間話「フィットア領消滅より半年後」
フィットア領消滅から、半年後。
フィットア領にたどり着いたロキシーは、
何もない『草原』を前に目を見開いていた。
ただただ唖然としていた。
今ロキシーの立っている街道は、アスラ王国が整備した石畳の道だ。
これほど見事な道は、他の国では首都近辺でしか見られないだろう。
アスラ王国は端から端まで、この石畳の道が敷いてある。
そのはずだ。
なのに、目の前ではある境界線から道が消えていた。
何事もなかったかのように、草原が広がっている。
「………」
何かがあった。
それはわかった。
何があったのか。
それはわからない。
自分には結果しかわからない。
フィットア領は消えたという結果しか。
ブエナ村も消えたという結果しか。
あのルーデウスも、魔族である自分を簡単に受け入れてくれた優しい家族も、みんな消えてしまったという、ただ一つの結果しか。
そんな話は、ここに来る途中に何度も耳にした。
まさか、と思った。
自分は担がれているんだ、と。
とにかく信じようとはしなかった。
目の前にある現実を見るまでは、一縷の望みに賭けていた。
ロキシーは膝から崩れた。
「あんたも、家族を失ったクチかい?」
ここまで乗せてもらった馬車の御者がいつのまにか後ろに立っていた。
「優秀な弟子を」
「弟子か。でも、魔術師の弟子ってんなら、命を落とすのも覚悟の上だったんだろう?」
「彼は、まだ十歳でした」
「そりゃあ……早すぎるな……」
御者が慰めるように、肩をポンと叩いた。
そして、しばらくして、ぽつりと言った。
「実はフィットア領の難民キャンプがあるんだ。行ってみるかい? まぁ、十歳じゃ生き残るのは難しかっただろうけど、もしかしたらいるかもしれねえ」
ロキシーはガバッと顔を上げた。
「行きます!」
ルーデウス達なら、きっと大丈夫だ。
機転を利かせて生き残ったに違いない。
きっと、その集落で元気に暮らしているはずだ。
ロキシーは一縷の望みをもう一度だけ抱いた。
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難民キャンプは、
木で出来た建物が何件も建ち、難民キャンプというより、一つの村といえる規模になっていた。
しかし、全体的に沈んだ空気が流れていた。
(このアスラ王国でこんな空気に触れるなんて)
ロキシーの知るアスラ王国とは、世界で最も豊かな国だ。
活気に満ちた人々の顔と、笑顔があふれる場所だ。
食べ物は豊富で、魔物も少ない。
生きていくのに最も楽な場所だ。
だというのに、そこには笑顔が無かった。
この集落でも、食べ物で困っているようには見えない。
もともと豊かな場所だ。
そこらの草でも引っこ抜いて食べれば、飢えることは無い。
飢えがなければ人は笑顔でいるはずなのだ。
嫌なことはあろうとも、魔大陸のような殺伐とした雰囲気は無い。
そのはずなのだ。
だが、目の前の光景に、ロキシーは顔をしかめざるを得ない。
難民キャンプの臨時冒険者ギルド。
本来なら依頼が貼り付けられている掲示板の前。
そこには、最も陰鬱とした空気が流れていた。
家を失い、家族を失った男が、掲示板の前で号泣している。
半年かけて戻ってきて、この仕打ちはなんだと。
ある僧侶は、己の商売道具であるミリス教団の十字架を地面に叩きつけていた。
もはや何も信じないと。
ある商人はナイフで己の首を掻き切ろうとして、周囲に止められていた。
命より大切なものを失ったと。
ひどい場所だ。
これは、ダメかもしれない。
ロキシーはその空気に引きずられるように、
泣きそうな気分で情報収集を始めた。
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一時間後。
ロキシーは何が起こったのかを大体把握していた。
あの空の異変の後、大規模な魔力災害が起こったのだ。
爆発を伴うようなものではなかったが規模は大きく、フィットア領の人々が世界中に転移したらしい。
建物や木々はどこかへと消え、人だけが、世界のどこかに飛ばされたのだ。
飛ばされた人々は、何とかして家に戻ろうとした。
そして、帰り着き、何も残っていないことを知り、絶望しているのだ。
ロキシーは掲示板を見る。
そこには、「死亡者」の名前が載っている。
また、その隣には「行方不明者」も載っている。
またさらに隣には、家族への伝言や、
『旅先でこんな人物を見かけたらここまでつれてきてくれ』
といった内容の冒険者への依頼が何件も連ねてある。
一際目立つ場所に、フィットア領主の名前で、
行方不明者・死亡者の情報を求む、と書いてある。
依頼はかつて無いほどの量だ。
ロキシーは冒険者としてそれなりに活動してきた。
それでも、これほど依頼のあふれる掲示板は見たことがない。
この災害の規模の大きさが伺える。
死亡者、行方不明者。
もしかすると、ここまで来る間に、そうした人物を見たかもしれない。
人がいきなり現れた、という噂も聞いたことがある。
そういった与太話はいくらでもあるので気にもとめなかったが。
ロキシーは死亡者欄から見ていく。
数は少ない。
見知った名前は無い。
対する行方不明者数は、多い。
目がチカチカしてくる量だ。
なにせ、世界中への転移だ。
魔物に襲われて死んで、骨も残らないような者もいるはずだ。
山の上や、空の上、海の中。即死したものも少なくないだろう。
死亡が確認出来ただけでも、上出来なのだ。
「あった……」
ロキシーは眉を潜めた。
行方不明者の欄に、ルーデウスたちの名前を見つけたからだ。
ルーデウス・グレイラット。
ゼニス・グレイラット。
リーリャ・グレイラット。
アイシャ・グレイラット。
リーリャがパウロの妻の一人になったことは知っていた。
ルーデウスの手紙に書いてあったのだ。
アイシャというのは、確か妹だったか。もう一人いたはずだが。
パウロとノルンの名前には線が引いてあった。
まさかと思って死亡者欄をもう一度見る。
やはり無い。
生きているのだろうか。
いや、情報が抜けている可能性もある。
ぬか喜びはすまい。
「とりあえず、死んではいないことを喜ぶべきでしょうか……」
ロキシーはぼんやりしながら伝言板を見る。
書いている者の必死さが伺える内容だ。
少しだけ、羨ましくも感じる。
自分には、こんな必死に探してくれる人はいない。
そういえば、故郷の両親は元気だろうか。
喧嘩別れをして集落を飛び出して、もうかなりの年月が経っている。
ほんの少し前までは、ミグルド族にとってはほんの少しの年月だと思っていたが。
月日が経つのは早いものだ。
手紙の一つでも送ったほうがいいかもしれない。
「これは……」
そこで一つの伝言を見つけた。
書いた人物は、パウロ・グレイラット。
『ルーデウスへ。
ゼニスとリーリャ、アイシャが行方不明だ。
ノルンは俺が保護している。
お前が現在どこにいるかはわからん。
だが、お前なら一人でもここに辿り着けると考えている。
よって、お前の捜索は後回しにする。
オレはミリス大陸へと行く。
そこがゼニスの生まれ故郷だからだ。
リーリャの故郷・実家にも伝言を残しておく。
お前は中央大陸の北部を探せ。
見つけたら下記まで連絡を。
ゼニス、リーリャも同様に連絡を。
また、オレや家族のことを知る人物、あるいは元『黒狼の牙』メンバーへ。
捜索を手伝って欲しい。
『黒狼の牙』の元メンバーは俺に思う所もあるだろう。
水に流せとは言わない。罵ってくれてもいい。
靴をなめろというなら舐めよう。
財産は全て消えたので報酬は出せないが、頼む。
オレの家族を探してくれ。
- 連絡先 -
ミリス大陸ミリス神聖国首都ミリシオン冒険者ギルド
パーティ名『ブエナ村民捜索隊』
クラン名『フィットア領捜索団』
パウロ・グレイラットより』
パウロが生きていた。
そうと知って、ロキシーは少しだけ安堵した。
ルーデウスの手紙ではこき下ろされていたが、
こういう状況でこそ頼りになる人物だ。
そして考える。
自分も捜索に参加するべきだろうか、と。
あの家族には世話になった。
あの家族と過ごした二年間は、今でもいい思い出だ。
いろんな意味で。
なので助けるのはやぶさかではない。
よし、捜索に参加しよう。
ロキシーはそう決めた。
どう探すか。
『黒狼の牙』は、恐らくパウロが前に所属していたというパーティだろう。
その面々はルーデウスとは面識がないはずだ。
リーリャとも面識は無いだろうが、
自分は後回しにされているルーデウスを探そう。
パウロはルーデウスが帰ってくると思っているようだが、あの少年は適応力が高い。
転移先に居着いている可能性もあるだろう。
もしそうなら、何が起こったのかを知らせてやり、ここに連れてきてやらねばならない。
しかし、さて、どこを探すべきか。
パウロはミリス神聖国の首都に移動した。
ということは、その経路には伝言を残しているはずだ。
アスラ王国の国境、王竜王国のイーストポート、ミリス神聖国のウエストポート。
最低でもこの三つには、伝言を残しているだろう。
なら、その経路の外を探すべきだ。
中央大陸北部か、ベガリット大陸か、魔大陸。
このあたりだろう。
ベガリット大陸には行ったことがないが、魔物と迷宮の多い場所だと聞いたことがある。
魔大陸は多少の土地勘はあるが、一人で旅するには危険な土地だ。
安全を取るなら、北部だが……。
いや、だからこそ行くべきなのだ。
危険な土地だからこそ、行ける者は少ない。
自分なら、その二つを旅できるパーティに潜り込める。
よし。
そうと決まれば、ここに長居は無用だ。
王龍王国のイーストポートに移動しよう。
そこで、ベガリットか魔大陸にいくパーティを探すのだ。
ロキシーはそうと決め、南に向けて旅立った。
ルーデウスは生きている。
そんな確信があった
時系列的には3章の後の話となります。