第百八十五話「ルーデウスの戦場」
水神流には五つの奥義がある。
初代水神が編み出した、最強の奥義だ。
五つのうち、三つを使えれば、水神と言われる。
歴代の水神の中に、四つの奥義を修めた者は数多く存在するが、
五つの奥義全てを習得した者は初代以外に存在しない。
水神レイダ・リィアもその例に漏れず、三つの奥義を習得している。
彼女は、老婆である。
全盛期はとっくに過ぎて、ただ老い衰えるだけの存在である。
で、あるにかかわらず。
なぜ今だに水神の名を冠しているのか。
アスラ王国の剣術指南に選ばれて、十数年。
その座を後進に譲り、十数年。
なぜ彼女が水神の名を冠し続けられたのか。
彼女の才能が突出していた?
それもあるだろう。
水神レイダはまごうことなき天才だった。
歴代の水神とくらべても遜色ないほどの。
だが、だからといって、老いに勝てるほどの才能を有していたわけではない。
では、他に才能あるものがいなかった?
そうではない。
今現在、水神流の奥義を三つ修めた者は数名存在する。
だが、その誰もがレイダに代わって水神になろうとはしなかった。
自分はふさわしくない、レイダに任すと言って、水帝に収まった。
なぜか。
水神レイダは、五つの奥義の内、最も困難と言われる二つの奥義を使えるからだ。
その奥義を組み合わせ、幻とも言える、六つ目とも言える奥義を繰り出せるからだ。
『剥奪剣界』
彼女は、ある体勢から前後左右上下。
四方八方どこにいる相手でも、斬る事ができる。
一歩でも動いたら、その動作に反応して、全てを切り捨てる事が出来るのだ。
---
「誰も動くんじゃないよ。こうなりたくなかったらね」
レイダが登場して最も早く動いたのは、ペルギウスの配下『光輝』のアルマンフィだった。
彼は一瞬でレイダの背後を取り……そして次の瞬間には真っ二つになっていた。
死体は残らず、光の粒子となって霧散した。
次に動いたのも、ペルギウスの配下『波動』のトロフィモス。
彼は手だけをレイダに向けて、何かを放とうとした。
いや、放ったのだろう。
だが、レイダが一瞬、剣を傾けただけで、トロフィモスは真っ二つになった。
彼もまた、光の粒子となって霧散した。
その次に動いたのは俺で、指に嵌めた指輪へと魔力を送った瞬間、手首を切り落とされた。
否、切り落とされそうになった。
落とされたのは義手の手首だ。
俺の左手は健在である。
だが、唐突に消失した腕を見て、俺は硬直せざるをえなかった。
次に動いたのは上級貴族だった。
彼は我先に逃げようとして、脚の腱を切られた。
叫び声を上げるも、次なる斬撃で気絶した。
みねうちだった。
護衛たちは誰も動けなかった。
真っ先に動きそうなエリスも、ギレーヌも。
アリエルも。
ペルギウスも。
ペルギウスの配下も。
俺も。
その他、大勢の護衛たちも。
全員がレイダに釘付けにされていた。
この部屋は、全てレイダの間合いだと、誰もが気づいていた。
何かアクションを起こせば、即死する事を理解していた。
「……動く奴ぁいないようだね。
それじゃ、オーベール」
呼ばれたオーベールもまた、硬直していた。
彼ほどの剣士でも、レイダの重圧からは逃れられないのだ。
「な、なんであるか……?」
「アリエルとペルギウスと……あと泥沼だね。
さっさとそいつらの首を刎ねちまいな」
一人、オーベールだけが動けるようになった。
彼は戸惑うようにレイダを見た。
「そ、某がか?」
「そうだよ。他に誰がやるんだい?」
「しかし……」
オーベールはそこで、ちらりとエリスの方を見た。
レイダはそれを横目で見て、据わった目のままペッと唾を吐いた。
「相手にエリスがいたのがいけなかったんだねぇ。
森での襲撃にしても、夜道での襲撃にしても、半端な事やりやがって。
あんたみたいな卑怯者でも、弟子の前だと剣士っぽく振る舞っちまう」
レイダは同じ姿勢のまま、口だけは悪かった。
「あんたぁ、なんのために高い金もらって雇われてんだい?
北帝って箔で金だけ取って、兄弟弟子の二人を失って。
それで雇い主が死ぬのを指くわえて見てるためかい?」
「……」
「あんたぁ、もっと汚いはずだろう?」
「……そうであるな」
オーベールが動いた。
右手で剣を抜き、パーティ会場の上手。
アリエルのいる方向へと向かって、歩き出した。
まずい。
どうする。
動けない。
どうすればいい。
これがヒトガミの一手か。
水神がたった一人いるだけで、こうなった。
オルステッドに水神の対処法は聞いていた。
端的に聞いていた。
「こうならないように動け」だ。
もし水神を見つけたら、構えを取る前に視界の外に逃げろ。
前でも後ろでも、下でもいい、上でもいい。
動けるうちに動いて逃げろ。
そう言われていたのに。
これでは。
「……なっ! これは!」
その時、城の警備をしていた者達が、部屋に突入してきた。
鎧姿の騎士たち。
いや、あの銀色の鎧は……見習い騎士?
「け、剣を捨て……!」
「動くんじゃないよ!」
レイダの一喝は、見習い騎士を止めさせた。
しかし、その中に一人、忠告を聞かずに数歩、前に出る者があった。
その人物は、重圧の中で数歩歩き、兜を取り去った。
兜の下から現れたのは、俺も見覚えのある人物だ。
水王イゾルテ・クルーエル。
なぜ彼女がここにいるのか。
本日、この日、城に警護の騎士はいないはずなのに。
ダリウスか?
万が一のために、こうなることを見越して、見習い騎士を配置したのか?
それともただの偶然か?
「お師匠様、なぜ、これは、一体、どういう?」
「ああ、イゾルテかい……」
「このような場で奥義を使うなんて……!」
「はいはい、説明してあげるよ。本日この場にて行われるのは、水神レイダと北帝オーベールの凶行さね」
「凶……行?」
イゾルテが眉をひそめ、レイダが言葉を続ける。
「二人は共謀し……そうさね、王竜王国にでも雇われてたって事にしようかね。
莫大な金に目がくらみ、王国の要人を暗殺しようとしたのさ。
アリエルと、他何名かを惨殺した所で、たまたま居合わせた見習い騎士のあんたに斬られる。
イゾルテ・クルーエルは英雄となり、水神流は存続する……」
レイダはハッと笑って、第一王子の方を見た。
「うん、いい筋書きじゃあないか。
物書きにでもなればよかったねぇ……。
そういう方向で頼むよ、グラーヴェルの坊や」
「何を馬鹿なことを言ってるんですか、お師匠様……っ!」
イゾルテは一歩踏みだそうとして、脚を止めた。
恐らく、レイダの殺気が、イゾルテをとらえたのだ。
「……はやくやりな、オーベール」
「……」
「なんだい、北神流の地位が下がるとか考えてんのかい?
ふざけんじゃないよ、あんたの不手際の尻拭いをしてやってんだ。今更尻込みするんじゃないよ、覚悟を決めな」
オーベールは頭を振った。
そして剣を持ち直し、アリエルに向き直る。
だが、躊躇したように頭をふる。
迷っている。
「なにをしている! オーベール! 早くアリエルを殺せ! そっちの売女もだ!」
その様子をみかねてダリウスが叫んだ。
売女というのは、トリスの事だろう。
そうだな、ダリウスにとっては、アリエルだけでなく、トリスも死んでもらった方が好都合だろう。
証拠を残しておけば、グラーヴェルが王となった後、自分が味方に陥れられるのだから。
「後のことは気にするな! 儂がなんとかしてやる!」
ダリウスの叫びに、オーベールは意を決したようだ。
今までと少しばかり違う顔つきで、アリエルへと向きなおった。
ああ、まずい。
この状況。
詰んでないか?
「チッ……」
エリスが動き出そうとしている。
一か八か、レイダの結界から逃れようと。
「エリス、ダメだ」
「でも」
「お願い、やめて」
「じゃあ、どうするのよ……」
俺はエリスが死ぬ所を見たくない。
でも、どうする。
どうすればいい。
わからない。
全員で一斉に動けば?
いや、だからそれではダメだ。
そんな程度で破れる技じゃない。
大体、俺はともかく、他の面々は間合いが遠すぎる。
ペルギウスはどうだ?
先ほどから動かない。
否、つまらなさそうな顔で俺を見ている。
この事態、どうするつもりだと言わんばかりの顔だ。
配下二人が死んだというのに、その顔には微塵の焦りも見られない。
もしかして、何か策があるのか?
頼るか?
いや、そんな暇はない。
オーベールは、今まさにアリエルに手を掛けようとしている。
もう、仕方がない。
動くしかない。
オーベールとレイダ、両方を同時に攻撃する。
使う魔術は『電撃』だ。
周囲に被害が及ぶが、背に腹は変えられない。
倒しきれなくとも、電撃なら行動不能にできるかもしれない。
もっとも、水神流は魔術自体を受け流せるため、成功率は低い……。
「ルーデウス……やるのね?」
エリスが、俺の気配を察したらしい、指をピクリと動かして、視線で合図をくれる。
死ぬときは一緒か……。
シルフィ、骨は拾ってくれ。
「……っ!」
と、その時。
何かが体の芯を通り抜けた。
「こ、これは……!」
オーベールがびくりと身を震わせ、動きを止める。
レイダの額から、どばっと汗が吹き出る。
いいや、二人だけじゃない。
この場にいる、ほとんどの人間が、ガクガクと身を震わせ始めている。
レイダの殺界によって動きを止めながらも、顔面を蒼白にして戦慄している。
そこで気づいた。
ああ、よかった……。
さっきの指輪、ちゃんと魔力が通っていたらしい。
「こりゃ、参ったね……ダリウス、あんた余計な事を言ったよ……」
「……な、なに? なにが、何が起きている、なんだこの寒気は……!」
「計画変更だ。オーベール、悪いけどダリウスを連れて、今すぐにこの場を脱出しちゃくれないかね?」
レイダの言葉に、オーベールは首をかしげた。
「なぜ、ダリウスを? グラーヴェル殿下ではなく……?」
「ま、あたしみたいな婆でも、恩を忘れないってことさね」
レイダは薄く笑った。
「早くしな! このままじゃ敵も味方も皆殺しにされるよ!」
その言葉に、オーベールは一瞬考え、頷いた。
ダリウスの腕を掴み、重そうな体を引きずるようにどこかへと連れて行く。
「こちらへ」
「う、うむ……」
オーベールは見習い騎士たちが入ってきた入り口とは違う方向から出て行った。
誰も止めるものはいない。
レイダに釘付けにされて、動けやしないのだ。
「……」
場に、沈黙が流れる。
「やれやれ、どれだけ逃げてくれるかねえ。先にこっちに来てくれるかもわかんないってのに……」
「……なぜ?」
と、誰かが口にした。
アリエルだった。
彼女は死を前にしても、顔色一つ変えていなかった。
ただ、なぜレイダがダリウスを助けるのかという事に、疑問を持っているようだった。
俺もその点については疑問だ。
「なんで、なんで、とうるさい連中だよ。
なに、珍しいことじゃあないさ」
レイダは愉快そうだ。
「一人の婆が、まだ幼い小娘だった時の話さね。
天才だなんだと持て囃され、有頂天になってた小娘は、
道場で同い年の貴族の少年を叩きのめして……その後、報復を受けた。
大勢に囲まれて多勢に無勢、あっというまに叩きのめされた。
剣士の命である両手を切り落とされて達磨にでもなろうって時に、助けられたのさ。
その貴族よりも上位に位置する、一人の貴族の少年にねぇ」
……え?
それがダリウスなの?
「水王になって、剣術指南役に抜擢されて。
その時に礼でも言おうとしたら、
今みたいなデブ狸になって、性根もひん曲がってて。
あたしのことも覚えちゃいなかったがね」
……。
「そりゃ、失望もしたさね。
なにせ、顔は悪くとも性根のまっすぐな正義の子だと思ってたからね。
もし、あの人に出会えたなら……なんて乙女っぽいことも考えていたのもあった」
レイダは遠い目をしていた。
今なら動けるんじゃないかという錯覚すら覚える。
「で、少女の初恋は終わりを告げて……。
でもまぁ、恨みにまでは届かず、命の恩と相殺になったって事さね」
レイダは語る。
短い時間に、短い言葉を。
誰も興味のなさそうな事を、懺悔でもするかのように。
「正直、あたし自身も忘れてたさ。
でも、アスラに帰る途中に、ふと夢の中でお告げがあってね。
水神としてもう一度王宮に仕えれば、その時の恩を返せるっていうんだ」
ヒトガミか。
そして今、そのヒトガミと敵対する男が、こちらに向かっている。
圧倒的に不幸な気配をまき散らしながら、凄いスピードで一人の男が城の中を走ってきている。
オーベールは、その男とは反対側に逃げていくのだろう。
気配を探知する力は持っていないが、なんとなくわかる。
オーベールは、そういう気配に敏感な男だ。
「笑っちまうだろう。こっちは、とうの昔に忘れちまったってのにさ」
「……」
「でも、この歳になって、思うわけさね。
色恋沙汰を抜きにして、まっさらな気持ちになって考えたら。
命の恩は相殺どころか、まるまるそのまんま残ってるんじゃないかってね」
そこでレイダは、目を開けた。
「……来たようだね」
バンと扉が開いて。
入ってきたのは一人の男。
「ひっ!?」
その場にいる誰もが、その姿を見て恐怖した。
漏らした者もいるし、へたり込んだものもいる。
あるいは敵意を抱いた者もいる。
ただ、全員がほぼ共通の思いを抱いた。
『皆殺しにされる』
銀髪・金眼。
剣呑で恐ろしい顔をした、一人の男。
オルステッドが立っていた。
「久しぶりだねぇ。老い先短い婆に、引導を渡しにきたのかね?」
「そうだ。お前はヒトガミの使徒だからな」
「使徒ねぇ……前の時は使徒じゃないってんで逃してもらったんだったかい?
やれやれ、最後の最後でとんだ相手と戦うことになっちまったよ」
オルステッドは場を見回し、一直線にレイダへと向かった。
躊躇は無かった。
「『剥奪剣界』」
レイダの体がブレた。
剣が定まらない。
オルステッドが一歩歩く度に、黄金の剣閃が飛ぶ。
剣閃が残像を残し、オルステッドとレイダが黄金の糸で結ばれる。
剣閃は全て防がれていた。
オルステッドの周囲に火花が散っている。
彼は素手で、その剣撃を弾いていた。
一歩、二歩、三歩。
近づく度に火花の数が大きくなり。
それでもオルステッドは止まらない。
あっという間にレイダの眼前へと移動した。
「死ね」
そして、あっけなく。
本当にあっけなく、レイダの胸が貫かれた。
オルステッドの貫手によって、レイダは貫かれ。
ボロ雑巾のように打ち捨てられた。
「お、おばあちゃん!!!!」
イゾルテが叫び、殺界が消えた。
だが、時が止まったかのように、誰も動かない。
なぜこうなっているのか、誰も理解できていない。
ただ恐怖だけが支配している。
次は自分だという思いが。
最初に動いたのは、やはりイゾルテだった。
彼女は剣を抜き、震える足でオルステッドへと構えた。
「よくも、お師匠様を……!」
「……」
オルステッドは何事も無かったかのように、テラスよりその身を踊らせた。
イゾルテはそれを駆け足で追いかけ、テラスへと走りだす。
「ルーデウス様!」
そこで、アリエルが瞬間解凍されたかのように叫んだ。
「ダリウスとオーベールを追ってください! 逃してはなりません!」
アリエルの怒号のような一言で、時が動き出した。
貴族たちは我先にと逃げ出し、護衛たちはそれに付き従う。
俺とエリスとギレーヌの三名は部屋から飛び出してダリウスを追う。
「る、ルディ!? 何があったの!?」
と、そこで入れ替わるようにシルフィがやってきた。
彼女は事態を把握していないらしい。
どうする、ついてきてもらうか?
いや、まだ部屋にイゾルテがいる。
彼女はテラスから呆然と外を見下ろしている。
オルステッドを追うのは諦めたようだが……。
「シルフィ、アリエル様の護衛を! イゾルテに気をつけて! 俺たちはダリウスを追う!」
「わかった!」
シルフィとルークはアリエルの護衛として残そう。
咄嗟にそう判断して、俺達は部屋の外へと飛び出した。
---
アリエルが、なぜダリウスを追えと叫んだのかは定かではない。
正直、あの場の趨勢は決していた。
ダリウスを逃してしまってもいいのではないか。
そう思うのは、先ほどの水神の昔話を聞いてしまったからだろうか。
アリエルが追えと言ったのは別の理由だ。
彼女もまた、俺と同じく龍の犬だ。
となれば、ヒトガミの使徒であるダリウスを逃すわけにはいかないと、そう考えたのかもしれない。
ダリウスは殺す。
最初に決めていた事だ。
「こっちだ!」
ギレーヌの鼻に従い、廊下を走る。
エリスとギレーヌはアリエルの言葉になんの疑問も持っていない。
敵が逃げたから追いつき、噛み殺す。
そんな勇猛ささえ感じられるスピードで、着々と廊下を駆ける。
警備は少ない。
まったくゼロというわけではないのだが、俺たちより別の人物を追いかけているようだ。
王宮の方へ逃げたぞ! という声を聞くに、
もしかしなくともオルステッドを追っているのだろう。
「……見えたわ!」
誰に邪魔されることなく、あっさりと数分で追いついた。
ダリウスは重そうな巨体をオーベールに抱えられ。
ぜぇぜぇと死にそうに息をつきながら、廊下の端を移動していた。
「……ちっ!」
オーベールは鋭い視線で後ろを振り返り、舌打ちを一つ。
ダリウスを担ぐように支えると、すぐ近くの部屋へと逃げ込んだ。
俺たちもすぐにその部屋へと駆け込み……その脚を止めた。
そこにはへたり込んだダリウスと、剣を抜いたオーベールが待ち構えていた。
「……く、くっ!」
ダリウスはへたり込みつつ、俺を睨みつけた。
「こ、こんな馬鹿な事があってたまるか。こんな、こんなのはおかしい」
「しかしなぁダリウス殿。長い人生では、こうした事もありましょう。
今は腹を据え、窮地を脱するべく頭を使うべきかと思いますが?」
喚くダリウスに、返事をしたのはオーベールだ。
しかし、ダリウスは真っ赤な顔で反論する。
「儂は神の言う通りにしたのだ! その儂が追い詰められるなど、あってはならん!」
「……やれやれ、信心深いことですが……ならせめて、今は息を整えつつ、某の勝利を祈っていただけませんかねぇ」
オーベールは頬を掻きつつ、仕方ないなという表情で剣を構えた。
俺たちを前にして、初めて正面から剣を構えたのだ。
そして、名乗った。
「『北帝』オーベール・コルベット」
エリスが剣を抜き大上段に、ギレーヌが居合の構えを取った。
「『剣王』エリス・グレイラット」
「同じく『剣王』ギレーヌ・デドルディア」
俺も名乗った方がいいのだろうか。
と、逡巡した時、ダリウスが跳ねるようにエリスを指さした。
「その赤毛! ボレアスか! 貴様、ボレアス・グレイラットの者だな!」
エリスは指差され、露骨に顔をしかめた。
「……もう違うわ」
「儂は、儂はボレアスには十分な便宜を計ってやったぞ!」
ダリウスはエリスの返答など聞かず、唾を飛ばしながら喚いた。
「フィットア領消滅の際にも、金を出してやった!」
……そういえば。
フィットア領捜索団の資金は、ダリウスが出したんだったっけか……?
下心があったという話も聞いているが。
でも、そういう部分を突かれると、俺はちょっと弱いな。
出資者の下心はさておき、それで助かった人は多いのだから。
「私には関係ないわ!」
エリスは斬って捨てた。
さすがだ。
「ジ、ジェイムズも助けてやった!」
ジェイムズ。
ボレアスの当主、エリスの伯父さんの事だ。
「奴を当主にし、貴族たちの総攻撃で潰されかかっていたボレアスを立てなおしてやったのも儂だぞ!」
それはわりとどうでもいい。
「その甲斐あって、フィットア領の復興も順調に進んでおる!」
いやいや、嘘はいかんよ。
「王都に来る途中で見てきましたが、フィットア領はまだ全然復興が進んでいないようですが」
「聞いたふうな口を利くな若造!
ボレアスが完全に潰されていれば、今頃はほかの領主共がフィットア領を切り売りし、
今よりもっと荒んでおったわ!」
そう言われると、そんな気がしてくる。
するってぇと何かい。
今の状況は、確かに復興は進んでないけど、
それでも他のルートよりはマシだったってことか?
「それなら、サウロスの爺さんも助けてくれればよかったのに……」
俺の口からポツリと出たのは、そんな言葉だった。
しかし、ダリウスの顔色は劇的に変わる。
「サウロス!?
馬鹿を言うな、あんな現実の見えていない猪武者に何ができる!
後先考えずにフィットア領復興にボレアスの全財産を使おうとした男に!」
「……」
男らしい選択だとは思うが……。
まあ、今の話を聞く限りは悪手か。
家が潰れれば、結局最後には他の領主に食い物にされるのだから。
「儂は、その事で泣きついてきたジェイムズを助けてやった!
強引に事を進めるサウロスを亡き者とし、
ジェイムズが当主となれるように手引もしてやった!
ボレアスの家が未だに存続しておるのは、
フィットア領が未だに存在しておるのは、
すべて儂の手によるものだ!
だから助けてくれ! 見逃してくれるだけでいい!」
あぁ……。
それじゃダメだな。
サウロスを亡き者にして、ってんじゃ。
俺はともかく、二人は止まるまいて。
「つまり、あんたはサウロスお祖父様の仇ってわけね」
「なるほど、そういう事か」
エリスの言葉に、ギレーヌが頷いて、歯をむき出しに剣を構えた。
「ならば、斬る」
「ひっ」
ダリウスが短く悲鳴を上げ、
オーベールがため息をついた。
「交渉決裂ですなぁ」
そして、最終ラウンドが始まる。
---
「ふぅー……ふぅー……」
ダリウスも覚悟を決めたのか。
近くにあった椅子に座り、大きく息を吐いた。
大声を出したのが嘘のように、落ち着いた態度に見えた。
「オーベール、勝てるか?」
「さて、剣王二人だけならまだしも、あの魔術師は厄介ですな」
オーベールは、ダリウスを背に、こちらに剣を向けている。
その表情は落ち着いている……とでも言えばいいのだろうか。
だが、視線が定まらない。
目線だけがキョロキョロと動いている、散眼という奴だろうか。
「…………知っておる。神もそう言っておった」
「神はなんと?」
「ねずみ色のローブを来た魔術師は、儂を殺すとな……。
もっとも、言うことを信じ、周囲の反対を押し切って魔法陣を破壊し、
お前を撤収させて王都に篭った結果がこの様だ。
もはや信じてはおらぬ」
ヒトガミも、裏であれこれと動いていたということか。
オルステッドの言うとおり、ヒトガミはチェスは苦手なようだ。
無双系のゲームだったら嬉々としてやるのかもしれないが。
「なんとかせい。そのためにお前を雇ったのだ。多対一は得意なのだろう?」
「承知……もし勝てたら、特別報酬を頂くが、よろしいか?」
「ああ、約束通り、持っていくがいい」
そんなやりとりをしつつ――オーベールは改めてといった感じで、こちらを向いた。
今度は真正面から。
それを見て、エリスとギレーヌが腰を深く、構えた。
「北神流……『赤墨』」
「ガアアァァァァ!」
「ウラアアァァァ!」
オーベールが呟いた瞬間、エリスとギレーヌが仕掛けた。
しかしその時、俺は『赤墨』の意味を理解していた。
どういう技かを、オルステッドより聞いていた。
地面だ。
床に敷かれた赤い絨毯。
その上に、いつの間にか撒かれている、赤い玉。
気づいた時にはもう遅い。
「あっ!」
「ぬっ!?」
エリスとギレーヌの足元で、パァンと大きな破裂音が響き渡った。
足元で飛び散る、粘着性の強い液体は、二人の足の裏を絨毯へと縫いつけた。
北聖であった、とある薬剤師の編み出したこの玉は、瞬間接着剤だ。
工程が複雑であるため、作り方はよく覚えていないが、
強い衝撃を与えることで破裂して、内容物をまき散らす。
その接着力は強く、エリスとギレーヌの足を、絨毯へと縫いとめた。
「『水流』!」
俺はとっさに水魔術を使い、二人の足元を洗い流した。
この接着剤は水に弱い。
水分に触れることで一瞬にして吸着力を失う。
だが、すでにエリスとギレーヌは体勢を崩している。
必殺の踏み込みを外され、しかし鍛えられた強靭な足腰は無理な体勢からでも剣を放とうとしている。
遅い。
オーベールはすでに、次の行動に移っている。
エリスとギレーヌの間を縫うように移動している。
ギレーヌの剣が止まる。
エリスの剣が止まる。
いくら彼女らが剣神流といえど、オーベールの向こう側にいる味方を巻き込んで光の太刀は放てない。
「まずはお主だ、ルーデウス・グレイラット」
オーベールの狙いは、エリスでも、ギレーヌでもない。
俺だった。
<両手に持った剣が二つ、俺へと振り下ろされる>
見えている。
エリスとの模擬訓練のおかげか、俺の予見眼は確実にオーベールの剣を捉えていた。
とっさに、義手を剣の軌跡へと差し込んだ。
これで一つ。
もう一つは右手で『土盾』の術を使いながらガードする。
「北神流奥義……『朧十文字』」
<オーベールの手がブレた>
オーベールは中空で剣を捨て、上体を倒しつつ、腰に残った一刀へと手を伸ばしていた。
俺は見えていた。
予見眼はその動きを捉えていた。
だが、すでに『土盾』は俺の右手を覆い、バックラーのような形を形作っていた。
オーベールの斬撃を受け流すために作られた盾はきわめて硬く、そして重かった。
重さは、俺の右手を防御へと回すのを拒んだ。
左手はすでにオーベールの剣を受けている。
高い魔力で作られた重い義手は、すでに手首から先がなかったが、ガッチリとオーベールの剣を受け止めている。
倒れこみつつ抜刀しようとするオーベール。
回避手段はない。
あってももはや間に合わない。
あえて受けることにした。
曲げていた膝を伸ばし、跳躍しながら、オーベールの抜刀を左足で受けた。
何か、熱いものが脛を通り過ぎた。
着地した時、左足がグニャリと曲がるような感覚。
右膝をついて患部を見ると、俺の左脛は切断され、皮一枚を残してプラプラと揺れていた。
遅れて痛みがやってきた。
「ぃぃ!」
奥歯を噛み締めて痛みに耐える。
視界の端。
エリスが動いている、ギレーヌも振り返り、こちらを向いている。
俺は死んでいない。
三人で囲む形になり、オーベールに逃げ場はない。
「……?」
いや、今、視界の奥で何かが動いた。
なんだ、オーベールがまた別の忍術を使ったのか?
違う。
視界の端に動きがある。
ダリウスが、右手をこちらに向けていた。
「汝の求める所に大いなる炎の加護あらん――」
エリスとギレーヌは気づいていた。
二人の取った行動はほぼ真逆だった。
エリスはダリウスに向かい合い、ギレーヌは俺とダリウスの間に立つように、オーベールへと向かった。
「――『火弾』」
ダリウスの手から、火の塊が放たれる。
威力、速度、ともに申し分なく、人一人を殺せる破壊力を秘めた火が迫る。
「ふんっ……ぐっ!」
エリスは斬った。
中空の火の玉を真っ二つにした。
しかし、いつのまにか。
いつのまにかオーベールが投擲していた苦無のような短剣に、脇腹を貫かれていた。
視界を戻す。
オーベールは、エリスへ短剣を投擲した姿勢のまま、ギレーヌの剣を受けていた。
否。
受けきれていなかった。
ギレーヌの剣は、受けた剣を断ち切りつつ、オーベールの肩口に食い込んでいた。
だが、浅い。
切断には至っていない。
「ふっ!」
「ガァァ!」
オーベールはバク宙しながら背後へと飛ぶ、
着地点にいたエリスが、待ってましたとばかりに斬撃を放つ。
だが、脇腹の苦無のせいか、オーベールはなんなくこれを受け流した。
「……」
まずい、距離を取られる。
何がまずいのかわからないが、オーベールに距離を取られるのはまずい。
なんでまずい。
やつの技は多彩だ。
違うそうじゃない。
俺は足を斬られた、エリスも走れるかどうか怪しい。
今、もし、仮に、オーベールにダリウスを抱えて逃げられたら。
ギレーヌ一人になる。
そうだ。
ダリウスをやらなきゃいけないんだ。
俺は、土盾を捨てつつ、杖を――ダリウスへと向けた。
「岩砲弾!」
「!? おおぉぁっ!」
弾はとんでもない速度で飛んだが、オーベールの抜刀にて弾かれた。
だが、想定内だ。
今放ったのは、ただの岩砲弾ではない。
「!?」
弾かれた先。
真っ二つになった岩砲弾は、ダリウスの近くで爆発する。
かつて、魔大陸を旅していた時に開発した、岩砲弾のアレンジ。
名づけて、炸裂岩砲弾。
「ぐぎゃああぁぁ!」
岩砲弾の破片が眼に入ったのか、ダリウスは顔を抑えながらうずくまった。
「ぬぅ!?」
オーベールの注意が逸れる。
「ダアアァァァ!」
そこに、すかさずエリスが躍りかかった。
光の太刀。
「……!?」
オーベールは、これを……受けた。
剣を横にして、刀身の最も分厚い部分で受けた。
だが、エリスの剣はそれをやすやすと切り裂き、オーベールの腕に食い込んだ。
浅い。
怪我の影響か、技は完璧ではなかったのだろう。
エリスの剣はオーベールの腕を切り落とすも、脇のあたりで止まった。
「ガアアァァァ!」
さらに、ギレーヌがいった。
両腕を失ったオーベールは、これを回避しようとした。
だが、光の太刀というものは、回避できるものではない。
剣神流の必殺剣だ。
踏み込みをずらす、体勢を崩させる、本気で斬れない位置に立つ。
そうやって事前の工夫にて放たせないことはできる。
オーベールは、そうやってきた。
最後の最後で、できなかった。
ギレーヌの完璧な光の太刀は肩口から入り、脇腹へと抜けた。
「……見事だ」
オーベールは最後にぽつりとつぶやいて、バタリと倒れた。
そのまま、血だまりの中で動かなくなった。
しばらくぴくぴくと動いていたが、その瞳からは、光が失われていた。
…………死んだのだ。
「……」
「あぁあっ、眼が、眼が……オーベール! なんとかしろ! オーベール!」
ダリウスはいまだうずくまり、目を抑えつつ叫んでいた。
俺の炸裂岩砲弾を受けて、うずくまるダリウスを見下ろしたのは、ギレーヌだ。
「……」
ギレーヌは無言で剣を振るった。
返り血は俺の頬にまで飛んできた。
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ダリウスの死体は、その場に残しておいた。
これは、アリエルとの事前の取り決めである。
殺害現場の如何にかかわらず、できればダリウスの死体は残しておいた方がいいと。
後になってアリエルが糾弾される可能性も高いが、
それ以上に、ダリウスを誅したという事実に対する、人気取りの方が大きいようだ。
死んで喜ばれるとは……こいつも嫌われ者だったんだな。
「ふぅー……」
嫌な奴が死んだ。
殺した。
後味は悪い。
俺が直接トドメをささなかったが、そんな事は関係ない。
今は、実感がある。
俺は、ダリウスを殺したのだ。
守ろうとするオーベールを殺害し、目を潰し、無抵抗となったダリウスを。
今までは実感できなかったが、今回はある。
違いが何かはわからない。
距離の問題だろうか。
わからない。
「はぁ……」
考えても仕方がない事だとは思う。
これが俺が選んだ道なのだから。
その後、隣の部屋に移動し、オルステッドにもらった王級治癒魔術のスクロールを使って傷を治療した。
さすが王級と言うべきだろう。ちぎれた足も元通りだ。
だが、血が流れてしまったせいか、体が寒い。
俺の次はエリスだ。
彼女は俺の治療を青い顔で見ていたが、
それが終わると、すぐに自分の服を捲し上げた。
艶めかしくも、よく鍛えられた腹筋が……。
「……え?」
彼女の脇腹の傷口は、紫色に染まっていた。
毒だ。
オーベールの苦無には、毒が塗ってあったのだ。
「……」
初級解毒、中級解毒と使用。
効かない事を確認する。
冷や汗が背中にぶわっと広がった。
だが、すぐにオルステッドの言葉を思い出した。
オーベールが使う毒は一種類で、致死性のものではない。
そのうえ、彼は解毒剤も持っている。
すぐに隣の部屋に戻り、オーベールの死体を漁って、解毒薬を入手。
エリスに飲ませ、ついでに腹部にも塗っておく。
念のため、斬撃を受けた俺も使っとくか……。
危なかった。
もっと強力な毒だったら、エリスが死んでいる所だった。
よかった、本当に……。
「『朧十文字』、よく避けられたわね……」
エリスの脇腹を治療していると、彼女がぽつりと言った。
回避なんてしてないが……。
まあ、致命傷でないという意味なら避けたとも言えるか。
「エリスとの模擬戦のお陰だよ。より速い斬撃を見てるから、なんとか回避できたんだ」
「私は避けたことないのに……」
エリスはそう言って、少しだけ寂しそうな顔をした。
エリスはオーベールに剣を教わっていた。
その時のことを、思い出しているのだろうか。
「まあいいわ」
エリスはあっさりと頭を振った。
この性格が羨ましい。
なんにせよ。
俺もエリスもギレーヌも無事。
完全勝利だ。
「じゃあ、もどろうか」
「そうね」
「ああ」
意気揚々と、凱旋させていただくことにしよう。
---
パーティ会場に戻ってくると、予期しない光景が眼に飛び込んできた。
「……え?」
ルークが、アリエルの首筋に短剣を押し付けていたのだ。
ピレモンが跪き、シルフィが怒りの目をルークへと向けている。
どういう状況だ、これは。
混乱する俺をちらりと見て、ルークは口を開いた。
言葉を発する先は俺ではない、対峙するシルフィに向けてだ。
「アリエル様を助けてほしくば、ルーデウスを殺せ」
その問いにシルフィは――。