第百三十四話「三年生」
三年生初日。
目覚めてリビングに下りると、シルフィがいた。
彼女はルーシーに母乳を飲ませていた。
「あ、おはようルディ」
「おはようシルフィ」
子供が生まれて数ヶ月経過したが、産後の経過は順調だった。
母子ともに健康。
最近、シルフィがグッと女らしくなったように思う。
髪が伸びたせいか、子供を産んだせいか。
はたまた年齢を重ねた結果によるものか。
ハリウッド女優のような美女になりつつある。
何もせずに静かに座っている姿はまさに高嶺の花で、声を掛けるをためらわれるほどだ。
実際、声を掛けると甘え上手な俺のシルフィのままで、ほっとする。
「ルーシーは今日も元気だよ」
俺はルーシーを見る。
ルーシーは一心不乱にシルフィの胸にむしゃぶりついている。
昨晩の俺のようだ。
この辺は親子だな、うん。
ルーシーは健康的だが、おとなしい子だった。
やはり弟や妹と違い、自分の子供というものは特別であるらしい。
何かある度に、病気や何やらを疑い、言い得ぬ不安感に包まれるのだ。
その度に、シルフィやリーリャに「心配しすぎだ」と窘められた。
心配性な俺とは裏腹に、ルーシーはすくすくと育っている。
彼女はシルフィに似て大人しい性格であるのか、あまり泣かない子だった。
しかし、体は丈夫であるようだ。
そんなルーシーの様子を見て、リーリャがドキリとするような事を言った。
『ルーデウス様の小さな頃を思い出します』
転生者。
そんな単語が俺の脳裏を走った。
俺も前世ではちょっとよくない人間だった。
だから少し不安もあった。
この子は悪い男の転生者なのではないか、と。
そんな不安から、俺は娘に対して日本語や英語で話しかけるという凶行に及んだ。
生まれて間もない娘に向かって、
「とっくに気づいているんだろう? ここが異世界だって……」とか、
「you are My SunShine!! I am a pen!!」などと囁く親の姿。
実に滑稽だったろう。
その姿を影から見ていたアイシャが、クスクスと笑っていたものだ。
確証は無いが、ルーシーは転生者ではないと思う。
俺の言葉を聞いても笑いながら「あばー」だの「あぶー」だのという言葉を返すのみだ。
あるいは隠しているのかもしれないが、赤ん坊の真似が出来る大人はそうそう多くはあるまい。
もしそうだとしても、必死に赤ん坊の真似をしているのだとすれば、可愛いものではないか。
うん、ルーシーは可愛い。
一日中ベビーベッドの側にいても飽きないぐらいだ。
転生とかどうでもいいな。
仮にルーシーの中身が転生者であっても、大事に育てるだけだ。
パウロが俺にしてくれたようにな。
「今日もうちの子は可愛いな」
「そうだね、なんでこんなに可愛いんだろうね」
「ママが可愛いからだろうねぇ」
シルフィの首に後ろから手を回して、抱きしめてみる。
後頭部あたりに口づけを……するように見せかけて髪に顔を埋める。
ふわりと香るのはミルクの香りだ。
天然の香水だな。
「えへへ、ありがとルディ」
シルフィは俺の手をさすりながら、照れくさそうに笑った。
そして、俺の後ろに立つロキシーを見た。
「えっと……ロキシー。昨日のルディ、どうだった?」
ロキシーはピクンと震える。
「……えっ、あ。その、よくしてもらいました」
「ルディってそういう事になると荒々しくなっちゃうけど、怖くなかった?」
「いえ、怖くはありません。二度目ですし、ルディも優しくしてくれ……って、なんか、すいません」
「謝ることはないよ」
「……そうでしょうか」
「そうだよ」
二人はまだ少しぎこちないが、ギスギスはしていない。
いいバランスを保っている。
互いに仲良くしようという意志が見える。
こういう三人の関係というのは、三人の努力があって始めて成り立つものだろう。
特にシルフィには苦労を掛けている。
「ごーはーんー、ごーはーんー。あっさーごはーんだよー♪」
そこでアイシャが歌を歌いながらリビングにやってきた。
ヘタクソな歌だ。
即興で作ったのかもしれない。
天才肌のアイシャも、歌の才能は無さそうだな。
「おはようございます、お兄ちゃんに奥様方!
今日の朝食はいつもと大体同じでございます!」
見ると、緑色のスープと白いパン。
そして暖められた馬乳が用意されていた。
このあたりでは子供を産んだ母親に、乳をよく出すためにと、馬の乳を飲ませるのだ。
「アイシャ。朝食の内容は面倒くさがらずにきちんと説明なさい」
アイシャの後ろから入ってきたのはリーリャだ。
彼女もまた、厨房にいたらしい。
「ヨコ豆とお芋のスープと麦パン。
そして栄養たっぷりの馬乳でございます!」
その言葉を受けて、アイシャは得意げに朝食を説明する。
もちろん、毎日食べているものだから、聞かなくても知っているのだが。
しかし、こうしたものも形式として大事なのだろう。
「よろしい。では、少々お待ちください」
リーリャは満足げに頷いて、二階へと上がっていった。
「おまたせしました」
すぐにゼニスを連れて降りてくる。
ゼニスはリビングに入ってくると立ち止まり、俺をじっと見る。
そして、無言で己の席へと座った。
「……おはよう、母さん」
数ヶ月経った今でも、ゼニスの記憶は戻らない。
ただ、彼女は少しずつ変化している。
特に、ノルンといる時は顕著で、普段と違う行動を見せる。
ノルンの頭を撫でたり、手ずからご飯を食べさせようとしたりする。
まるで、2~3歳の子供を相手にするような、そんな感じだ。
やはり自分の娘には、何か思う所があるのだろうか。
それとも、少しずつ記憶が戻っているのだろうか。
もう少し様子を見た方がいいだろう。
「では、いただきます」
朝食はみんなで一緒にとる。
俺の右にシルフィ、左にロキシー。
テーブルを挟んだ向こう側にアイシャ、リーリャ、ゼニスと並んでいる。
もしここにノルンがいれば、ゼニスの隣に座る事になる。
特に席を決めた覚えはないのだが、そういう形になった。
「今日からボクも学校だから、ルーシーのことを頼みます」
「はい、シルフィエット様。お任せください」
シルフィも俺も、今日から復学だ。
俺は三年生で、シルフィは六年生だ。
学校に通っている間、子供の世話はリーリャとアイシャに任せることになる。
しかし、まだルーシーは乳幼児だ。
ママのおっぱいがなければ生きていけない。
そういった意味では俺も乳幼児みたいなものだが、それは置いておこう。
ともあれ、乳母を雇う事になった。
スザンヌという近所のおばさん(二児の母・元冒険者)だ。
一応俺の知り合いだが、この人については、ひとまず置いておこう。
「ご馳走様でした」
さて、学校だ。
---
「押忍!」
「おはようございます!」
「おつとめご苦労様です!」
「ごきげんよう、ボス!」
学校の敷地内に入ると、見知らぬ奴がやたらと挨拶をしてきた。
ガラの悪い奴ばかりだ。
俺も少しは貫禄のようなものが出てきたのだろうか。
まあ、これでも一児のパパだからな。
自覚はあまりできてないが。
「ちーっす!」
そう思っていると、一番ガラの悪い奴に挨拶された。
「ボス。おはようございますだニャ」
「フィッツとロキシー様もおはようなの」
リニアとプルセナだ。
こいつらは最上級生になってもあまり変わらない。
リニアは偉そうだし、プルセナはハムのようなものを齧っている。
「ボスったら朝から女二人も連れて登校とは、いいご身分だニャ」
「私たちを捨てて二人目を連れてくるなんて、ファックなの」
「あちしらも今年で卒業だから、誰か見繕うニャ」
「そうなの。今年は決闘するの。相手を見つけて故郷に帰るの」
鼻息が荒い。
どうやら両手に花な俺がうらやましいらしい。
シルフィやロキシーではなく、男の俺が。
群れのボスが。
ニューリーダ病の症状だな。
「二人とも頑張ってね」
シルフィも笑っていた。
彼女も言うようになった。
男が出来たからの余裕の笑みだろうか。
シルフィも二人とは長い、ある程度のフランクさも持ち合わせていた。
「申し訳ありません、横入りをしたみたいで」
しかしロキシーは、言葉を額面通りに受け取ったらしい。
二人に対して、ぺこりと頭を下げた。
「ニャ!?」
「うぇ!?」
すると、リニアとプルセナは見る間に慌てだした。
「あっ、違うニャ。あちしは別にそういう意味で言ったんじゃないニャ」
「そ、そうなの、あちしらの魅力がファックなのって意味で、ロキシー様を悪く言うつもりは無いの」
わたわたと謝罪する二人。
ロキシーは敬われるべき存在だから当然とはいえ、ちょっと気持ち悪いな。
こいつらだったら、ロキシーを見たら「こんなチンチクリンよりあちしらの方がマシニャ!」とか「魔族とかファックなの!」とか言いそうだ。
そんな事言ったら、俺も許さんが。
「フィッツも大変だろうけど頑張るニャ」
「ちょっと相手が悪いけど、フィッツなら頑張れるの」
ひとしきり謝った後、二人はシルフィの肩をポンと叩いた。
「え?」
「はやく二人目を仕込んでもらうニャ」
「一番上の地位を確立するの」
「なにが?」
シルフィは少し考えていたが、
やがて、「あ」と気づいて、困った顔をした。
「えっと、ルディはちゃんとボクのことも愛してくれてるよ?」
リニアとプルセナは、ぐすりと鼻を鳴らす真似をした。
「うう、健気だニャ」
「涙ぐましいの。フィッツは影が薄いから、三人、四人と増えていくと、
段々と窓際の方に追いやられていく不遇なタイプなの」
言いたい放題である。
俺は三人、四人と増やすつもりもないし、仮に増えたとしても、シルフィを窓際に追いやるつもりはない。
俺は自分の体を張って俺を助けてくれたシルフィを、ないがしろにするつもりはまったく無いのだ。
まあ、そりゃ、ロキシーの一件では嫌な思いさせたかもしれないけどさ。
「え、そんなことないよ……ね? ルディ?」
サングラスに隠れて、その表情はうかがい知れない。
けど、不安そうな声だった。
心中では、シルフィも不安なのかもしれない。
俺が安心させてやらなければいけない。
「当たり前さ」
俺はシルフィに抱きついた。
背中を撫でながら愛を叫ぶ。
こういうのは、人のいるところでハッキリ言った方がいいだろう。
「俺はシルフィを愛している!」
ドンと宣言すると、周囲から拍手が巻き起こった。
シルフィは俺の腕の中で耳まで真っ赤になっている。
「や、ちょ、ルディ。学校ではそういうのはやめよう」
「自分から聞いてきたくせに」
「そ、それだったらロキシーにも同じことをしてあげよう、ね?」
見ると、ロキシーが俺を見上げていた。
「……いえ、わたしは別に」
期待のこもったまなざしだった。
俺は迷わず、左手でロキシーを抱きしめた。
左手でロキシーを、右手でシルフィを。
ああ、凄い、これが両手に花か。
「二人とも愛してる!」
そういうと、一部の生徒からブーイングが巻き起こった。
どうせミリス教徒だろう。
いいんだ。俺はお前らと宗教が違うから。
お前らの言い分にも口出しはしねえから。
しかし、衆目を集めてしまったことで、シルフィが顔を真っ赤にしていた。
「も、もう。ぼ、ボクは先にアリエル様の所にいくからね」
「うん。また昼休みに会おう、シルフィ」
「それから、学校ではフィッツ!」
そういえば、そんな設定だったか。
もう一年近く学校に行ってないから忘れていた。
もう、男の格好とかしなくてもいいと思うんだけどなぁ。
誰が見ても男装の麗人にしか見えないだろうし。
いや、それもまた麗しくていいんだけど。
「では、わたしも職員室の方に行きます」
シルフィが走り去るのを見届けて、ロキシーも俺から離れた。
「はい、行ってらっしゃいロキシー」
「あ、わたしも学校ではちゃんと先生と呼んでください」
公私混同はしないようにという事か。
それは了解したんだが。
でもそうか、ロキシーも今日から女教師か。
女教師。
いい響きだ。昨晩の行為が思い出される。
……体育倉庫の貸し出しって何時までやってんだろう。
と、そこでふと、あることに気づいた。
「……あの、ロキシー先生」
「なんですか、ルーデウス君」
キリッとした顔で俺を見上げるロキシー。
「今日って初日だから、教師は早くから朝礼とかあるんじゃないでしょうか」
「あっ!」
ロキシーはドジをした時の鳴き声を上げた。
その顔面は真っ青だ。
「す、すいません。急ぎますのでこれで!」
ロキシーは大慌てで職員室へと駆けていった。
どうやら、予定を少し勘違いしていたらしい。
考えてみれば当然だ。
学生と教師が同じスケジュールで動けるはずがないもんな。
「じゃ、俺らも行くか」
「ニャ」
「お供するの」
俺は、犬と猫をお供に教室を目指す。
今日はホームルームのある日だ。
しかし、嫁がいなくなったのにまだ両手に花とは。
モテ期かな。
でもリニアとプルセナには手は出さないのさ。
ふふ、男は辛いよ。
「そういえば、噂を聞いたニャ」
ふと、リニアが耳をピンと立てて俺に向き直った。
その目は好奇心に溢れている。
「噂?」
「そうだニャ。ボスが左腕を失うほどの大敵と戦ってきたという噂ニャ」
「ああ……」
そういえば、二人には帰還報告とロキシーが教師になる事しか話していなかったな。
詳しい経緯を話したのはザノバぐらいだ。
あいつが誰かに漏らしたのかな。
いや、もしかすると、エリナリーゼ経由で話を聞いたクリフかもしれない。
「さすがボスだニャ。魔大陸まで行って七大列強と戦い、左手を犠牲にして勝利を得るなんて!」
「えっ!」
なにそれ。
七大列強!?
そんな怖い単語はどこから出てきたの?
「しかも、相手はほうほうの体で逃げ出したらしいの。さすがなの」
「ちょちょちょ、ちょっとまって」
なにそれ。
どういう噂にどういう尾ひれがついたの。
そういうのやめて欲しいんだけど。
さらに尾ひれとか付いて、七大列強の一人をボッコボコにしたとかなったらどうすんの。
それを本物の七大列強が聞きつけたらどうすんの。
例えばオルステッドが聞きつけたら……。
「というのは、今あちしが思いついたボスの逸話ニャが、これを大々的に広めてあぎゃぁぁぁ!」
リニアの尻尾を掴んで思いっきり引っ張ってやった。
爪を伸ばして引っ掻こうとしてくるのを、魔眼で回避する。
リニアは涙目で尻尾を抑えて睨んできた。
「乙女の尻尾にニャにをする!」
睨み返す。
「噂に尾ひれを付けて、広めるんじゃねえ」
「え!? あ、ご、ごめんニャさい」
こいつらには前科があったはずだ。
俺がEDだという噂を流した前科が。
まあ、それはいい。
根も葉もある真実だったしな。
けど、これは別だ。
これは害がある。
最悪死ぬ。
よくない噂だ。
「私達はザノバから聞いたの」
と、そこでプルセナが口を挟んだ。
「ボスは魔術の通じないヒュドラと戦ったって。余がついていれば師匠の偉大なるなんたらかんたらの左手を失わずにすんだかもしれないって」
「そうニャ。でも、あちしらは素直にスゲーって感心したニャ。だから、もっとボスの凄い所を知ってもらおうと……」
「余計なお世話だ」
確かに、俺は少しは強くなったかもしれない。
けど、結局いざって時には考え足らずで失敗する、ダメな男なのだ。
あまり高い評価は受けたくない。
「でも、私たちが何もしなくても、ボスの左手が義手になったのを見て、色んな噂が流れているの」
「そうニャ、あちしらがちょっと別の事言ったって、変わんないニャ」
「……」
俺もこの学校では有名人の一人になるらしいし、そういう噂があるのも仕方ない。
でも、七大列強はやめて欲しい。
オルステッドにやられた時の事は、未だに思い出せるんだ。
「他にはどんな噂があるんだ?」
「そうニャ、いくつかあるニャ」
詳しく聞いてみると、
『スペルド族と戦った』
やら。
『百万の魔物の群れを一人で押さえた』
やら。
『古の魔術に成功したが、反動で手を失った』
と、根も葉もない噂がたくさん流れているらしい。
荒唐無稽な噂なら、すぐに消えるだろう。
「うーむ……」
考えてみれば、七大列強だって、そういう噂には慣れているはずだ。
有名人ってのは、勝ったの負けたので一々噂になるだろうし。
学校でちょっと噂が流れたぐらいでは、気にしないかもしれない。
「ま、尻尾は悪かったよ」
「人族にはこの痛みはわからないニャ。乙女の尻尾を引っ張るなんて許さないニャ」
「今度なんか魚でもおごるよ」
「うひ、ラッキー。たまにはゴネてみるもんニャ」
「私はお肉がいいの」
リニアとプルセナと話しながら、教室へと移動した。
---
ホームルームはいつもどおりだ。
俺を中心にまばらに座る五名。
人形を弄くるザノバ。
それを真似しているジュリ。
爪にヤスリを掛けているリニア。
肉を食っているプルセナ。
そして本を開いて勉強中のクリフだ。
後ろに一人ジンジャーが立っているが、彼女のことは置いておこう。
この光景も随分と見慣れてしまった。
あと一年でここから二人いなくなるとは考えられないぐらいだ。
リニアとプルセナ、今年で卒業なんだな。
まあ、あと一年あるか。
一年なんてあっという間だろうが。
「そういえば、ルーデウス」
ふと、クリフが本から顔を上げた。
「君、僕の所にも挨拶に来てくれてもよかったんじゃないか?」
不満そうだった。
そういえば、帰って来てから数ヶ月、クリフには会わなかった。
今日が初めてだ。
「すいませんクリフ先輩。最初に伺った時はエリナリーゼさんとお忙しそうだったので。遠慮しておきました」
「うっ。そうか。確かに、リーゼとしばらくは一緒にいたからな。
うん、そういう事なら仕方ない。僕にも非がある」
クリフはそう言って引き下がってくれた。
しかし、アリエルもそうだが、この界隈の人間は挨拶一つしなかっただけで随分と気にするな。
冒険者だともっとドライなのだが。
「しかし、子供が生まれたのなら、一声掛けてくれればよかったんだ。
僕はまだ修行中の身だが、それでも祝詞ぐらいは言えるんだ」
「…………そうですね」
「ああ、すまん。君はミリス教徒じゃなかったから祝詞はいらないか。
でも、最近まるで僕を避けているみたいじゃないか。
子育てで忙しいのもあるだろうが、一度ぐらい研究室にきてくれてもよかったんじゃないか? それぐらいの時間はあったろう?」
言われてみると、確かに避けていたかもしれない。
クリフに会いたくない理由はある。
言うまでも無く、ロキシーの事だ。
妻が二人で、クリフはミリス教徒。
あまりいい顔はしないだろう。
「それとも、僕に会いたくない理由があったのかな?
もし、そんな理由があるのだとしたら、ぜひとも君の口から聞きたいな」
今日のクリフは随分とねちっこいな。
恐らく、エリナリーゼから詳細を聞いたのだろう。
でも、エリナリーゼの事だ。
『教徒として許せない事でしょうけど、寛大に許せば、クリフという人物の器が大きく見えますわよ』
なんて事を言ってくれたかもしれない。
もちろん、ロキシーとの結婚について、クリフの許しを得る必要は無い。
しかし、許されずにクリフと不仲になるのも面白く無い。
ここは一つ、エリナリーゼの手のひらの上で踊ろう。
俺が言って、クリフが許す。
そしてクリフの寛大さをさすがだと褒め称える。
クリフはいい気分になる。
誰も損をしない。
よし、俺はダンサーだ。
踊って歌ってポゥとか言おう。
「実は……」
「失礼します」
と、俺の声を遮るように教室の扉が開いた。
入ってきたのは二人の人物だ。
いつも我ら特別生のホームルームを担当してくれている教師。
名前はなんだったかな。
まあいい。
彼の後に続いて入ってきたのは可憐な少女だった。
ローブ姿で、眠そうなジト目、無愛想な表情は少し緊張している。
どんな時でも一生懸命に頑張りそうな子だ。
思わず抱きしめてしまいたくなるような子だ。
ていうかロキシーだ。
「皆さん、今日はこの特別生の副担任となる方を紹介します」
「ロキシー・M・グレイラットです」
ロキシーは一歩前に出て、ペコリと頭を下げた。
ザノバたちがポカンとした目で彼らを見ている。
担任は俺たちに構わず、言葉を続ける。
「彼女は種族柄、年若く見えるでしょうが、これでも年齢は五十を回っています。
このクラスの方々とも縁故があるようなので、この教室を担当します。
しばらくは副担任としてやってもらいますが、
来年からは正式に彼女がこのクラスを受け持ちますので、皆さんもそのつもりで」
「ニャ! サムソン先生はどうなるんだ!」
リニアがそう聞くと、担任は「はい」と頷いた。
どうやら、この教師の名前はサムソン先生というらしい。
マッチョでもゲイでもない。
特徴のないのが特徴という感じの人物だ。
「私は来年、故郷に帰ります。この特別生クラスに、もう私の身内はいませんからね」
「そういえば、レン先輩はどこにいったの?」
「妹はネリス公国の魔術騎士団に入りました。うまくやっているそうです。
でも、ほうっておくと彼女は何をしでかすかわかりませんからね」
「ニャるほど」
これは後から知った話になるが、
もともとこの特別生クラスのホームルーム役は、特別生と縁のある人物が担当する事が多いらしい。
特別生自体がクセのある人物が多いためだろう。
手綱、あるいは足かせになりえる人物が担任になるのが望ましいのだ。
現在の担任であるサムソン先生は、クリフと入れ替わりで卒業した先輩の身内らしい。
その先輩は魔法三大国の一つ、ネリス公国の王族で、卓越した魔術センスを持っていたのだとか。
リニアとプルセナは、彼女に大変お世話になったと語っていた。
ともあれ、俺とザノバに縁のあるロキシーは、まさにうってつけの人材と言えよう。
ロキシーは前に出ると、全体を見回して言った。
「すでに紹介してもらった方も多いと思いますが。
わたしの名前はロキシー・M・グレイラット。
そちらにいるルーデウス・グレイラットの二番目の妻となります。
教師と生徒では接し方も違ってくるでしょうが、よろしくお願いします」
「……」
クリフがムッとしていた。
二番目の妻という言葉は、きっと俺の口から聞きたかったのだろう。
そして、何事もなくロキシーを受け入れたりしたかったのだろう。
しかし、その予定を崩されてしまった。
「……あの、クリフ先輩」
「へぇ。二人目の妻ね。キミには節操というものが無いのかい?」
話しかけると、説教が始まった。
「はい。節操はちょっと足りなかったかと思います」
「あの日、僕はキミがシルフィ一人を愛するというから祝福したんだよ?」
「はい、その節については大変ありがたく思っています」
「もちろん、キミがミリス教徒じゃないのは知ってるからこれ以上何も言わないけどね。いや、むしろ祝福するよ。おめでとう」
「ありがとうございます」
クリフはフンと鼻を鳴らした。
「君の妹とは町の教会で時々会うんだ。
彼女は言っていたよ。
将来は兄さんとシルフィ姉さんのように、仲睦まじい夫婦になりたいって。
彼女は、二人目の妻を連れてきた君に、なんと言っていたかな?」
「怒っていました」
「そうだろうとも、彼女は君と父君の生還を毎日のように祈っていたからね。
君が生きて帰ってきたという事自体は、非常に喜ばしいものだったんだろう」
「でも、最後には、許してくれました」
「そりゃあ、最後には許すだろう。最後まで反対して、家を追い出されるのも怖いしね」
「……追い出したりなんて、しませんよ」
「もちろん、君はそうだろう。けれど、弱い者の立場に立ってみればわかるだろう?
父親を失った彼女の寄る辺は君しかいないんだから。
君たちも、もう少しノルン君の心情を慮るべきじゃないかな」
「はい」
「あんまり伴侶を増やしすぎるのは良い事じゃないよ。
女性はコレクションじゃないんだからね」
耳が痛い。
それにしても、まるで司祭のようだ。
今日のクリフには威圧感がある。
「はい……あの、クリフ先輩」
「なんだ、ルーデウス」
一節の中に聞いていない話があったので、礼を言っておく。
「ノルンの相手をしてくださってたんですよね。ありがとうございました」
「…………教会で見かけたから、送り迎えをしてやっただけだ。
あ、それとな、あんな小さい子を一人で出歩かせるんじゃない。
このあたりは治安がいいけど、裏路地に入れば人攫いだっているんだからな」
「はい。肝に命じておきます」
「よろしい。反省しているようなら、僕は君の罪を許そう。
ミリス様は寛大なお方であらせられますからね」
「はい、ありがとうございます」
許された。
やっぱりこれは懺悔の一種だったのか。
でも、確かにノルンへのフォローは足りなかったかもしれない。
これからは、今までの倍は優しくしてやろう。
「さて、話も終わったようですし、連絡事項を――」
クリフの説教が終わったあたりで、サムソン先生がホームルームを再開した。
その隣では、ロキシーがいたたまれない表情をして立っていた。
ひとまず投げキッスを送ると、小さく笑い「コラ」と怒られた。
---
その後の流れは今までと大差ない。
ザノバとクリフの様子を見て、ナナホシの手伝いをして、空いた時間で吸収の魔石の研究や、本を作ったりする。
相変わらずやることは多い。
一日に一つか二つのことしかしなかった昔が懐かしい。
少し変化があったのは、授業が終わった後の放課後。
以前であればノルンに勉強を教えていた時間が、剣術の指導に変化したことか。
剣術を習う事で成績が落ちるのは心配だが、
そっちはそっちで頑張ると宣言していたので、しばらくは様子を見よう。
やる気があるうちはどんどんやらせるべきだ。
と、それらのことに関しては、今はひとまず割愛しよう。
授業が終わった後、シルフィとロキシーを迎えにいき、三人で下校する。
シルフィの夜勤がある時はロキシーだけ。
ロキシーが職員会議やなんかで長引く時は、一人で。
あるいはノルンあたりと一緒に帰ることもある。
今日はシルフィと二人だ。
シルフィと手を繋いで歩き、あれこれと話しながら帰る。
主に学校の事だ。
新学期という事で、生徒会も新メンバーを加えたそうだ。
「ルディも入ればいいのに」
「そんな暇は無いよ」
なんて言いつつ、適度にイチャつきながら帰る。
「ただいまー」
家に帰ると、アイシャが抱きついてきた。
「お帰りなさいお兄ちゃん、御飯にする、お風呂にする、それとも、あ・た・し?」
こんな言葉、どこで覚えたのだか。
いや、俺が教えたのだったか。
でも、アイシャには教えてないはずだ。
俺はシルフィに教えたのだ。
とりあえず『あたし』を選択して腋をくすぐってやると、アイシャはケラケラと笑いながら逃げていき、リーリャに頭を叩かれた。
その後は風呂だ。
アイシャは選択肢に風呂を入れていたが、風呂は用意されていなかった。
飯も作っている最中だった。
結局、『あたし』しか選択肢が無かったというわけだ。
まあいい。
幸いにして、風呂掃除の方は昼の間にアイシャがやってくれている。
湯を張るだけなら、一瞬で済む。
風呂には誰かと一緒に入る事が多い。
我が家の風呂はできるだけ二人一組で使うべし、という暗黙の了解がいつのまにか出来上がっていた。
一体どこの国のルールなのだろうか。
まあ、いいんだが。
今日はアイシャと一緒に風呂に入った。
アイシャはもう11歳だというのに、あけっぴろげで、どうにも恥じらいが足りない。
もし思春期真っ盛りの男子と会話をしたら、一発で勘違いされてしまうだろう。
「アイシャ、風呂に入る時は布で前を隠しなさい」
「なんで?」
「たしなみです」
「はーい」
慎み・恥じらいという部分では、アイシャはノルンを見習った方がいいと思う。
もっとも、やはり妹というのはいい。
体を洗う俺の足の間に体をねじ込ませて、
「背中洗って」だの「頭洗って」だのと言ってくる様は実に可愛い。
もし俺が彼女に興奮する性質であったら、三人目の妻に迎えるとか言い出して、新たなる修羅場を作っていただろう。
もしシルフィかロキシーが同じ事をやったら、一瞬で我慢の限界を突破するだろう。
二人の場合は、最初から我慢する必要が無いとも言えるが。
ともあれ、妹との心あたたまるふれあいタイムである。
体の洗いっこをしながら、彼女から家での一日の出来事を聞いてみる。
ルーシーが可愛かったとか。
ゼニスが構ってくれたとか。
リーリャが窓際でうたた寝していたとか。
庭の庭園に新しい植物を植えてみたとか。
そういう他愛もない話だ。
そうそう、アイシャには例の米の種を渡して、栽培できそうだったら頼むと頼んでいる。
彼女は「もうちょっと暖かくなってから植えてみる」と頼もしい返事をくれた。
天才肌のアイシャなら、必ずや俺に米を食わせてくれるだろう。
今から楽しみだ。
「ただいま戻りました」
風呂から上がった後、ロキシーが帰ってきたのを見計らって晩飯にする。
今日は川魚の煮込みに、パンと豆と芋だ。
要するに、いつもどおりだな。
「ごちそうさまでした」
食事の後、シルフィがルーシーにお乳をあげるのをじっと見る。
ルーシーは大人しい割りによく食べる子だ。
将来、太ったりするんだろうか。
シルフィの娘がそう横に広がるとは思えないんだが。
ある程度育ったら、運動させよう。うん。
晩飯が終わったら、しばらくまったりと過ごす。
俺はアイシャに魔術を教え、ロキシーは自室で翌日の授業の準備をする。
シルフィはルーシーをあやしているが、魔術の訓練をする時もある。
アルマジロのジローが寄ってくるので、かまってやる事もある。
ちなみに、ジローの世話はアイシャがしているようだ。
アイシャはジローをしっかりと躾けており、最近は番犬のように忠実な下僕になりつつある。
「では、お先に失礼させていただきます。おやすみなさい」
「おやすみなさ~い」
ゼニスとリーリャは休むのが早い。
アイシャも夜は早く、ひと通り勉強を終えたらおネムだ。
「さて……シルフィ」
皆が寝静まった後。
俺は妻を寝室へと誘う。
「はい……」
シルフィは顔を赤らめながら、俺の服の裾を、ちまっと摘む。
そんな動作をされてしまったら、もう限界だ。
俺は彼女を抱き上げ、お姫様だっこで寝室へと運んでやる。
そしてめくるめく夜の時間だ。
心も体も満足した後、小柄な妻の体を抱きまくらにして、ぐっすりと眠る――。
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眠る前に。
妻が寝静まったのを見計らって、俺はベッドを抜け出る。
向かう先は地下室だ。
抜き足差し足忍び足で階段を降りていく。
そして、地下室の入り口で何度も後ろを確認し、隠し扉を開いた。
そこにあるのは、何を隠そう祭壇である。
鎮座ましましているのは、御神体だ。
布と布。
それぞれが神を祀るための神具だ。
俺は、今日も静かに祈るのであった。
学校の噂・その2
「番長の目は光る」