第十話「伸び悩み」
七歳になった。
二人の妹、ノルンとアイシャはすくすくと育っている。
おしっこを漏らしては泣き、
うんこを漏らしては泣き、
お腹がすけば泣き、
なんとなく気に食わなかったら泣き、
気に食わなくなくても泣いた。
夜泣きは当然、朝泣きも当然。
昼はなおさら元気にビャービャー。
パウロとゼニスはあっという間にノイローゼになってしまった。
リーリャだけは元気で、
「これですよ、これこそが子育てなんですよ!
ルーデウス坊ちゃんの時はイージー過ぎました!
あんなのは本当の子育てじゃありません!」
と、手際よく二人の世話をしている。
ちなみに、夜泣きは弟で慣れているので、俺は大して気にならなかった。
自慢じゃないが、赤ん坊の世話は弟でやったことがある。
テキパキとおしめを交換し、洗濯や掃除を手伝う。
そんな俺を見て、パウロがとても情けない顔をしていた。
この男は戦前の日本男児の如く、家のことがまったく出来ないのだ。
剣の腕は確かだし、村の連中からの信頼もブがつくほど厚いのだが、パパとしては半人前も良い所だ。
三人目だというのに……まったく。
---
うん。
そうだな、ここらでパウロの名誉を回復させるためにも、彼の凄いところを話しておこう。
俺はこの欠点だらけ、人としてどう見てもクズなパウロを、認めている。
なぜか。
強いからだ。
まず、パウロの剣術の階級。
剣神流:上級
水神流:上級
北神流:上級
と、三つとも上級である。
この上級というのは、才能ある者が一つの流派に打ち込んで10年ぐらいかかると言われている。
上級は、剣道で言う所、四段か五段ぐらいに相当すると思う。
ちなみに中級が初段から三段ぐらいであり、一般的な騎士ならこれぐらいで、中級を持っていれば剣士としては一人前、と言われている。
聖級となると高段位と呼ばれる六段以上の腕前が必要となってくるが、これは置いておこう。
つまり、パウロは剣道・柔道・空手でそれぞれ四段の腕前を持っている。
それも、全部途中で投げ出して、である。
ロクな大人じゃないと思うが、強さに関しては折り紙つきだ。
それも、まだ二十代中盤だというのに、恐ろしく実戦経験が豊富だ。
経験に基づいた言葉は、実に狡猾で実践的。
感覚的なので半分も理解できていないが、
しかしもっともな事を言っているのだとわかる。
俺は二年間パウロから剣術を習っているが、未だ初級の域を出ない。
あと数年経って体力がついてくればわからない。
だが、現状ではどれだけ脳内でイメトレしても、パウロに勝てるビジョンが浮かばない。
魔術を駆使し、策を弄しても、まるで勝てる気がしない。
少なくとも、接近戦では。
パウロが魔物と戦う所をみたことがある。
正確には、見せられた。
魔物が出たという知らせを受けた時、
「戦いを見るのも経験になる」と、ムリヤリ連れだされて、遠くから見物させられた。
はっきり言おう。
ムチャクチャカッコよかった。
相手にした魔物は4匹。
訓練されたドーベルマン並に動く犬のような魔物が3匹。
二足歩行で腕が4本あるイノシシの魔物が1匹。
イノシシが犬を引き連れるように、森の奥から現れた。
パウロはそいつら軽くあしらって、一発で首を切り落とした。
もう一度言おう、ムチャクチャカッコ良かった。
なんというか、戦い方に華があるのだ。
ハラハラドキドキというか、
不思議なリズム感があって、見ていて心地良い。
言葉ではうまく表現出来ない。
あえて単語を上げるとするなら、カリスマだ。
パウロの戦い方にはカリスマがある。
男衆に絶大な信頼を受けているのも納得だ。
ゼニスが惚れてリーリャが体を許すのもわかる。
エトの奥さんの事もある。
村で抱かれたい男ナンバーワンなのだ。
いや、抱かれたいとかそういうのはさて置いて。
そして俺は、彼の存在をありがたく思う。
自分より強い存在が身近にいる。
それがありがたい。
もし、パウロの存在がなければ、
俺はこの世界で簡単に増長してしまっていたことだろう。
ちょっと魔術がうまいからといって魔物に戦いを挑んだりして、
アサルトドッグを捉えきれず、無残に噛み殺されただろう。
あるいは、魔物ではなく、人。
増長した挙句、勝てない相手に喧嘩を売ってしまう。
ありがちな話だ。
外道だと思って成敗しようと思ったら、返り討ちにあうとかは。
この世界の剣士は規格外に強い。
本気を出せば最高時速50kmぐらいで走れて、動体視力や反射神経だって半端ない。
治癒魔術のお陰で簡単には死なないから、一撃で殺しに来る。
魔物というものが存在する世界では、人はかくも強くなければいけないのかと思うほどに強い。
しかも、そんなパウロですら、まだ上級なのだ。
剣士という枠組みだけでも、まだまだ上がいるのだ。
この世界で有名とされる人々や魔物の中には、
パウロが束になっても勝てない相手が多数存在しているのだ。
上には上がいる。
パウロはそんな当たり前のことを教えてくれたありがたい存在である。
もっとも、どれだけいい所があろうとも、家ではただのダメなパパだ。
オリンピック金メダリストだって法を犯せば犯罪者なのと一緒で。
---
ある日、俺はいつもどおりパウロから剣術の稽古を受けていた。
パウロには今日も勝てない。
きっと明日も勝てないだろう。
最近、上達している実感が湧かない。
けれども、やらなければ上達はしない。
実感が沸かずとも、己の血肉にはなっているはずなのだ。
多分。
そうだよね?
なってるよね?
などと考えていると、ふと、パウロが思いついたように声を上げた。
「そうだルディ。お前学校って……」
言いかけて、やめた。
「………必要ないか。なんでもない、再開」
何事も無かったかのように木剣を構えようとするパウロ。
俺は聞き逃さない。
「なんですか、学校って……?」
「学校というのは、フィットア領の都市ロアにある機関だ。
読み書き、算術、歴史、礼儀作法なんかを教えてくれる」
それは知ってる。
「普通、お前ぐらいの歳になると通い始めるもんだが……。
必要ないだろ? お前、読み書きも算術もできたよな?」
「ええ、まあ」
算術はロキシーに教えてもらった、という事にしている。
娘が二人生まれた事で財政的に難しくなり、
帳簿とにらめっこしているゼニスを手伝った所、大層驚かれたのだ。
また天才だなんだと騒ぎ出しそうだったので、咄嗟にロキシーの名前を出した。
結果として、ロキシーの評価が上がったので、よしとする。
「しかし学校には興味はあります。
同じぐらいの年代の子が集まるんでしょう?
友達が出来るかもしれません」
と、いうとパウロはペッと唾を吐いた。
「そんな良い所じゃないぞ?
礼儀作法とか堅っ苦しいだけで役に立たないし、
歴史なんて知ってても意味ないし、
それにお前絶対イジメられる。
近所の貴族のクソガキ共が集まってくるんだが、
自分が一番じゃねえと気に食わないのばっかりだ。
お前みたいのがいると徒党組んでイジメてくるだろうな。
なんたら侯爵を父にもつ私よりもどうちゃらで身分の低いお前は生意気だーっとな」
実体験っぽい話だ。
パウロは厳しい父親と貴族の汚さに嫌気がさして家をとびだしたという話だ。
その礼儀作法や歴史とやらも、アスラ貴族の見栄がこびりついた、非常に見苦しいものなのだろう。
パウロと息の合う俺としても、きっと息苦しいに違いない。
「そうなんですか。貴族のお嬢様に可愛い子がいるかと思ったのですが」
「やめとけやめとけ。貴族の娘ってのはな、ゴッテゴテに化粧して、ガッチガチに髪型キメて、甘ったるい匂いプンプンさせてて、いざベッドで脱がしてみると、運動なんて全くしてないから、コレまただらしない身体してるんだぞ。
ま、中には剣術とかを嗜んでいて、結構いい身体してる子もいるけどな、大体はコルセットで誤魔化してるから脱がしてみるまでわからないんだ。
父さんも何度か騙されたもんだ……」
遠い目をして言うパウロの言葉には妙な信憑性があった。
言ってる内容はクズ同然だが。
まぁ、そういう経験を得て、ゼニスという良妻を得たのだと思えば、含蓄のある言葉かもしれない。
「じゃあ、学校に行くのはやめておきましょう」
シルフィにもまだ教えたいことがある。
大体、イジメられるとわかっているのに行くなんて正気の沙汰じゃない。
伊達にイジメられたせいで20年近く引きこもってねえぞ。
「そうだな。学校に行くぐらいなら、冒険者にでもなって迷宮にでも潜ったほうがいい」
「冒険者ですか……?」
「そうだ。迷宮はいいぞ。化粧をする女なんていないから、綺麗かどうかが一目でわかる。
剣士も戦士も魔術師も、みんな引き締まったいい身体をしているしな」
クズの発言は置いておくとして。
本によると、
迷宮というものは、一種の魔物である。
元はただの洞窟だったものが、魔力が溜まることで変異していき、迷宮へと変貌を遂げる。
迷宮の最深部には力の源とも言える魔力結晶があり、それを守るための守護者がいる。
魔力結晶は餌でもあり、強力な誘引力を発している。
魔物はそれに吸い寄せられて迷宮に入り込み、罠に掛かったり、餓死したり、魔力結晶を守る守護者にやられたりして死ぬ。
迷宮は死んだ魔物の魔力を吸収する。
もっとも、できたばかりの迷宮は逆に魔物に魔力結晶を食われてしまうこともあるのだとか。
また、未熟な迷宮は、たまに崩落して潰れてしまうのだとか。
そういうマヌケな部分を聞くと生物っぽい。
さて、魔力結晶に吸い寄せられるのは、魔物だけではない。
人間もワラワラと寄ってくる。
魔力結晶は魔術の触媒として使われるため、大変高値で取引されるからだ。
大きさにもよるが、小さくても1年以上は遊んで暮らせる金額だ。
魔物にとっての財宝は魔力結晶だけだが、
人間にとっての財宝はそれだけではない。
迷宮は時間が経つと、それまで食ってきた魔物や冒険者の装備に、何年も掛けて魔力を注ぎ込む。
そうすることで、新たな餌を作る。
魔力付与品である。
そうしてできた魔力付与品は、大抵はろくな能力がついていない。
だが、中にはたまに神級の人らも真っ青なチート能力がついているものがある。
ということで、一攫千金を夢見た人々は迷宮へと潜る。
そして、力尽きて倒れてしまう。
そうして、迷宮は魔力を得て深く広くなっていく。
長いこと存在している迷宮の奥地には、莫大な量の財宝が眠る事となる。
確認されている中で最も古く深いのは、中央大陸の赤竜山脈が霊峰、龍鳴山の麓にある『龍神孔』だ。
文献によると一万年前からあるらしい。推定される最下層は2500階。
その迷宮は龍鳴山の頂上にある孔ともつながっているらしく、頂上から孔に向かって飛び降りれば、一瞬で最下層近くまでいけるらしいが、その方法で降りて上がってこれた者はいない。
ちなみにその頂上の孔は噴火口ではない。
『龍神孔』が赤竜を捕らえて捕食するために開けたものだ。
上を竜が通過すると吸い込むらしい。
真偽の程は定かではないが、一万年も生きた魔物なら、それぐらいしてもおかしくはない。
最も難易度が高いと言われている迷宮は、天大陸にある『地獄』と、リングス海の中央にある『魔神窟』だ。
両方とも、入り口にたどり着く事すら困難で、満足に補給もできない場所にある。
深い上、腰を落ち着けて探索することが出来ないので最高難易度、というわけだ。
「迷宮の話は、本で読みました」
「『三剣士と迷宮』か。あんな風に伝説の迷宮を探索できたら歴史に名を残せるぞ。頑張ってみたらどうだ?」
『三剣士と迷宮』。
後に剣神・水神・北神と呼ばれるようになる若い天才剣士たちが出会い、紆余曲折の末に三人で巨大迷宮に挑み、喧嘩あり笑いあり友情あり別れありの展開で、見事に踏破する話だ。
そこで潜った迷宮だって、せいぜい地下100階だ。
「あれって、作り話なんじゃないんですか?」
「そんな事ないぞ。現に、各流派に代々伝わる剣は、その迷宮で手に入れたものだって話だ」
「へえ。でも、神級になれるほどの人が苦労してるのに、僕が頑張った所でたかが知れてますよ」
「父さんだって潜れたんだ。ルディにだって出来るさ」
パウロは、それから、
鬼族の青年が海魚族の巣窟となっている迷宮に人間の剣士たちと一緒に入り、仲間を失いながらも海魚族を倒す話だとか。
落ちこぼれと呼ばれていた魔法使いが偶然迷宮に落ちてしまった所、ちょうど魔法使いを失ったばかりのパーティに拾われて、その潜在能力を覚醒させながらも強くなっていく話だとか。
そういう話をざっと聞かせてくれた。
話す機会を待っていたかのような話し方だった。
そういえば、パウロは俺を剣士にしたかったと言っていた。
大方、そういう話を聞かせたり、『三剣士と迷宮』を読み聞かせたりして、
迷宮・冒険者・剣士といったキーワードに憧れさせる算段だったのだろう。
迷宮。
興味はある。
面白そうだとも思う。
が、危険すぎるとも思う。
あの本に書いてある登場人物は、唐突に死ぬのだ。
『三剣士と迷宮』には、三剣士以外の登場人物も出てくる。
が、三剣士以外は全滅する。
会話をしてる最中に真横から飛んできた火球に当って黒焦げになり。
いきなり落とし穴に落ちてグチャグチャになり。
ちょっと頭を上げた瞬間、真っ二つになったり。
魔物との戦いで傷一つ負う要素のない奴らが、
ちょっと気が抜いた瞬間に罠にかかって全滅するのだ。
三剣士は主人公らしく華麗に罠を切り抜けるが、
うっかり屋の俺が罠を全部避けられるとは思えない。鈍感系だしな。
「どうだ? 冒険者も面白そうだろう?」
「冗談じゃありませんよ」
なんでわざわざスリルを求めてハイリスクな事をしなきゃならんのだ。
出来れば将来はパウロのように女の子に囲まれてまったりと暮らすのだ。
「僕は女の子の尻を追いかけている方が性に合っていますよ」
「おお、さすが俺の息子だ」
「父様みたく、何人も囲うのが理想ですね」
「そうかそうか。けど、追いかける尻はひとつにしておいたほうがいいぞ」
ちょいちょいと後ろを指さされて振り返ると、むくれたシルフィがいた。
間が悪い。
---
最近は俺の部屋でシルフィに勉強を教える事が多くなった。
無詠唱の細かい理論を説明するのに、数学や理科の基礎的なことを教えておいた方が手っ取り早いからだ。
もっとも、俺は中学時代では落ちこぼれ。
なんとか入ったバカ高校もあっさり中退している。
なので、俺が教えられることなんてたかが知れている。
学校での勉強が全てというわけではないが、もっと勉強しておけば、と悔しく思う。
シルフィは簡単な読み書きと、二桁の掛け算まで出来るようになった。
九九を教えるのにちょっと難儀したが、頭の悪い子ではない。
すぐに割り算も覚えるだろう。
魔術と平行して、理科も教えていく。
「どうして水を温めると水蒸……気? になるの?」
「えっとね、空気は水を溶かすんだ。
でも、溶かすためには温度が必要になる。
だから、温かくなればなるほど、溶けやすくなるんだ」
今は蒸発、凝固、昇華とそのプロセスについて教えている。
「…………?」
よくわかっていない、という顔をしているが、
素直な子だからか、吸収が早い。
「ま、まあ、どんなものでも熱すれば溶ける、冷やせば固まるって考えておけばいいよ」
教師ではないのでこんなもんだ。
まあ、シルフィは俺より賢い。
自分で色々試して納得してくれるだろう。
魔術を使えば、実験道具には事欠かないわけだし。
「石とかも溶けるの?」
「すっごく高い温度が必要だけどね」
「ルディは溶かせる?」
「もちろんさ」
とは言ったものの、試したことはない。
最近は頑張れば大気成分を大雑把に選り分ける事も出来るようになってきた。
それを利用して、酸素と水素をガンガン投入すれば石ぐらいはいけるだろ、多分。
ちなみに、溶岩という溶岩を発生させる上級魔術もある。
どう見ても土と火の合成魔術なのだが、火系統の上級に位置している。
一口に系統といった所で、全てのものは関係し合っている。
火力を上げるにはより魔力を込めればいい。
だが、可燃性の気体を利用すれば、より効率よく高い火力を実現させることが出来る。
そこまではわかっている。
けれど、そこまでだ。
俺の魔術の腕前は、ロキシーと別れた頃と比べても、大差が無い。
既存の魔術を組み合わせたり、使い方を応用したり、
理科の知識を使って単純に威力を上げたり……。
一見すると、それなりにレベルアップしたようにも見えるだろう。
けど、俺は行き詰まりを感じている。
俺の知識では、これ以上難しい事は出来ないのかもしれない。
生前ではどうしていたっけか。
ああ、困ったらネットで調べていたな。
この世界にそんな便利なものはない。
誰かに習うか……。
「学校か……」
魔術学校というものもあるらしい。
ロキシーは魔術学校の格式はどうのと言っていたが、
俺でも入れるのだろうか。
「ルディ、学校に行くの?」
ふと呟くと、シルフィが覗きこむようにこちらを見ていた。
なんとも不安げな表情だ。
彼女が小首をかしげると、緑の髪がふわりと揺れた。
最近、シルフィはちょっとだけ髪を伸ばし始めた。
一ヶ月に一回ぐらいの割合で「髪伸ばしたほうがいいんじゃないかなあ(チラッ」と言っていた甲斐があった。
現在の長さはショートボブになった程度だが、ちょっと癖のあるエメラルドグリーンの髪はちょっとした動作でふわりと揺れる。
いい感じだ。
ポニーテールまで後少し。
「行くつもりは無いよ。
父様も学校に行ってもイジメられるだけで、何も学べないって言ってたし」
「でもルディ、この頃、また変だよ」
え?
マジで?
変という自覚がない。
何かやらかしただろうか。
シルフィの前では最新の注意を払って鈍感を演じているつもりだが。
「俺は生まれた時から変だったらしいよ」
探りを入れるつもりで、そう聞いてみる。
すると、シルフィは眉根を寄せて首を振る。
「そうじゃなくて、なんか、元気ない……」
ああ、そういう意味か。
焦った。
また何かボロを出したかと思った。
心配されてたのね。
「最近、行き詰まってるからね。魔術も剣術もちっとも上達しない」
「でも……ルディは凄いよ?」
「この年齢にしては、そうかもね」
確かに、この世界、この年齢にしては、凄いかもしれない。
けれど、まだ俺は何もやってない。
魔術だって、生前の記憶と、最初に無詠唱というものに気付いたおかげで、
ちょっと他人よりうまく使えるだけだ。
でも、生前の記憶のレベルが低いから、行き詰って先に進めないでいる。
勉強しておけば、と何度悔やんだ所で、今更習い直すことはできない。
それに前の世界での常識が、この世界でも通用するとは限らない。
この世界には、俺の知らない法則がまだまだあるかもしれない。
いつまでも、生前の記憶に頼っていてはダメだろう。
魔術はこの世界の理論。
なら、この世界の事を知らなくては。
「そろそろ、何か次のステップに進まないといけない、と思ってさ」
シルフィはどんどん魔術が上達し、賢くなっている。
そんな彼女を見ていると、焦りも生まれる。
俺だけ足踏みしているのは情けない。
今は上から目線で鈍感系主人公などと言っているが、
成長がなければ、シルフィに見限られるかもしれない。
「どこか行っちゃうの?」
「そうだな。父様には冒険者になって迷宮にでも入った方がいいって言われたし、
この村でできることも少ないのかもしれないな……。
学校に行くか、冒険者か、どっちになろうかな」
軽い気持ちで言った。
抱きつかれた。
あふん。
なになになんなの?
愛の告白?
と思ったら、シルフィは小刻みにふるえていた。
「し、シルフィエットさん?」
「い、や、いや……いや!」
シルフィは、苦しいほどの力で俺を抱きしめる。
戸惑う俺。
何も言わない俺に、シルフィは何を感じたのか……。
「い、いか、行かないで……うぇ、う、えぇぇ~ん」
泣かれた。
とりあえず頭をなでなで、背中をさすりさすり。
ついでにお尻をちょこっと……いやいやパウロじゃないんだから。
尻は自制。
背中をギュっと抱きしめて、身体の全面でシルフィの感触を味わう。
暖かくて柔らかい。
髪に顔を埋めると、いい匂いがする。
ああ、いいなぁ、コレ。
いいなぁ……欲しいなぁ……。
「ひっく、やだよぉ、どこにも、いかないでよぉ……」
っと、我に返る。
「あ、ああ……」
そうか。
そうだな。
最近、シルフィは午前中からウチに来ることも多くなった。
午前中にきて、嬉しそうな顔で俺の剣術の稽古を見て、
二人で魔術の練習をしたり、勉強をする。
そんな生活を送ってきた。
一日中、一緒にいる相手。
それがある日いなくなったらどうなるか。
シルフィはまた、一人ぼっちになる。
魔術でワルガキを退治出来たとしても、友達が出来るわけじゃない。
そう思うと同時に、俺の中で急速に愛おしさが大きくなった。
俺だけが、彼女に好かれている。
これは俺だけのものだ。
「わかったわかった。どこにも行かないよ」
こんな子をほっぽり出して、どこに行こうというのかね?
魔術の上達?
いいじゃねえか、もう聖級も上級も使えるんだから。
いざとなれば、ロキシーみたいに家庭教師でもすればいい。
一人立ちする年齢になるまでは、シルフィと二人でいよう。
そうしよう。
二人で一緒に育って、ちょっとずつ俺好みの女に育ててやろう。
光源氏計画だ。
ぐへへへへ。
…………ハッ!
いやいや!
落ち着け落ち着け。
鈍感系になるって決めただろうが。
なーにをその気になってるんだ……。
いや、でも。
別に、鈍感だからって、幼馴染を育てちゃいけないって理由には、ならない……よね?
待て! 何を言ってるんだ!
しかし……ぐぬぅ。
俺は一体いつまで、この子の気持ちに気付かないでいればいいんだ。
この子はまだ六歳。
俺に懐いてくれてはいる。好意も感じる。
けど、本当の意味での恋愛感情ではないはずだ。
お、お預けだ。
でも、一体いつまで預けておけばいい?
十歳か、十五歳か……もっと先か……?
その結果、シルフィに嫌われたらどうする?
今は好感度マックスだが、今後落ちて行かないとは限らない。
その時、俺は耐えられるのか……?
俺には…………無理だ!
人間、できることと出来ない事がある!
だって、こんな柔らかくて
暖かくて
ふわふわして
ほんわりしていい匂いがするんだ。
こんなのが自分の思いを必死にぶつけてくれているのに、
俺は気付かない振りをするつもりなのか!
おかしいだろ。
そんなの。
互いに自覚してるなら、次にいくべきだろう。
俺だけが我慢して立ち止まるんじゃなくて、
一緒に進んでいくべきだろう!
間違った努力をして時間を浪費するつもりか?
間違ってるとわかっているのに、直さないつもりか?
決めたぞ!
俺はシルフィを俺好みの女に育てる!
お、俺は鈍感系をやめるぞ! シルフィ―――ッ!
「おいルディ……お前に手紙が来てるぞ」
パウロが入ってきたので、俺は自分の『世界』から帰ってきた。
パッとシルフィを離す。
危ない所だった。
あやうく小物臭の漂うラスボスになる所だった。
パウロに感謝しよう。
しかし、本心を我慢するのには、限界もある。
今回は耐えられたが、次は耐えられるか……。
---
手紙はロキシーからのものだった。
『ルーデウスへ
いかがお過ごしでしょうか。
早いもので、あなたと別れてから二年が経ちました。
少し腰を落ち着ける事ができたので手紙を書いています。
わたしは現在、シーローン王国の王都に滞在しています。
冒険者として迷宮に潜っていたらいつの間にか名前が売れてしまったらしく、王子様の家庭教師として雇われました。
王子様に勉強を教えているとグレイラット家での日々を思い出します。
王子様はルーデウスによく似ています。
ルーデウスほどではありませんが、魔術の才能は抜群だし、頭もいいです。
また、わたしの着替えを覗いてくる所や、パンツを盗んだりする所もそっくりです。
ルーデウスと違い、元気一杯で尊大ですが、行動は本当によく似ています。
英雄は色を好むというのでしょうか。
雇用期間中に押し倒されないか心配です。
こんな貧相な身体のどこがいいんでしょうね……。
っと、こんなことを書いてるのが見つかると不敬罪になるでしょうか……?
その時はその時ですね。悪口のつもりではないので言い逃れられるでしょう。
期間限定なのですが、王宮はわたしを宮廷魔術師に任命するつもりのようです。
わたしはまだまだ魔術の研究を行なって行きたいと考えており、好都合です。
そうそう、ようやくわたしにも水王級の魔術が使えるようになりました。
シーローン王国の書庫に、水王級の魔術に関する書籍があったのです。
聖級を使えるようになった時にはコレ以上は無理だと思っていたのですが、頑張れば出来るものですね。
ルーデウスは水帝級ぐらい使えるようになっているでしょうか。それとも、他の系統を聖級まで使えるようになってたりするのでしょうか。
熱心なあなたのことだから、治癒魔術や召喚魔術にも手を出しているのかもしれませんね。
それとも、剣の道を歩き始めたのでしょうか。
それはそれで残念ですが、ルーデウスならそっちの道でもうまくやるんでしょう。
わたしは水神級の魔術師を目指します。
前にも言いましたが、魔術のことで行き詰まったのなら、ラノア魔法大学の門を叩いて下さい。
紹介状が無い場合は入学試験がありますが、ルーデウスなら楽勝でしょう。
それでは、また。
ロキシーより。
P.S.もしかすると手紙が返ってくる頃に、わたしは王宮にいないかもしれないので、返信は結構です』
現状に釘を刺すような内容だった。
くそう。
シーローンとやらを地図で見てみる。
中央大陸・南部の東端にある小国だった。
直線距離ではそれほど離れていない。
だが、この中央大陸の山脈には赤竜が住み着いていて通行出来ない。
なので、山を迂回して南の方から大回りしなければ辿り着けない。
遠い国だ。
そして、魔法大学のあるラノアは北部。
北西へと大回りしなければ辿り着けない。
「ふむ……」
ロキシーは王級以上の魔術については一切教えてくれなかったが……。
そうか、知らなかったのか。
手紙は当たり障りの無い内容で返信しておいた。
情けない現状を、ロキシーに知られたくなかった。
彼女の中で俺がどんな凄い人物になっているのかわからないが、
落胆だけはされたくなかった。
それにしても、魔法大学……か。
ロキシーは以前にも言っていた。
あそこは素晴らしい、と。
しかし、遠い。
シルフィを置いてはいけない。
どうするか……。
とりあえず、俺は手紙の最後に、
「P.S.パンツを盗んでごめんなさい」
と書き加えておいた。
---
手紙が来た日の翌日、家族が揃った時に、俺は切り出した。
「父様。一つワガママを言ってもいいですか?」
「ダメだ」
一蹴された。
と思ったら、隣に座っていたゼニスがパウロの頭をパシンと叩いた。
逆隣に座るリーリャも追撃を入れた。
件の妊娠騒動から、リーリャも一緒の食卓に座るようになった。
それまでは、メイドっぽく食事中は給仕に徹していた。
詳しくは分からないが、家族として認められたという事だろう。
この国は一夫多妻でも大丈夫なのだろうか。
まあいいか。
「ルディ。なんでも言いなさい。お父さんがなんとかしてくれるわ」
頭を抑えるパウロを尻目に、ゼニスが優しそうな声を上げる。
「ルーデウス坊ちゃまは今までワガママらしい事を言ってはきませんでした。
ここは旦那様の威厳と甲斐性が試される瞬間だと思います」
リーリャも援護をくれた。
パウロは椅子に座り直すと、腕を組み、顎をクイっと傾けて、偉そうなポーズを作った。
「ルディが前置きを置いてまでワガママを言うんだ、とても俺の手には負えないような凄い事に違いない」
もう一度二連撃を食らい、パウロはテーブルに突っ伏した。
いつもの他愛ない家族の冗談だ。
では、切り出そう。
「実は、最近魔術の習得が行き詰っていまして。
そのためにラノアの魔法大学に入学したいのですが……」
「……ほう」
「シルフィにそんな話を匂わせたら、離れたくないと泣かれました」
「ほう、この色男め、誰に似たんだ? えぇ?」
パウロが三度目の二連撃をくらう。
「せっかくなので一緒に通いたいのですが、彼女の家は我が家ほど裕福ではありません。
付きましては二人分の学費を払っていただければ、とお願いします」
「ほう……」
パウロがテーブルに肘を付いて、どこぞの司令のような鋭い眼光で俺を睨んだ。
この目は、剣を持っている時の目だ。
パウロの中で唯一尊敬出来る瞬間の時の目だ。
「ダメだ」
パウロは先程と同じ言葉を吐いた。
今度は真剣だ。
ゼニスもリーリャも黙っている。
「理由は三つある。
一つ目は、剣術が途中だ。今投げ出せば、二度と剣が習えないレベルで中途半端になる。
お前の剣術の師匠として、ここで放り出すわけにはいかない。
二つ目は、金の問題だ。お前だけならなんとかなるが、シルフィも一緒となると無理だ。
魔法大学の学費は安くないし、ウチも金が湯水のようにあるわけではない。
三つ目は、年齢の問題だ。お前たちはまだ七歳だ。お前は賢い子だが、まだ知らない事も多い。経験も圧倒的に足りていない。
親としての責任を放棄して放り出すわけにはいかない」
やっぱ無理か。
が、俺は諦めない。
パウロも昔と違い、きちんと頭を使って理由を言ってくれている。
つまり、三つの条件をクリアすればオッケーということだ。
焦らなくてもいい。
俺だって、今すぐに、というわけではないのだ。
「わかりました父様。
では、剣術の稽古は今まで通りつけていただくとして、
年齢の方は何歳ぐらいまで我慢すればいいでしょうか」
「そうだな……15、いや、12歳まではウチにいろ」
12か。
確か、この国の成人は15歳だったか。
「なぜ12歳なのかを聞いても?」
「俺が家を飛び出したのが12だからだ」
「なるほど、わかりました」
12歳というのは、パウロにとって譲れない所なのだろう。
男のプライドを刺激しないためにも、俺は黙って頷いておく。
「では最後に」
「おう」
「仕事を斡旋してください。
読み書き算術はできるので家庭教師か、魔術師としてのものでもいいです。
なるべく給金の高いものがいいです」
「仕事? なぜだ?」
パウロは真剣な目のまま、恫喝するように聞いてくる。
「シルフィの分の学費を僕が稼ぎます」
「………それはシルフィのためにはならないぞ」
「はい。でも、僕の為にはなるかと」
………。
沈黙が流れた。
俺にとっては心地よくない空気が流れる。
「そうか……なるほどな……」
パウロは何かを納得したように、うんと頷いた。
「わかった。そういう事なら心当たりを当ってみよう」
ゼニスとリーリャの不安そうな顔とは裏腹に、パウロは信頼出来る時の顔で、そう言った。
「ありがとうございます」
俺が礼を言って頭を下げると、夕食が再開された。
--- パウロ視点 ---
まさか、ルーデウスがあんなことを言い出すとは思っていなかった。
ウチの息子の成長が早い。
とはいえ、普通はああいう事を言い出すのは早くても14、5を超えてからだ。
自分だって11歳で、剣神流で上級になった頃からだ。
言い出さないヤツは一生言い出さない。
「あまり生き急ぐと、早死にしちまうぜ……か……」
昔、オレにそんな事を言った戦士がいた。
当時、オレはそんな言葉を聞いて鼻で笑ったものだ。
周囲の奴らの生き方はゆっくりすぎる。
人族が力のある時期は短いというのに、誰も走ろうとしていない。
出来る時に出来る事を全部やる。
やったことを咎められたら、その時は後は野となれ山となれ、だ。
まぁ、出来る事をしたら結果としてデキてしまったので、
生活を安定させるため、冒険者を引退し、貴族時代の親戚のツテを頼って騎士になったのだが。
それは置いておこう。
ルーデウスの生き方は、オレのよりもずっと早い。
見てて心配になるほどだ。
きっと、若い頃のオレを見てきた奴らも、そう思ったんだろう。
だが、無鉄砲で行き当たりばったりだったオレと違って、
ルーデウスはきちんと計画的に物事を考えている。
このあたりはゼニスの血か。
「けど、ま、もう少し父親に縛られてもらうか」
そう思い、手紙を書く。
先日、ロールズにも相談されたのだが、シルフィはルーデウスにべったりだ。
シルフィから見れば、ルーデウスは地獄のような幼少時代を助けてくれた白馬の王子様だ。
なんでも教えてくれるから兄のように慕っているし、最近では男女としても意識するようになった。
ロールズは、将来ルーデウスがもらってくれるのであれば、それに越したことは無い、などと言っていた。
その時はあんな可愛い子が娘になるならそれもいいかと思ったが、今日のルーデウスの話を聞いて考えを改めた。
今の状況は洗脳に近い。
このまま成長すれば、シルフィはルーデウスなしでは何も出来ない大人になってしまう。
そういう奴は、貴族時代に何人も見てきた。
親に依存しすぎた木偶人形のような奴らだ。
それでも、依存対象がいる時はいい。
木偶でも操れば、面白い人形劇が出来る。
ルーデウスがシルフィを愛する限り、シルフィも大丈夫だ。
が、ルーデウスはオレの血を色濃く受け継いでいる。
女好きの血だ。
フラッと別の女になびいてしまう可能性もあるだろう。
いや、オレの血を引いているのだ、間違いなくフラフラするだろう。
結果として、シルフィを選ばないかもしれない。
その時、残されたシルフィは立ち直れない。
糸の切れた木偶人形は、決して立ち上がれない。
ウチの息子のせいで、あんな可愛い子の人生が潰される。
許せることではない。
息子のためにもよくない。
手紙が書けた。
色よい返事が返ってくることを祈ろう。
しかし、さて。
あの口のうまい息子をどうやって説き伏せたものか……。
いっそ、力ずくでいくか。