジェルドさん……」
口を開き、俺は迷う。
引き止めれば、留まってはくれるだろうか……。
いや、思い返せば、俺はこの男に多大な苦労を掛けてきた。
確かに苦労を掛けられたこともあったが、情けない部分を見せたのは俺の方が多い。
だというのに、彼は俺を戦士と認めてくれている。
これ以上、頼るべきではないだろう。
「ルイジェルドさんがいなければ、3年でここまで来る事はできなかったでしょう」
「いや、お前なら可能だったはずだ」
「そんな事はありません。僕は抜けている所があるので、どこかで躓いたとおもいます」
「そう言えるうちは大丈夫だ」
為す術もない状況というのは結構あった。
例えば、シーローンで囚われた時など、ルイジェルドという存在がいなければ、
俺はもっと慌て、取り乱していただろう。
「……ルーデウス、前にも言ったが」
ルイジェルドはいつにも増して静かな顔で俺を見下ろす。
「お前は魔術師として、すでに完成の域にある。
それだけの才能を持ちながら増長もしていない。
その若さでそれだけの事ができるという事に自覚を持て」
その言葉を、俺は複雑な気持ちで受け止めた。
若さといっても、俺の体感年齢はすでに40歳を超えている。
増長していないのは、その時の記憶があるからだ。
だが、40歳といっても、ルイジェルドの年齢から見れば「若い」の範疇に入るだろう。
「僕は……」
ここで自分のダメな部分を羅列することができた。
だが、それはあまりにも情けない気がした。
俺はこの男の前では、少々背伸びをしたい。
「いえ、わかりました。ルイジェルドさん、今まで本当にお世話になりました」
そう言って頭を下げようとすると、掴んで止められた。
「ルーデウス、俺に頭は下げるな」
「……どうして?」
「お前は俺に世話になったと考えているかもしれんが、
俺はお前に世話になったと考えている。
お前のおかげで、一族の名誉回復にも希望の兆しが見えた気がするのだ」
「僕は、何もしてませんよ。ほとんど何も出来なかった」
魔大陸においては、デッドエンドの名前をいい物にしようとして、
しかし、それはあくまで冒険者という枠組みを出ることはなかったように思う。
ミリス大陸ではネームバリューが使えなくなり、
別の方法を考えなければと思っている内に、どんどん後回しになった。
結局、中央大陸にきてからは、何もできなかった。
今までやってきたことも、少しは影響したと思う。
けれど、あくまでそれは、少しだ。
世界に大きく残った迫害の歴史を消すことはもちろん、
スペルド族に対する偏見をどうにかすることはできなかった。
「いや、お前は色々とやってくれた。
俺のように、愚直に子供を助けるだけでなく、
いろんな方法があるのだと教えてくれた」
「でも、どれも効果は薄かった」
「だが、確かに変わった。
俺は全て覚えているぞ。
リカリスの町で、お前の策略で、
スペルド族を恐れないと言った老婆の言葉を。
デッドエンドと聞いて恐れる事なく、愉快そうに笑った冒険者の顔を。
スペルド族と聞いても認めてくれたドルディア族の戦士の距離感を。
家族との再会に涙しながら礼を言った、シーローンの兵士を」
最初の二つはともかく、後の二つはルイジェルドが自分で頑張ったことだ。
俺は何もやっていない。
「……それはルイジェルドさん、あなた自身の力です」
「いや。俺は一人では何もできなかった。
戦争から400年、俺は一人で動き、一歩も前進できなかった。
その俺に『一歩』を与えてくれたのはお前だ、ルーデウス」
「……でも、それはあくまで人神の助言で」
「見たこともない神などどうでもいい。
実際に助けてくれたのはお前だ。
お前がどう思おうと、俺はお前に恩義を感じている。
だから頭は下げるな、俺とお前は対等だ、礼を言うなら目を見ろ」
ルイジェルドはそう言って、俺に向かって手を差し伸べた。
俺の目を見ながら。
俺はそこから目を逸らさず、手を握った。
「もう一度言う。ルーデウス、世話になったな」
「こちらこそ、お世話になりました」
手をぎゅっと握ると、ルイジェルドの力強さが伝わってきた。
目頭が熱くなってきた。
こんな情けない俺を、
失敗ばかりしてきた俺を、
ルイジェルドは認めてくれているのだ。
しばらくして、すっと手が離れる。
その手は横へと動き、エリスの頭へと乗せられた。
「エリス」
「……なによ」
「最後に子供扱いをするが、いいか?」
「いいわよ、別に」
エリスはぶっきらぼうに答えた。
ルイジェルドは薄く微笑みながら、エリスの頭を撫でる。
「エリス、お前には才能がある。
俺なんかよりも遥かに強くなれる才能だ」
「嘘よ、だって……あいつに……」
エリスは口をへの字に結んで、ムッとした顔をしていた。
ルイジェルドはフッと笑い、いつも、訓練で口にする言葉を口にした。
「神の名を冠する者と戦い、その技を受けた。
その意味が……」
わかるか? と。
エリスはルイジェルドをキッと睨み。
やがて、ハッと眼を見開いた。
「…………わかるわ」
「よし、いい子だ」
ルイジェルドはポンポンとエリスの頭を叩き、その手を外した。
エリスは口をへの字に結んで、拳を握り締めている。
泣きそうなのを、必死に我慢しているように見えた。
俺は彼女から目を逸らし、ルイジェルドに問いかける。
「ルイジェルドさんは、これからどうするんですか?」
「わからん、しばらくは中央大陸でスペルド族の生き残りを探してみるつもりだ。
俺一人では、名誉の回復など夢のまた夢だからな」
「そうですか、頑張ってください。僕も暇があれば、何か手を打ってみることにします」
「……フッ、なら俺も、暇があればお前の母親を捜してみるとしよう」
ルイジェルドはそう言って背を向ける。
彼には、旅の準備など必要ない。
着の身着のままで歩き出しても生きていけるのだ。
だが、ふと立ち止まった。
「そういえば、これを返しておかなければな」
そう言って、ルイジェルドは首から下げたペンダントを外す。
ロキシーからもらったペンダントだ。
ミグルド族のペンダント。
俺とロキシーをつなぐ、たった一つのアイテム……だったものだ。
「それは、ルイジェルドさんが持っていてください」
「いいのか? 大切なものなのだろう?」
「大切なものだからですよ」
そう言うと、ルイジェルドはコクリと頷いた。
受け取ってくれるようだ。
「ではな、ルーデウス、エリス…………また会おう」
ルイジェルドはそう言って、俺たちの元から去っていく。
付いてくると言った時はあれこれと話をしたのに、
去るときは一瞬だった。
言いたいことはたくさんあった。
魔大陸で出会い、アスラ王国に至るまで。
本当にいろんな事があった。
言葉に出来ないぐらい、たくさんの事、たくさんの気持ち……。
別れたくない、仲間だという気持ち。
『また会おう』
その気持ちを一言でまとめ、ルイジェルドの背中は遠ざかる。
そうだ、また会えばいいのだ。
きっと会える。
互いに生きていれば、必ず……。
俺とエリスはルイジェルドの姿を、見えなくなるまで見送った。
ただ静かに、今までの感謝を込めて。
---
こうして、俺達の旅は終わりを告げた。