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無職転生 - 異世界行ったら本気だす -  作者: 理不尽な孫の手
第14章 青年期 日常編
148/286

第百三十五話「トレーニング・ウィズ・ノルン」

 一ヶ月が経った。

 まだまだ寒いが、雪が解け始め、地面が露出するようになってきた。



---



 朝。

 隣に寝ているシルフィを起こさないように、そっとベッドから出る。

 シルフィは俺の腕枕を好むため、腕を抜く時は注意が必要だ。


 隣室にて、トレーニングウェアに着替える。

 ジャージのようなラインの入ったウェアは、シルフィが選んだものだ。

 冬場だと少々寒いが、運動をすればちょうどよくなる。


 着替え終わったら、部屋の隅に置いてある石剣を手に取る。

 この不格好な石剣は俺の魔術によって作られたものである。

 刃こそついていないものの重量があり、パワーのある義手と相性がいい。


 素振り用の剣として魚の名前でも付けるか。

 マグロとかカジキとか。

 そういえば、この世界にきてから刺し身を食ってないな。

 魚を生で食べる文化は無いのだろうか。


 用意ができたら、寝ているシルフィに、行ってきますの挨拶をする。

 頭をひとなで。


「んふふ……」


 すると、シルフィは満足気に笑いながら、俺の手に頭を擦りつけてきた。

 寝ぼけているのだろう。

 可愛い。


 ふと見ると、毛布がめくれてしまっていた。

 パンツに包まれた尻も見えていたので、そこもひとなで。

 出産を経験した割に小さい尻だ。

 エリナリーゼもスタイルがいいし、長耳族ってすごい種族だよな。


 などと思いつつ、毛布を掛けなおしてやる。

 最近、夜の生活を再開したが、あんまり早く二人目が出来たらシルフィも大変なので、控えめにしている。

 それでも出来る時は出来てしまうだろうが、それも自然の営みというものだ。


「んぅ……ってらっしゃい……」


 部屋を出る時、そんな声がした。

 いってきます。



---



 向かう先はノルンの部屋だ。

 最近、朝は彼女と共にトレーニングをしている。

 ノルンが家にいる時は家の庭で、寮にいる時は俺が出向いて学校の中庭で。

 今日はノルンが家にいる日だ。


「ノルン、準備はできてるか?」


 ノックをして扉を開ける。


「あ、兄さ――」

「おっと失礼」


 着替え中だったので閉める。


 ノルンの体はまだまだ幼い。

 俺は幼い体も幼くない体も大好きだが、妹相手には興奮はしない。

 それは少し残念だが、ほっとしている。

 性欲無しで愛せるというのは、やはり特別な感じがする。


 しかし、この妹がいつか誰かのものになると思うと、なにやら薄暗い感情が芽生えてくる。

 これが父心というものなのだろうか。


 悪くない。

 俺はパウロの代わりだ。

 パウロの代わりに『貴様のようなどこの馬の骨ともわからん奴にノルンはやれん』と言う係だ。


「もう、ノックしたらちゃんと返事を待ってください」


 などと考えていると、体操着姿のノルンが木剣片手に出てきた。

 色気も何もない、長袖長ズボンの上下。

 魔法大学指定の体操着である。

 大学の購買に売っていたので買い与えたものだ。


 彼女の部屋をのぞくと、壁の高いところにパウロの剣が飾られていた。

 生前であれば、仏壇の近くに顔写真がおいてある所だろうが、この世界に写真は無い。

 場面を写しとる魔道具も探せばあるかもしれないが、普及はしていない。

 なので、ああして死者の遺品を飾って、仏壇代わりにするしかない。


「ノルン、ちょっと部屋に入ってもいいか?」

「え? いいです、けど?」


 許可を得てから中に入る。

 すると、鼻の中にいっぱいのノルンの香りが広がった。

 朝特有のベッドルームの匂いだ。

 近くには、シーツに皺の出来たベッドがある。

 飛び込んで匂いをかげば、胸一杯のノルンになるだろう。

 しないが。


 俺はパウロの剣の前に立ち、手を合わせる。


「父さん。今日もノルンと剣の稽古を行います。

 大きな怪我などしないように、見守っていてください」


 そういって頭を下げる。

 パウロならどう言い返してくるだろうか。

 怪我をしてナンボだ、と言うだろうか。

 それとも、ノルンは怪我をさせるな、と言うだろうか。


 ふと見ると、ノルンもミリス教式に手を組んで、膝をついていた。


「じゃあ、行こうか」

「はい、今日もお願いします」


 今日もノルンとの稽古が始まる。



---



 柔軟体操。

 ランニング。

 素振り。

 剣の稽古と言っても、今のところは基礎鍛錬ばかりだ。

 この数ヶ月、ノルンにはみっちり基礎鍛錬を積ませてきた。


 みっちりと言っても、俺と同じメニューをやるとノルンが潰れてしまう。

 ゆえに、俺の5分の1程度から始めさせている。

 ノルンはまだ十歳で、体もできていない。

 いきなり無理をさせても体を壊すだけだ。

 ノルンに庭で素振りをさせている間に、俺は自分の筋トレを済ませてしまう。


「25……26……!」


 単調な訓練であり、単純であるがゆえに根を上げやすい所だが、ノルンは今のところ弱音を吐いていない。

 そのことを俺は嬉しく思う。


「――50!」

「よし、お疲れ様」

「はぁ……はぁ……お疲れ様です!」


 稽古が終わったら、風呂場でノルンと水浴びだ。

 ノルンはランニング中によく転ぶので、膝などに傷や痣が残っている場合もある。

 その場合は治癒魔術を掛けてやる。

 妹の膝小僧に痛いの痛いのとんでけと魔法を掛けるわけだ。


 ノルンはどうやら俺に裸を見せるのは嫌らしく、パンツと薄手のシャツを着用している。

 思春期なのだろう。

 一瞬で全裸になるアイシャにも見習わせたい。


 俺もそれを考慮して、パンツを履いて水浴びをする。

 それにしても、シャツが水に濡れて透けているのを興奮する男もいる、という事を教えたらどんな顔をするだろうか。

 ちょっと見てみたいが、口には出さない。

 一緒に浴びてもらえなくなったら寂しいしな。

 お兄ちゃんが変態だと思われたら大変だ。


「今日も、ランニングと素振りだけなんですね」


 などと考えていたら、ノルンが口を尖らせていた。


「いつになったら剣術を教えてくれるんですか?」

「してるじゃないか」

「素振りだけじゃなくて、型とか技とかです」


 俺はノルンに走り方と素振りの仕方を教えた。

 走り方と素振り。

 体力と、筋力を付ける方法だ。

 その二つがなければ、型や技なんか覚えても意味はない。

 そう思っての事だ。


「……そうだな」


 この数ヶ月で、少しは体も出来てきただろうか。


 そう思ってノルンの体を見る。

 成長過程にある小さな体だ。

 鍛錬を始める前より、腕と足に筋肉がついてきただろうか。


 まだまだ体ができているとは言いがたい。

 だが、怪我をしない程度には出来上がってきた気がする。

 そろそろ、最初の型を教えてやってもいいかもしれない。


「そうだな。じゃあ、今日の放課後から、本番だ」

「……っ! はい!」


 そんな会話をしつつ、風呂場から出た。



---



 時刻は夕方。

 場所は魔法大学の敷地の端。

 第三外部修練場――ありていに言えばグラウンドの隅の方に立っている。

 運動のしやすいよう、いつも使っているトレーニングウェアを身につけて。


 目の前にいるのはノルンだ。

 俺と同じように体操着に身を包んでいる。

 木剣を手にして、顔は真面目の一文字だ。


 周囲には、まばらだが人影がある。

 自主練をしているローブ姿の生徒や、単に散歩をしている生徒。

 また、こんな時間に体操着で何をしているんだと興味深そうに見ている野次馬もいた。

 人に見られていても問題は無い。


「ノルン。今日から本格的な剣術の稽古を始める」

「はい」


 ノルンは元気よく返事をした。

 その顔は期待に満ちている。

 はやく技を習いたい、そんな想いが溢れている。

 たかだか数ヶ月の事であるが、基礎訓練ばかりの生活はノルンにとっては辛いものだっただろう。

 しかし、剣を持ち、戦うという事は遊びではないのだ。

 基礎は大事だ、何事も。


「最初に言っておくが、厳しくするつもりだ」

「はい」


 ノルンは真面目な顔で頷いた。


「続けていくうちに、お前は俺の事が嫌いになるかもしれない。お兄ちゃんは私の事が嫌いだからこんなに厳しくするんだ、と思うかもしれない。それぐらい厳しくするつもりだ」

「はい」

「正直、俺はお前に嫌われるのは辛い。

 だが、生兵法は怪我の元、という言葉もある。

 半端なものを教えてお前が死んでしまったら、

 俺は天国の父さんに顔向けが出来ない」


 ノルンに剣の才能は無い。

 俺は十歳の頃のエリスを知っているが、それほどの才能は無い。

 一般レベルより大きく劣るわけではないだろう。

 しかし強さというのは相対的なものだ。

 戦えば強い方が勝ち、弱い方が負ける。

 負ければ死ぬのだから、負けてもいいなどとは言えない。

 ノルンが大半の相手に勝てるようになるには、相応の努力と辛い訓練、そして工夫が必要だ。


「いずれ、辛かったり、うまく出来なかったり、自分より才能溢れる誰かに追い越されたりして、やめたくなる日も来るだろう」

「……」

「そういう奴の気持ちは、俺もわかるつもりだ。誰かが何かを投げ出したって、俺は責めない」

「……」


 ノルンは、口をへの字に結んでいた。

 彼女から見ると、俺は才能溢れるスーパーマンかもしれない。

 そんな奴が何を言っているんだと思っているんだろう。

 確かに、俺のこの体は才能に満ちている。

 だが、俺は色んな相手に負けてきた。

 死に掛けたこともある。

 ノルンには、死にそうな目には極力あってもらいたくはない。


「けど、剣術は絶対に投げ出すな。

 もし投げ出したなら、俺はお前に二度と剣を教えないし、

 父さんの形見の剣も絶対に使わせない」

「……」

「お前が投げ出さないうちは、俺は決してお前を見捨てない」


 ちょっと臭かっただろうか。

 そもそも、今言った事を自分は守れているのだろうか。

 いや、俺は剣術で強くなる事は諦めたが、それでも毎日トレーニングはしているのだ。

 自分を棚に上げてはいないはずだ。


「わかったか?」

「はい! よろしくお願いします!」


 ノルンは元気のいい声で返事をした。

 頬を上気させ、やる気に満ちた表情で俺を見上げている。

 俺が小さかった頃、パウロから見た俺も、こんな感じだったのだろうか。


 となると、いずれノルンも、俺の手を離れて、誰か別の師匠を見つけるのかもしれない。

 堂々と初級を名乗れるぐらいになったら、ギレーヌあたりを呼びつけてもいいかもしれない。

 どこにいるのかは知らないが。

 西の方に剣の聖地と呼ばれる土地があるし、募集を掛ければ剣聖ぐらいの人が来てくれるかもしれない。


「よろしい。では、まずランニングからはじめる」

「えっ? 剣を使った訓練をするんじゃないんですか?」

「ああ。もちろんだ。剣を持って走る。戦場では、常に剣を手にしているからな」

「……」

「返事は!」

「はい!」


 今日のメニューは、ランニング。

 基礎となる三つの型。

 そして俺との乱取りだ。


 俺はまず、剣術が怖いものだと教えるつもりだった。

 怖くて、痛いものだと。

 痛くなければ覚えませぬ、なんていうつもりは無い。

 だが、怖さや痛さは、最初に教えておかなければいけない、そう思ったのだ。


 もしかすると、ノルンは泣いてしまうかもしれない。

 一発で俺の事を嫌いになってしまうかもしれない。

 しかし、心を鬼にしなければならない。

 こういう事は、楽しく続けるだけではダメなのだ。

 楽しいだけだと、いざという時に何も出来ずに死んでしまうから。


「よし、付いて来い!」

「はい!」


 少々の不安を持ちながらも、俺は走り出した。



---



「よし、今日はここまでだ!」

「お、お疲れ様でした……」


 まぶしい夕日の中、ノルンは荒い息を付いて地面に倒れこんだ。


「今日教えた型は、朝でも昼休みでもいい、俺がいない時でも、時間のあるときに反復練習するように」

「は、はい」


 初日の訓練はまずまずの出来だった。

 ランニングから帰ってきて、型を教える。

 そして、実際に木剣を使った殴り合いの練習だ。

 その際に、足運びや、姿勢などを正していく。


 前世における剣道なら、もっと色んなことをするのだろう。

 だが、この世界にはルールは無く、喧嘩というものは、場数が物をいう。

 実際に、パウロも早い段階から、俺を叩きのめしてくれた。

 ギレーヌも、打ち合いを重点的にさせていたように思う。

 だから、間違ってはいないはずだ。


 しかし、ノルンはどうにも木剣で相手を殴ることに抵抗があるようだった。

 なので、まずその抵抗をなくすため、ノルンに俺に自由に打ち込ませた。

 俺は防御もせず、ただ急所だけは避けてそれらを受けた。


 手に伝わってくる感触に顔をしかめるノルンに向かい「俺は殴られても平気だ」というポーズをとり続けた。

 この数ヶ月、素振りだけはしっかりさせていたため、ノルンの攻撃にはある程度の重さがあった。

 ゆえに、俺の体には赤黒い痣が多数残っていることだろう。


 その後、予定通りの乱取り稽古だ。

 俺は予定通りノルンを叩きのめして、この日の稽古は終了となる。

 もちろん手加減はした。

 けど、それでも彼女の手足には多数の痣ができているはずだ。

 可愛い妹に痣をつける。

 本当にこれが正しいのか、そんな気持ちになる。


 だが、ノルンは最後まで、俺に対して剣を振り続けた。

 泣きもせず、弱音も吐かなかった。

 やる気のあるうちは、どんな事でもプラスになる。

 そう思いたい。


「どうだノルン。痛いか?」

「……はい」

「辛くてやめたいか?」

「…………いいえ、明日も、お願い、します」

「よし」


 正直、俺は自分の教え方に自信は無い。

 魔術は学問とするなら、剣術はスポーツだ。

 きっと正解など無い。

 ただ、続けなければうまくはなれない。


「おいで、治癒魔術をかけてあげよう」


 俺はノルンを座らせて、治癒魔術を掛けてやる。

 もし、見えない場所に痣ができていたらシルフィにでも治してもらうか。

 今日はうちに帰ってくる日だったはずだから、一緒に風呂に入って俺が治してやってもいい。

 そう思って、ノルンに近づいて上着を脱がした所で、ふと後ろに気配を感じた。


「ん?」


 振り返ってみると、夕暮れの中、数名の男子生徒がこちらを見ていた。

 いつ頃からいたのだろうか。

 思い返すと最初からいたかもしれない。

 野次馬だと思っていたが、しかしこんなに長い時間たむろっているのを見ると、何か別の理由があるのだろうか。

 俺に用事とか。


「ノルン。先に着替えて待っていなさい。今日は一緒に帰ろう」

「え? あ、はい。わかりました」


 俺は手早くノルンを治療すると、彼女を更衣室に急がせた。

 そして、数名の男達に近づいていく。


 数名だと思っていたが、近づいてみると2桁に上る人数が立っていた。

 どいつもこいつもモテなさそうな顔をしていて親近感がわく。

 俺はすでに二人も嫁がいるリア充なのだが、彼らを下に見るつもりはない。

 こいつらは、前世の俺だ。


 彼らは俺が近づいていくと、敵意に満ちたまなざしを送ってくる。

 真っ直ぐ見返すと、数名が目を逸らした。

 なんなんだろうか。


「何か用でも?」


 そう聞くと、彼らは顔を見合わせた。

 どうするよと小声で言い合い、互いの背を押し合う。

 やがて、一人の男が前に出てきた。

 年のころは18歳ぐらいだろうか。

 背丈は俺と同じ程度、ひょろっとしていて不健康そうな感じだ。

 目つきはやや悪く、頬骨が出っ張っている。

 魔術師っぽい感じだな。

 眼鏡をかければザノバに似てない事も無い。

 もっとも、ザノバは意味不明な自信に満ち溢れている。

 この男から溢れているのは、コンプレックスだ。


 彼は俺をキッと睨んで口を開いた。


「なぜノルンちゃんをイジメるんだ?」

「……うん?」


 イジメ。

 いやな単語を聞いて、自分の眉が寄るのがわかる。

 彼は俺の顔を見てビクリと震えた。

 しかし、言葉は続く。


「確かに、ノルンちゃんは鈍臭くて、よく失敗する。

 その失敗があんたの気に障ったのかもしれない。

 でも、いつも一生懸命やってるんだ。

 あんなになるまで痛めつける必要は、ないんじゃないか?」


 そうだそうだ、と周囲が言った。


「大体、ノルンちゃんは剣なんて持った事がないんだ。

 それなのに、無理やり剣を持たせてしごくだなんて。

 いくらなんでもあんまりじゃないか」


 そうだそうだ、と周囲が騒いだ。


「ふむ」


 言葉をそのまま受け止めるなら、

 俺がノルンに無理やり剣をもたせ、

 稽古にかこつけて鬱憤晴らしをした、とでも考えられているのだろうか。

 心外だが、そう見えなくもない光景だったかもしれない。

 俺の教え方も、うまくはなかっただろうしな。

 とにかく、この誤解は解かなければいけない。


「それは――」

「あんたがこの学校で一番強いって事は知ってる。でも、ノルンちゃんに酷いことをするなら、僕らだってノルンちゃんを守るために戦うつもりだ」


 と、先頭の男は決意に満ちた声音でいう。

 だが今回は「そうだ、そうだ」という声は小さかった。

 むしろ、「いや、俺は戦いまでは」という小さな声も聞こえてきた。


 ……そうだ。

 誤解を解く前に一つ確認しておかなければならない事がある。


「そもそも、あなた方は何なんですか?」

「えっ!?」


 男は素っ頓狂な声を上げると、背後を振り向いて、仲間と顔を見合わせた。

 再度俺を見て、困ったような顔で聞き返してくる。


「何って、なんだ?」

「うちの妹とはどういったご関係なんですか?」

「い、いや僕らは、ノルンちゃんが一年生の時から、一生懸命だったから、ずっと見てて。頑張れって応援してる感じで――」


 しどろもどろになって答える男。

 彼に続く感じで、周囲の奴らも口々に言い出した。


「俺は半年前に見かけて――」

「実習で一緒だったんだけど、火魔術で何度も失敗してて――」

「魔術教練で教官に叱られているのを見て、涙ぐんでるのを見て、思わずさ――」


 彼らの言葉はつたなく、要領は得なかった。

 だが、理解は出来た。


 彼らは実習や授業でノルンを見かけ、

 何かに挑戦しては失敗して涙目になるノルンを見てほっこりしたり、

 さりげなく助けたりしてあげている集団。

 つまり、あれだ。


 ファンクラブだ。


 そういえば、シルフィからそんなものがあると聞いていた気がする。

 まあ、ノルンは可愛いからな。

 その気持ちはわかる。

 以後も我が妹を応援してもらいたいぐらいだ。


「なるほど。事情はわかりました。

 いつも妹がお世話になっております。

 兄のルーデウス・グレイラットです」

「ええっ!?」


 俺が深く頭を下げると、彼らはどよめいた。


 彼らはノルンのフォロワーだ。

 彼らの中の一部は、一歩間違えれば暴徒やストーカーと化すかもしれない。

 けれど、大半は純粋な気持ちで応援している人々だ。

 なら、兄としても敬意を払う必要があるだろう。


 しかし、敬意は敬意として。

 誤解だけは解いて置かなければならない。


「先ほどの剣術の稽古ですが、

 確かに厳しかったかもしれません。

 しかし、他の事ならばまだしも、剣術は命に関わる事です――」


 説明を始める。

 剣術はノルンが言い出して始めた事。

 生半可な覚悟では危ないと思っている事。

 ノルンは人一倍頑張らなければいけない事。


 最初は戸惑っていた彼らも、俺の話を聞いて理解してくれた。

 「あんなにノルンちゃんを強く叩く必要なんて……」と言っている奴もいる。

 もちろん、俺も自分のやり方が絶対に正しいと思っているわけでない。

 とにかく、私怨でやっているわけではないと分かってもらえればいい。


 説明を続けると、ファンクラブの面々は神妙な顔になった。

 そういう事なら、と納得しかけた。

 彼らはまだ若いが、この世界では成人した大人だ。

 戦うことの厳しさはわかってくれているらしい。


「兄さん、どうしたんですか」


 と、そこにノルンが帰ってきた。

 いつものブレザー姿に、ポンチョのような防寒具を身につけている。


「ああっ、ノルンちゃんだ」

「ノルンちゃん! 今日も可愛いね!」

「お疲れ様ノルンちゃん!」


 ノルンが来た瞬間、ファンクラブの面々が途端に気持ち悪くなった。

 しかし、気持ちはわからないでもない。

 ブレザーの上からポンチョを羽織ったノルンは可愛い。

 それは間違いのない事だ。

 葉っぱの傘を持たせたくなるような可愛さなのだ。


「あっ、先輩方……お、お疲れ様です」


 ノルンはビクッと体を震わせて、頭を下げる。

 しかし、あまり近くには寄ってこない。

 やはりこの異様な雰囲気は感じ取れるのだろう。


「に、兄さん。私、部屋に忘れ物をしたので取りに行ってきます、校門で待っていてください」


 ノルンは思いついたかのようにそう言うと、寮へと走っていく。

 その途中でずだんとコケた。


「くっ……」


 ノルンはのそのそと起き上がる。

 そして、チラリとこちらを振り返る。

 その目には、一瞬光るものが見えた。


 まったく、しょうがないな。

 体を酷使した後に走るからだ。

 家に帰ったら、筋肉痛がひどくならないように、きちんとマッサージでもしてやろう。

 風呂にもゆっくり浸からせて、疲れを取ってあげなくっちゃな。


「……ああ、ノルンちゃんは可愛いなぁ」

「一生懸命走って、スカートの奥が見えちゃうよ」

「制服が決められた時はなんでと思ったけど、あの服、いいよなぁ」

「でも、走るの遅いね」

「そうだね、人さらいとかに狙われても、逃げられないんじゃないかな」

「もしノルンちゃんが奴隷になってたら、僕が買うよ」

「ノルンちゃんとふたりきりの生活……はぁ……はぁ……」


 うん。

 そうだな、もしノルンが奴隷になっていたら間違いなく買うだろう。

 そして、お腹いっぱいの御飯を食べさせてあげるんだ。

 満腹にさせて、残しちゃいけないって無理に食べようとするノルンの焦った困り顔を……。


 ハッ。

 いかんいかん。

 そうじゃねえ。

 ノルンは俺の妹だ。

 誰が奴隷なんかにさせるか。

 ノルンがさらわれたら、俺は草の根を分けても探しだして、さらった奴をぶちのめしてやる。

 ノルンが奴隷になってたら、買ったやつを見つけ出してひどい目に合わせてやる。


「こほん!」

「はっ!」


 咳払いをすると、妄想を垂れ流していたファンクラブの面々が我にかえった。


「あまりウチの妹を変な目で見ないでいただきたいものですね」

「す、すまない」

「まあ、ノルンは可愛いので、遠目に見て妄想するぐらいは構いませんけどね」

「そ、そうかい?」


 場に、ほっとしたような空気が流れる。


「でも、実際に手とか出したらタダじゃおかねえ」

「ヒッ」


 一応、釘を刺しておく。

 一応、オイタをしそうなワンパクそうな奴は面々にはいないし、こういう会というのは基本的に抜け駆け禁止だろう。

 けど、人間思いつめると何をするかわからないからな。

 いきなり発狂してノルンに襲いかからないとも限らない。


「そういえば、クラブの規約はどうなっています?」

「えっ? クラブ? 規約?」

「そうです。このファンクラブの規約では、ノルンとの接触はどこまでオッケーなんですか?」


 大事な部分だ。

 アイドルへの接触は基本的に禁止だと思うが、一部では握手ぐらいならオッケーとみなす場合もある。

 その場合、手のひらに変なものを付着させてくる奴もいるだろう。

 ガムとかウニとか。

 握手会の前には綺麗に手を洗うこと、という約束をつけ加えたい。

 などと思ったのだが、


「ファンクラブ?」

「ん?」


 会話に齟齬を感じた。

 ファンクラブや、規律という言葉への反応が悪い。

 正規のファンクラブなら、ちゃんと約束事があるはずだ。

 クラブ員なのに、知らないのだろうか。


「ちょっと待って下さい、この集まりを仕切ってるのは誰なんですか?」

「仕切って……? いや、そういうのはいないけど……」

「……どういうことですか? 説明してください」


 詳しく聞いてみる。

 すると、おかしな事実がわかった。

 どうやらこのサークルは、誰かが言い出して始まったものではないらしい。

 ノルンの可愛さを見て、自然と集まったグループらしい。

 グループ内では、互いの名前も知らないという。


「なるほど」


 非常に危険な事だ。

 なんせ、ノルンの事を可愛いと思っている不特定多数が徒党を組んでいるのだ。

 人は徒党を組むと、一人では出来ない事をやらかしてしまう。

 例えば可愛いノルンをさらって、自分達の部屋に連れ込んだりとかだ。

 ノルンちゃんが可愛いのが悪いんだ、とか言い訳しながら。

 なんてことだ!


「このままでは、犯罪が起こります」

「犯罪って、そんな……僕らはただ……」

「間違いありません。誰かが暴走して、ノルンに手を出してしまいます」


 そう言うと、彼らは口々に騒いだ。


「そんな馬鹿な!」

「僕らはノルンちゃんに手を出すつもりなんて!」

「そりゃ、ノルンちゃんは好きだけど、それは妹みたいな感覚っていうか……」


 なんだとこのやろう。

 ノルンは俺の妹だ。

 ……いや、今はそれはいい。


「ルールを作る必要があると思います」


 集団での犯罪を防ぐためには、規律が必要だ。

 ルールを決めて、互いに監視させあうのだ。

 人はルールがあれば、それを守ろうとするものだ。

 同じ服と同じマフラーを着用して出待ちしたりな。


 ルールとは歴史が作るものだ。

 長い歴史の中で、必要に応じて作られていくものだ。

 このファンクラブは歴史が浅く、まだルールが出来上がる前なのかもしれない。


 だが、ルールが無いのは危険だ。

ノルンが危険だ。

 今のうちに、ルールを作っておかなければなるまい。

 何か起きてからでは遅いのだ。


 最低限、最初に誰かが決めなければならない。

 問題は、誰が決めるかだ。

 やはり発足人、リーダーが決めるのが適任だろう。

 だが、この連中にリーダーはいない。

 一番前に立っている奴は、きっとこの中では一番強そうだ。

 なら、彼にリーダーを任せ、ルールを決めさせるべきか。

 ……否。


 自覚のないやつにリーダーを任せてもロクな事にはならない。

 この中で一番自覚があるのは誰だ。

 この中で一番、ノルンを大切にしているという自覚があるのは。

 決まってる。


「よし」


 俺だ。

 ノルンは俺の妹だ。

 つまり。



 ――――俺がルールだ。



---



 甲龍歴425年。

 ラノア魔法大学にて、ある組織が発足した。

 ノルン・グレイラット公設ファンクラブ。

 総勢三十名に及ぶこの集団は、後の魔法大学に大きな影響を与えたとされる組織である。


 初代会長の名は明かされていない。

 一説によると初代会長は己の定めたルールを破ってノルンと一緒に水浴びをし、三日と経たずにその座を追われた。

 彼の名は組織の恥とされ、永久に名簿から抹消されたという。


 だが、初代会長の存在は決して悪ではなかった。

 その逸話は、ファンクラブに『鉄の掟』をもたらしたのだ。


 厳しくも堅苦しい鉄の掟。

 そんな掟を嫌い、ファンクラブを抜ける者も多くなった。

 だが結果として、ファンクラブの結束は強くなっていった。

 鋼のような結束はラノア王国騎士団でも噂になるほどであった。


 噂は噂を呼び。

 いつしか、ファンクラブの幹部は規律を守る礼儀正しき者とされた。


 彼らは卒業後、周辺諸国の騎士団や魔術ギルドに好待遇で迎えられたという。

学校の噂・その3

「番長が一声かければ30人ぐらいはすぐ集まる」

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