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悩める少年と……

 日が暮れた。

 駅に戻って、構内のベンチに座って、沈みきった太陽を惜しみながら下り電車を待つ。

 僕の隣に白銀の彼女が腰掛けるようにして浮かび、一緒になって電車を待っている。

「どうだった?」

『うん、楽しかった』

「そうか……」

 彼女に聞いて、僕も楽しんでたことに気づいた。僕の心が今日の終わりを拒んでいる。僕の体が電車を待つのを苦しんでいる。

 ふわふわ浮かんでいる彼女もそうなのかもしれない。でも、それほど満足してもらえたなら、きっと無事に成仏できるだろう。

 そんな風に考えていると、彼女は今にも消えてしまいそうな声で喋り出した。

『……本当はね』

「ん?」

『本当は言わないつもりだったの。わたしが首を吊った理由』

 …………。

「なら言うなよ」

『んーん。言わなきゃいけない気がする。ていうか、言いたいような気がする。言っておきたい気がする』

「僕は聞きたくない気がするけどな」

『ダメなんだよね』

「ダメ……?」

 彼女の顔を見ると、これ以上ないくらいに悲しい表情をしていた。色がないせいかも知れない。確証はないけど。

『あう、えと、なんていうか、怖い、みたいな……。ナツキくんに教えないままいなくなりたくないって、心が警告してるみたいに跳ねてるの』

「幽霊に心なんてあるのかよ」

『あるよー。だって、ナツキくんのこと、今でも好きだもん』

 ……それを、その気軽さでもって、生きてるうちに彼女から聞けていたら。あるいは僕が、不用意に避けたりせず、彼女に近づいていたら。

 そうすれば、なんなのだろう。後悔したところで時は戻らないし、戻れなきゃ結果がどうなっていたかなんてわからない。

 浮かんでいる彼女は沈む僕に言葉をぶつける。

『わたしは失恋したと思い込んで死んだの』

 それは遥か下方の僕に届くくらいに重く、今にも弾けそうなほどに脆い言葉だった。


 彼女は恋をした。

 まるで女の子のような、可愛い男の子に。

 きっかけはわからない。恋の始まりなんて、大概どうでもいいことばかりだ。彼女の場合も、それは変わらなかった。

 彼女は持ち前の明るさで彼に積極的に話しかけ、できるだけ多く、少しでも多く、彼と接点を持とうと努力した。

 しかし彼はなぜか彼女の顔を見ようとしない。話しかけても無視されたり、うまく会話にこぎつけても彼はすぐに切り上げようとする。


『わたしはバカだから、それだけで嫌われてると思っちゃったんだよね……』

 白銀の彼女は、そんなことを言いながら、僕の方を向いて笑う。閉じた目尻には、白い雫が滲んでいた。

 それだけ、と彼女は言うけれど、嫌われていると思うには十分すぎる根拠だった。僕だって、誰かに無視されたら嫌われてると思うだろう。

 バカは僕だった。

 下り電車が駅に停車し、出発した。僕らはベンチで電車を待ち続ける。

 僕はもう、喋ることができなかった。動くことすらできなかった。

 ただ静かに、彼女の告白を聞く物と化していた。

『それでわたしは、ラブレターを書くことにしたの。わたしの想いを、ナツキくんが好きっていう気持ちを、文字にしてしっかり伝えれば、もしかしたらわたしのことをちゃんと見てくれるかも知れない、と思って』


 文字にしてみると、案外素直に出てきた。

 でも逆に、「好き」と何度も書かないと、自分の想いが表しきれないような気がして、「好き」という文字は、いくら集まっても「好き」のような気がして。


『ああそっか、わたしはこんなに彼のことが好きなんだ、って思った。泣いた』

 電車が通過した。特急だったのかも知れない。アナウンスが聞こえなかったのでわからなかった。

 今日の電車はやけに感覚が狭い。下手すれば追突事故を起こしそうだ。電車の追突事故なんて聞いたことないけど。

『だったらちゃんと伝えなきゃ、って自分に鞭打って、わたしは三日間の期限を決めたの。期限内に伝えられなかったら失恋として諦めて、自分の気持ちに切りをつけなきゃいけないから。嫌われてるのにつきまとったら迷惑だもん』

 でも僕は受け取らなかった。

『でもわたしは渡せなかった』

 僕が避けていたせいだ。

『わたしに勇気がなかったから』

 全部僕が悪いんじゃないか。

『全部わたしが悪いの』

 僕は、なんて罪な事をしたんだ……。

 重い。重すぎる。

 僕は彼女の想いを無意識に捻り潰してしまったんだ。この女子みたいな細い手で。

『それで、自分で決めたルールの通りに、諦めようとしたの。でもわたしはナツキくんのことがとても好きで、気持ちの切り替えなんてできなくて、頭がぐちゃぐちゃになって……』

 首を吊った。

 首吊り坂で。

 きっと家に帰るのも嫌だったのだろう。制服も着たまま、鞄も持ったままで、わざわざ寄り道して首を吊ったのだから。

 恋に敗れた少女の行動力は、人の思考を凌駕する。

 恋を失った少女の決断力は、人の理解を超越する。

 これはそのいい例だった。

『今考えたら、始まってもいない、想いを伝えてもない恋に、失恋したと思い込んでたんだよね』

 バカは死ななきゃ治らないって、本当なんだ……。と呟いて、彼女は口を閉じた。

 電車の到着アナウンスが聞こえる。もうすぐくるのだろう。今度こそ、乗らなきゃいけない。いや、これは上り線か?


「なあレナ」

『ん、なーに?』

「ちょっとこっち向いて」

『うん』

 素直に僕の方を向いた彼女は、泣いていた。真っ白な顔を、目一杯歪めて。

 僕はその小さな唇に、キスするように僕の口を重ねた。そうしたまま目を閉じると、まるで本当に彼女がいるかのようだった。

 電車が駅に入ってくる。

 僕は僕にしか見えなくて、僕にすら触れられない彼女とのキスを、電車の窓という窓に見せつけた。


 ★


 電車は通り過ぎた。僕はまた乗りのがしてしまったのだ。

 目を開けると、白銀の彼女はいなかった。

 成仏できたのだろうか。

 もしかしたら僕にすら認識できなくなっただけかも知れない。その答えを知る手段は僕にはない。

 たとえ成仏できていたとしても、僕の罪は拭えない。今となっては償うことのできない罪。僕はこれを一生背負って生きていく。

 白銀の彼女とのキスは、空虚で幻想で、でも僕は、彼女の心に触れられた気がした。色がなくても綺麗に染まった心。染料はきっと恋だな。

 ぼうっと考えながら、僕はなんらかの方法で帰宅した。きっと電車に乗ったんだと思う。少なくとも飛んだりはしてないはずだ。僕は彼女と違って生きているから。

 親が作った夕食を、僕は食べなかった。

 適当に挨拶をして自室に入った。

 着替えもせずにベッドに倒れこんだ。

 仰向けになって、天井を見上げて。

 天井が歪んだ。僕の視界を、白銀の彼女のような綺麗な涙が覆い隠し、何も見ることができなくなった。

 見えなくて構わないと思った。僕には最初から何も見えてなかったのだから。

 彼女の姿はもとより、顔も体も、僕への想いも、彼女を作る全てを、僕の目は見ていなかった。

 あまりにも情けない。これが男か。

 僕は僕の何を誇って、自分を男だと思っていたのだろう。何も見えてなかったくせに。


 もう一度、いや、ずっと。

 ずっと彼女と一緒にいたいと思った。

 死んだら、会えるのだろうか。


 僕は起き上がり、ぐちゃぐちゃの視界のまま、家を出た。もちろん、夜風が寒いので、頭には例のニット帽を被っている。

 学校への道のりを、昨日と同じ道順で進む。

 心なしか足取りが軽かった。

 首吊り坂に迷いなく入る。

 足元が暗いので、多少時間がかかったが、僕は目的地に到着した。

 杉の木にそれがぶら下がっている。

 僕は死体を丁寧にどけて、紐の長さを確認し、両手をかける。

 思いっきり下に引っ張って、強度を確認してから、いよいよだと覚悟を決める。

 思いつきだった。

 彼女と同じ場所で死ねば、彼女とずっといられるかも知れないと、本気で信じていた。

 そして。

『ナツキくん!』

 白銀の彼女が、僕の顔の目の前にいた。


 ★


 彼女は腰に手を当てるような格好でふわふわ浮かんでいた。

「レ……ナ……?」

 僕はうまく声を出せなかった。

『そーだよ! レナだよ!』

「今から……今から僕も……」

『ダメ! わたしはナツキくんのことが大好きなんだよ? 恨んでなんかないんだよ? なんで死ぬの!』

「僕は……レナと……ずっと……」

 僕の途切れ途切れの言葉を受けて、レナは僕に落ち着くように促した。まずはわたしの話を聞いてと言って、僕に抱きつくような姿勢になった。

『わたしね、成仏できなかった』

 …………。

『わたしの未練、ナツキくんとデートしてるうちに変わっちゃったみたいなの』

「未練が……変わった?」

『ていうか、本当の未練が浮き彫りになったって感じなのかな。正しくは』

 幽霊は人の最期の念。ならば未練は変わるわけがないけれど、もし、白銀の彼女が僕に未練を伝えた時、無意識に遠慮してしまっていたとしたら。

 その答えが、今の彼女だった。

『わたしの本当の未練は、ナツキくんとずっと一緒に過ごせなかったこと』

 それは奇しくも、今の僕と同じ気持ちだった。

 僕は、紐にかけていた両手を離した。


 レナに急かされて、僕は帰宅した。今日二度目の帰宅。両親は夜に出かけたことを不審がったけど、僕は片手を振ってごまかした。

 警察には翌日の朝通報した。彼女の体をこれ以上野ざらしにして置くのが耐えられなかっただけだ。レナは喜んでくれたけど。

 そして、僕の部屋に幽霊が住み着いた。

 とあるジンクスにより「首吊り坂」と呼ばれているこの場所で、白銀の彼女は首を吊った。

「でもここで首を吊ったのはレナが初めてだ。霧雲ニュータウンができた頃からいる僕が言うのだから間違いない」

『え、うそ!』

「レナに嘘なんかつくもんか。いいか、ここの坂の傾斜はきついのかゆるいのか絶妙な角度だ」

『うん』

「この絶妙な坂で昼寝をするとしよう」

『あの日のナツキくんみたいに?』

「まくらがないから度々寝返りを打つ。すると……」

『すると?』

「高い確率で寝違える」

『え、じゃあ首吊りって……』

「もとは首攣り坂だよ」

『あう、思いがけずパイオニア……』

 実は一番最初に考えた設定だったりする。



 悩める少年と首吊り坂、これで完結です。最後まで読んでくださりありがとうございました。

 感想、書いていただけると作者は大喜びします。お気に入りにしていただけるともっと喜びます。もちろん、何もしないでこのままブラウザを閉じても作者は悲しみません。その場合は喜びもしませんが。

 僕は書くのが好きなので、また何かしら書くかもしれませんが、その時はまた読みにきていただけると幸いです。

 では、また会う日まで。


 吉岡カズト

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