偽者娘の幸福な不幸
「これをいただくわ」
お嬢様が言った。あたしを見て言ったから、『これ』ってのはたぶん、あたしのことだ。
□
ずっと汚い家で暮らしてる。家族は知らない。親に売られたのか、親無しだから売られたのか、わざわざ教えてくれる人なんていないもの。あたしが知ってるのは、今の汚い家に来てから、季節が二周りしたことくらい。
ここに住む女の子は、だいたい五人か六人だ。そのうちの一人が、あたし。女の子たちは色んな理由で増えたり減ったりする。親方が市場から連れてきたり、病気になったり、時々、死んだりすると数が変わる。
女の子たちは意地悪だ。どの汚い家でも、みんなそう。あたしのご飯を盗ったり、つねったりする。いつもお腹を減らしてて、疲れてるから怒りっぽい。あたしはひとよりノロマみたいで、イライラするから口をきくなと、よく怒られる。
汚い家の人たちは、オイとかオマエとかアンタとか、そんなふうにあたしを呼んだ。
ここに来るお客は男ばかり。若いのもいれば、老いぼれもいる。痩せてるのも、太ってるのも来るのに、男だけ。他の汚い家でも、やっぱりお客に来たのは男だけだった。だから、その特別なお客が訪ねて来たとき、あたしはすんごく驚いた。
だって、特別なお客は女の人で、小娘って呼ばれるくらいの歳なんだもの。強そうな召し使いを何人も連れた特別な女の子は、綺麗なドレスを着て、頭からベールを被ってた。顔を隠していたけど、手や肌や髪の感じが、どう見たって十代だ。
特別なお客が現れて、汚い家がざわついた。親方や雇い人の男たちが、いつもと違って緊張してるみたいだった。何かとんでもない事が起きてるんだって、あたしに分かるくらいだし、相当な騒ぎだろう。
女の子たちは、特別なお客を盗み見ている。あれはきっとキゾクだと、小さい声で話し合ってた。
キゾクって何のこと?
あたしに教えてくれる子はいない。とにかく、特別なお客はキゾクってやつらしい。
あたしは、他の女の子たちの隙間から、夢中で特別なお客を覗いてた。なんて綺麗な服だろう。噂に聞く絹って布は、きっとあれに違いない。
絹のドレスの女の子は、強そうな召し使いや親方たちから『お嬢様』と呼ばれて、ずっとペコペコされている。
あの特別な子が、お嬢様。
お嬢様っていうのは、特別な子のこと。
小娘なのに大人の男より偉くて、女の子なのにお客になれて、親方たちが頭を下げたって見向きもしない。
お嬢様って凄いと、あたしは胸がドキドキしていた。
女の子たちが、一人ずつ呼ばれていく。親方から、お嬢様の前に立つように命令されて、その通りにしていった。お嬢様が首を横に振ると、その子の番は終わりになり、次の女の子が呼ばれていく。
ついにあたしの番が来た。お嬢様の前に立つ。お嬢様は、いい匂いがする。ベールの中からあたしを見たお嬢様は、首を横には振らなかった。
召し使いにばかり喋らせて、ずっと黙っていたお嬢様が、キッパリと言ったんだ。
「これをいただくわ」
当然でしょって口調で、あんまり堂々としてるものだから、おっかない親方が怯 んでる。胸の中がこそばゆくなり、あたしの顔が変に歪んだ。
「あら。お前、笑っているの?」
笑うってどうやるの?
そう聞いたら、お嬢様がふっと息を零した。途端に胸のこそばゆさが強くなり、鳥のお化けみたいな音が弾んで出てくる。
「いひっ、ひひっ、ひひひひっ」
「下手ねぇ。これを見ても笑えるかしら?」
お嬢様が顔のベールを持ち上げた。あの親方が、あたしがぶたれる時とそっくりな甲高い声を張りあげる。
お嬢様の顔の半分はツルツルで、もう半分はでこぼこしていた。ビー玉より青い目が一つ、あたしの目をじっと見ている。
「ねぇ、まだ痛い……?」
「いいえ」
「ひひっ、うひひっ!」
「お前、頭が悪いのね」
召し使いを一人だけ連れて、お嬢様があたしと一緒に外へ出た。あたしは初めて、荷台じゃない馬車に乗る。残りの召し使いたちが戻るのを待っていると、汚い家のほうから、みんなの声がした。
親方も、雇い人も、女の子たちも、しきりにキャアキャア騒いでる。ご馳走でも貰って喜んでいるんだろうか。お腹が鳴ってよだれが出てくる。そのうち、誰の声もしなくなった。疲れた顔で戻ってきた召し使いたちは、鉄錆みたいな臭いがした。
馬車が走り出す。お嬢様は、ほんとにいい匂い。怒られないから、クンクン嗅いでた。しばらくして、お嬢様が言った。
「今日から、お前はアンよ。いいこと、古い名前は忘れなさいね、アン」
「いひっ!」
アンになったあたしは、お屋敷に連れてこられて、お風呂に入る。女の使用人に体中こすられて、嫌になるくらい洗われた。黒くなったお湯を何度も捨てられて、これで終わりと言われた時にはヘトヘトになっていた。
お風呂から出たあたしは、鏡で見た自分の顔に驚いた。
「わっ! ひひ……うひひ、半分おそろい」
お屋敷でビックリしたのは、お嬢様より偉い人がいたことだ。ここで一番偉いのは、旦那様という男の人。旦那様はやっぱりキゾクというやつで、お嬢様の父親なんだって。
「いいかい、アン。私たち親子に服従するなら、悪いようにはしないと約束しよう」
旦那様が、あたしに言った。
「何か質問はあるかね」
「フクジューって、どんなもの?」
旦那様は目を真ん丸にしてたけど、あたしを鞭でぶたなかった。フクジューっていうのは、お利口にして、旦那様やお嬢様の言いつけを守ることみたい。
お嬢様の家族はもう一人、弟がいるそうだ。弟は遠くの学校で勉強してるから、年に二回しか帰らない。
母親は、お嬢様の弟が赤ちゃんの頃、病気で死んでしまったんだって。壁にかかってるでっかい絵のどれかが、お嬢様の母親だ。
こうしてあたしは、お屋敷で暮らすことになった。お屋敷はどこもかしこもピカピカで、お腹一杯ご飯をくれる。誰もあたしを叩かないし、つねらない。
読み書きは苦手だけど、お嬢様が教えてくれる。
綺麗なドレスは窮屈だけど、お嬢様が選んでくれる。
「ひひっ」
ある日、若い男が訪ねてきた。あたしは喉に包帯を巻いて、寝台へ横になり、その男の話を聞かなきゃならない。絶対に喋っちゃ駄目だと、お嬢様と旦那様から何べんも言われてる。
ぶん殴られても声を出しませんと請け負って、あたしはドンと胸を叩いた。
「ヨのカツヤクをとくとゴロージロッ!」
旦那様が口をポカンと開けた。
「アンは突然、どうしたんだ?」
「絵本の真似なの、お父様」
「がんばるから見とけって呪文みたいです、旦那様」
「そうか……」
とにかく、精一杯やるつもり。張り切って寝台へ飛び込んだ。
「元気そうだね、アンジェリカ。改革派の刺客から襲撃されたと聞いたんだがな。燃えたのは君ではなく、密かに休養していた別荘だけか」
「…………」
「君のしぶとさには恐れ入ったよ。新調した喪服が無駄になってしまったな」
「…………」
あたしの仕事はカンペキだ。一言だって喋らなかった。お嬢様と旦那様は、あたしの仕事ぶりを隠れて見てたみたいだった。
「わあぁ……!」
貰った箱を開けてみたら、お姫様みたいなお人形が入っていた。あたしは胸がぎゅうっとなって、なんにもしゃべれなくなる。
「どうしたの、アン。ご褒美は気に入らなかった?」
「!」
箱の蓋を握りしめて、必死に首を横に振る。あんまり頭を速く動かしたから、クラクラするほどだった。
「ここここれ、ホントにあたしの……?」
「そうよ。あげるって言ったじゃない。好きに遊んでいいのよ。頭を千切っても怒らないわ」
「あたしのっ、お人形っ!!」
お人形!
あたしのお人形!
こんな綺麗なお人形が、あたしのものなんだって。夢みたい!
あたしはお人形を抱き上げると、あたしが会ってもいいと言われてる人たちに、お嬢様から貰ったって見せびらかしに行った。お人形に名前はつけてあげたのか、メイド長さんに聞かれたから、あたしは三日三晩考えた。
「ボンボンにしました。名前。あたしの妹なの。綺麗だから。貰ったお菓子が、お嬢様がくれたあれが、すんごく綺麗だったから、一緒なの。それに、お人形に嬉しいを分けたげようと思って。ボンボンって呼んでもいいですか?」
頭がぼうっとして、いつもより上手く話せない。あたしのおでこに手をあてて、お嬢様がため息をついた。
「分かったから、大人しく寝ていらっしゃいな。考えすぎて熱を出すとは思わなかったわ。ボンボンも、添い寝してくれるそうよ」
「ひひーっ、うひひっ!」
ボンボンを抱いて床についたあたしのそばに、お嬢様がいてくれた。ウトウトしてたら、旦那様がやってきて、お嬢様と難しい話をしているみたいだった。
「改革派のスパイはまだ見つからん。しかし、フレドリックが内通者というお前の見立てに、私はまだ懐疑的だ」
「あれでも、わたくしのフィアンセでしてよ。王統派のお父様にすり寄って、懐柔を仕掛けるには、最も適任な人物ではありませんか」
カイジュー……、怪獣のこと?
絵本に書いてある嘘っぱちだと思ってたけど、本当にいるんだろうか。
「奴は血統だけの無能だ。そんな大任を与えられるか、はなはだ疑問でね」
「どんな道具でも、要は使いようですわ。油断を突かれて、別荘に火を放たれてしまったのは、わたくしたちでしょう」
火を?
怪獣が、火を吹いたの!?
だから、お嬢様の顔が半分、あんな風に……!
「あ、あたしっ!」
「!」
お嬢様と旦那様が、ハッとあたしを振り向いた。あんなに頭にきたのは生まれて初めてで、抑えがきかない。あたしはカーッとしたまま、夢中で大声を張り上げていた。
「怪獣がいるならっ、今度来やがったらっ、その畜生が火を吹きやがる前に、あたしがとっちめてやりますっ! だから、お嬢様と旦那様は、あたしがそいつに噛みついてる間に、走って逃げて!」
「アン……」
よくわからないまま、ぶるぶる震えて叫んだあたしを、お嬢様がシーッて、なだめてくれた。大丈夫よ、大丈夫って繰り返し言われて、静かに頭を撫でられると、どんどん瞼が重くなってくる。
「噛みつく必要はないわ。あなたは、わたくしの代わりに寝台で横たわって、相手の話を聞いてくれるだけでいい」
「この前みたく……?」
「ええ。あなたの目はわたくしと同じ形なのに、わたくしと違って甘やかだから、愚か者を調子づかせるのに最適なのよ。必ずさえずらせて真相を掴んだら、生皮を剥いでやるわ」
「?」
さえずる?
あたしたち、小鳥の話をしてたんだっけ?
熱のせいで悪い夢を見ただけで、怪獣の話は聞き間違いだったかもしれない。近くにお嬢様がいてボンボンも添い寝してくれるから、あたしはいつの間にか、安心して眠ってしまった。
熱が下がってしばらくすると、あの若い男がまた訪ねてきた。二度目だけじゃ終わらずに、時々、面倒臭そうに奴が来る。ヤクシャのジムだから仕方ないとか言っていた。
ジムの話は嫌味ばかり。そのうち妙な事を言い出した。
「この先、愛情を求めるのはやめてくれ。満足に床から出られぬ女など、僕の相手にふさわしくないからね」
「?」
「とはいえ、安心して欲しい。形ばかりの結婚になるが、予定通り妻の座を与えよう。自分の方が家格が上だと驕ることなく、心から僕に感謝して、精一杯仕えるように」
「??」
「夫婦揃って説得すれば、いずれ君の父上も改革派が正しいと理解して、王統派を見限って下さるだろう」
「???」
「では、そろそろ失礼しようかな。また来るよ。婚約者の義務だからね」
また来るとジムは言った。ジムはまた来ちゃうのか……。
がっかりしたけど、隠れて話を聞いていたお嬢様は嬉しそうだ。なんだか、重い荷物でも下ろしたような様子をしている。
旦那様は怖い顔で、あいつが漏らしていたのかと唸ってた。
「オシッコの話ですか?」
「情報の話だよ」
ジムは二度と来なかった。夜逃げでもしたんだろうか。賭博好きなお客とそっくりな目つきをしてたから、きっと賭けトランプに負けたんだ。
□
「お前は不幸ね」
あたしの髪をブラシでとかして、歌うようにお嬢様は言った。お嬢様があたしの髪をとかし、あたしはボンボンの髪をとかしてる。
「フレドリックが内通者でなければ、わたくしの代りに、彼と結婚させてあげたのに」
フレドリック?
いったい、誰のことだろう。聞いたことがあるような、無いような……。
「もしかして、ジムのことですか?」
「ジム? いったい誰のことかしら……」
お嬢様も首を傾げている。奴の正体はナゾのままだ。
「とにかく、もう縁談はこりごりよ。こんな体になってしまったし、相手だってやっと亡くした訳だから、わたくし生涯独身でいようと思うの。うちの家督を弟が継ぐ頃になったら、わたくしはこの屋敷を出て、寡婦 館へ移ります」
お嬢様が、お屋敷からいなくなるの?
胸が不安でザワザワ騒いだ。寒いみたいに体が震える。頭がわんわん痛みだした。
「あっ、あたしは、どうなるんですか?」
「お前も来るのよ。一生、わたくしの側にいるの。お前は余計な事を知りすぎてしまったし、わたくしから逃げようとするなら、殺めるしかないわ。可哀相なアン」
「!」
なんだ、連れてって貰えるのか。
寡婦館が何か知らないけど、掘っ立て小屋でかまわない。なんなら、あたしが大工仕事をおぼえて、お嬢様とあたしとボンボンの家をお屋敷に負けないくらいピカピカに直してみよう。旦那様は太っ腹だから、板や釘なら、きっと沢山くれるはずだ。
「ひひっ、うひひひひ!」
ひっくり返った声が止まらないあたしに、お前は馬鹿ねと、お嬢様が笑った。




