ここは俺に任せて逃げるんだ 2
疲弊していたベルマはメイドにより、森の外に出されていた。
しかし遠くへ逃げるのではなく、森が見える範囲の距離で待っている。
ベルマが命じたわけではない。三人とも、自分たちを守ったイレギュラが気にかかっていたのだ。
戻ってこなかった場合、自分たちはあの二人に救われてしまったということになる。きっと申し訳なく思うのだろうと想像している。
だが戻ってきたのなら、もっと悪い気分になるだろうと察してもいた。そして、そうなるだろうということも。
「おや、まだ近くにいましたか。案の定ですね」
「相手は侯爵令嬢だぞ? 少しはわきまえろ」
「犯罪者に敬意は不要かと」
イレギュラとクナオルは何でもなさそうに森から戻ってきた。
もちろん無傷ではないが、それはさきほどベルマたちによって受けた暴行によるものだ。
悔しさ、敗北感が三人を襲う。
猜疑心や警戒心が、自己正当化のために呼び起されていた。
「なぜ私たちを……私たちを森から出した!」
助けたとか救ったとか言いたくないがために、語彙力を発揮していた。
そちらの方が滑稽であると自覚しつつも、そう言うしかできなかった。
「まああえて砕けた言い方をするとだ。貴方が死んだら、私が疑われるからですよ。それってすごく迷惑じゃないですか?」
「迷惑だと!?」
「貴方が私の外出を見てつけてきたように、貴方たちが私の後ろを追いかけてきたところを誰かに見られているかもしれない。その状況で貴方が戻ってこなかったら私に疑いの目が向くでしょう。それを避けたかっただけです」
これも本音である。
(この世界はマンガじゃねえ。俺が説明したら勝手に回想シーンが映し出されて、読者に噓偽りない情報として開示されるってわけじゃない。ここでこいつが死んだら、俺が何かしたと疑われる。疑いを晴らす方法がないし、何より俺の能力が知られた時にもめごとになりかねない! まあ助けるしかないよな)
イレギュラもムカついていないわけではなかった。
それでも合理的に考えればこうするしかなかった。
「……ふん!」
その合理性は、ベルマの視点からしても明らかだった。
そしてそれはイレギュラが損を被らないための理屈ではあるが、同時にベルマへ何かを要求するものではない。
これではイレギュラに難癖をつけられない。
自分の中の敗北感を、相手への攻撃の動機にすり替えられなかった。
ベルマはさらに不機嫌な顔になった。
「悔しいとは思わなかったのか? 自分を倒した者を助けるなど!」
「それはそうですが、私がそれを我慢すればいいだけのことですから」
「我慢だと!? お前が我慢だと!? お前が何を我慢した!? 私のほうが我慢している!」
彼女の地雷を、イレギュラは踏んでしまった。
罪悪感が吹き飛ぶほどの激憤。
心身ともに追い詰められていた彼女は、全力で怒鳴る。
「いいか、私は……」
「まずは『ごめんなさい』と『ありがとうございました』でしょうが!」
自分の正当性を訴えようとしたベルマの顔面を、クナオルが全力でぶん殴っていた。
長身で、鍛錬を積んでいて、しかも身体強化のアビリティを持つベルマであったが、同じ身体強化を持つクナオルからの全力パンチには対応できなかった。
ダメージを受けていたこともあって、地面にしりもちをついてしまう。
「な、あ、え!? クナオル!? お前何してんの!?」
「平民でもできることを、なんでアンタはできないのよ! あんた一体何様なの!?」
地雷を踏まれていたのはクナオルも同じであった。
とっくにブチ切れていた彼女は、しりもちをついているベルマの顔を踏むように蹴った。
「ま、ま、待って! ベルマ様の話を聞いて! ベルマ様には辛い過去があるの! 我慢してきたことがあるの!」
「せめてその話を聞いてからにしてちょうだい! きっと、きっとわかってくれるから!」
ベルマのメイド二人がクナオルを止めようとするが、飛行のアビリティしかない二人は身体強化のアビリティを持つクナオルを止められるほどの馬力がない。
少なくとも力で彼女を抑えることはできなかった。
「優秀だったけど家督を継げなかったうんぬんかんぬんでしょ!?」
「それは……はい」
「長子じゃないとか、男子じゃないとか、正妻の子じゃないとか、そういうことでしょ!?」
「……そうです」
「そんなのはあの学校にいくらでもいるわよ! 聞くまでもないわよ!」
説明される前に切り捨てられてしまうメイド二人。
こうなると言葉で説得しても意味はなかった。
「アンタみたいなやつはね! どうでもいい相手にうっ憤をぶちまけているくせに、不満に思っている家族相手にはいい顔をしているんでしょ!! それを我慢だって言ってるんでしょ!? 違うわよ!」
仰向けに倒れたベルマの顔を、クナオルは踏み続ける。
「我慢ってのはね! 人様に迷惑をかけないことをいうのよ! 他人のことを攻撃しておいて、私は我慢を強いられてきたとか言ってもバカとしか思わないわよ!」
力で止められず、言い返す言葉もない。
まだ14、15でしかない三人の少女は、もうすでに涙目になっていた。
「『ごめんなさい』も『ありがとう』も言えない! 気に入らないことあったら関係ない奴に当たり散らす! そんなやつが領主になれるか! お前を後継者にしなかった親の判断は大正解よ! お前なんか死ねばいい! 死ね! 死ね!」
倒れている相手を踏む。
人間が本能的に行う加虐行為であり、人体の構造上的にも物理的にも最も有効な攻撃法である。
武術的要素の全くない暴力行為だが、このまま続ければ死ぬだろう。
「クナオル!」
今まで見たことがないほど怒っているクナオルに呆然としていたイレギュラだったが、ここで我に返って後ろから羽交い絞めにする。
もちろんイレギュラに身体強化はないため常人の力だが、それでも体勢と、なにより人間関係というものがあった。
「坊ちゃん、放してください!」
「落ち着け! ラッキースケベにすんぞ!」
「この状況で、性感帯を触られても止まりませんよ!」
「ああそうだろうなあ! お前ら! ここは俺に任せて早く逃げろ!」
なんとか抑え込みつつ、イレギュラは二人のメイドへ避難を訴えた。
さっきよりも本気である。
「クナオルに侯爵令嬢を殺させるわけいにはいかないんだ!」
二人のメイドは、森を出たときよりも必死になってベルマを担ぎ、大慌てで逃げていく。
「待て! 殺してやる! 殺してやる!」
後ろから聞こえる声は、いまだに殺意に燃えていた。
昔話の怪物から逃げる子供のように、三人は去っていくのだった。
※
少し昔の話である。
ベルマの祖父に当たる先々代侯爵は、多くの子宝に恵まれていた。
誰もが幼少期から頭角を現しており、いずれも侯爵にふさわしいだけの才覚があった。
先々代侯爵は『長子や男子、正妻の子かどうかは関係ない。公平に機会を与える』と言って、それぞれに最高の教育を与えた。
兄弟姉妹たちは先々代侯爵からの愛情を受けて、誰もが『自分が父の跡を継いで侯爵になる』と奮起し、日々切磋琢磨していた。
そしていざ後継者を決めるとなった時。
先々代侯爵には後継者を任せられる、多くの候補者がいた。
誰を選んでも立派に侯爵を務めてくれるだろうと目を潤ませた彼であったが……。
兄弟姉妹はこの後凄惨な殺し合いを演じることになる。
侯爵といえば、公爵に次ぐ大貴族。
その後継者になるかならないかは、人生を大きく変えることになる。
それぞれが優秀であったため、辞退しようというものは一人もいなかった。
話し合いで解決することはなく、武力や暗殺合戦に発展し、内戦手前でようやく先代侯爵が決まった。
一人しか生き残らなかった、ともいうだろう。
その生き残った先代侯爵こそが、ベルマの父であった。
先代侯爵は先々代侯爵の『どの子にも公平に機会を与える』という思想が間違っていたと断じた。
美辞麗句である公正公平を期した結果が内戦寸前の殺し合い。教育のリソースが無駄になり、多くの人材が失われ、何より生き残った自分がその犠牲に見合った成果を出せていなかった。
彼の後継者育成の方針はシンプルだった。
跡目は長子に継承させる。他の子には基本的に次期侯爵としての教育は行わない。
その方針にも穴はあるだろうが、彼はある種の逆張りによってそれを選んだ。
先代侯爵の長子、長男は体こそ健康であったが、父や父の兄弟と違って優秀ではなかった。
ならばと優秀な側近の育成に励み、彼を支える地盤を作った。
結果、新しい侯爵への代替わりは滞りなく行われ、領地経営もそれなりに順調であった。
この結果にかつての跡目争いを知る者たちは安堵し、先代侯爵を称え、先々代侯爵が間違っていたと語り合った。
さて、ベルマである。
現侯爵の妹である彼女は優秀で有能とされていた。
二つの強力なアビリティを保持し、勉強もできていた。
周囲の人々は悪気なく『あの子が長子だったらよかったのにねえ』『後継者じゃないのはもったいないわねえ』と口にしていた。
しかしそれはベルマを後継者として担ぐという意味ではない。本当にただ惜しんでいるだけだった。
それを聞かされていたベルマはうっ憤をためていく。
もちろん彼女にも跡目争いの凄惨な過去は知らされていた。
それに対して素晴らしい反論ができたわけではない。
何より彼女はいい子でありたかったため、父に反抗することや兄を陥れるなどのことはできなかった。
それでも彼女にはうっ憤がたまっていった。
誰もが自分を兄よりも優秀だと言っているのに、父は自分を後継者に選んでくれない。
自分が長子でなく、男子ではなく、正妻の子でもないから。そんな理由でないがしろにされるなんて嫌だ。
私の関係ないところで制度が決まり、最初から権利も与えられていない。
納得できるわけがない。
先代侯爵は彼女にとても良い縁談を用意していたが、彼女はそれを断って英雄校に進学する。
それはそれで悪いことではないので、父も兄も送り出してくれたが……。
『領地の皆に、私を後継者にすればよかったと本気で後悔させてやる』
内心を理解してくれるメイド二人を連れて、彼女は自分の領地の社会への復讐を誓うのだった。
※
ベルマの悲願はそれでも。
「優秀だったけど家督を継げなかったうんぬんかんぬんでしょ!?」
「それは……はい」
「長子じゃないとか、男子じゃないとか、正妻の子じゃないとか、そういうことでしょ!?」
「……そうです」
「そんなのはあの学校にいくらでもいるわよ! 聞くまでもないわよ!」
他人からすればよくある話、どうでもいい話でしかなかった。




