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無職転生 - 異世界行ったら本気だす -  作者: 理不尽な孫の手
第15章 青年期 召喚編
161/286

第百四十七話「慟哭」

 ナナホシが倒れてから、三日が経った。


 ナナホシの意識は、まだ戻らない。

 血を吐いた原因も、まだわからない。



 あの後、シルフィが助けを呼ぶと、すぐにアルマンフィが現れ、ナナホシを医務室へと運んでくれた。


 俺はその間に、他の面々を集めて、事情を説明した。

 ナナホシが体調を崩し、解毒魔術を掛けた所、血を吐いて倒れた事。

 現在医務室で治療を受けているという事。

 正直、唐突すぎて俺も状況が理解できていない、という事。

 他の面々は混乱しつつも、一応は納得してくれた。



 現在、ナナホシは『贖罪のユルズ』の手によって治療を施されている。

 贖罪のユルズには、治癒の能力がある。

 他者の体力を、健康を、別の者へと移し替える能力だ。

 解毒魔術とはまったく別理論の能力であるがゆえ、現在の解毒魔術で治らないと言われている病気でも、ある程度は治してしまう……らしい。

 ただ、一人では扱えないため、誰かの協力が必要であると言われた。

 その申し出に、シルフィが一も二もなく、自分がと申し出た。


 シルフィがナナホシの隣に寝かされ、治療が開始された。

 だが、ナナホシは意識を失いつつも苦悶の表情を浮かべ、咳も止まらなかった。


「カロワンテ。どうだ?」


 ペルギウスはその様子を見て、配下の一人に診察を命じた。

 『洞察のカロワンテ』。

 彼は他人の能力や隠し事を見破るという能力を持っている。

 こうした病気の時にも、その病状を見抜く力を持っているらしい。

 レントゲンのような能力だ。

 そんな彼は、ナナホシの容態を見て、首を振った。


「ユルズの力では、完治はしません」

「では書庫を調べよ」

「ハッ」


 そう言って、ペルギウスとその配下は、治療法と病名を探りはじめた。

 ナナホシの症状と、書庫にある文献とを見比べているらしい。

 俺も手伝うと申し出たが、書庫に入れるつもりはないと突っぱねられた。

 もちろん、その間にもユルズの治療は続けられ、シルフィも医務室から出てこない。


 結果として、俺は手持ち無沙汰になってしまった。


 もちろん、何もできないまま、無為に三日を過ごしたわけではない。

 一度、家に戻してもらい、ロキシーに事情を説明した。

 ナナホシが倒れ、シルフィが治療行為を手伝っている。

 そのため、帰るのに少し時間が掛かる、と。


 ロキシーはそれを聞いて、即座に行動を起こしてくれた。

 学校に連絡をいれて休学の届けを出し、家族への説明も済ませてくれた。

 そして、家の事は任せてください、と請け負ってくれた。

 彼女は俺よりもずっと冷静だったと思う。

 こうした事態に慣れているのだろうか。

 結局、俺が何もしないまま、やるべきことを済ませてしまった。

 俺はノルンとアイシャにもう一度、遅くなると告げて、追加の着替えなんかを持って、空中城塞に戻った。


 もっとも、戻ってきても、もはやすることはなかった。

 できることと言えば、ただナナホシの無事を祈るだけだった。


「……ナナホシ、治るかな?」


 俺と同様に手持ち無沙汰になっている者は、他にもいた。

 その筆頭がクリフである。

 彼は城内に作られた礼拝堂のような場所で、一心に祈りを捧げていた。


「全てはミリス様の御心のままだ」


 クリフは手を組んで眼を瞑ったまま、そう言った。

 困ったときの神頼みだ。

 俺は元々、神なんか信じていない。

 俺がこの世界で信じているのは、俺を助けてくれた人だけだ。

 だが、今ロキシーやシルフィに祈っても、気休めにすらならない事は、俺も重々に理解していた。


「……」


 ふと、昔見た映画のことを思い出した。

 宇宙人が地球を侵略してくる、有名な映画だ。

 宇宙人は圧倒的な科学力で地球人を圧倒し、滅ぼそうとする。

 しかし、ラストでは唐突に宇宙人の全ての機械が止まってしまう。

 宇宙人は、地球の風邪ウィルスへの抵抗力がゼロで、みんな風邪で死んでしまうのだ。


 ナナホシは、トリッパーだ。

 転生者である俺とは違う。

 歳もとらないし、魔力も無いらしく、魔道具の類も使えない。

 もしかすると、魔力だけでなく、免疫も無かったのかもしれない。


 いや、それだったら、もっと早くにこうなっていてもおかしくない。

 あの転移事件から、8年だ。

 ナナホシがこの世界に来てから、8年も経っているのだ。

 今更すぎる。


「……」


 あいつ。

 死ぬんだろうか……。


 なんでこんな事になったんだ。



---



 ナナホシが倒れて四日目。

 俺たちは円卓の間に呼ばれた。

 そこには贖罪のユルズを除く全ての使い魔が集合していた。

 そして、彼らの前に、ペルギウスがいた。

 彼は一人だけ、一際大きくて豪華な椅子に座り、使い魔達は彼の背後に立っている。


「お座りください」


 俺達はシルヴァリルに椅子を勧められ、言われるがまま席につく。

 現在、シルフィがユルズについて治療に行っているため、それを除く七名だ。


「ナナホシ様の病気が判明いたしました」


 俺達が席につくと、シルヴァリルが一歩前に出て、そう告げた。

 とうとう分かったらしい。


「ナナホシ様のご病気は、『ドライン病』です」


 ドライン病。

 聞いたことは無い。

 周囲を見ると、やはり知っている者はいなかった。

 この中で一番病気に詳しそうなクリフですら、困惑顔で首を振った。


「ご存知ないのも無理はありません。

 太古の昔。人の魔力が今よりもずっと少なかった頃の病です。

 当時、魔力を持たず生まれてきた子供が何人もいたそうですが、10歳ほどで例外なくこの病気に掛かり、命を落としたとあります」


 一応、ナナホシの状況に一致しなくもないな。

 ナナホシは十歳ではないが、この世界にきて八年だ。

 そして、魔力を持っていない……。

 ともあれ、シルフィのせいではないらしい。

 よかった。


「文献によると、魔力を持たぬ者は体外から入ってくる魔力を中和する力が弱く、

 10年ほど掛けてゆっくりと魔力を溜め込み、病と化す……とあります」


 魔力を持たぬ者は魔力を中和する力が弱い。

 ちょっと良くわからないが、魔力にも善玉菌と悪玉菌がいるという感じだろうか。

 魔力を持っている奴は、体内の善玉菌が悪玉菌を退治してくれるが、無い者は悪玉菌をそのまま体内に溜め込んでしまう。

 もっとも文献とやらがどこまで信用できるかは分からないが。

 しかし、説得力のある説ではある。


「その文献に、治療法は書かれていないのですか?」

「ありません。7000年ほど前、人の魔力が強くなったことで根絶した病である、と書かれております」


 7000年前というと、第一次人魔大戦の頃だろうか。

 確か、人魔大戦は1000年近く続いたって話だ。

 戦争というのは色んなものを進歩させる。

 人族も何らかの方法で、己を強化したのかもしれない。

 その副産物として、病が根絶された。

 そんな可能性はある。


 それにしても、7000年か。

 そんな昔の事となると、さすがに残っている文献も少ないだろう。

 病名が分かっただけでも奇跡かもしれない。


「それで、どうするんですか?」

「停滞させる」


 俺の問いに答えたのは、シルヴァリルではなかった。

 どっしりと座った、ペルギウスであった。


「時間のスケアコートの力を使い、ナナホシの時間を停滞させる」


 ペルギウスがそう宣言すると、一人の男が前に出た。

 口の部分が突出した仮面を付けた男だ。

 ひょっとこ、いや、ガスマスクが近いだろうか。

 彼が、時間のスケアコートか。


 確か、彼は触れた相手の時間を止める能力を持っている。

 同時に自分も停止してしまうが、それを使えばナナホシが突然死ぬ事も、病状が悪化する事もない。

 どれだけ長い時間止められるかもわからないし、根本的な解決にはなっていないが。


「なるほど、その後は?」

「地上にいる者に連絡をとり、治療法を探させる」


 うん。

 その方法なら、いいだろう。

 ペルギウスの名前で頼めば、ノーという奴はいないはずだ。


「もっとも、ナナホシを助けようとする者がどれほどいるかはわからんがな」

「甲龍王様のご威光で、なんとかしてくださるのでは?」

「我とナナホシは、ただの取引相手だ。我が誰かに借りを作ってまで助けはせぬ」


 ちょっと冷たいんじゃないだろうか。

 けど、ナナホシとペルギウスの関係がわからないから、口を挟みにくいな。


「勘違いするなよ。我が城にいる以上は客人であるから最低限、助けもしよう。

 だが、最大限は助けぬ。

 我はラプラスを見つけ、ラプラスを倒すことのみを目的として生きているのだからな」


 ラプラスを監視するお仕事があるから、必要以上の労力は割けない、って事か。

 誰かに頼めば貸しができる。

 貸しができれば返さなければならなくなる。

 まして、失われてしまった病の治療法だ。

 相手が要求してくるものは大きいだろう。

 ペルギウスがナナホシ相手にそこまでする義理は、無いのだろう。


 いや、十分すぎるほどの義理は払っているといえる。

 ナナホシの生命を繋ぎ止め、維持する。

 自分はそれ以上はやらないが、助けたい者がいるなら、助ければいい。

 ペルギウスはそう言っているのだ。

 間違ってはいない、と思う。


「……ナナホシを見捨てるつもりなのか!」


 そう叫んだのは、クリフだった。

 クリフは立ち上がり、ペルギウスに対して怒鳴った。


「見捨てるとは言っておらぬ」

「うそだ! あんたは、こんなにすごい城を持ち、こんなに有能な使い魔を引き連れている! なら、治療法を探す事だってできるはずだ!」


 クリフの言葉に、ペルギウスはぴくりと眉を動かした。


「出来る者が探さねばならぬ道理は無い」

「ふざけるな! 弱者を助けるのは、力を持つ者の義務だ!」

「ふん、ミリス教の忌々しい教義を押し付けるな」

「なんだと!」


 クリフはただ、感情のままに言葉を発しているのがわかった。

 彼はミリス教徒だ。

 ミリス教はキリスト教とよく似ている。

 困っている子羊には手を差し伸べるべし、なんて教義もあるのかもしれない。


 だが、それをペルギウスに言うのは間違いだ。

 ペルギウスは、ペルギウスの考えで動いている。

 400年も、ただ一つの目的のために動いているのだ。


 確かにペルギウスは、ナナホシの研究した異世界召喚の知識は欲しいんだろう。

 けど、それはラプラスという存在の上位には来ない。

 あくまで、暇つぶしか何かの一環なんだろう。


「お前が言ってるのは、ナナホシを見捨てるって事だ! 助けるならちゃんと最後まで」

「クリフ、おやめなさい!」


 クリフが椅子を蹴って立ち上がった瞬間、エリナリーゼが叫んだ。

 彼女はクリフの肩を強くつかみ、その動きを封じていた。


「クリフ、気持ちはわかりますが、抑えて」

「……」

「こんなことで、あなたを失いたくはありませんの」


 見ると、11人の使い魔が、全員身構えていた。

 ペルギウスは半腰のクリフを見て、嘲笑するように口元を歪めた。


「文句があるなら、自分で動いたらどうだ? 貴様の神もそう言っていよう。人を助けるに、人を頼る無かれ、だったか?」

「くっ……」


 クリフは悔しそうな顔をして、落ちるように椅子に座った。

 彼も、別にペルギウスに食って掛かりたいわけじゃないんだろう。

 ただちょっと、ペルギウスという強大な人物を前にして、何でもできそうだ、助けてくれそうだと思っただけで。


「ふぅ……」


 どうしたものか。

 ナナホシは助けてやりたい。

 しかし、方法がわからない。


 アリエルや他の面々の顔を見ると、やはり同じように思っているらしい。

 アイシャあたりもナナホシとは付き合いがあるし、死んだら悲しむだろう。

 それにこのまま死んでしまったら、シルフィが責任を感じそうだ。


 何か、俺にできることはないんだろうか。

 何も出来ないのだろうか。


「失礼します」


 と、そこで円卓の間の扉が開いた。

 贖罪のユルズだ。

 彼女は俺たちに向かい、言った。


「ナナホシ様が意識を取り戻しました」


 そういわれ、俺ははじかれたように立ち上がった。


「ど、どうですか?」

「表面的な病状は改善しました」

「表面的な?」

「はい、『ドライン病』にて溜まった魔力は、肉体を変異させ、病気を引き起こすようですので、その病気の方は治癒いたしました」


 そう聞くと、エイズみたいな感じだな。

 今までの咳も、その徴候だったのだろう。

 解毒で表面的な病気は治っていたが、根治には至っていなかったというわけか。


「その、魔力を吸い出したりとかはできないんですか?」

「私には不可能です」

「じゃあ、誰かできる人は?」


 ユルズは俺の問いに、ゆっくりと首を振った。


「そうですか……」


 なんらかの方法で、体内の魔力を吸い出す方法は無いのだろうか。

 例えば、そういう魔道具を使うとか。


 7000年前よりも、今のほうがそのへんは発達しているはずだ。

 だが、どうすればいい。

 吸魔石とか使えば、除去できるのか?

 いや、あれだって、体内の魔力を吸い出せるようなものではない。

 でも、出来ないことは無い気がする。

 作れるか?

 だが、製作にどれだけ掛かる?

 そもそも、できるという確証もない。

 くそっ。


「とにかく、ちょっとナナホシの様子を見てきます」


 俺がそう言って立ち上がると、追従するように他の皆も立ち上がった。



---



 医務室は、寒々としていた。

 家具類は客室とそう変わらない。

 ただ、石材がむき出しで、壁には窓が無かった。

 部屋の中央付近には手術台のようなものがおいてあり、戸棚の中にはナイフや包帯などが備えられていた。


「……」


 ナナホシは部屋の隅にいた。

 彼女が吐いた血は綺麗に拭われて、いつのまにか入院服のようなものに着替えさせられていて、清潔な感じだ。

 だが、生気は無かった。


「ナナホシ、大丈夫か?」


 そう聞くと、彼女はこちらをチラリと見て、言った。


「大丈夫に見える?」

「……」


 見えない。

 彼女の顔は真っ青で、眼の下にはどす黒いクマができていた。

 誰がどう見ても、不健康体だ。

 『贖罪』の能力は、患者のほうも消耗させるのだろうか。


 もう片方のベッドは空だ。

 シルフィは、俺たちと入れ替わりになるように、客室に運ばれた。

 運ばれる時に様子を見たが、シルフィの方もやつれていた。

 ここ4日、ずっとシルフィは治療に参加していた。

 飲まず食わずだったわけではないようだが、やはり体力の消耗は著しいだろう。


「病気、治せないって言われたわ」

「ああ、うん」


 俺は、ベッドの脇にある椅子に座った。

 ユルズ女史は、病気の状態を隠すとかはしなかったようだ。


「まあ、すぐ良くなるさ」

「なるわけないじゃない」


 そう言うと、ナナホシはそっぽを向いた。

 壁の方を向いて、押し黙ってしまった。

 今のはちょっと無責任な言葉だったかもしれない。

 ちょっと、どういう言葉を掛けていいのか、分からない。


「……」


 俺が黙った後、アリエルたちが口々に声を掛けた。

 慰める者、気をしっかりもてという者、必ず治ると言う者。

 言葉は様々だったが、元気づける言葉ばかりだった。


 しかし、こういう時、こういう言葉は逆効果になるかもしれない。

 本当に辛い奴にとって、上っ面だけの言葉ほど、聞きたくないものはない。


「……」


 やがて、言葉が切れた。

 反応のないナナホシに、誰も何も言えなくなってしまった。

 重苦しい沈黙が場を支配して、居づらい空気が流れた。


「ではナナホシ。私は先に部屋へと戻らせていただきます。またお見舞いに来ます」


 アリエルを皮切りに、一人、また一人と部屋から出て行った。

 最後にクリフが残っていたが、エリナリーゼに促され、出て行った。

 彼らが出て行く時、エリナリーゼが「……掛ける言葉が、ありませんわ」と言ったのが聞こえた。

 まさにその通りだ。


 そして、俺が残った。

 なぜ残ったのか、俺自身もわからない。

 だが、もう少し、側にいてやる必要があると思った。

 一人にするのは危ないと、なんとなくだが、思ったのだ。


「……」


 だが、掛ける言葉は無い。

 病気の相手。

 治らないかもしれない相手。

 何を言っても、上っ面だけの言葉になりそうだ。


 ナナホシは、不安だろう。

 召喚魔術の方は順調だった。

 第一段階で少し詰まったが、第二段階、第三段階はうまくいった。

 第四段階もペルギウスに聞く限り、すでに方法は確立されている感じだった。

 第五段階はまだ分からないが、延長線上の話だ。

 あと1年か2年もすれば帰れる。

 そう思っていた矢先、いきなり癌を宣告されれば、不安になる。

 癌は不治の病ではなくなったとはいえ、しかし致死率の高い病気であることには変わりはない。


 いつかみたいに、暴れだしてもおかしくはない。


 けど、本当に治らない病気ってんなら。

 もう未来は無いというのなら、暴れるのもいいかもしれない。

 俺も付き合ってやろう。

 なんかこう、スカっとする何か……。


「私、もともと、あんまり体強い方じゃなかったのよね」


 俺が黙っていると、ナナホシは溜息を付くように言葉を発した。

 その声音は、俺が思っているよりも元気そうに聞こえた。

 だが、それが空元気であることは、明らかだった。


「病気がち……って程でもなかったけど、年に1回は風邪とか引いてたし」


 ポツポツと語りだした。

 俺はそれを、黙って聞く事にした。


「成績は良かったけど、別に運動とか出来る方でもなかったし。どっちかというと、インドア派だったし」


「こっちの世界って、あまり医学って発達してないじゃない?」


「知ってる? こっちの世界の人って、魔術があるせいか知らないけど、傷口を洗う事すらしないのよ? それで手遅れになって死んだり、手足を切り落としたりする人が大勢いる。馬鹿よね。ちょっと飲水で傷口を洗うだけで予防できるのに」


「私、自分が魔術を使えないってわかってから、結構色々予防してたのよ。病気をうつされないために、人のいる所に行かないとか。よくわからない食べ物は食べないとか」


「確かに、あなたから見ると不健康に見えたかもしれないけど、一応、部屋の中で運動もしてたし、自分なりに気をつけてたつもりだったのよ」


「だって、病気とかしたら、治らないかもしれないし」


「ていうか、病気になったら、多分、治らないだろうなって思ってたし」


「だって、掛かるとしたら、私の知らない病気だし……」


「……大体さ、この世界って、おかしいじゃない?」


「なんか、自重で潰れちゃいそうなぐらい大きな獣は出るし、魔術か何かしらないけど、物理法則は無視するし」


「そりゃ、私だって、来たばっかりの頃は、ちょっとは面白いなって思ったよ?」


「私だって、結構ゲームとかやるし、剣と魔法とか、嫌いじゃないし。ワクワクしなかったって言ったら、嘘になる」


「あなたみたいに、この世界で生きていけるのは、ちょっとうらやましいなって思ったことも……」


 そこで、ナナホシはふと、言葉を切った。

 肩が震えた。

 ゆっくりとこちらを向く。

 その顔は、クシャクシャに歪んでいた。

 真っ赤な目には、大粒の涙が溜まっていた。


「死にたくないよ」


 ぼとりと涙が落ちた。

 決壊した。


「こんな所で、死にたくない! 

 こんなおかしな世界で死にたくない!

 なんで! なんでよ!

 おかしいよ!

 ねえ知ってる!?

 あたし、8年前から何も変わってない!

 背も伸びてない、髪もそのまんま!

 お腹は減るし、ご飯も食べてうんちもするのに、爪も伸びなきゃ、生理もこない!」


 ナナホシはすぐ側にあった水差しを掴んで、投げた。

 水差しは壁にぶち当たり、大きな音を立てて割れ、床を水浸しにした。


「私はこの世界の人間じゃない!

 この世界では生きてない!

 死体みたいになってる!

 なのに、なんで!

 なんで病気にだけ掛かるの!

 おかしいじゃない!

 なんで私がこんな目に合わなくちゃいけないの!

 死にたくない!

 こんな、こんな変な世界で死にたくない!」


 ナナホシはボロボロと涙をこぼしながら、喚いた。


「だって、私まだ、キスすらしたこともないのよ!

 好きな人もいるのに、好きだって言えてもない!

 羨ましいわよ! あなたが!

 毎日楽しそうで、充実してて!

 なんなのよ!

 お父さんが死んだって!?

 お母さんが病気で大変だって!?

 だから何よ! いいじゃない!

 私はこのままじゃ、お父さんの死に目にすらあえない!

 私が死んでも、お母さんはそれを知ることすらできない!

 会いたいよ! お父さんに! お母さんに!

 覚えてる! あの日の朝の事。

 お父さん、今日は早く帰ってくるって言ってた。

 お母さん、今晩は秋刀魚を焼くって言ってた。

 私はお父さんに、友達が来るから遅くなってもいいとか言って、

 お母さんに、もう秋刀魚は飽きたって文句言って、

 なんで、あんな事。

 きっと、お父さんも、お母さんも、心配してる。

 会いたい、帰りたい。

 死にたくない。

 こんな所で死にたくない……うっ……ひっく……」


 ナナホシは膝を抱えて、顔を埋めた。

 もう言葉は無かった。

 聞こえてくるのは嗚咽だけだ。

 ひっくひっくという嗚咽と、悲痛な泣き声だけだ。


「……」


 胸に刺さった。

 俺は、ナナホシの辛さが分かってしまった。


 この世界に来た当初だったら、きっと響かなかっただろう。

 会いたい、帰りたい。

 家族に会いたい。

 そんな事を言われても、俺はきっと分からなかっただろう。

 そんなものは忘れて、この世界を愉しめばいいとか、そう思ったかもしれない。


 けど、今は違う。

 帰りたいという気持ちも、会いたいという気持ちもわかる。

 何気ない日常ってのは、大切なものだ。

 なくなってからでは、取り返しが付かないのだ。

 ……()なくなってからでは、取り返しが付かないのだ。


 パウロは死んだ。

 ゼニスも記憶は戻らないかもしれない。

 ブエナ村での、あの暖かい家族は、戻ってこない。

 俺はこれから、自分の家族と、生活を守っていかなきゃいけない。

 シルフィ、ロキシー、ルーシー。

 リーリャ、アイシャ、ノルン、ゼニス。

 彼女らと離れ離れになったら、きっと胸が裂けるほど辛いだろう。

 彼女らの誰かがいなくなったら、きっと死に物狂いで探すだろう。


 もし、俺が今のまま、元の世界に戻ってしまったら。

 例えそこで、今のような魔術を使えて、どれだけちやほやされても。

 俺はこの世界に戻る事だけを考えるだろう。


「ヒッ……ヒック……」


 ナナホシは膝を抱え、震わせている。


 彼女はクリフともザノバとも、シルフィとも、必要以上に仲良くはしなかった。

 けれど、俺の言葉は拾ってくれた。

 俺の頼みも聞いてくれたし、俺の開催する催し物にも参加してくれた。

 記憶をたどってみても、彼女に邪険にされた事は、あまりない。


 ナナホシは、俺と日本語で話すとき、うれしそうにしていた。

 彼女にとって日本語を喋れる俺は、唯一の癒しだったのかもしれない。


「誰か、助けてよ……」


 ナナホシの小さな声に。

 俺は立ち上がった。



---



 円卓の間に戻ると、ペルギウスはまだそこにいた。

 他の部下はいなかった。

 ただペルギウスだけが、俺を待っていたかのように、そこにいた。


「どうした?」

「……俺も動きます。ペルギウス様の業務に支障が無いレベルでサポートをいただければありがたく思います」


 そう言うと、ペルギウスは大仰に頷いた。


「ほう、動くか。貴様が。よかろう。我としても、ナナホシが死ぬのは、忍びないからな」

「ありがとうございます」


 しかし、どうするべきか。

 大昔、7000年も前に根絶した病気、その治療法。

 皆目、見当もつかない。

 解毒や治療魔術で治らないのは間違いない。

 それで治るなら、ペルギウスだってそうしているはずだ。


 魔道具。

 これもできるかどうかはわからない。

 体の中への作用というのなら、クリフの魔道具が近いかもしれない。

 だが、今のところ、クリフの魔道具はエリナリーゼ専用だ。

 エリナリーゼの容態を見つつ、少しずつ調整している。

 効果は出ているが、完成はしていない。

 あるいは、ナナホシ相手でも、少しずつ調整すれば、病気を抑えることはできるかもしれない。

 だが、体を調べ、体調の変化を確認しつつ調整していく時間は、おそらくナナホシには無い。

 今回は血を吐いた。

 表面的な症状は治ったが、きっとすぐに再発する。

 そして、次は即死するかもしれない。

 また、時間を停止している状態では、実験もできまい。


 魔道具はダメだ。

 いずれ作るのはいいかもしれないが、今はもっと即効性のある治療法が必要だ。


 治療法。

 誰か知らないのか。

 例えば、人神とか、オルステッド。

 あのあたりなら知らないだろうか。


 人神とは連絡が取れない。

 今晩寝れば、あるいは助言の一つもくれるかもしれないが。

 しかし俺の側からコンタクトを取ることはできない。


「ペルギウス様。龍神オルステッドに連絡は取れないでしょうか」

「不可能だ。奴がどこにいるかなど、把握しておらん」


 オルステッドとも、連絡は取れない、か。


「だが、おそらく、奴も知らんだろう。奴が現れたのは約100年前、賢い男であるが7000年前の病気の事など、知るまい」


 オルステッド、100歳ぐらいなのか。

 もっと長生きしていると思ったが、ペルギウスに比べると、まだまだ若いのか。

 いや、俺よりは十分年寄りだが。


「そうですか、しかし7000年前の事を知っている人物となると……」


 いや、まてよ。

 7000年前。


 一人いたな。

 そのぐらいの長さを生きているであろう人物が。

 病気のことについて詳しい印象は無かったが……。

 しかし、話を聞くだけなら、タダだ。


「一人、心当たりがあります……」

「ほう」


 そもそも、見つけられるかどうかもわからない。

 前に会ったのは偶然だった。

 偶然会ってそのまま別れた。

 繋がりは無い。


 しかし、何かしなければいけない。

 何もしなければ、何も起こらない。


「俺を魔大陸に送ってもらう事は、可能ですか?」

「魔大陸? どうするつもりだ?」


 俺が会ったのは、過去に一度だけ。

 ロキシーも会ったらしいが、今はどこに居るのかわからない。

 だが、彼女の名前は昔から知っていた。

 まだフィットア領があった頃、歴史の勉強をして、覚えていた。

 一度会った後も、忘れたことはない。


「魔界大帝キシリカ・キシリスを訪ねてみようと思います」


 7000年前。

 人魔大戦を勃発させた人物の名前を。


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― 新着の感想 ―
人種族の魔力向上ってもしかしてラプラスや他龍族の転生用の因子が関係してるのかな
[一言] 古龍の物語読むとキシリカキシリスの偉大さや、召喚魔法もとい転移魔法の盟約がなぜこうなっているのか、ラプラスとペルギウスの因縁、ドーラの名の意味…全てが深みを持っていることが感じさせられますね…
[良い点] たまにナナホシが登場する話を読み返す。 これでもう7回目だろうか。 なんというかナナホシは絶望して慟哭しているのが非常に似合う。天性のヒロイン体質なのかもしれない。
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