間話「エリスのゴブリン討伐」
唐突だが、クリフ・グリモルという少年の話をしよう。
クリフは現在13歳。
エリスとルーデウスの丁度中間の年齢である。
彼は物心ついた時には孤児院にいた。
ミリシオンの孤児院である。
ミリス教団の威信や権威の象徴とも言える孤児院である。
経営的なもので悩む事はなく、子供も何不自由なく成長し、里親へと引き取られていく。
そんな孤児院である。
クリフは五歳の時、現在の里親に引き取られた。
ハリー・グリモルと言う名の老人である。
彼はミリス教団内でも高い地位を持つ人物である。
クリフはハリーに引き取られた先で、英才教育を受けた。
彼は数年であっという間に治療・解毒・神撃を上級まで習得。
攻撃魔術も、全ての属性で中級まで扱う事ができた。
火魔術に至っては上級である。
クリフは天才であった。
周囲からは称賛の雨あられ。
将来はきっと凄い人物になるに違いないとあらゆる人に期待された。
ルーデウスとよく似た幼年期であると言えよう。
が、転生前の記憶を持っていたルーデウスと違い、
クリフは増長した。
これ以上ないほど、テングになった。
何せ、教師陣の中にも、クリフほど多彩に魔術を使いこなせる者はいないのだ。
治癒魔術を聖級まで扱える者はいる。
解毒魔術を聖級まで扱える者はいる。
けれども、全てを上級となると、クリフのみであった。
その多彩さがゆえ、賢者の卵などと言われるようになった。
クリフはさらに増長した。
教師の話を次第に聞かなくなった。
クリフの将来は、養父の職業を継ぐことになる。
クリフもそれは理解している。
のだが、彼は現在、冒険者に憧れていた。
なぜ冒険者か。
それは、孤児院に暮らしていた時期の出来事が影響している。
孤児院の出身者には冒険者が多い。
孤児院の子供は、10歳まで里親が見つからなければ、ミリス教団の経営する学校へと入れられる。
そこで五年間、訓練を受ける。
剣術や魔術といった、戦うための授業である。
そうして、自分の才能にあった職業へと就いていく。
勉学も剣術も魔術も優秀であれば騎士になる事もできるが、
大抵の者は冒険者になった。
ゆえに孤児院の出身者には冒険者が多い。
彼らは時折孤児院に来る。
かつての先生に挨拶すると同時に、
孤児たちに楽しい冒険のみやげ話を持ってきてくれる。
孤児たちはそれを聞き、冒険者に憧れるのだ。
例に漏れず、クリフも冒険者に憧れていた。
もちろん、クリフはその夢が叶うとは思っていない。
憧れてはいるが、自分の現状もよく理解していた。
孤児出身である以上、身勝手は許されない。
我慢できていた。
そう、最初の頃は。
しかし、窮屈な生活はクリフの鬱憤を溜め、
褒められ続ける毎日はクリフを増長させた。
クリフはある日、家を脱走し、冒険者登録をすることを思いつく。
ちょっとした力試しである。
教師たちの中にも、昔は冒険者としてブイブイ言わせていた者もいるのだ。
自分だって若い頃にそうした経験はつんでおきたい。
と、自分を説得。
準備を開始。
10歳の誕生日に養父より貰った杖を手に、
神聖区から冒険者区へと入る。
魔術師っぽいローブを途中で購入。色は青にした。
冒険者ギルドへ。
治癒術師として登録すれば、すぐに教団に見つかるだろう。
だが、魔術師なら大丈夫。
そんな浅はかな事を考えつつ、冒険者登録を済ませた。
これで自分も一端の冒険者。
まだ見ぬ世界への大冒険が控えている。
と、ワクワクしながら周囲を見回す。
誰もが屈強な男だ。
戦士や剣士ばかりなのは見て取れた。
クリフは孤児院の先輩から、
パーティに優秀な魔術師が喉から手が出るほど欲しい。
という話を聞いていた。
なので、自分は魔術師だと名乗れば、すぐにパーティに入れるだろう、と考える。
クリフは冒険者ランクの話を聞き流していた。
彼はパーティというものは、ランクに関係なく組めるものだと考えていた。
当然のように断られる。
すげなく断られる。
何度も断られる。
四度目でクリフの我慢は限界に達した。
「なんでだよ! なんで僕がパーティに入れないんだ!」
「だから、ランクが違うって言ってるだろ」
「ランクがなんだ!
本当は僕はAランクぐらいの強さがあるんだ!
けれど、しょうがないから君等で我慢してやろうって言ってるんだ!」
「なんだと……ガキ、あんまり調子にのるなよ!
魔術師がこの距離で喧嘩売って勝てると思ってんのか……」
「剣しか振れない能なしどものくせに、調子に乗るんじゃない!」
「このクソガキ……」
クリフは胸ぐらを捕まれ、
しかしこいつをなんとか退けて見せれば、
自分の力を示す事になるんじゃないか、と考えた。
「やめなさいよ。大人気ないわよ」
そう言って割り込んできたのは、クリフと同じぐらいの年齢の赤毛の少女であった。
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話は巻き戻る。
エリス・ボレアス・グレイラットは、冒険者ギルドへと足を向けた。
彼女は傍から見て微笑ましいぐらいニマニマしながら足早に大通りを歩いていく。
服装はいつも通りの冒険者風の格好。
厚手の服に、皮のプロテクター。
皮のズボンに、靴底は薄いが丈夫な素材で出来たブーツ。
腰には剣を差し、一目で誰もが剣士とわかる。
いつものフードは付けていない。
冒険者ギルドにあのフードをつけると魔術師と間違えられ、
変な男子が寄ってくるのは、この一年で何度も経験した。
エリスは冒険者ギルドの前にたどり着いた。
ミリシオンの冒険者ギルドは、大通りの奥にある。
本部というだけあって、冒険者区で最も大きな建物である。
威風堂々たる巨大な門構えに気圧される事なく、エリスは中へと踏み込んだ。
そして、その広大なロビーを見て、思わず腕を組みそうになった。
なにせそこは、ロアにある館の大広間よりも広い。
無論、今まで見たどの冒険者ギルドよりも広い。
もし、初めて冒険者になるという少年少女であれば、
そんな広さを目の当たりにし、二の足を踏んでしまうだろう。
だが、そこはエリスである。
彼女はAランク。一端の冒険者。
すぐに目的の方向へと歩き出す。
依頼の掲示板である。
他よりもはるかに大きなその掲示板には、所狭しと依頼が貼り付けてある。
エリスは腕を組んでそれを見る。
普段見ているBランク依頼ではなく、今回はEランク付近。
その中でも自由依頼に分類されるものを探す。
自由依頼とは、国が定期的に発行している依頼である。
報酬は低めだが、緊急度が高いため、
どのランクの冒険者でも受ける事が出来る。
魔大陸で見かけないのは、国が無いからだ。
エリスはその中から、目当てのものを探しだした。
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フリー
・仕事:ゴブリン討伐
・報酬:耳一つにつきミリス銅貨10枚
・仕事内容:ゴブリンの間引き
・場所:ミリシオン東
・期間:特になし
・期限:特になし
・依頼主の名前:ミリス神聖騎士団
・備考:新人は時折発生するホブゴブリンに注意。なお、この依頼は剥がさず、収集したものをカウンターにそのままお持ちください。
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ゴブリンは森と平原の境界あたりに住む魔物だ。
人の形をしており、簡素な武器を使うが、人語は解さない。
数匹なら放っておいてもいいが、放っておくとどんどん増殖し、
周辺の村々を襲い始める。
いわゆる害獣である。
とはいえ、森との境に生息するため、森に発生する魔物の防波堤となる。
また、ゴブリンは弱く、ちょっと剣をかじった程度の少年でも十分に相手する事が出来る。
冒険者ギルドはそれを利用し、新人にとって割りのいい報酬を用意し、
討伐系依頼の入門としてゴブリン討伐を斡旋している。
また、これはエリスの知らない事であるが、
ゴブリンというのは、敵国のスパイへの拷問道具としても使える。
これらの理由により、ミリスではゴブリンを絶滅させず、生かさず殺さず、適度に調整している。
さて、もはや実力的にはルイジェルドのお墨付き、そこらのCランク冒険者程度なら素手で制圧出来るAランク冒険者のエリスが、なぜ今更そんな依頼を受けるのか。
理由は二つ。
エリスは単純に、憧れていたのだ。
かつて、ほんの短い時間だけ学校に通っていた頃。
クラスメイトの男子が集まって、何やら話していた。
その話題とは、自分が冒険者になったらどうするか、というものである。
最初はゴブリン狩り、そこで力とお金を蓄えて、
ゆくゆくは中央大陸の南部に進出し、高ランクの依頼や迷宮へと挑んでいく。
そんな夢物語である。
エリスはそれを傍で聞きながら、いずれは自分も、と妄想した。
妄想は膨らみ、楽しそうに話をする男子に、
自分も会話に混ぜなさいよと話しかけ、
色々あって喧嘩して三人ともぶちのめした。
それから学校を退学となり、ギレーヌと出会い、
彼女から話を聞く度に、冒険者への思いを強くした。
ルーデウスと出会ってからは、彼と一緒に冒険に出ることばかり夢見た。
剣士の私と、魔術師のルーデウス。
二人で迷宮に挑むのだ。
しかし、実際に旅に出てみると、夢とは違った。
特にルーデウスは想像以上に現実的で冷めていた。
危険だからと迷宮には一切近寄らなかった。
ゴブリン狩りなど提案すれば、「何のために?」と呆れ顔で聞いてくるだろう。
エリスとて、魔大陸で冒険者としてやってきた女である。
現状でゴブリンを狩る事の意味は見いだせない。
が、意味はさておき。
ゴブリン狩りは、
エリスが『冒険者になってやりたいこと』の一番上にランクインしていた。
例え意味がなくとも、やってみたい事なのだ。
それが理由の一つ。
もう一つ理由は……ナイショである。
「日が沈む前に戻ってこれるかしらね……?」
エリスは依頼を見つつ、行き帰りの時間を考える。
今回は徒歩である。
時刻はまだ朝であるが、
余裕を持って行動した方がいいだろう。
「……ん?」
ふとFランクの外、掲示板の欄外に、あるメモが貼り付けられていた。
『フィットア領出身の難民は下記まで連絡すること』
と、そこまで読んでエリスは目線を外した。
このメモはザントポートの冒険者ギルドでも見た。
ルーデウスはフィットア領の事は口に出さない。
きっと、自分を不安にさせないように、という配慮だとエリスは考えていた。
本日別行動をしたのも、この一件で何かをしようと考えているのだろう。
自分には難しい話は理解できないとエリスは考えている。
深く考えずとも、ルーデウスがしっかり考えてくれているだろうし、
時がくれば、ルーデウスもきちんと話してくれる。
エリスはそう考えている。
まさかルーデウスがこうしたメモの存在を知らないなどとは、夢にも思っていない。
「さてと!」
依頼を確認した所で、エリスは意気揚々とギルドを出て行こうとする。
後はただ東に行き、ゴブリンを狩るだけである。
今のエリスのやる気なら、巣の一つや二つは壊滅するであろう。
もはや彼女の足を止めるものは何もない。
哀れなるゴブリンにレクイエムを。
「なんでだよっ!」
と、思われたが、ふと聞こえた叫び声に、エリスの足は止まった。
少年の声である。
ふと、そちらを見てみる。
少年が自分の背丈の二倍はあろうかという男たちに囲まれていた。
「なんで僕がパーティに入れないんだよ!」
叫んだ少年は、青色のローブを身に着けていた。
背丈はルーデウスよりもやや小さく、髪の色はダークブラウン。
長い前髪で目が隠れている。
杖もルーデウスの『傲慢なる水竜王』ほど立派なものではない。
けれど、それなりに高い素材を使っている事は、魔石の大きさからも分かる。
私の家の方が格上ね、とエリスは自然に思った。
「本当は僕はAランクぐらいの強さがあるんだ!
けれど、しょうがないから君等で我慢してやろうって言ってるんだ!」
そんな傲慢な物言いに、男たちも当然ながらカチンときている。
エリスだって、あんなことを言われれば、無言でぶん殴るであろう。
「なんだと……ガキ、あんまり調子にのるなよ!
魔術師がこの距離で喧嘩売って勝てると思ってんのか……」
「剣しか振れない能なしのくせに調子に乗るんじゃない!」
「んだとクソガキィ……」
男に胸ぐらを捕まれ、少年はまだ余裕そうな面を見せている。
だが、若干ながら足が震えているのを、エリスは見逃さなかった。
エリスはふと歩き出し、二人の間に割って入った。
「やめなさいよ。大人げないわよ」
もしここにルーデウスがいたら瞠目したであろう。
大人げない。
普段のエリスからは想像もつかないセリフである。
エリスは自分の行動に酔っていた。
自分はAランクの冒険者であり、怒れる男たちよりも格上。
男が新人にお痛する、それを諌める自分。カッコイイ。
そんな行動である。
普段ルイジェルドが自分に対してやっている事であるが、そんな事は棚の上にポイである。
「……チッ、そうだな。確かに大人気ねえ」
男はあっさりと少年から手を離した。
エリスの中では、すでに男と戦闘に入ることを想定していたため、ちょっとだけ拍子抜け。
「お前ら、行こうぜ」
男たちが立ち去り、そこには少年だけが残った。
エリスはすまし顔で、少年のお礼を待った。
助けてくれてありがとう、あなたは?
名乗るほどのものじゃないわ。
せめてお名前だけでも。
そうね、『デッドエンド』のルイジェルド、とでも名乗っておきましょうか。
なんてやり取りを考えていた。
ちなみに、ルーデウスがたまにやっている事である。
「誰が助けてくれなんて言ったんだよ!」
少年がそんな言葉を吐いて、エリスの自慢気な顔が凍りついた。
「あのぐらい僕の魔法ならなんとかなったんだ!
勝手に出てきて勝手に解決するなよ! ブス!」
彼は幸せだった。
なにせ、一撃で気絶できたのだから。
そして、先ほどの男が、まだ近くにいた。
男が激昂したエリスを必死で止めていなければ、
きっと少年は男として大切な二つの玉を失っていたであろう。
---
エリスはやや不機嫌になりながらも、ミリシオンの入り口へと来ていた。
切り替えの早い彼女であるが、まだ不機嫌である。
なぜか。
「まって! まってください!」
気絶から回復した少年が、走って追いついて来たからだ。
「先ほどはすいませんでした。ちょっと気が動転していて……」
少年はそう言って、礼儀正しく頭を下げた。
そのおかげで、エリスの不機嫌は「やや」の範疇に収まった。
少年は九死に一生を得たのである。
もっとも、もし一撃で気絶していなければ、
エリスを追いかけようなどという蛮行には及ばなかっただろうが。
「僕はクリフです。クリフ・グリモル!」
「…………エリスよ」
エリスは『デッドエンド』の名前を出そうかと思い、やめた。
我慢せずに殴ってしまった相手にルイジェルドの名前は出せない。
「エリスさん! すごいいい名前です!
その格好、剣士なんですよね!
ぜひとも僕とパーティを組んでください!」
往来のどまんなかでまくし立てるクリフ。
エリスは反射的に殴り倒してしまおうかと考えた。
が、とりあえず我慢する。
「嫌よ」
エリスはぷいっとそっぽを向いて、歩き出した。
正直、こういう相手には慣れていない。
殴ってもまだ近づいてくるなんて、ルーデウスぐらいなものである。
「そうですか、ならせめて、後ろから援護させてください!
僕も巷では賢者の卵と言われています、必ず役立ちます!」
もしこの場にルーデウスがいれば、エリスに猛烈なアタックを掛ける彼に対し、
何が賢者の卵だ、どうせ無精卵なんだろ童貞野郎!
などと憎まれ口を叩いたであろう。心の中で。
エリスはそんな下品な憎まれ口は叩かない。
卵なら叩き割って目玉焼きにでもしてやろうか、と思っただけである。
「エリスさんも、僕ほどの魔術師は見たことがないと思いますよ。
なにせ、そんじょそこらのAランク魔術師よりも上ですからね」
そんな事を言われて、エリスはカチンときた。
彼女の中で最高の魔術師といえば、それはすなわちルーデウスの事である。
ルーデウスはあのルイジェルドですら一目置くほどの魔術師である。
たしかにAランクだが、そんじょそこらなんて一括りにされたくはない。
「ぜひともその目で確かめてみてください!」
じゃあ見てやろうじゃないの、とエリスは思ってしまった。
「わかったわ。じゃあ付いてきなさい」
「はい!」
こうして、エリスとクリフはゴブリン狩りへと出発した。
---
七匹のゴブリンが一瞬で焼失した。
「どうですか! 凄いもんでしょう!
そこらの魔術師ではこうはいきませんよ!」
クリフはどうだと言わんばかりの顔で、全滅したゴブリンを見渡した。
ゴブリン達は完全に炭化し、耳も取れない状態である。
「そう? 全然凄くないわ」
強がりではない。
エリスは、心の底からそう思っていた。
上級火炎魔術『獄炎火弾』。
これはルーデウスが使う所を見たことがある。
クリフのように長々と詠唱なんかしなかったし、威力もずっと上だった。
けれど、ルーデウスなら、きっとゴブリン相手にそんな魔術は使わない。
ルーデウスなら、きっと耳を取れなくするようなヘマはしない。
また、一応クリフの力を見るという事で、
詠唱が終わるまでエリスがゴブリンを引きつけていた。
詠唱を終えた時にクリフが何も言わなかったため、危うく巻き込まれかけたのだ。
ルーデウスなら、そんな危険な真似は絶対にしない。
「エリスさんは魔術のことをよく知らないようですね。
いいですか、魔術というのはそもそも……」
クリフは長々と、魔術には初級から上級それ以上があり、
今自分が使ったのは上級魔術で、そこらの大人でも使えない高度な魔術であると語った。
もちろん、エリスは知っている。
ルーデウスの授業で習った事があるからだ。
そして、クリフの説明より、ルーデウスの授業の方が10倍はわかり易かった。
「わかりましたか、僕がどれだけ凄いかって事が」
殴ろうかな、とエリスは思った。
せっかく憧れていたゴブリン狩りなのに、こいつのせいで台無しであると感じていた。
ゆえにエリスは腕を組んだ仁王立ちのポーズのまま、クリフに冷酷に言った。
「もう、いいわよ、役に立ちそうにないし、帰っても」
もしルーデウスであれば、ここは一時的な撤退を選択するだろう。
だがクリフは空気がまるで読めなかった。
「何を言ってるんですか!
ゴブリン数匹に苦戦するようなエリスさんを一人にはできませんよ!」
気付けば拳は振りぬかれていた。
クリフは鼻血をだらだらと流しながら、顔を抑えている。
彼はすぐにヒーリングを詠唱し、鼻血を止めた。
「なにするんですか!」
「チッ」
エリスは舌打ちした。
平原で気絶させたまま見捨てていくわけにもいかないと手加減したが、
調子に乗らせる結果になってしまったようである。
仕方がないのでもう一発、と拳を握り締めたところで、
クリフもようやく事態に気づいた。
「ええ、もちろんわかっていますよ!
エリスさんが強いのはよーくわかっています。
じゃあ、今度は森の方に行ってみましょう。
ゴブリンでは僕の真価が発揮出来ませんからね」
クリフの言葉に裏表はない。
彼はエリスに凄い所を見せたいのである。
しかし、それは決して、好きな女の子にカッコイイ所を見せよう、などというものではない。
単純に強い自分に酔いしれたいだけなのだ。
「森はダメよ」
エリスは短く言った。
森はダメ。
それはルーデウスが常々言っていることである。
また、ルイジェルドもそれに同意している。
なので、エリスは素直に従うだけだ。
「エリスさんともあろうお方が、怖いんですか?」
「怖くないわ!」
が、エリスもまた単純な娘である。
こんな言い方をされてしまえば、簡単に釣れてしまう。
ボレアス家は駆け出し冒険者如きになめられてはいけないのである。
「森ね! いいわよ、行きましょう!」
こうして、二人は薄暗い森へと足を運んでいく。
---
「森といっても、ミリスは大したことないわね」
エリスはそう言いながら、ウータンと呼ばれる猿の魔物を切り捨てた。
Dランクの魔物であるが、エリスの敵ではない。
「そうですね、僕の敵でもないです!」
クリフもまた、中級の風魔術でウータンを倒しつつ、言う。
そうして、森の中へずんずん入っていく。
「あっ」
ふと、エリスが声を上げる。
「どうしましたエリスさん!」
クリフは嬉しそうにエリスに近づいてくる。
エリスは露骨に嫌そうな顔をする。
そして腕を組み、足を肩幅程度に開き、顎を上げてクリフを見下ろした。
「あなた、帰り道はちゃんと把握してる?」
「把握してないです」
当然、クリフはそんなものを把握してなどいない。
突発的な思いつきで行動したため、森に入る装備などというものは持ってきていないのだ。
「そう、じゃあ迷子ね」
エリスは平然と言い放った。
クリフは押し黙った。
そして、その顔がみるみる青くなっていく。
「ど、どうしましょう」
エリスは平然としていた。
ゆえにクリフは彼女に何か策があるのだと考えた。
しかし、エリスもまた内心ではまずいと思っていた。
森の中で迷子になったなんて知れたら、二人に呆れられる。
ゴブリン狩りでどうして森に入ったのだと、呆れられる。
もっとも、態度には決して出さない。
グレイラット家の淑女は常に泰然としていなければならないのだ。
「クリフ、ちょっと空を飛んで上から町の方向を確かめなさい」
「そんな事、出来るわけないじゃないですか」
「ルーデウスなら出来るわ」
「ルーデウス? 誰ですかそれは」
「私の先生よ」
「ええっ!?」
エリスは一息、息をつく。
言い争いをしても意味がない。
こんな時はどうするか。
そして思いつく、
ギレーヌに、迷子になった時の事を教えてもらった。
確かそう、木の枝を集めて火をつけるのだ。
煙が空に上り、遠くからでも発見できる。
しかし、誰が。
ルイジェルドは用事があると言っていた。
ルーデウスもだ。
誰も気付かない。
「…………」
エリスは、知らず知らずのうちに腕を組み、口をへの字に曲げて仁王立ちしていた。
そして、目を閉じて、よく考える。
ギレーヌは言っていた。
不安な時こそ、冷静になれ、と。
だから彼女はどんな時でも慌てない。
「え、エリスさん、どうしましょう」
「この森には、別の冒険者がいるはずよ」
「な、なるほど、彼らを頼れば……探しましょう」
クリフは慌てて走りだそうとする。
だが、エリスは動かない。
ルイジェルドに教わった。
こういう時は、動いてはいけない。
動かないで、気配を探るのだ、と。
気配の探り方も教わった。
第三眼がなくても、音と空気、そして魔力の流れは感じ取れる。
エリスは未熟だが、毎日練習はしている。
「エリスさん……?」
「黙って!」
エリスは深呼吸をして、眼を閉じたまま、心を研ぎ澄ませる。
森の音。
葉のこすれあう音。
獣が動く音。
虫が飛ぶ音。
そして、かすかに聞こえる剣戟の音。
「見つけたわ。こっちよ」
即決即断。
エリスは迷うことなく歩き出した。
「なんですか、何が見つかったんですか!」
「人よ、向こうにいるわ」
「どうやって!?」
「気配を探ったのよ」
「それも先生に習ったんですか!?」
聞かれ、エリスは少しだけ考える。
ルイジェルドは先生か。
先生だろう。
ギレーヌほどではないが、彼にも様々なことを教わっている。
先生、いや、師匠と呼んでも差し支えない人物である。
「そうよ」
「凄いんですね、そのルーデウスって人は……」
「ん? ……そうね、ルーデウスは凄いわね」
なぜ突然ルーデウスの名前が出てきたのかわからないまま、エリスは先を進む。
---
森を抜けた。
その瞬間、轍の真ん中で、馬車が横転しているのが見えた。
「伏せて!」
「ぐえっ!」
エリスはとっさにクリフの頭を掴み、地面にたたきつけた。
そして自らもしゃがみ、状況を確認する。
「……」
立っている人物は六人。
一人は兜までつけた全身甲冑の騎士。
騎士は木に背中を預けるように立ち、剣を構えている。
その周囲には、黒ずくめの男たち。五人。
黒ずくめは騎士を取り囲んでいる。
周囲には、三つの死体がある。
全員が甲冑をつけている。
囲まれている騎士と同じ鎧である。
黒ずくめはじりじりと騎士に対する包囲を縮めている。
もはや戦力差は歴然としている。
だというのに、なぜあの騎士は逃げないのか。
よく見ると、騎士の背後にある木。
その根本には、一人の少女がしゃがみ込んでいる。
不安と絶望にまみれた顔で、顔は涙に濡れている。
「エリスさん、あの鎧は神殿騎士団ですよ!」
クリフが小声で告げてくる。
エリスの心臓が高なった。
神殿騎士団。
聞いたことがある。
ミリスにある三つの騎士団の一つ。
ミリスの自国防衛を司るエリート集団、聖堂騎士団。
世界中にミリスの教えを広め、その威光を知らしめんと傭兵紛いの働きをする、教導騎士団。
そして、異端審問官を抱え、異教徒を断罪する恐怖の代名詞、神殿騎士団。
それぞれ、
聖堂騎士団は白鎧。
教導騎士団は銀鎧。
神殿騎士団は蒼鎧を身に着けている。
遠方からでもそれとわかる蒼天色の鎧。
間違いない。
目下追い詰められているのは、神殿騎士である。
「貴様ら! この御方がどなたか、わかっているのだろうな!」
声を上げて初めて分かる。
追い詰められている騎士は女だった。
黒ずくめの男たちは、互いに顔を見合わせ、フッと笑った。
「無論だ」
「ならばなぜ!」
「言うまでもなかろう」
「貴様ら! 教皇派か!」
エリスには、彼らの話が飲み込めない。
だが、黒ずくめの悪そうな奴らが、あの少女を殺そうとしているのはわかった。
エリスは腰の剣に手をかけた。
クリフがそれを見咎める。
「な、なにをする気ですかエリスさん。
どうみてもヤバイですよ。
あの子は次期教皇候補と言われている神子です。
てことは、あの黒ずくめはきっと、ミリス教皇お抱えの暗殺集団です。
手練れ揃いです、いくら僕でも勝ち目はありません……」
クリフがなぜそこまで詳しいのか、
エリスは疑問にすら思わなかった。
彼女が気にしていたのは、
今自分が助けなければ、あの少女は殺されるという事だけである。
そして、エリスは『デッドエンド』の一員だ。
子供を見捨てたとあっては、ルイジェルドに申し訳が立たない。
ルーデウスも常々そう言って、人助けをしている。
「ここは気付かれないように、やり過ごしましょう……」
「無駄よ。もう気付かれているわ」
エリスはわかっている。
あの黒ずくめの一人は、クリフを伏せさせた際に、こちらに気づいた。
黒ずくめがなにを考えているのかわからない。
だが、何を考えていようと、エリスは先手を取るつもりであった。
「クリフはそこで隠れているといいわ!」
「え、エリスさん!」
エリスは抜刀しつつ、飛び出した。
黒ずくめが一瞬で散開する。
が……。
「遅い!」
エリスの踏み込みは、黒ずくめの男の予想を軽く凌駕していた。
剣神流上級技『無音の太刀』。
光の太刀の下位に位置するこの技は、風切り音を一切残さない。
エリスの剣術の腕は、ギレーヌとルイジェルドにより、相当に伸びている。
剣は黒ずくめの一人の肩から入り、肋骨をたやすく両断し、袈裟懸けに真っ二つにした。
エリスは初めて人を斬った感触に戸惑う事なく、次の相手に剣を向ける。
黒ずくめはエリスを囲むように動く。
だが、エリスの動きはそれ以上に速い。
彼女はルイジェルドから、複数に囲まれたときの動き方をよくレクチャーされている。
魔物には群れる奴も多い。
囲まれる前に倒しきるのがセオリーである。
「ハアァァァ!」
一人の黒ずくめが、瞬く間に切り捨てられた。
男たちの間に動揺が走る。
エリスのリズムは変則的で、意識の外から予備動作無しの斬撃が飛んでくる。
回避に専念してもなお避けにくいものを、
別のことをしながらで回避できるわけもない。
だが、黒ずくめもプロである。
一人を犠牲にし、包囲が完成する。
二人の黒ずくめが時間差でエリスに躍りかかる。
速い。
しかしルイジェルドほどではない。
魔大陸のパクスコヨーテのように上下の連携があるわけでもない。
温い。
「そいつらの短刀には毒が塗ってある! 気をつけろ!」
背中に少女を隠していた騎士は、そう叫びつつ動いていた。
包囲の外から、男の一人に斬りかかる。
エリスは彼女の動きから、その後の黒ずくめたちの動きを正確に予測しつつ、包囲の綻びを見つける。
勝てる、と確信した。
それと同時に、一人を切り伏せた。
残りは二人。
「くっ、引くぞ!」
黒ずくめの一人がそう叫ぶと、
二人は一瞬で踵を返し、逃走にかかる。
しかし、エリスは詰めの甘い女ではなかった。
またたく間に片方に追いつくと、その背中に鋭い斬撃を放つ。
黒ずくめは上半身と下半身が離れ、臓物を撒き散らしながら倒れた。
もう一人は背後を見ることなく、平原の彼方へと消えていった。
「フンッ!」
エリスは鼻息を一つ。
剣についた血糊を、一振りで飛ばす。
外面はいつも通り。
しかし、心臓はバクバクと動いていた。
考えてみれば、人を相手にした実戦は初めてであり、
人を殺したのも初めてである。
しかも、相手は毒塗りの短刀を持っていた。
一撃でも貰えば致命傷となる武器である。
ルーデウスやルイジェルドといった、背中を守ってくれる人もいない。
考えなしに飛び出したが、あの女騎士がいなければ、死んでいたかもしれない。
が、エリスはそんなことをおくびにも出さない。
剣を鞘へと納刀し、女騎士へと振り返る。
「ごめんなさい。一人逃したわ」
その言葉に、女騎士はやや呆気に取られた。
まだ成人もしていないであろう少女が、
決死の鉄火場を大立ち回りでくぐり抜け、あまりにも平然としていたからだ。
女騎士はオウムのような兜を脱ぐことなく、腹の当たりに拳を当て、
ミリス騎士の正式な礼をする。
「ご助力を感謝致します」
「子供が無事ならいいわ」
エリスは返礼せず、
ルイジェルドの言い方を思い返しつつ、ぶっきらぼうに言った。
「私は神殿騎士団のテレーズ・ラトレイアと申す者です。
冒険者とお見受けしますが、名前を伺っても?」
「私はエ……」
エリスは本名を名乗ろうとして、はたと止まった。
そうじゃない。
ルーデウスはそうしていない。
「『デッドエンドのルイジェルド』。こう見えてもスペルド族よ」
スペルド族というと、テレーズは表情を険しくした。
エリスは知らない事であるが、神殿騎士団は魔族の排斥を唱っている。
無論、エリスにスペルド族の特徴はない。
なので、テレーズも表情を緩めた。
本名を名乗らず、神殿騎士が快く思わない種族を名乗るということは、
自分達と、ひいてはこの一件に関して、深く関わりあいになりたくないのだと判断したのだ。
要人を助けても礼を要求しない。
その態度を、テレーズは好ましく思った。
「そうですか。わかりました……」
テレーズは腕を組んで睨んで来るエリスの顔をまじまじと見て、覚えた。
それから、口笛を吹く。
すると、森の奥から馬が一匹、走ってきた。
馬車を引き倒された時に逃げ出した馬が、訓練通りに戻ってきたのである。
彼女は少女を馬に乗せると、自身も飛び乗る。
「何か困った事があれば、神殿騎士テレーズの名を!」
テレーズはそう言い残し、馬に乗って走り去る。
エリスはそれを黙って見送る。
そして、物陰で腰を抜かしたままで立てない少年は、
走りゆく馬上の騎士と、それを見送る恐れ知らずの赤毛の剣士を、
まるでお伽話の一場面であるかのように、ただただ見ているだけだった。
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ミリス教団のある司祭が、小人族の女性と恋に落ちた。
二人の間に生まれた子供が成長し、一人の女性と結婚。
そうして生まれたのがクリフである。
クリフが生まれた頃、その司祭は権力争いの真っ最中であった。
クリフの両親はそれに巻き込まれ、死亡する。
司祭は孫であるクリフを権力争いから遠ざけるため、一旦孤児院へと預けた。
そして、司祭は権力争いに勝利して教皇となり、クリフを迎え入れた。
つまり、クリフ・グリモルは教皇の孫である。
もっとも、それを知る者は教団内でも、ごく僅かである。
そんなクリフは、今回襲撃を受けていたのが誰か、よくわかっている。
現在進行形で祖父と争っている大司教派の切り札であり、奇跡の力を持つとされる神子だ。
面識もある。
そんな子がどうしてあんな所にいたのかは、クリフにもわからない。
だが、あの黒ずくめの集団はよく知っている。
クリフを教えていた教師たちだ。
彼らがそういう仕事を担当しているということを、クリフは知っていた。
そして、彼らの強さも知っていた。
何度も稽古で相手をした事があるが、
少なくとも、自分は一度も勝てなかった。
そんな彼らを、エリスは物ともしなかった。
実際はギリギリの勝利であったのだが、
クリフの目には、自分が逆立ちしても勝てない相手を圧倒したと映った。
気付けば、クリフはエリスを憧れの目で見ていた。
町に向かって疲れた顔で歩く彼女。
この人はきっと、すごい人になる。
そう思うと、こんな言葉があふれていた。
「エリスさん、結婚してください!」
「えっ、絶対に嫌よ!」
エリスは即座に嫌そうな顔をつくり、即答した。
クリフは、この才能あふれる自分の求婚を断るなんてありえないと思った。
なぜだろうと、考える。
彼女との本日の会話を鑑みる。
そう、先生という存在だ。
彼女は、先生が、先生がと言っていた。
名前は確か、ル……ル……。
「ルーデウス」
その単語を思い出し、口に出してみると、エリスが振り向いた。
「ルーデウスというのは、どういう人なんですか?」
クリフは数分後、質問をした自分を呪うこととなる。
エリスは無口な子だと思っていたが、そんな事はなかった。
ルーデウスという人物を語らせれば自分の右に出る者はいないとばかりに、自慢気に話しだした。
平原から冒険者ギルドに戻るまで、ずっとである。
しかもその表情はまさに恋する乙女のそれであり、内容は褒め倒しであった。
クリフを嫉妬させるに十分なものであった。
「……僕、そろそろ帰りますね」
クリフは自分でも憮然とした顔をしているのを自覚しながら、エリスにそう言った。
エリスはまだまだ語り足りないという感じだったが、
クリフが帰るというと、「あっそ」という感じで手を振った。
「じゃあね」
そのそっけない態度は、先ほど熱烈に一人の人物を語っていたとは思えないものであった。
クリフは、その背中が見えなくなるまで、無言で見送った。
この強くて美しくて完璧なエリスをここまで骨抜きにさせたルーデウスという男。
クリフはまだ見ぬルーデウスのことを思い浮かべながら教団へと戻り、探していた人々にお叱りを受ける。
そして、今回の一件により教団内の権力闘争が激化、
クリフがミリシオンにいることを危険と考えた教皇が孫を別の国へと移すのだが、それはエリスとはまったく関係のない話である。
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ちなみに、エリスはというと、
宿に帰りついて落ち込んだルーデウスを見た瞬間、
今回の事を記憶の片隅へとやって忘れてしまうのだが、
それはまた、別の話である。