第二十八話「人の命と初仕事」
リカリス町2番地、キリブ長屋。
一階建ての建物で、横に長い建物に4つの入り口が付いている。
住んでいる者たちは、決して裕福とは言えない。
だが、スラムほど貧困にあえいでいるわけではない。
魔大陸の一般的な層である。
そんな場所に、三つの影があった。
小さな影が二つ、大きな影が一つ。
彼らは傍若無人にのしのしと道を歩き、
そして誰にはばかる事無く長屋の一室の前に立った。
「こんにちわー。冒険者ギルドの方からきましたー」
幼い少年が高い声を上げて、一室をノックした。
不気味だ。
このへんの冒険者に、こんな丁寧な口調で話す奴はいない。
冒険者とは、基本的に粗野な連中なのだ。
しかし、その優しげな声で、部屋の住人はあっさりと騙されてしまったらしい。
がちゃりと扉を開く。
出てきたのは、齢にして7、8歳ぐらいの少女。
トカゲのような長い尻尾と、先が二つに割れた舌が特徴的なホウガ族。
三人を見て目を丸くする彼女に、少年はにこやかに話しかけた。
「どうもこんにちわ。
こちら、メイセルさんのお宅でよろしかったですか?」
「え、あ、あの?」
「あ、申し遅れました。
わたくし、『デッドエンド』のルーデウスと申しますです、はい」
「で、でっどえんど?」
少女――メイセルもデッドエンドの名前は知っていた。
デッドエンド。
400年前のラプラス戦役において数多の武功を上げ、味方をも蹂躙した悪魔、スペルド族。
その中でも最も凶暴凶悪とされる個体。
奴に会えば、死ぬ。
そう言われている。
遭遇した者は、誰しも「必死で逃げなければ死んでいた」と口にする。
魔大陸における恐怖の代名詞である。
どんな魔物でも打ち倒せると豪語する屈強な冒険者でも、
デッドエンドの名前を聞けば震え上がる。
デッドエンドの特徴はメイセルも知っている。
こんなチビではない。
「本日は、ペットの捜索ということで、ご依頼を受けさせていただきました。
その詳細をお聞きしに伺いましたが、お時間の方はよろしいでしょうか?」
デッドエンド。恐ろしい名前だ。
後ろの二人はちょっと不気味だが、
この馬鹿丁寧に喋る少年を見ていると、怖さは薄れた。
そして、彼らは冒険者で、自分の依頼を受けてくれたらしい。
「うちのミーを見つけてください」
「はい。名前は、ミーちゃんというのですね。可愛らしい名前ですねえ」
「わたしがつけたんです」
「ほう、それは素晴らしいネーミングセンスです」
そんな言葉で、メイセルは気を良くした。
「それで、ミーちゃんというのは、どういう方なのですか?」
メイセルは話す。
ペットの外見、
三日前から行方不明な事、
帰ってこない事、
いつもは呼んだらすぐ来るのに来ない事、
餌を食べてないからお腹が空いているはずという事。
などなど。
歳相応の要領を得ない話し方だった。
普通の大人なら、その話し方にウンザリして、
途中で帰ってしまったかもしれない。
けれども、少年はニコニコしながら聞いてくれた。
一生懸命喋る少女の言葉に一つ一つ頷きながら。
「わかりました。それでは探して参ります。
このデッドエンドにお任せください!」
少年はグッと親指を立てた。
なんだろうか。
見れば、後ろの二人も立てていた。
メイセルはよくわからなかったが、真似して立ててみた。
それを確認すると、少年は踵を返した。
脇のフードを被った女の人も付いて行く。
一番大きな男の人は、しゃがみこんで少女の頭に手を載せた。
大きな人は言った。
「必ず見つけてみせる。安心して待っていてくれ」
顔を縦断する傷。額の宝石。
そして、まだら模様の青い髪。
怖い顔だ。
だが、乗せられた手には温かみがあった。
少女はこくりと頷いた。
「お、お願いします」
「ああ、任せておけ」
去っていく三人。
その三人の背中を見ながら、メイセルは大きな人に聞いた。
「あの、お名前はなんていうんですか?」
「ルイジェルドだ」
彼は短くそう言うと、すぐに背中を向け、歩き出した。
メイセルは頬を赤く染めて、ルイジェルドの名を口の中で呟いた。
--- ルーデウス視点 ---
依頼主との邂逅。
そこで俺は確かな手応えを掴んでいた。
生前、よくウチにきた訪問販売員の真似をしてみたが、うまくいったようだ。
冒険者には笑われてもいいが、依頼主には良い人だと思われなければいけない。
依頼人に対しては慇懃な態度で話をするのだ。
「さすがだな。あんな演技もできるのか」
ほっとしていると、ルイジェルドが話しかけてきた。
「いえいえ、ルイジェルドさんこそ最後のアレ、よかったですよ」
「最後のアレ? 何のことだ?」
「あの子の頭に手を乗せて、何か言ってたじゃないですか」
あれは完全にアドリブだった。
何を言うかとヒヤヒヤしたが、俺が思った以上にいい成果を出していた。
「ああ、あれか、何がいいんだ?」
何がも何も。
あの少女は顔を真っ赤に染め、上気した顔でルイジェルドを見ていた。
俺があんな目を向けられたら、理性の一つも飛んでしまっただろう。
しかし、そんな事を真顔で言えば、子供好きのルイジェルドの事だ、
むっとした顔で俺の言動を諌めるだろう。
「ヘヘッ、あの女、完全に兄貴にイカれちまってましたよ、ぐへへへ」
だから、冗談めかした口調で、ルイジェルドの太ももを肘でツンツンする。
ルイジェルドは苦笑し、そんな事はないだろう、と自信なさそうに言った。
「ウェヘヘヘ、兄貴が本気になりゃあ、あんな小娘一人……あイタ!」
後ろからベシッと頭を叩かれた。
振り向くと、エリスが口を尖らせていた。
「変な笑い方しないでよ!
演技だったんじゃないの?」
どうやら、俺が下衆っぽい仕草をしていたのが気に入らないらしい。
エリスは下衆が嫌いだ。
あの誘拐事件の時からだ。
ロアの町中でも、盗賊っぽい格好の人間を見かける度に顔をしかめた。
冗談のつもりだが、エリスには気に食わなかったらしい。
「ごめんなさい」
「もう! グレイラット家が品のない笑いをしちゃいけないんだから」
その言葉に、俺はあやうく吹き出すところだった。
聞きました奥さん。
エリスが品ですって。
扉を蹴破らなければ気がすまなかったお嬢様が、
なんともお淑やかに成長したもので。
でも、そういう事を言うなら、
昨日みたいに突然キレて喧嘩するのもやめて欲しいものです。
いや、サウロスを見る限り、
突然キレて相手を殴るぐらいは上品の内にはいるのか。
いや、そんな馬鹿な。
……アスラ貴族における品位の線引がわからない。
「ところでペットの方は、見つかりますかね」
わからないので、話を変える。
聞いた話によると、ペットは猫っぽい。
色は黒で、子供の頃からずっと一緒に育ってきたらしい。
大きさは結構なものだ。少女が両手を広げて大きさを表現していた。
それをそのまま信じるなら、柴犬ぐらいの大きさだろうか。
猫にしては結構大きい。
「もちろんだ。見つけると約束したからな」
ルイジェルドはっきりと断言した。
頼もしいことだ。
そのままルイジェルドは先頭を歩き出す。
足取りに迷いはない。
俺はちょっと不安だ。
いくらルイジェルドが生体レーダーを備えているといっても、
町中から動物を一匹見つけ出すのは容易ではない。
「策はあるんですか?」
「動物の動きは単純だ。見ろ」
ルイジェルドの指差す先。
そこには、かすかながらも、肉球が土を踏みしめた跡があった。
すげえ。
全然気づかなかった。
「これを追っていけば、たどり着けると?」
「いや、これは別の奴だろう。聞いていた話より足が小さい」
なるほど、確かにこのサイズでは、普通の猫がいいところだろう。
ま、少女の表現は誇張だと思うがね。
「ふむ」
「探している獲物の縄張りに、別の奴が入りこみつつあるのだ」
「そうなんですか?」
「間違いない。匂いが薄れつつあるからな」
匂い?
もしかして、縄張り用のマーキングを、この男は嗅ぎ分けているのだろうか。
「こっちだ」
ルイジェルドは、一人で何やら納得しつつ、路地の奥へと入っていく。
俺は無言で追従する。
よくわからないが、何か進んでいる気がする。
名探偵の後ろを付いて行く助手は、こんな気分なんだろうか。
圧倒的な追跡術で犯人を追い詰め、
恐怖による誘導尋問と、魔界式バリツで自白を強要。
どんな事件もスピード解決。
名探偵ルイジェルド、ここに見参。
なんちゃって。
「見つけた、恐らくコイツだろう」
ルイジェルドは、路地の一角を指さして、そう言った。
何を見つけて、何が恐らくなのか、俺にはさっぱりわからない。
少なくとも、肉球の足あとなんかは残っていない。
「こっちだ」
ルイジェルドは路地をスルスルと進んだ。
足取りに迷いはない。
どんどん狭い路地へと入っていく。
まるで猫が通りそうな細い路地だ。
彼が何を考えて動いているのかわからないが、
恐らく、順調に足取りを追っているのだろう。
「見ろ。ここで争った跡があるな」
袋小路で、ルイジェルドの足が止まった。
見ろと言われても、俺にはそんな跡は見えない。
別に血の跡がついているわけでもないし、地面がどうにかなっているわけでもない。
「こっちだ」
ルイジェルドが先行する。
俺とエリスは付いて行くだけ。
なんて楽な仕事なんだろうか。
路地を抜けて、通りを横切り、また路地へ。
路地を抜けて、裏路地へ、そしてまた路地へ。
迷路のような場所をズンズンと進んでいく。
ある路地を抜ける。
すると、周囲の風景が変わった。
先ほどよりも幾分か寂れたものへと変わっている。
建物は崩れ、外壁は剥げ、粗末なものへ。
剣呑な目つきで俺たちを睨んでくる奴。
路上で寝転ぶ奴。
汚い身なりの子供も多い。
スラムだ。
次第に、という感じではなかった。
抜け道から迷い込んだ感じだ。
一瞬にして、俺の中の警戒レベルが上がった。
「エリス。いつでも剣が抜けるようにしておいてください」
「……どうして?」
「念のためですよ。あと、すれ違う相手と背後に気をつけて」
「う、うん、わかった……!」
エリスにそう言っておく。
ルイジェルドもいるし、滅多なことはないと思う。
けど、他人任せでミスをしたら目も当てられない。
自分の身は自分で守らなければ。
そう思って、俺は懐の金の入った袋をぎゅっと握り締める。
大した金が入っているわけじゃないが、スられるわけにもいかない。
時折、荒くれ者がルイジェルドに睨みをくれる。
が、ルイジェルドがわりと本気で睨み返すと、すぐに目を逸らした。
眼力パナイ。
こういった町だと、むしろ冒険者より、
強者に対する警戒は上なのかもしれない。
「本当にこんなところにいるんですか?」
「さてな」
ルイジェルドの返事は、なんとも頼りないものだった。
迷いなく歩いていたのではなかったのだろうか。
いや、言葉少ななだけで、ルイジェルドはきっと何かを見つけているに違いない。
そう信じよう。
しばらく歩いて行くと、ルイジェルドはある建物の前で足を止めた。
「ここだ」
視線の先には下へと下る階段があり、その先には扉。
ビジュアル系の人たちが集まる地下酒場って感じだ。
もちろん、ロックでポップなミュージックも聞こえてこないし、
スキンヘッドのサングラスが出入り客を門番をしているわけでもない。
代わりに漂うのは、獣臭さ。
ペットショップの近くを通った時のような、なんとも言えない獣の臭い。
それとあれだ。
犯罪の匂いがする。
「中には何人います?」
「人は一人もいない。生き物は多いがな」
「じゃあ入りましょう」
誰もいないなら、特に迷うことは無かった。
俺は階段を降りて、扉に手を掛けた。
鍵が掛かっている。
土魔術で解錠。
一応、周囲を確認。
誰にも見られていない事を確認して、さっと中に入る。
念のため、内側から鍵をかけ直す。
まるで泥棒みたいだな。
中は暗い廊下が続いていた。
「エリスは背後を警戒してください」
「わかったわ」
誰か入ってくればルイジェルドが気付くだろうが、一応。
俺たちはルイジェルドを先頭に、奥へと入っていく。
廊下の奥には扉が一つ。
その扉の奥には、小部屋があり、さらに扉が一つ。
扉を二つ抜ける。
すると、けたたましい動物の泣き声が耳朶を叩いた。
最奥の部屋には、ケージが並んでいた。
所狭しと並べてあるケージ。
その中には、大量の動物が閉じ込められていた。
犬や猫、見たこともない動物まで。
学校の教室の大きさの部屋に、ぎっしりと。
「……なによ、これ……」
エリスが慄いた声を上げる。
俺はというと、
なんだ、この部屋は。
と、疑問に思うと同時に、
ここに動物が集められているなら、
目当てのペットもいるかもしれない、とも思っていた。
「ルイジェルドさん。目的の猫はいますか?」
「いる。あいつだ」
即答だった。
指差す先を見ると。
……黒豹みたいな奴が入っていた。
でかい。
マジででかい。
少女が両手を拡げたサイズの2倍ぐらいはある。
「ほ、ほんとにコイツなんですか?」
「間違いない、首輪を見てみろ」
黒豹の首輪には、確かに「ミーちゃん」という単語が書いてあった。
「確かにミーちゃんですね」
さてと、これで依頼は達成だ。
この黒豹をケージから出し、少女の所に持っていけば終わる。
だが、さて。
他の動物はどうしたものか。
見たところ、首輪やら足輪やらを付けている個体も多い。
中には、『ミーちゃん』のように、名前が書いてあるのもいる。
どうみても、ペットだ。
部屋の隅にはロープや轡のようなものが乱雑に落ちている。
ロープで連想できる言葉と言えば、捕まえる、だ。
他人の高級ペットを攫ってきて、他に高く売りつける。
そんな商売もありそうだ。
この世界に、そのへんの法律があるとは思えないが。
良いことではないのは確かだろう。
言ってみりゃ、泥棒だからな。
「むっ」
ルイジェルドが入り口の方へと顔を向けた。
エリスも気づいた。
「誰か入ってきたわ」
俺は動物の声がうるさくてわからない。
ルイジェルドはともかく、エリスはよくわかるものだ。
さて、どうしようか。
入り口からここまで、時間はあまりない。
逃げるか。
いや、逃げ道など無い。一本道だ。
「とりあえず、捕まえましょう」
話し合いという選択肢は捨てておいた。
俺達は不法侵入者。
十中八九、ここは犯罪の現場だと思うが、正当な理由がある可能性も捨て切れない。
とりあえず拘束してみて、
いい奴なら、話し合いによって口止めをして、
悪い奴なら、殴り合いによって口止めをしよう。
---
数分後。
俺は部屋の隅に転がる三人の男女を見下ろしていた。
男2人に女1人。
ルイジェルドが一瞬にして気絶させた。
俺は全員に土魔術で手枷をつけ、水をぶっかけて目を覚まさせた。
男の一人がギャーギャーと喚いていたので、
近くに落ちていた布で猿轡をかませた。
残り二人は静かなものだった。
だが一応、全員に猿轡だ。
平等ってやつだな。
「……ふむ」
唐突に湧き上がった疑問。
さて、どうしてこうなった?
俺たちはEランクの仕事を受けていたはずだ。
迷子の猫探し。
ルイジェルドが任せろというのでまかせていたら、
いつのまにかスラムに迷い込んでいた。
そこの建物に入ったら動物がたくさん捕まえられていて、
気づいたら、なぜか人を拘束していた。
捕まえるべきは人ではないというのに。
こうなったのも、みんな人神のせいだろう。
あいつは、こうなることを見越していたのだ。
面倒なことになった。
ペット探しなんて受けなければよかった。
---
拘束した三人を観察してみる。
男A
魔族。
目に白い部分がなくて、複眼。ちょっと気持ち悪い。
ギャーギャーとうるさかった男だ。
野卑な感じというか、喧嘩がうまそうなイメージがある。
ロキシー辞典でみた気がしたが、どうにも名前が思い出せない。
唾液が毒性を持っているので、キスする時はどうするんだろうと疑問に思ったのは覚えている。
男B
魔族。
トカゲっぽい顔だ。門番とはやや形や模様が違う。
トカゲの顔は、どうにも表情とかがわかりにくい。
でも目からあふれる知性の色は、俺を警戒させた。
女A
魔族。
複眼のようなものを持っている。
怯えた表情だ。
やはり気持ち悪いが、体つきがエロいので差し引きゼロ。
さて、彼らをこうして見下ろしていても、何も始まらない。
お話を……いや、ボカすまい。
尋問をするなら、誰がいいだろうか。
気持よく情報を吐いてくれそうなのは、誰だろうか。
男か、女か。
女Aは怯えている。
ちょっと脅してやれば、案外何もかもを喋ってくれるかもしれない。
いや、女ってのは嘘をつくからな。
自分が助かるために、支離滅裂で、前後の繋がりのない嘘をつく。
世の中全ての女がそうではないと思うが、
少なくとも、姉貴はそういう奴だった。
俺はそんな嘘を聞くと、憤りが先に出て、話の真実がわからなくなるタイプだ。
だから、女Aは除外しよう。
では、男のどちらか。
男Aはどうだろうか。
彼は興奮している。
三人の中で一番ガッシリとした体。
顔には傷があり、喧嘩が一番得意ですって感じだ。
あまり頭はよくないだろう。
さっきも、「なんだてめえら」とか「この手枷をはずしやがれ」とか、そんな事を言っていた。
男Bはどうだろうか。
顔色はよくわからないが、
彼は俺たちをよく観察している。
決して馬鹿ではあるまい。
馬鹿でないのなら、こういう状況になった時の嘘も考えているだろう。
俺は男Aを選んだ。
興奮して冷静さを失っている彼ならば、
ちょっと挑発したり、誘導したりすれば、
必要なことは全部しゃべってくれるような気がした。
ま、ダメでもあと二人残っているからな。
男Aの猿轡を外す。
男Aは俺を睨みつけてくる。
が、何も言わない。
「いくつか聞きたい事があります。
大人しく喋ってくれれば手荒なげぶぅはぁ!?」
いきなり蹴り飛ばされた。
しゃがんでいた俺は踏ん張ることも出来ず、そのまま後ろに吹っ飛ぶ。
ごろんと一回転。
後頭部を壁を打ちつけて、目の前に星が散った。
痛い。
くそう。
しかし、本当に頭の悪い奴だな。
こんな状況で捕まえている相手を蹴るとは。
相手を怒らせたらどうなるか、とか考えないんだろうか。
「え!? ちょ、ちょっと! やめなさいよ!」
エリスの叫び。
俺は跳ね起きた。
男Aがエリスに何かをしたのかと思った。
俺が考えている間に手枷を外し、ルイジェルドの目を盗んでエリスを人質に……。
「なっ……!?」
違った。
俺の目に飛び込んできたのは、男Aの喉に突き刺さる短槍だった。
ルイジェルドが、男Aを突き刺したのだ。
エリスは、それを見て目を丸くしている。
短槍が横に捻るように引き抜かれる。
血が飛んだ。
ピッと壁に赤い斑点がついた。
男Aは反動でぐるりと回転し、うつ伏せになった。
その喉からは、だくだくと血が流れている。
背中にじわりと血が滲んでいく。
地面に広がる、赤い水溜り。
むわりと香る、血の臭い。
男はビクンと一瞬だけ体を痙攣させて、動かなくなった。
死んだ。
男は一言も喋ることなく、死んだ。
ルイジェルドに、殺された。
「な、なん……なんで殺したんですか?」
俺の声は震えていた。
人死を見るのは初めてじゃない。
ギレーヌだって、俺を助けるために人殺しをした。
けど、あれとは何かが違った。
なぜか身体が震えている。
なぜか心は怯えている。
(なんだ、俺は何に怯えているんだ?)
人が死んだことか?
馬鹿な。
この世界では、誰かが死ぬなんて、日常茶飯事だ。
そんな事はわかっていたはずだ。
頭でわかっていても、実際に見るのは初めてだから違う?
なら、なぜギレーヌが誘拐犯を殺した時にはなんでもなかったんだ?
「子供を蹴ったからだ」
ルイジェルドは淡々と言った。
当然だと言わんばかりの口調だった。
ああ、そうか。
わかった。
俺は人が死んだ事におびえているんじゃない。
俺が蹴られたという、
それだけの事で、
息をするように、
相手を殺した、
ルイジェルドに、怯えているのだ。
ロキシーも言っていたじゃないか。
『人族と魔族では常識が違う部分も多いので、
どんな言葉がキッカケで爆発するかわかりません』
そうだ。
もし、ルイジェルドの矛先が俺に向いたら、どうする?
この男は強い。
ギレーヌか、それ以上に強い。
俺の魔術で勝てるのか?
対抗はできるはずだ。
近接戦闘を得意とする相手へのシミュレーションは何度も繰り返した。
パウロ、ギレーヌ、エリス。
俺の周囲にいた人物は、誰もが近接戦闘のスペシャリストだった。
ルイジェルドは、その中でも、恐らく一番強い。
だから、自信を持って「勝てる」と言えるわけではない。
けれど、殺すつもりでやれば、いくらでも手はある。
けど、もし、エリスに向いたら?
俺は守りきる事ができるのか?
無理だ。
「こ、殺しちゃダメだ!」
「なぜだ? 悪人だぞ?」
俺は慌てて言った。
ルイジェルドは目を丸くしていた。
心底意味がわからないって顔だ。
「それは……」
どう説明すればいい?
俺はルイジェルドにどうして欲しい?
そもそも、なんで殺しちゃいけないんだ?
一般的な道徳心は、俺にはない。
ニートだった頃は「人を殺しちゃいけない」なんて言葉を鼻で笑っていた。
親が死んだ時もそうだった。
これから大変だとは思いつつも、知るか馬鹿、そんなことよりオ○ニーだ、と水晶小僧していた。
そんな俺が言ったところで、上辺だけの軽い言葉になるだろう。
「殺しちゃダメな理由は、あるんです」
俺は、動揺している。
自覚しろ。
俺は今、テンパッている。
自覚した上で考えろ。
まず、
なぜ俺は震えている?
怖いからだ。
今まで優しい男だと思っていたルイジェルドが、あっさり人を殺した。
スペルド族は誤解されているだけの心穏やかな種族だと思いこんでいた。
違った。
種族がどうかは分からないが、少なくともルイジェルドは違う。
ラプラス戦役の時代から、ずっと敵を殺し続けてきたのだ。
今回も、そんなケースの一種だろう。
そして、俺やエリスにその矛先が向く可能性。
まったく無い、とは言い切れない。
俺はルイジェルドが認めるような、清廉潔白な人間ではない。
いつか、どこかで、彼の逆鱗に触れてしまう日が来るだろう。
それで彼が怒るのはいい。
考え方が違うのだから、意見を違えるのも仕方がない。
喧嘩の一つもするだろう。
けれども、殺しあいまでするつもりはない。
どんな状況でも、命のやり取りにだけは発展しないように、
今、この段階で、きっちりとルイジェルドに言っておかなければならない。
「いいですか、ルイジェルドさん、よく聞いて下さい」
しかし、言葉はまだ見つかっていない。
どう言う?
なんていえば説明できる?
俺たちだけは殺さないでくださいと懇願するのか?
馬鹿な。
俺は先日、彼に一緒に戦う戦士だと言ったばかりだ。
彼の庇護下にいるのではなく、仲間内にいるのだ。
懇願はダメだ。
頭ごなしにダメだと言うのもよくない。
ルイジェルド自信が納得しなければ、意味がない。
考えろ。
俺は何のためにルイジェルドと一緒にいる?
スペルド族の悪名をなんとかするためだ。
ルイジェルドが人を殺せば、スペルド族の印象は悪くなる。
これは間違いないはずだ。
だから、他の冒険者と喧嘩しないようにと言い含めたのだ。
スペルド族の印象は最悪だ。
どれだけ良い事をして認識を改めても、
目の前でスペルド族が殺人を犯せば、
きっと今までの事は水に流され、ルイジェルドの印象は地に落ちる。
そうだ。だから殺しちゃいけない。
スペルド族=怖いという認識を、他の人々が思い出してはいけないのだ。
「ルイジェルドさんが人を殺すと、スペルド族の悪名が広まります」
「…………それは、悪人でもか?」
「誰を殺したかではありません。誰が殺したかです」
考えながら、言葉を選びながら、慎重に言う。
「わからんな」
「スペルド族が人を殺すというのは、他とは意味が違います。
魔物に殺されるようなものです」
ルイジェルドは、ちょっとだけムッとした顔をした。
種族の悪口に聞こえたのかもしれない。
「…………わからんな。どうしてそうなる」
「スペルド族は、人を殺す種族と思われています。
ちょっと気に食わなければ、すぐに殺す悪魔だと」
言い過ぎかと思ったが、世間の認識はそんなものだ。
それを変えようとしているのだ。
「スペルド族は世間に言われているような悪魔ではないと、
そう口で言うのは簡単です。行動で示せば、
大多数の人が認識を改めてくれるでしょう」
「……」
「けど人を殺せば、全ては台無しです。
やっぱりスペルド族は悪魔だったと思われるでしょう」
「馬鹿な」
「心当たりはありませんか?
今まで、人助けをしてきて、仲良くなったあとに手のひらを返された事は?」
「………………ある」
言いながら、俺の中でもまとまってきた。
「しかし、人を一切殺さなければ……」
「どうなる?」
「スペルド族にも、理性があると思われます」
本当にそうなのか?
この世界で、人を殺さなかったぐらいで、理性があると思われるのか?
いや、今は考えるな。
俺は間違っちゃいないはずだ。
ルイジェルドは人を殺しすぎた。
スペルド族は、人を殺して当然の種族だと思われている。
殺さなくなれば、認識を改められるはず。
辻褄は合っているはずだ。
「殺さないでください。
スペルド族のことを思うなら、誰も」
殺していい時、悪い時。
普通はそれを判断しなければいけない。
けれど、この世界の判断基準は俺にはわからず、
ルイジェルドの判断基準は恐らく過激。
両極端でラインが見極めにくい。
なら、いっそのこと、全部禁止したほうが手っ取り早い。
「誰も見ていないなら、いいんじゃないのか?」
ルイジェルドの言葉に、俺は頭を抱えそうになった。
誰も見ていないなら犯罪を犯してもいいなんて、どこの小学生だ。
こいつ、本当に500年も生きてきたのか?
「見ていないと思っても、人の目はあるんですよ?」
「周囲にはいないぞ?」
ああ、くそ、そうか。
額の目のおかげか。
「見ている人は、いますよ」
「どこにだ?」
ここにだ。
「僕とエリスが、見てるじゃないですか」
「む……」
「誰も殺さないでください。僕らだって、ルイジェルドさんを怖がりたくはないんです」
「……わかった」
最後は結局、泣き落としのような形になった。
自分の言葉に自信なんてない。
だが、ルイジェルドは頷いてくれた。
「よろしくおねがいします」
俺は、ルイジェルドに頭を下げた。
見れば、手が震えていた。
落ち着け。
こんなのは普通だ。
はい、深呼吸。
「すぅ……はぁ……
……すぅ……はぁ……」
なかなか落ち着けない。
動悸が収まらない。
エリスはどうしている?
怯えているんじゃないのか?
と、見てみると、エリスは平然としていた。
いきなりでびっくりしたけどゴミは死んで当然ね、って顔をしている。
いや、さすがにそんな酷いことを考えてはいないと思うが。
けど、腕を組んで、足を開いて、顎を上げてのいつものポーズだ。
内心はどうであれ、いつも通りであろうとしてくれている。
だというのに、俺が動揺していてどうするよ。
手の震えは止まっていた。
「じゃあ、尋問を続けましょうか」
血なまぐさい匂いの充満した部屋で、俺は無理矢理に笑みを作った。