ヒロコ
「もう、わたしさぁ」
その声を聞いた瞬間、ああ、始まった、と思う。
ヒロコは幼稚園からの友人だ。悪い子じゃない。むしろ明るくて、場を盛り上げるのがうまい。失敗談だって、たいていは可愛らしい。
「なになに?」
グループのみんなもすぐ食いつく。いつもの光景。
でも、ここはショッピングモールの狭い通路のど真ん中だ。人がひっきりなしに通る。
わたしは周囲を見て、反射的に言った。
「ちょっと待って、そこ邪魔。二歩でいいから脇によけて」
するとヒロコは口を尖らせた。
「ひどーい、わたしを邪魔者扱いなんて」
違うのよ。あなたを邪魔者にしてない。だけどその場所に立つのは邪魔なの。
そう言い直す前に、もう笑いに紛れて話題はチョコの話に移っていた。
貸し切りバスでゼミの研修旅行に行った。
サービスエリアのトイレで、ハンドドライヤーを使い終わった瞬間、くるっと体をひねって後ろの友達に話しかける、ヒロコ。
ヒロコの後ろは知らない人。その後ろにわたし。
「そこ場所を譲ってもらっていい?」
「え?」
「そこ、邪魔。次に使いたい」
「あ?」
ヒロコは明るくて、テンションが高い。
だけど、周りを見ない。
でもある日、偶然耳にした。
「なんかさ、最近あの子、口うるさいんだよね。せっかく楽しんでいるのに」
その、あの子が自分だと分かるのに時間はかからなかった。
それからわたしは注意をやめた。
グループから抜けることもしなかった。ただ、自分だけは少し離れるようにした。
立ち話が始まれば、わたしは少し離れる。
通路の中央に集まれば、わたしは端に寄る。
テンションが上がって周囲が見えなくなると分かっているから、わたしは先に安全地帯へ移動する。
それが、わたしの身の守り方だった。
これ、やっておいてよかったと思うことがあった。
下りエスカレーターにグループは乗り込んだ。わたしは階段を選んだ。
案の定、下についてすぐ、ヒロコが立ち止まった。
「売り場はどっちだっけ?」
後ろの人が困惑しているが、すり抜けた。だけど、その後ろ、その後ろ、人はどんどん降りてくる。
「どこ邪魔だ。どけ!」
と上から声がかかった。
「邪魔?」と上を見上げるが、動かない。
周りの人が、グループを囲んで一斉に動いた。
「まわりを見ろ。状況がわからないのか? くそが。事故になる」
グループの一部ははっとしたようだが、ヒロコはポケッとしている。
「怖かった。なにあれ」
変わらず明るいヒロコの声が聞こえた。
卒業して就職しても、家はそれほど離れていない。
でも、できるだけ会わないようにした。偶然を装って、距離を取った。
ある日、母が言った。
「最近あんたに会えないって、ヒロコちゃんが言ってるって、向こうのお母さんが言ってたよ」
「だよね、なぜか会えないんだよね」
わたしは笑ってそう答えた。会いたくない理由を説明しても、注意してあげればいいじゃないと返ってくるだろうから、そこは流した。
わたしだって最初はそう思っていたぐらいだ。だけど、無理なんだ。世話するのは嫌なんだ。
ある日、ヒロコが怪我をしたと聞いた。
お店で立ち話をしていたら、後ろから人に突き飛ばされ、棚にぶつかって、荷物の下敷きになったらしい。
もしかすると、一生、車椅子の生活になるかも知れないと母は顔を曇らせている。
状況は、簡単に想像できた。通路の真ん中。テンションの高い声。
周囲の流れを止める迷惑行為。
たぶん、邪魔されて動けない人が睨みつけても、にっこり微笑みを返しただろう。敵意に鈍いヒロコだもの。
だから、いら立って突き飛ばすというよりぶつかったのだろう。勢いがちょっとだけ強かったのだろう。
同じような場面は何度も見てきたから、容易に想像できてしまう。
どう注意すればよかったのだろう。
「危ないよ」と言えば、口うるさい。
「邪魔」と言えば、ひどい。
黙れば、何も変わらない。
明るくて、悪気なく、楽しく笑っているあなた。
その人に「いつか身を滅ぼす」とどう伝えればよかったのか。
わたしは結局、自分を守ることしかできなかった。
離れること。距離を取ること。巻き込まれないこと。それしかできなかった。
それは冷たいことなのだろうか。
それとも、必要な選択だったのだろうか。
ヒロコの怪我の話を聞いた夜、わたしはずっと考えていた。
もしあのとき、もう少し違う言い方ができていたら。
でも――
わたしは、人混みで立ち止まる人を見つけると迂回する。
そして少しだけ胸が痛む。
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